◎ 2015年1月3日 (土) 儲かる仕事は?
一般的に肉体労働よりも高付加価値産業の方が収入が上だと考えられているが、それは、間違いだ。
仕事の対価は、需給バランスのみで決まる。
そのため、どんな国でも、あらゆる産業を自国で保有しなくてはならない。
国である以上は、「この手の産業は苦手だ」は、通用しない。
苦手産業が多いなら、ドイツのように隣国と国家の合併をすべきだ。
◎ 2015年1月4日 (日) インドのトイレ政策
インドのモディ首相は、昨年10月に50万個の家庭用簡易トイレを国民に提供したが、国民は野外で排便する方が衛生的だと考え、物置に使っているそうだ。
これは、毛沢東の大躍進と同じ政策だ。
毛沢東も各農家に製鉄所を造ったが、誰も使わずに物置にされ、経済が低迷し、文化大革命の端緒となった。
簡易トイレとは、オマルの事だ。
中世欧州では、オマルを使っていたが、国民が溜まった糞尿を窓から放出したため、それに当たらないようにするため、マントやハイヒールが考案されたそうだ。
モディ首相は、昨年8月に、このオマルを2019年までに全家庭に設置すると宣言したそうだ。
インド政府は、地方に上下水道完備のコンパクトシティを建設し、国民をそこに移住させるべきであり、不潔なオマルを配布すべきではない。
モディ首相は、早く辞任しないとクーデターが起きるだろう。
一国の首相たるもの、外国政治史も勉強して当然だ。
◎ 2015年1月4日 (日) ギリシャ危機
ドイツ政府が、ギリシャが緊縮政策を撤回したら、ギリシャのユーロ圏離脱は不可避になると言っているのだが、ギリシャが自分で離脱を言い出すとは思えないから、ECBが強制離脱させるのだろうか。
ギリシャが離脱するとユーロは、上がるのか下がるのか分からないが、ギリシャの新通貨は、現在のユーロよりは下がるだろう。
ギリシャの輸入物価も上がるから、これまで輸入していた物を自国で生産し、かつ輸出して新通貨を上げるための準備を今からした方が良いだろう。
公共事業から、民間企業への人材の移動を検討するという意味だ。
ウクライナ危機があるから、今後しばらく、ユーロ圏経済が持ち直す可能性は低い。
それも考慮した上で、ギリシャは選挙後、どうなるのかをいくつかのパターンをシミュレーションして、それぞれ対策を練るべきだろう。
どんな対策でも、無いよりは、ましだ。
ギリシャは、ユーロを離脱してもEUから離脱するわけではない。
フランスやイタリア、スペインなどに声をかけてサウスユーロの創設も検討できるだろう。
◎ 2015年1月9日 (金) イスラム過激派テロ対策
フランスで新聞社がイスラム過激派に襲われたり、イギリスでアルカイダによる欧米への大規模テロの可能性が示唆されたりしている。
過激派テロは、犯人を捕まえて、組織犯か単独犯かと武器の入手経路を調べて対策しておけば問題ない。
テロによる挑発に乗って、社会が混乱し、犯罪検挙や調査がおろそかにならないようにすべきだ。
一つ一つのテロに一定の手順で粛々と対処すれば、テロは無くなる。
ナイジェリアでボコ・ハラムが村々を襲っているのだが、コンパクトシティでも造って、襲われそうな小さな村は、自発的に廃村にすべきではないか。
イラクやシリアも同様だ。
イスラム国やボコ・ハラムの資金や武器の入手経路を調査すべきだ。
◎ 2015年1月17日 (土) 聖徳太子
聖徳太子が遣隋使に持たせた手紙に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」と書いたのは、日本が中国と対等の立場である事を表明しただけでなく、日本の尊厳を誇示したものだ。
東を日出づる処、西を日没する処と書いたのは、中国よりも日本の方が優れていると思わせるし、仮にウィキペディアにあるようにそうでないにしても、仏教の経典からの引用だから、日本人が経典を読む文化レベルにあり、無知な蛮族ではないことを示したものだろう。
自国の優秀さの誇示と中国と真っ向から張り合う意志が感じとれるだろう。
これは、皇族と蘇我氏が物部氏を滅ぼして仏教国となったのとは、逆の考え方だが、漢民族が自らの優秀さを誇示する中華思想とは同じだ。
しかし、この矛盾は、仏教国でありながら、覇権主義でもあった中国王朝も同じだ。
中国への対抗意識を剥き出しにする聖徳太子だが、彼が制定した冠位十二階や十七条の憲法は、中国法制を取り入れたものである。
これは、日本独自のアイデンティティを確立して、対等の立場として中国に対抗する姿勢ではない。
これと同じ事をした人物が、明治維新にもいる。
岩倉具視だ。
岩倉具視は、欧米を外遊し、積極的にそれらの政治手法や文化を日本に導入し、大航海時代の欧米が採った覇権主義も真似て、台湾や朝鮮に出兵した。
つまり、日本政治史は、聖徳太子や岩倉具視が示すように、自国文化を捨て、超大国の政治や文化を完全にコピーするものである。
これは、見かけ上、自国の優秀さを誇示し、超大国と張り合うように見せかけているが、実質的には、外国文化を全面的に受け容れているのであり、完全な服従なのだ。
文化を合わせ、外国から異質だと思われないようにすることで、日本は、弱肉強食の世界を生き延びて来たのだ。
しかし、誰も聖徳太子や岩倉具視を責められないだろう。
これが、日本はそうする以外に生き延びられないとする彼らの愛国心だからだ。
日本は、歴史上、二度、ナショナリズムが活性化したということでもあるし、聖徳太子と蘇我氏が日本最初のナショナリストということでもある。
しかし、もはや、真似するだけでは、世界はお終いだ。
覇権主義ではやって行けない事を、歴史が証明している。
しかし、現在でも世界の覇権主義は健在だ。
しかし、それを少しは修正しようとする意思が見えなくもないが、この先どうなるか。
聖徳太子は、短文の中に仏教国になる事、自国を称揚する事、独立国家を主張する事、中央集権によって富国強兵策を導入し、覇権主義国になる事の意味を含ませている。
これは、読む側にも同じ技法が要求されるため、この技法は中国から日本にもたらされたものだろう。
用件を直接書いたわけではないから、この手紙を日本人が読んでも真意が掴みがたいし、中国が日本にそれを要求したという証拠にもなりえない。
聖徳太子は、一度に10人が話す内容を聞き分けたというが、そんな能力は自慢にもならない。
頭を使えば、誰でも10人どころか100人の話でも対応できるからだ。
これは、彼の短文から多くの意味を読み取る能力を賛美したものだろう。
しかし、この技法を取り入れるのは危険だ。
なぜなら、命令者は命令していないといくらでも言い逃れができるから、実行者が全責任を負わなくてはならなくなるからだ。
また、そうしなくてはならない理由も教えてもらえないから、誤解する可能性も高いし、善悪の区別も付かない。
◎ 2015年1月18日 (日) シャルリ・エブド襲撃事件
サイド・クアシ(34)とシェリフ・クアシ(32)は兄弟で、2015年1月7日にあったシャルリ・エブド襲撃事件の犯人だ。二人は、アルジェリア人の両親の元にフランスで生まれ、「アラビア半島のアル・カーイダ」(AQAP)の一員だった。宅配ピザやスーパーのパートで生計を立てていた。
2005年のシェリフは、特に信心深くは無かったとされ、「コーランに自爆テロは善行だと書かれていると教わった」と言っているようにコーランも読んでなかった。
クーリバリ(32)は、犯罪常習者だったが、刑務所でシェリフと知り合い、過激派になった。イスラム国には、個人的に忠誠を誓った。
ムラド・ハミドは、姉がシェリフと結婚していて、襲撃事件では運転手をしたと報道されたが、その時間は学校にいたため、警察に出頭した。
ブーバケ・ハキムは、シェリフの幼馴染で、イラクのアルカイダへ戦闘員を送り込む組織ビュット・ショーモンに共に参加していたが、解散後はイスラム国に参加する。
ジャマル・ベガルは、アルジェリアの過激派「武装イスラム集団」(GIA)の一員だ。
スマイン・アイト・アリ・ベルカセムは、イスラム過激派で、1995年のパリ地下鉄爆破事件の犯人だ。
ブメディンは、クーリバリの非公式の妻で、警察官銃撃事件の共犯者とされたが、1月2日はトルコ、8日はシリアへ渡航しており、犯行は不可能だ。レジのパートをしていた。6歳で母親を亡くし、父親も養育しなかったため、里親に出される。クーリバリの影響を受け、クロスボウの練習もしていた。
ステファン・シャルボニエ(通称シャルブ)は、シャルリ・エブド編集長で、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教を風刺していた。イスラム過激派に命を狙われていたが、「ひざまずいて生きるより、立って死んだ方がいい」と言った。
1995年 ベガル パリ国鉄爆破テロ
2001年 ベガル 駐仏米大使館に対する爆破テロを画策した罪で禁錮刑判決を受ける
1994〜2000年 サイド・シェリフ 孤児となり、児童施設で過ごす
2000〜2004年 シェリフ ビュット・ショーモンで活動
2005年 シェリフ 仏警察によってビュット・ショーモン解体
2005年 シェリフ イスラム過激派に加わるため、イラク渡航を画策して身柄拘束される
シェリフ この時、刑務所でGIAのジャマル・ベガルと知り合い、過激派思想を吸収する
シェリフ・クーリバリ ベガルの自宅に通う
2008年 シェリフ イラクに戦闘員を送り込んだ罪で1年半服役する
2009年 シェリフ イエメンのアラビア語学学校に通う
2010年 シェリフ・クーリバリ・ベガル パリ郊外のベルカセム受刑者脱獄未遂事件の共犯者として逮捕される
2011年 サイド・シェリフ イエメンでAQAPから軍事訓練を、アンワル・アウラキから資金援助を受ける
2012年 シャルブ シャルリー・エブドの編集長に就任
2013年 AQAP シャルブを攻撃対象として名指しする
2013年 クーリバリ GIAのテロ犯を逃亡させようとした罪で、禁錮刑判決を受ける
1/7 クアシ兄弟 シャルリ・エブド襲撃事件
10万人テロ抗議デモ
1/7〜11 フランス国内のモスクで銃撃の跡や爆発、放火があったが怪我人なし
1/8 ハミド 容疑者の一人とされ、警察に出頭
クーリバリ パリの女性警察官が自動小銃で撃たれて死亡する
1/9 クアシ兄弟 警察と銃撃戦後、印刷会社に籠城し、人質をとる
クーリバリ パリのユダヤ教徒用食料品店に押し入り、5人を人質に取る
クアシ兄弟 特殊部隊に射殺される
クーリバリ 特殊部隊に射殺される
警察が射殺された女性警察官がクアシ兄弟と繋がりがあると発表
370万人テロ抗議デモ
クアシ兄弟は、シェリフの方が活動が多いから、彼がサイドを過激派に誘ったのだろう。
クアシ兄弟は、AQAPから訓練や資金などの援助を受けていたが、AQAPが「標的については襲撃事件の容疑者自身が慎重に選んだ」、「標的を選び、構想を練り、計画に資金を提供したのは指導部だ」と話しているように、実行のタイミングと武器の入手方法は、一任されていたのだろう。
武器は、ベルギーからクーリバリが調達したのをクアシ兄弟にも流したらしい。
ベルギーには、中東から武器が密輸されたらしいのだが、ベルギーは中東から見て奥深くにあり、陸路だけでは難しいから、空路か海路になるが、それは税関の管轄だ。
ベルギーやその周辺国は、税関職員が過激派に買収されていないか調べるべきだろう。
汚職を防ぐためにも、軍隊、警察、税関など公務員には、延滞することなく、しっかり給料を払うべきだ。
ロシア革命の時にも、レーニン主義よりも破壊そのものにしか関心がなかったニヒリスト達がいたそうだが、クアシ兄弟やクーリバリは、その系統ではないか。
何も思想を持っていないが、秩序などに対する破壊衝動だけを持った人々が、何らかの思想を隠れ蓑に暴力革命に参加する事がある。
クアシ兄弟やクーリバリ夫婦は、生活に不満があったに違いないが、この破壊衝動は、学歴や生活環境はあまり関係ないらしい。
ただし、この世は非常に生きづらいと感じる共通点があるように思われる。
例えば、常識的な生活の様子が想像できない類だ。
6日に、アルジェリア当局が仏政府にテロの危険を警告し、それ以前から、クアシ兄弟とAQAPの関係は把握され、AQAPがシャルリ・エブドを狙っているのも表明されていたのだが、単独犯でもあり、間に合わなかったのだろう。
各宗教は、互いの教義を認め、批判しないことになっている。
しかし、宗教も人生哲学の一つに過ぎないから、まったく批判できないのは問題だ。
宗教だからという理由ではなく、名誉毀損罪と言論の自由という観点で議論されるべきだ。
両者の線引きが難しいところだが、現状では、検事と弁護士の腕前で決まってしまう。
対象を貶めるだけの中傷は止めた方がいいが、シャルリ・エブドは、高尚な雑誌でそんな事はしなかったに違いない。
イスラム教徒も過剰反応は止めるべきだが、ほとぼりが冷めるまで、揶揄は抑え気味にするのも一つの方法だろう。
◎ 2015年1月23日 (金) イスラム国人質事件
イスラム国が、日本人2人の身代金を要求している事件は、今日が期限となっているが、相手の要求は、日本政府にイスラム国への関与から身を引かせる事と2億ドルの身代金だ。
日本政府は、一方的に人道的支援だけだと訴えているが、それでは相手の意向が分からない。
直接、相手の責任者と対話をして、駆け引きすべきだ。
NHKがネット電話でイスラム国関係者と会話しているから、その線も利用すべきだろう。
◎ 2015年1月25日 (日) 司法崩壊
NHK(WEB版1/22)「報道番組録画のVTR提出は不要 最高裁」に、日本テレビが7年前に報道した内容について、女性が名誉を毀損されたと訴訟を起こしたのだが、最高裁の大橋正春裁判長は、テレビ局の主張とは関係がないからVTRの提出は不要とし、女性の申し立てを却下したとある。
VTR提出を求めたのは、女性であって、テレビ局ではないから、VTR提出には、女性側の理由だけがあれば良く、テレビ局側の都合は必要ない。
そのため、この判決は間違っている。
リテラ「冤罪の裏側! 元エリート裁判官が告発する裁判所の腐敗」(http://lite-ra.com/2014/04/post-111.html)に、裁判所は『大局的にみれば、国民、市民支配のための道具、装置』、ビジネスジャーナル「深刻な裁判所の劣化 裁判官の猥褻&パワハラ行為、和解強要や被害者恫喝…広がる司法不信」(http://biz-journal.jp/2015/01/post_8590.html)には、『名誉棄損裁判が権力者である与党におもねって変遷した最高裁内部の実態』とある。
最高裁判所裁判官は、内閣が任命する。
この判決は、与党がテレビ局を抱き込む作戦と考えられる。
「安倍首相が高級寿司店で大手新聞、テレビ局の幹部たちと“祝勝会”!」(http://lite-ra.com/2014/12/post-733.html)
「日テレ元局員が告発!テレビ局が行っている安倍政権PRの“偏向報道と印象操作”」(http://lite-ra.com/2014/12/post-700.html)
「社説:NHK経営委員 不適格なのは明らかだ」(http://mainichi.jp/opinion/news/20140206k0000m070121000c.html)
◎ 2015年1月25日 (日) 東条英機と三島由紀夫
気楽にいけるか!「心にしみいる東条大将の遺言」(http://blog.goo.ne.jp/ryogonsan/e/2c092bd4f20e9474817d45f3796823e5)に、東条元首相が「日本国民に米国民のような責任観念を持たせるために宗教教育が必要であり、日本国民にとって天皇の存在は、どんな形にせよ必ず必要だ」と述べたとある。
「三島由紀夫の伝えたかったこと、最期の演説」(http://blog.goo.ne.jp/ryogonsan/e/a5e1eb2b00a0e8e88d420f2ea553bd01)には、三島が「日本の歪みを正せるのは自衛隊しかなく、アメリカの軍隊になってはならず、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守るためだけに自衛隊は動くべきであり、そのために改憲すべきだ」と述べたとある。
どちらも純粋な権力主義者でないことは明白だ。
どこに最大権力があるかを考慮していないからだ。
東条の言う「責任」とは、思想の事だろう。
個々の人間が、独自の思想を持ち、それを行動指針とすべきだという意味だ。
だから、厳密には、宗教教育ではなく、人生哲学教育だ。
これは、実存主義的と言えるだろう。
太平洋戦争における日本は、列強による植民地支配から被支配国を解放すると謳っていた。
実際は、日本が列強に成り代わるつもりでいたのだが、東条はそれが正しいと思い込んでいたのであり、道徳観念のある人間なら誰もが賛同するはずだと考えていたようだ。
しかし、世界各国は独立のみを望んでいた。
彼は、天皇が必要だとしているのだが、その理由については全く触れていない。
もし、日本国民が団結するために必要なのであれば、人生哲学教育は不要だ。
団結では、個々の意志は否定されるからだ。
東条の思想は、色々と矛盾を抱えていた。
三島は、個人的な思想については一切、言及していないが、国家には思想(アイデンティティ)が必要であり、日本には、記紀や万葉集に記されているような文化があると考えていた。
そのため、そのアイデンティティにのみ従って日本は行動すべきであり、自衛隊は米軍の別働隊になってはならないと言っていた。
これは、個人の思想を認めていないから、東条よりは実存主義的ではない。
ただし、国家の思想を認めているから、権力主義でもない。
三島にとっては、天皇は団結のため、記紀は思想のため、自衛隊は思想を守るために必要だった。
実存主義は、どちらも否定する。
個々の思想が同じ結論に達するならば、天皇による団結は不要だからだ。
いずれにせよ、権力主義ではないから、国民(=権力主義者)は理解しない。
その点、現自民党政権は、NATOよりも中東の過激派の方が分が悪いと考え、過激派(=弱者)を叩こうとしているから、権力主義に忠実だ。
彼らにとっては、どちらが正義でどちらが悪かは関係なく、勢力の大きさだけが物を言う。
権力主義者は、弱者と見れば、問答なしに襲い掛かるものだ。
しかし、そんなことをやってる国は世界広しと言えども日本だけだ。
◎ 2015年1月26日 (月) リテラ
LITERA(リテラ)というWEBサイトがあって、本の紹介をしている。
『あの蛭子さんが「安倍首相の右翼的な動きが怖ろしい」と発言する理由』に、蛭子能収著「ひとりぼっちを笑うな」を紹介している。
著者の人生観が書かれてあるのだが、実存主義だ。
ただし、個性も含まれているようだ。
後は、自分で報復しないで、神に裁きを委ねる事だが、性格的に報復はしなさそうだ。
嫌われないようにするとか、他人に迷惑を掛けないとかは、あまり気にする必要はないが、もちろん、他人とのいざこざは、避けられるならそれに越した事はない。
論評者は、「本音しか言えないのだろう」、「KY(=空気を読め)と指摘される」、「特に若い世代には」と書いてあり、実存主義を子供の哲学として軽蔑しているが、中傷ではなく本音だから悪くはない。
この事から、リテラは、権力主義左翼メディアである事が分かる。
サルトル主宰の「現代」や戦前のプロレタリア文学みたいなものだ。
ただし、声高に共産主義を主張しているわけではなく、リベラル調だ。
もちろん、現代日本においては、社民党も共産党もリベラルだ。
右傾化が進む現代日本の流れに逆行するこのメディアは、徒花かもしれず、無理をしないようにした方が良いだろう。
これは、学究的ではなく、偏向的だから、根拠の足りない論理も含まれており、読者は注意しながら読む必要があるだろう。
学究的とは、真実追究の事で、偏向的とは、この場合では保守や右翼を非難する姿勢、つまり権力闘争の事だ。