◎ 2014年9月5日 (金) 「幸福について 人生論」(5)
ショーペンハウアー「幸福について 人生論」新潮文庫
p.59『自分と自分の家族の生存に必要なものの獲得に時間を費やすことが、人間の自然の定めだ』
彼は、生存のための労働のために人間は自由な余暇が持てず、常に困窮するものだとしている。
しかし、彼は、暇な時間の存在を指摘しているから、この説は自家撞着だ。
また、ファクトリー・オートメーションなどで機械が人間の代わりに働く時代だ。
経済活動が活発になれば、ゴミ埋め立て問題も浮上する。
資源リサイクルが活発と言っても有料だから、経済の足を引っ張る。
そのため、資源リサイクルには、増税や利上げと同じ効果がある。
また、使い捨てでは、原料となる資源もなくなりやすい。
鯨もマグロもウナギも絶滅危惧種だ。
現代においては、時間は余っているし、多くの人々が自分は無駄に働いていると感じている。
社会構造への知識を持ち、無駄な労働やゴミが発生しないように人々が考えなければならない時代だ。
生存のために時間を取られるのは、狩猟時代の話だ。
p.61
『幸福の断然第一の条件は頭が良いということだ』と『無意識に漫然と生きるのが、いちばん楽しい』は、矛盾していると彼は言う。
しかし、頭が良くて、自己の生き方の方向性が決められるなら、日常生活では、一々これは正しいか否かと考えなくても、無意識に漫然と生きることが可能だから、矛盾は無い。
実存主義や老子の人生観は、これである。
『愚者の生は死よりも苦しい』と『それ知恵多ければ憤激多し』も矛盾しているとするが、旧約聖書においては、知恵は、常に悪知恵を意味し、それを持つのは賢者とされない。
新約聖書では、知恵も悪知恵も同様に悪とみなされ、皆、子供のように無邪気になるべきだと説くが、これはキリストの旧約聖書に対する誤解だ。
旧約聖書には、そんな解説はないはずだ。
p.8『幸福論を書きあげるには、私の本来の哲学が目標としている一段と高い形而上学的・倫理的な立場を度外視しなければならなかった』
p.62『私が本書においてとった通俗的な立場にはそぐわないものとなり、したがって十人が十人の読者諸君に理解していただけないかもしれない』
この本は、彼が本来志向している哲学よりも低俗な立場で書かれているという意味だ。
しかし、本書に読者を説得するような傾向があるのは、低俗なレベルで読者の人生観の修正を図る目的があるのだろう。
p.63『認識と洞察とを、認識と洞察そのもののために求めようとする止むに止まれぬ衝動もなく、またこれと全く類縁関係にある真に美的な享楽を求める衝動もない』
真理探究心もなければ、詩心もないという意味だ。
更に簡略化すると哲学的でも文学的でもないとなる。
代わりに俗物にあるのは、官能的享楽と虚栄的享楽だとする。
p.63『精神的な能力を見せつけられると、むしろ嫌悪か、はなはだしきは憎悪を感ずるくらいである』
精神的な能力とは、哲学的文学的人格的な高尚さの事だ。
哲学や文学は、権力主義にそぐわないのだ。
p.70〜78
貧乏人が、突然金持ちになると有り金を使い切ってしまうとある。
長年、欲しい物が買えなかった反動ではないか。
金持ちにも二種類あって、会社などの生産手段を持つのとスポーツ選手や芸能人のような自己の能力によるのとがある。
国家は、使われずに遊んでいる金を使わせるように税をかけるから、金持ちには多額の税がかけられる。
しかし、この二者では、金持ちの種類が違うから、同じ扱いでは後者が不利だ。
例えば、徴収した税金の一部を年金が受給できる年齢まで分けて還付すれば良い。
彼らは、有り金を使い切ってしまう傾向にあるからだ。
◎ 2014年9月6日 (土) 政治経済の最大問題は貧富格差
現在、中国において、都市と農村の間の貧富格差が大きな問題になっている。
地方都市は、公共事業でその格差を是正しようとするが、大きな負債を抱えている。
中国政府が、南シナ海で周辺諸国の反対を押し切って石油掘削に邁進するのも、財政難が原因だ。
ソ連共産党は、工場労働者中心の革命だったが、中国共産党は、農家中心だったため、中国政府は農家に頭が上がらない。
ウィグル民族によるテロも経済的冷遇が、大きな原因の一つになっている。
中国政府としては、香港やマカオの財源も欲しいに違いない。
しかし、香港でも貧富格差が社会問題になっており、財政に余裕はないだろう。
韓国においても財閥と個人事業者の間の貧富問題がある。
韓国政府は、格差是正のための大規模公共事業で常に財政難で、沈没フェリーの調査すら難航した。
韓国の自殺率は世界平均の2.5倍だ。(日経新聞9/5)
タイにおいても、農家への優遇政策で反政府デモが発生し、軍によるクーデターに発展した。
日本においても、地方の政府に対する不満は大きく、自殺率も世界平均の1.6倍だ。
日本、中国、韓国、タイでは、農家は個人事業者であり、米国、豪州、ロシアなどの集団農場ではない。
そのため、工業などとは競争力に差がつく。
しかし、農家は、それぞれの国の文化や伝統であり、国家としてはそれを否定する事ができない。
そのため、公共事業や補助金が必要となるのだが、それが財政難につながるのだ。
地方は、地域経済活性化のため商店街の維持を望むが、それも同様だ。
工業が発展すればするほど、貧富格差も大きくなるため、どの発展途上国もいつかは、この大問題にぶつかる日がやって来る。
既述のように、貧富格差は、規模による競争力だけでなく、既得権も大きく係わっている。
打開策としては、競争力の異なる産業ごとに別々の通貨を使う方法がある。
その場合、通貨ごとに中央銀行も必要だ。
◎ 2014年9月7日 (日) 国内景気の近況と仕事
関税と消費税の増額と円安は、不況下ではスタグフレーション要因だ。
為替相場は、2年前と比較して、25円安の105円になった。
FTAやEPAが増えて、関税が掛からない国が増えた。
今年、4月に消費税が3%増えた。
円安は、米ドルに対してであり、世界中の全ての通貨に対するものではないから、円安の経済に対する影響は、必ずしも大きいとは限らない。
また、消費税が増え、円安となったが、関税はなくなっているため、不況になるかどうかも不明だ。
しかし、消費増税後の4〜6月期は、年率7.1%のマイナス成長になった。(日経新聞9/8)
また、最近の庶民消費も節約志向だ。
成長率については、今後、回復する可能性もあるが、どちらかといえば、景気には期待できないのではないか。
今後の国内景気対策としては、節約志向に合わせて、無料サービスを基調にすべきだろう。
それでは、ビジネスにならないが、コストの少ないサービスにすれば、あまり重荷にはならないだろう。
庶民はカネがないんだから、これは、平和対策だ。
経済を質に取られた国家が主権を保てないように、経済的自立ができない人も胸を張って街を歩けない。
そのため、国も人も他所からカネをもらうよりも、自力でカネを稼ぎたい。
しかし、それは、社会構造的に難しい。
中央集権国家による護送船団方式では、国内の貧富格差は拡大する一方だが、そうしないと外国との先端技術競争に遅れを取る。
しかし、現在では、日本もアメリカもドイツも韓国も中国もどの国も経済が低迷しており、先端技術も景気対策にはなってくれていない。
構造的に無理な事は、努力しても無理だから、別の方向も模索すべきだ。
しかし、国も人も稼げるようにスキルを身につける努力は続けるべきだろう。
しかし、時代により必要とされるスキルも変遷するから、時代に合わせて機会を図ってスキルを身に付けるべきだろう。
中途半端なスキルでは、客も怒るし、被災者や発展途上国も迷惑がる。
しかし、完璧なスキルを身に付けてもほとんど役に立たないし、誰でも客から怒られず邪魔扱いされない程度のスキルでやりくりしているものだ。
スキルとは、その程度のものだ。
◎ 2014年9月19日 (金) 「幸福について 人生論」(6)
ショーペンハウアー「幸福について 人生論」新潮文庫
p.79『他人が賛同し喝采してくれているという具体的な証拠があれば、それで慰められるが、その逆にどんな意味からでも、どんな程度でも、どんなかかりあいでも、いやしくも自己の功名心が傷つけられたり、軽んじられたり、疎んじられたり、無視されたりすれば、いかにも侮辱を感じないではいられず、深刻な痛手を受けることも珍しくないというのは、驚くべきことである』
ショーペンハウアーは、常に周囲の意見に合わせ、反論せずにお互いに誉め合い、それでいて、やたらと部外者の悪口を言い合う姿勢を一部の人々の生来的特質と考えている。
しかし、実際には権力主義者は、他人の真似をして、後天的にそれを身に付ける。
権力主義は、基本的に他人の猿真似であり、真似をしない人間には嫌がらせやイジメや攻撃が与えられる。
そのため、権力主義者は、それが正しいのか間違っているのかはおかまいなしに何でも他の権力主義者の真似をする。
もちろん、真似される言動は、全く無意味でもない。
例えば、前の例では、集団の団結を高める効果を狙い、自分が仲間からイジメを受けないようにしているのだ。
彼らは常に集団に怯え、互いに誉めあい、仲間以外の誰かの悪口を言い続け、それが常態化し、そのような性格になる。
問題がそれだけなら、自分の性格が歪むだけで済むが、実際には、あらゆる問題解決の障害になる。
この問題は、集団が大きくなればなるほど深刻になる。
例えば、国際関係においては、自国を褒めちぎる愛国心、外国排斥のナショナリズム、あらゆる国際問題を敵か味方かだけで解決しようとする態度は、戦争の主因になっている。
p.80『人間は終始一貫、他人の意見、他人の思惑の奴隷となっている』
他人からの称賛や非難に敏感という事は、それに振り回されるという事だ。
集団の意見に逆らえないなら、他人の言いなりにならざるを得ないという点でも事実だ。
他人からの要求は、際限なくエスカレートするに違いない。
常に利益は相手が持ち、自分は割を食うはめになる。
◎ 2014年9月19日 (金) イスラム国問題
日経新聞(9/16夕刊)にシリアのラッカにシリア兵数十人の遺体がさらされたり、イラク警察幹部の惨殺ビデオをネットで流したりして、イスラム国は敵対国に恐怖で揺さぶりをかけているとある。
これと似たような事は、ベトナム戦争でもあった。
また、欧米支配からの独立という点でも似ている。
ベトナム戦争後のベトナムは、イスラム国の今後を予測する上での参考になるかもしれない。
しかし、イスラム国がシリアとイラクを統一したら、イスラエルと敵対するだろう。
イスラム国の台頭で、シリアとイラクは弱体化している。
イスラム国は、イラク首都のバグダッドに迫っている。
イラクは、同じシーア派のイランと連邦国家を構築したら、イラン軍進軍が可能となり、イスラム国に対抗できる。
そうすると、イスラム国は、イラク侵攻を諦め、シリアに向かうことになる。
その後は、シリア、イラン、イスラム国での和平交渉も可能かもしれない。
和平後もイスラム国の現体制がいつまでも持続されるとは限らない。
内部闘争もありうるし、残虐性が残るなら世界の反感が強まり、自壊の可能性もある。
東アジアは、国際分業が進んでいる。
日中台韓は、歴史や領土で争っていても、経済交流は切れずにいて、他の分野でも対立が緩む傾向にある。
中台韓との競争の結果、日本は高付加価値事業に注力する傾向にある。
現在は、より安い労働力を求めて、東南アジアにも広がっている。
東南アジアは垂直分業だが、東アジアは、垂直分業から水平分業に移りつつある。
欧米の進出もあり、ここ10年で、東アジアと東南アジアの飢餓人口が減った。(日経新聞9/17夕刊)
コソボ・アフガン・イラク・リビアと空爆が続いたNATOは、財政が疲弊している。
今後もこの調子で続けるなら、NATOの空中分解もありうる。
アフリカや中東情勢の緊迫は、貧困問題が大きい。
アフリカ・中東・中南米でも、国際分業を進める方が建設的だ。
国家の存在も踏まえると、経済圏内での国際分業が中心になるのが良い。
◎ 2014年9月21日 (日) 脚本家
最近は脚本家のステータスや注目度が低下したという新聞のコラムがあった。
内容は、脚本家には、換骨奪胎というよりは、原作のテーマにも手を加えられるほどの自由度があってもいいという感じだった。
最近は、宮藤官九郎や三谷幸喜などの注目株も出てきたとあった。
宮藤脚本の「あまちゃん」は、方言についての大胆な換骨奪胎が功を奏したという別の記事があった。
ディック原作の映画「ブレードランナー」や「トータルリコール」は、全面的に作り変えた成功例だろう。
サリンジャー原作の映画は、失敗に終わり、サリンジャーは怒ったそうだ。
おにぎり頭の「考えない人」のイメージがあったのだが、そのオブジェの写真があった。
漫画チックで馬鹿っぽいのを想像していたのだが、実物は上品で芸術的だった。
おそらく、俺のイメージの方が、客受けしたに違いないが、上品で芸術的な実物の方が歴史に残りやすいだろう。
さて、脚本家は、テーマやモチーフにまで踏み込むべきや否や。
踏み込んで失敗すると焼き直しと言われるかもしれないが、成功すると原作者も許してくれるかもしれない。
基本的には、自分のアイデアが他人のフィルターを通して別のものになるのは気分がいいはずだ。
しかし、原作への思い入れが大きい場合は、原作者も原作のファンも不快になるだろう。
◎ 2014年9月24日 (水) 犯罪の場合は、物に罪はない
原爆を落とされたから原爆を無くそうとか、射殺されたから銃を無くそうとか、サリンで大量に人が死んだからサリンを無くそうという議論はナンセンスだ。
銃を無くしたところで、刃物があり、刃物は無くしたくても無くせない。
となると、刃物が銃の代わりになるだけだからだ。
原爆や大量破壊兵器が無くなったところで、戦闘機も戦艦も戦車もあり、人が大勢死ぬのは変わらない。
銃は密輸できるし、原爆やサリンにしても密造可能だ。
取り締まっても取り締まれるものではない。
原爆や銃社会やサリンをなくそうという運動は、続けてもかまわないが、実現不可能だろう。
重要なのは、それを使う人間であり、人間が暴発しないような対策を考えるべきだ。
暴発するタイプの人々は、大抵、無職で借金を抱え、孤独か、その瀬戸際にいる。
世界中から、社会的弱者を無くす事が、テロや殺人や戦争などを無くす特効薬だ。
原発に人間の暴挙は関係ないから、無くすのは意味がある。
原発の密造や密作動も難しい。
原爆や銃社会やサリンを無くそうという運動は、国家や世間から受け容れられるが、世界中から社会的弱者を無くそうと言うと国家や世間から集団リンチを受けるのはどういうことか?
前者が権力主義で、後者が実存主義だからだ。
原爆や銃やサリンは、カネが無くても作れるが、戦闘機や戦艦や戦車は、カネが無いと作れない。
外国と戦争する時、金持ちの日本は、戦闘機や戦艦や戦車だけの戦争の方が有利なのだ。
だから、国家や世間は、原爆や銃やサリンが嫌いなのだ。
日本の民間団体は、国家に利用されているだけだ。
◎ 2014年11月5日 (水) 行動の順序
ノーベル賞の中村教授が、特許で争った日亜化学工業と仲直りをしたいとマスコミに話したそうだが、先に日亜に電話して社長に面会を求めた方が得策だった。
それでも、駄目なら、マスコミを使えば良い。
なぜなら、マスコミを使うと、日亜の方から教授に電話をかけることになり、ビジネスの営業マナーからすると、要望のある側から、電話をしたり、訪問したりするのが普通だからだ。
ただし、首脳会談などは、その限りではないようだ。
徳島大学への4千万円の寄付でも、大学側は、まだ話をもらってないと言っている。
これも、先に大学と手続きをした方が良かったのかもしれないが、先に手続きをするとマスコミで話せなくなるのを危惧したのかもしれない。
となると、これらの発言は、日亜や大学向けではなく、国民向けのメッセージだったのかもしれない。
大学への常識はずれな寄付の額は、教授がカネの亡者ではないことのアピールかもしれないし、日亜との仲直りの意思表明も何かあるのだろう。
しかし、どちらの件も、先に面会や手続きをした後でも、さりげなく、マスコミに伝える事はできたのではないか。
日亜との訴訟は、研究への正当な対価を求めたものであり、ノーベル賞の賞金も研究への正当な評価だ。
日本国民に、守銭奴と言われる筋合いはない。
日本の法律は、研究者の利益を奪い、特許を会社のものとするように改められたが、この法律が日本経済に貢献するか、衰退をもたらすかは、今後分かって来るだろう。
◎ 2014年12月6日 (土) 戦中におけるジャーナリズム不全のメカニズム
MSN
『「右派が脅迫キャンペーン」=慰安婦問題で安倍政権批判―米紙社説
【ニューヨーク時事】4日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、従軍慰安婦問題に関する社説を掲げ「安倍晋三政権に鼓舞された右派政治勢力が脅迫キャンペーンを展開中だ」と批判した。安倍政権は歴史のごまかしを求める勢力に迎合する火遊びをしていると訴えた。
「日本の歴史粉飾」と題する社説は、日本の右派勢力が朝日新聞の慰安婦記事取り消しにつけ込み、アジアの女性が性的に虐げられた歴史的事実を否定するため、執拗に朝日新聞非難を続けていると主張した。
ニューヨーク・タイムズは3日付の紙面でも日本国内の朝日新聞非難キャンペーンを取り上げた記事を1面に掲載した。慰安婦問題についてニューヨーク・タイムズは、元慰安婦の証言などから強制連行があったとする見方を一貫して取っている。』
『河野談話見直し狙う=米紙、「歴史修正主義」を批判
【ニューヨーク時事】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は2日、従軍慰安婦に関する記事取り消しをめぐる日本国内の「朝日新聞攻撃」を取り上げ、この風潮は歴史修正主義者を大胆にしており、安倍晋三首相らは慰安婦問題で謝罪した1993年の河野洋平官房長官談話を見直すチャンスだと捉えていると批判的に報じた。
同紙は、慰安婦の記事を書いた元朝日新聞記者とその家族や勤務先が脅迫の対象になっていると指摘。「彼ら(歴史修正主義者)は歴史否定のため脅迫を活用し、われわれを沈黙させたがっている」との元記者の話を伝えた。』
先ず、マスコミは、事実よりも読者の求める内容の情報を提供したがる。
現在のようにナショナリズムが旺盛になると、外国の欠点を挙げ、自国を称揚する記事が国民に支持される。
事実を意図的に読者の望む方向へ解釈したり、インタビューアーが自分の望む発言をするように相手を誘導したり、編集したりする。
これは、ナショナリズムに限らず、平時においても、その国の社会通念や慣習に沿うように修正される。
ナショナリズムの台頭により、更にその傾向が強まる。
次に、国民の意に沿わないマスコミに国民が脅迫や嫌がらせをする。
例えば、南京大虐殺や従軍慰安婦問題記事の朝日新聞による取り下げは、国民による当社やその関係者への嫌がらせに起因している。
国民の意に沿わない記事を載せると販売部数が極端に減少したり、嫌がらせを受けるため、マスコミは事実を捻じ曲げるのである。
これでは、ジャーナリズムが機能しない。
太平洋戦争中も、こんな状態だったのだ。
◎ 2014年12月6日 (土) 白人警官の黒人殺害
白人警官が黒人を殺害し、デモが発生する事件が多発している。
これは、人種間のナショナリズムだろう。
ナショナリズムが、国内不満の矛先が自分に向けられるのを回避するために、国民が外国を攻撃するように仕向けるものであるのに対し、白人が不満の矛先を黒人に向けようとするものだ。
ナショナリズムは、就業者の失業者に対する迫害から、失業者が逃れるために、就業者・失業者という枠組みを外して、国家という枠組みに再配置することで、両者を平等な立場にしようとするものでもある。
ナショナリズムが、国家間の戦争を誘発しやすいように、人種間のナショナリズムも人種間紛争を誘発しやすいのではないか。
どちらも、経済を低迷させる要因になるため、それらを回避し、より建設的な行動、すなわち国内においては、コンパクトシティによるセーフティネットの強化、国際的には、国家間競争力格差是正とインフラ整備を推進すべきだ。
発展途上国においても、金額の大きい輸入品の50%以上を自国企業で生産できるように努力すべきだ。
それが、難しい場合でも、経済圏内で実現できるようにすべきだ。
競争力を付けるには、教育制度の充実が最低限、必要になる。