◎ 2017年2月4日 (土) 自分の事ばかり書いてる?
(*1)に「ルシファーの最後(白蛇の正体)」という小説がある。ブログの日付が2012年02月14日で、小説が2010年12月5日になっている。
この中の蛇が、俺の事を書いているような気がするのだが、だとしたら、このブログはカルトの一員という事になるのだが、それを指摘したいわけではない。
時々、ネットなどで俺が自分の事ばかり書いているとか、言っているという指摘を見かける。
「言っている」というのは、家の中に盗聴器が仕掛けてあるのだ。
ところが、現状というのは、過去の原因の結果なのだ。
過去に悪いことをしたから、悪い現状が出来上がったのだ。
そのため、原因を直さずに悪い現状を直す事は不可能なのだ。
悪い現状を作り上げたのは、複数の原因に違いない。
それも、10や20ではなく、100万とかそれ以上あるに違いないのだ。
しかし、どの原因も似たような内容かもしれない。
我々は、過去に酷い目に遭った人がいないか、調べる必要があるのだ。
例えば、冤罪やスケープゴートで処刑された人々もいたかもしれない。
過去や現在の悲劇を置き去りにしたまま、現状を打破する事はできないのだ。
シリアやイラク、あるいは世界中、または日本でもテロや戦争で多くの人々が死んでいるかもしれない。
しかし、この現状を作り上げたのは、過去または現在の小さな悲劇の積み重ねなのだ。
小さな悲劇を蔑ろにする奴は、大きな悲劇を招き寄せるのだ。
そのため、悲劇に大小は関係ない。
世界の支配者層が作り上げたシリアやイラク、イエメン、スーダン、ウクライナの戦争やテロだけに注目し、そんな戦争屋達に騙されるのは愚の骨頂だ。
俺が、たまに自分の事を言うのは、全く悪いことではないのが分かって貰えただろうか。
集団ストーカーの存在すら知らない人もいるのだから、そういう人々に彼らがどんな事をするのか、また、彼らの背後にどんな組織がいるのかを教えてやる意義もある。
この世の中は、何も知らずに生きるのは危険なのだ。
最近、集団ストーカーなどの背後にいるカルト財閥にネットニュースなどで脅されて、色々と調べるのを止めてしまったが、これは仕方がない。
無理を押し通して殺されても無駄死にだからだ。
他の皆さんも今は調べるのを止めたほうが良いだろう。
戦時中に戦争反対を叫ぶのは危険だ。
もちろん、この記事も反論のために書いたのではなく、本当に俺が自分の事を言う意味が分かっていない人々に教えてやり、その人の考え方の誤りを指摘し、より良い人生に導いてやろうと思ったからだ。
別に、このデタラメな誹謗中傷が気になったわけではない。
(*1)白蛇 〜弁才天・弁財天の蛇の正体=神道では市杵嶋姫。ギリシャ神話ではメデューサ。その正体はメデューサに「白蛇様」がくっついた悪魔。であると同時にメデューサ=白蛇でもある。: これから来る君へ(http://takao-sato.seesaa.net/article/252159333.html)
◎ 2017年3月6日 (月) 韓国の貧富の原因は、米韓FTAか
関税は、国内の弱小産業を外国企業から守るためにある。
そのため、米韓FTAで関税が撤廃されたため、韓国の財閥は輸出しやすくなったが、中小企業は倒産するはめになったのではないか。
関税撤廃は、一次・二次・三次産業に満遍なく就労者を配置するときに障害になる。
仮に、各産業で、大企業のみが生き残ったとすると、産業の硬直化により、新製品が出なくなるだろう。
それでは、慢性的な不況を招くことになる。
◎ 2017年7月6日 (木) 魔界都市
「魔界都市」菊地秀行
20年以上前に読んだことがある。
何かのきっかけで、人は医師メフィストの患者になってしまう事がある。
それは、現実でも同じようだ。
正しい事とは、誰かのためではなく、世界中の人々にとってどうするのが良いのかを考える事だ。
◎ 2017年9月8日 (金) 感動には意外性が必要
普段の生活では、あまり面白い事は無い。
不穏な時代だから、腹が立ったりする事は、たまにある。
ところが、作り話だと面白かったりするのだ。
ストーリーを創作しようとしても、なかなかアイデアは浮かばない。
夢の中で見たストーリーや普段の他愛の無い経験を場面や条件を変えて作り直したストーリーは面白かったりする。
これらに共通するのは、意外性だ。
夢の中ではほとんど作為できないし、経験には意外性が含まれる。
先日も、シナリオをぼんやり考えていたら、意外と面白い場面が浮かんだ。
◎ 2017年12月14日 (木) ばればれ
Aが長い間、優位だったのだが、ここ数年で幻滅し、今年になって恐怖になったから、物色していたら、他に2人幻滅することになって、比較的スカスカに近い状況で、以前から冷淡な態度のBの相変わらずの冷淡ぶりがフライング気味でドキッとした。Aがいなくなった状況が招いたか。
◎ 2018年9月12日 (水) 箴言の感想1
箴言1−3章 - 聖書の学び 旧約
http://www.logos-ministries.org/old_b/pro1-3.html
1:7に「主を恐れることは知識の初め」とある。
老子は第一章で、名無しが天地の始まりで名有りから万物が生まれたとする。
また、名無しと名有りは玄(微妙で深遠な理)から出て来たという。
玄は衆妙(天地万物の微妙な道理)の門としている。
玄=衆妙=道なのだろう。
名無しを無分別、名有りを分別とすると分別以前から道は存在するという意味になる。
老子には主は存在しないから、恐れるとしたら天罰になるだろう。
新約聖書のヨハネ福音書は「始めに言葉ありき」とし、ファウストは「始めに行為ありき」とした。
後者は経験に基づかない思索は意味がないという意味だろう。
キェルケゴールは信者に教えるようには行動していなかったキリスト教のある司祭を見て、自らの人生哲学は自ら実行すべきだとする実存を唱えた。
3:5の説明が引っかかる。
他の箇所では、知恵を人生経験から身に付けろと書いてあるのだが、ここでは神の命令に従えと書いてあるのだ。
似たような話にジャンヌダルクがいる。
3:16では、知恵が身に付くとソロモンのように長寿と名誉と富も手に入るとあるが、その後、イスラエル(ヘブライ王国)は分裂し滅びた。
3:19には主が知恵によって天地を創造したとある。
1:7に通じそうだ。
2通りに解釈できる。
1つは主が知恵を使って世界を構築したという解釈、もう1つは世界は知恵で満たされているという解釈だ。
これらは両立できない。
前者は危険な香りがするが、こちらのほうが解釈としては素直だろう。
以上の箇所が他の内容とは異色に思われる。
箴言は、ただの宗教哲学ではなく、世知にも通じているが、何もかも教えてくれるわけではない。
◎ 2018年9月13日 (木) 箴言の感想2
箴言4−6章 - 聖書の学び 旧約
http://www.logos-ministries.org/old_b/pro4-6.html
4:8では、知恵は成長と名誉と栄光を与えてくれるとある。
これは、3:16と同じ意味だろう。
4:15では、悪を無視しろとある。
あまり聞いたことがない良い話だが、善か悪か判断がつかない時に確認しようとするのは?
イスラエルが滅びたのは、隣国の事を知らな過ぎたのも原因では?
5:3では、他国の女の危険性に警鐘を鳴らしている。
宗教や人生哲学というよりは、国王としての政治問題のようだ。
ベトナム戦争ではライダイハンが多数生まれたとされる。
稀に政治的意図が含まれる事があるのかもしれない。
6:2言葉のやり取りは気をつけないと言いくるめられる場合があるかもしれない。
6:6では、怠け者に言及している。
社会の仕組みによって、どうしても就職できない人もいる。
怠け者の蟻のおかげで蟻社会は機能しているという説もある。
怠け者が自分でも気づかない内にボランティアをしている場合もある。
6:17aでは、主が忌み嫌うものとして高慢を挙げる。
確かに慢心・増長・自慢・油断は後で後悔する場合がある。
6:24では不倫をするなとある。
一時期、芸能界で不倫ネタが増えて叩かれていた。
◎ 2018年9月14日 (金) 箴言の感想3
箴言7−9章 - 聖書の学び 旧約
http://www.logos-ministries.org/old_b/pro7-9.html
8:6の説明に悪は暗がりでこっそりと善は白昼堂々と行われるとある。
政治的な事柄は大抵、表ざたにならない。だからと言って政治を不要と言う人もあまりいない。
政治は善ではないかも知れないが悪でもないかも知れない。
8:28 神が天地のルールを決め、わたしがこれを組み立てたとある。
「わたし」は「神」ではない。
知恵によって組み立てられた世界は「空」であると仏教(空観・般若心経)は主張する。
世界はそれ以外のものでは作れない。
あの国の世界がこの国の世界とは、やや違うように、キリスト教徒と仏教徒の世界も、やや違う。
◎ 2018年9月15日 (土) 箴言の感想4
箴言10−11章 - 聖書の学び 旧約
http://www.logos-ministries.org/old_b/pro10-11.html
10:4の説明にパウロが「働きたくない者は食べるな」と言ったとある。
当時、キリスト再臨説を流布し、働かない人々に対してパウロがおせっかいをするなと戒めた言葉らしい。
穿った見方かもしれないが、キリスト教は信者に頭から教義を信じさせる向きがあるため、それから外れた意見は害悪とみなすのではないか?
聖書もキリスト教もただの宗教哲学ではなく、世知も含んでいるから、頭ごなしの部分があるのかもしれない。
再臨説が正しいとは思わないが、筆者のように暇で聖書を読んで自分の意見を公表するようなのは、キリスト教徒からするとおせっかいに見えるかもしれない。
しかし、聖書批判が目的で書いているわけではない。少しは人生の役に立つかもしれないと思って読んでいるのだ。説明付きだから異論だけ書いている。
10:7まで
これを書いている時(15日午後12時40分)愛媛県民の隣の新築工事の作業員が騒ぎ始めた。朝から作業の物音は全く聞こえない。
同1時10分、家の前が騒がしくなったと思ったら、例の工事現場に車が1台増え、警備員が2人来た。あの駐車車両数と交通量では警備員は1人もいらない。10分ほどで車両と警備員はいなくなった。作業員2人が服装を見てもらいたいらしく道路に出ていた。1人は黒でもう1人はピンクだった。
同1時40分、2人の少女が「ひざ、ひざ」と言いながら歩き去った。
妨害が激しいから、箴言の感想は打ち切る。