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◎ 2014年5月20日 (火) 韓国船沈没事故

韓国船沈没事故で、逃げ出した船長と船員が、未必の故意が適用されるとして殺人罪で起訴された。
しかし、この状況では、緊急避難も適用されるはずであり、無罪判決の可能性もあるだろう。
検察は、沈没した原因を潮流の速い海域で船を急旋回させた事が原因としているが、船の引き上げも、海底探査による現場検証もなされておらず、拙速な判断である。
この問題は、法的というよりは道義的であり、法で裁くのは難しいだろう。
船の構造と海について知識のある船長達が誘導すれば、死者数を減らす事ができる。
船会社の就業規則として、乗客の安全義務を設けておけば、契約違反として懲戒解雇できる。
現在の韓国社会は、殺伐としていて到底、人命救助をしたくなるような心理にはなれないのではないか。
人命救助したくなるような社会とは、基本的人権が守られる社会である。
基本的人権が守られる社会とは、人間として最低限の生活が保障された社会の事であり、すなわち、実存主義社会の事である。
こんな社会では、一家の大黒柱の自分が死ぬわけにはいかないと船長や船員達は考えたのではないか。




◎ 2014年5月20日 (火) 公共事業発注や公共物売却の方法について

大阪府は、泉北高速鉄道を入札方式によって、当初予定していたローンスターではなく、南海電鉄に売却したが、それは、南海電鉄が入札の後で、買収金額を上積みしたり、乗り継ぎ運賃を下げたりする条件を追加したからである。
公共事業の一発入札方式では、後から条件を変更する事はできない。
そのため、政府や自治体の当該事業予算が入札前に業者に漏れる事は、法律違反になる。
泉北高速の件は、公共事業ではなく、公共物の売却なのだが、入札方式は、どうなっていたのだろうか?
後からの変更が許される方式だったのか?
今後は、一発入札方式ではなく、公共事業発注は予め予算と目的を公示し、その予算内で業者が見積もりを出したのから選び、公共物売却はオークション形式にしてはどうか?
これだと、資産のある企業が落札する可能性が高まるが、予算が事前に漏れる汚職がなくなるし、政府や自治体の利益も増える。
予算だけでなく目的も公示する事で、目的に合致していれば予算を下回る見積もりであっても採用される可能性が出てくるだろう。
そうすると、格下の業者でも入札チャンスを得られ、行政も他に予算を回せる。
最も悪いのは、一発入札方式にするのかオークション方式にするのか、はっきりしないまま取引することである。
不正受注につながるからである。




◎ 2014年5月20日 (火) 集団的自衛権(1)

従来の専守防衛と最近議論されている集団的自衛権の違いは、同盟国が他国から侵略された時、日本軍を同盟国に派遣し、侵略国を攻撃できるかどうかである。
つまり、集団的自衛権とは、一般的な軍事同盟の事であり、第二次世界大戦における日独伊の三国同盟と同じである。
三国同盟の反省から日本国憲法ができたのであり、三国同盟に戻るのであれば、憲法は存在意義を失う。
新聞などで集団的自衛権に関連して、湾岸戦争が取り上げられるが、イラクに侵攻されたクウェートは日本の同盟国ではないから、集団的自衛権とは無関係であり、同一視される理由はない。
集団的自衛権が認められ、湾岸戦争が発生しても、日本は軍隊をクウェートには派遣できない。
しかし、アメリカがどこぞの国に戦争を仕掛けたら、日本もアメリカが襲い掛かった国に戦争を仕掛けなくてはならなくなるのである。
集団的自衛権は、ただの軍事同盟であり、湾岸戦争とは無関係である事を日本国民は正しく理解すべきである。
マスコミや政府が集団的自衛権と湾岸戦争を関連させるのは言葉の詐術である。




◎ 2014年5月20日 (火) シリア大統領選挙

6月にシリア大統領選挙があって、アサド大統領の再任が確実だそうである。
選挙で常に勝つ自信があるなら、デモの弾圧をせずに選挙をしたはずである。
国民の大半が、内戦で国外に逃亡した結果として選挙に勝てるなら、無効だろう。
また、多くの国民を殺害した後で選挙をしても、反政府軍は引っ込みがつかないだろう。




◎ 2014年5月21日 (水) 戦国武将に学ぶ決断の極意

藤公房「戦国武将に学ぶ決断の極意」三笠書房

p.3『戦略と戦術を混同し、勝つ戦術にばかりかまけた武人は、あえなく滅び去った。戦略は基本的作戦計画で、進む(拡張)、とどまる(現状維持)、退く(減量経営)の要目がある。戦術は戦略にもとづく戦いの仕方、手段・方法をいう』

この本は、戦国武将の言行から、企業経営に活かせるものを選出したものである。
戦争と経済は別物だが、どちらも人生観が大きな影響を持つという観点である。
つまり、この本の方向性としては、権力主義よりは実存主義寄りに思われる。
権力主義中心に思われる戦国時代だが、戦国大名の実存主義的な側面を採り上げている。
ただし、戦争や経済が実存主義だとは思わないほうがいいだろう。
戦争は全国制覇が最終目的だが、経済は世界制覇する必要がない。
経済は、敵ともウィンウィンの関係を築けるし、市場を制覇した企業が安泰だとも思えない。
戦争と経済は、やはり、根本的に違うから、戦国武将の全てを経営者に当てはめる事はできない。

p.31『人の心は金ではつかめぬ』

石田光成が、金で人身掌握していたのを大谷吉継が咎めたものである。
金を与えすぎるとそれが当たり前だと思うようになり、堕落する。
頼朝に追われて奥州に逃げる義経に金がなくても、弁慶は同行したと説く。
経営者にしてみたら、給料を払わなくても働いてくれるならありがたいとなるのだが、弁慶といえどもタダで草抜きはしてくれないだろう。
弁慶は、やりたくもない仕事をしたわけではない。
革命家も成功するまではタダ働きである。
人間が行動するには、条件を満たす必要がある。
その条件は、簡単なものではないだろうし、一定のものとも限らないだろう。
しかし、この本の中にヒントはある。
公平公正な企業ルールである。
これは、社会ルールに違反する考え方であり、実現は難しい。

p.37『人を採用したら、一日も早く職場に慣れさせ、仕事のあらましを覚えさせるために見習い期間を設けるのが通例である。その間に新人の能力、仕事に対する適不適などを見分け、それ相応の職につけることが必要であろう。
越前北の庄の城主だった堀秀政は、新たに仕官を望む者がやってくると、当初の30日間はお供につけて歩き、親しげに言葉を交わしながら、それとなく性格や挙動をさぐり、次の30日間は取次ぎの役につけて渉外の仕事をさせ、十分に能力を見極めたのち、扶持を与えて取り立てるのをならわしとした。』

p.38『また秀政は、常日頃から「人間、誰でも必ず取り得はあるものじゃ」と言い、人使いを誤らぬよう家老どもをたしなめていた』

p.137『人使いの名手と言われた信玄は、「人の使い方というものは、人の手足を使うのではなく、その者の業(わざ)を用いあげるにある」』

p.137『家康もまた、「人には誰しも、それぞれに能がある。その持てる能を活かして使うのが、大将のつとめというものぞ」』

見習い期間は、仕事を覚えさせるためというよりは、役に立たなさそうな時は解雇するためである。
新人の能力や適性を見極めて仕事を与える事は、あまりない。
いきなり、現場に放り込まれて、仕事も教えず、それだけという場合も珍しくない。
現代は分業が徹底しており、会社内でできる職種も限られている。
戦国時代は、分業は皆無だったから、適性に合わせて仕事を与えられた。
戦国時代の武将は「人は城」と言い、人の適性に合わせて仕事を与えたが、現代は逆に業務に合わせて人を配置する。
しかし、現代も柔軟に業務を拡張できるなら、適性に合わせた新しい職種を用意する事は可能である。
新人の適性に合わせて新規事業に挑戦するなら、戦国時代のやり方も通用するが、もちろん、その事業が失敗するリスクはある。
現代は、就職面接だけで適性を見極めているが、堀秀政のようにじっくり期間を設けなくては、このやり方はできない。
秀政は家康の配下で、家康は三河の豪族で、当時既に名声が全国に轟いていた信玄の甲斐とは目と鼻の先である。
つまり、信玄がオリジナルで、それを家康が真似て、更に秀政が真似たのだろう。


p.42『人が自慢するものや得意がっているものを誉める。これが人を誉めるこつであろう。誉める必要のないことを無理矢理誉めても、相手は感動も何もしない』

女は、自分が自慢に思っているものを誉められると嬉しいと他の本に書いてあった。
しかし、自分に好感を持ってもらうために誉めるのでは、おべっかではないか。

p.45『人を叱る目的は、過ちを直させることだが、罰を与える場合は、その経緯を良く考えなければならない』

罪を上回る罰を与えてはならず、罰を与える前には叱らなくてはならないという意味である。

p.51『人が過ちをしでかした時、是非をよく正しもせずに、うわべだけを見たり聞いたりして軽はずみに咎め立てることが多い。これでは、あたら人材を失ってしまう』

これは、上の『経緯を良く考えなければならない』と同じ意味である。

p.58『だいたいにおいて自分以外のものは、すべて相手だと思えばまちがいないだろう。昨日の味方も、今日の敵になるのが乱世の常であるのだから』

何かに依存すると裏切られた時に大きな損失を出す。
信用も依存の内である。
そうすると誰に対しても適度な距離感を保とうとするのだが、これが実存主義であり、権力主義は逆に集団に大きく依存しようとする。

p.62『目先にくらんではならぬ。その先を見通し、策をたてねばならぬ』

武田信玄は、今川義元に援軍を頼めば楽勝できるのは分かっていたが、義元が信用できなかったため、援軍なしで戦った。
武田・北条・今川は、三国同盟を結んでいたが、援軍しあうような関係ではなかった。

p.64『戦国切っての知将、軍師とうたわれた黒田如水が、こう言っている。「大将に威がなければ、万人を押え難い。まことの威は、その身、行儀正しく、理非賞罰を明らかにする。さすれば、威おのずと身に備わる」信玄も、武田流兵法の甲陽軍鑑のなかで「人を叱ること、誉めることは大事だが、大将は慈悲の心を持たねばならぬ。慈悲とは、私心を捨てた公平無私である」と述べている。
また上杉謙信は、越後流兵法の中で、「喜によって人を賞し、怒によって人を罰し、理をまげて法を私するは、これ天道に非ず。自らの長を語りて人の善をおおい、自らの短を隠して人の悪を暴くは、これ人道に非ず」と言っている』

p.68『誰が見ても「そのとおりだ」と納得できる賞罰こそ、人の心をとらえられるものである』

人を動かすのは金ではなく、公平公正な社内ルールというわけである。
派閥や人間関係が幅を利かせる不可解な人事や給料体系では、誰も働けない。
これは、既得権が蝕むのは国家だけではなく企業も同じである事を意味している。
国家から既得権がなくならないと企業からもなくならない。
既得権は、社会全体から同時に消滅させなくてはならない。

p.69『孫子の言葉に「厚くして使う能わず、愛して令する能わず、乱して治むる能わず、たとえば驕子の如くなれば、用うべからざるなり」というのがある』

p.69『誉めるときと同様、叱るときも公平無私でなければならない』

厚遇や礼遇によっても人は動かないし、社会を滅茶苦茶にしても治めることはできないと解釈できる。
孫子も、公平無私な論功行賞が重要と言っているわけである。
滅茶苦茶にするというのは、ストライキやデモの事だと思われる。
確かに最近は、ストライキで賃金を上げさせても倒産が、デモが高じて社会麻痺を起こしても経済低迷が待っているだけである。
ストライキやデモで全体の待遇改善を迫るよりも、国家も企業も公平無私な統治が重要だというわけである。
しかし、世の中には、資本主義者もいれば共産主義者もいるわけで、何を持って公平無私とするかは、人によって全く違うのも事実である。
しかし、どちらの言い分も現実的でないのも事実であり、双方、具体的な社会像を示してもらいたいものである。
現在は、資本主義よりも共産主義の方が世界的に優勢だが、経済活動は低迷している。
市場経済よりも既得権が重視されているのと富の分配を受けない失業者の生活が成立しないのが原因である。
既得権は、国内と社内に富の不平等な分配をもたらす。

p.83『戦国時代はどういう時代だろうか〜人々は何を要求していたのだろう。人々は、近世合理主義を要求していたのであり、合理主義的な考えが芽生え始めたのがこの時代である』

家柄や因習にとらわれた大名は滅び、信長、秀吉、家康などの合理主義者が勝利したとある。
秀吉側室の淀君は、信長の妹の娘らしい。
という事は、家康は、関が原の戦いで秀吉と信長相手に戦ったようなもので、正に合理主義といえる。
その家康は、自分の卑しい家柄を恥じて、名門の徳川家を買い取ったそうで、まるっきり合理主義者というわけでもない。

p.99『先見眼力と決断』

この本では、孤独は正しいが孤高は間違っているとする。
孤高とは、周囲の意見を聞かずに専断する事だとしている。
では、孤独とは何かといえば、孤独に決断する事となっている。
信長は、桶狭間の戦いにおいて孤独の決断によって勝利したが、戦国大名には孤高の専断によって自滅した者が多いとしている。
しかし、信長が孤高でないとは思えないのだが。
勝てば官軍、負ければ賊軍と言われるように、勝てば決断、負ければ専断と言われるのだろう。
p.59「目先ばかり見るな」の信玄も孤独の決断に成功した例である。

p.123『説く、聞く、得心、やる気』

ここでは、社長や上司が「やれ、やれ」と言うだけで、仕事の裁量権を与えないために、社員が仕事の工夫が出来ず、やる気を無くす事が書かれている。
「太閤記」の「三日普請」で、現場の全権を任された秀吉が、三日で土木工事をやり遂げた例が示されている。
「やれ、やれ」と書くと何も指示が出てないから裁量権があるように思われるかもしれないが、例えば、営業であれば、ひたすら企業を訪問し続ける事を要求されるのであり、それ以外の事はできないのである。
別のことをやろうとすると嫌な顔をされる。
営業なら、部内で営業戦略会議を開き、社員の意見を集める事も重要だが、そんな所は存在しない。

「孫子」の「上下、欲を同じくする者は勝つ」が挙げられているが、これは、協調を示すものではなく、権力主義の事ではないか。
同じ利益を共有する者が集り、団結する事で、大きな力を発揮できるという意味である。
実は、これは、大きな力を発揮するには団結が必要で、団結するには同じ利益を共有する必要があるという逆の論理に基づくものである。
しかし、権力を中心とするこの考え方では、常に権力闘争しかできず、他の手段を取ることができなくなり、解決できるはずの問題も解決できなくなる。
実存主義は、団結を避けるが、個々の思想が同じ方向を向く事態になれば同じような状態になる。
個々の思想が完全に同じ方向を向く事はないにしても、もし、生活満足度の高い社会生活を営んでいる国家であれば、その社会を守るために、彼らは侵略者と戦う事で意見は一致するだろう。
これは、結果的に団結と同じ効果が得られる。
しかも、団結ではないから、権力闘争以外の問題解決手段も選択可能である。
団結においては、社会生活の満足度に関係なく、侵略者と戦う事で意見の一致が強制される。
しかし、団結には利害の一致だけあれば良く、社会全体を上手く運営していこうとする考え方ができない。
例えば、経営者と労働者は、それぞれ政党を支持するが、それらの政党は、経営者と労働者の便宜は図っても失業者の便宜は図ってくれない。
利権を持つ経営者や労働者には愛国心はあるが、それを持たない失業者は、彼らから暴力的に団結する事を強制されるはめになる。
恐怖による団結は、全体主義や恐怖政治と呼ばれるが、権力主義の一部でもある。

p.130『好まれる上役像』

某企業による理想の上司アンケート結果が書いてある。
一位が公正無私、二位が責任感、三位が話し合える人である。
三位は、営業戦略会議につながる。
上司への要望では、一位が気の若さ、二位が仕事の出来具合の良し悪しを言ってもらいたいとなっている。
二位は、社員は、自分の仕事の何が悪いのか分からないまま、左遷させらている事を意味している。
誰からも文句を言われず、自分では、上手くやっていたつもりが、突然左遷させられてびっくりというわけである。

p.139『進め、待て、退け』

減量経営の重要性が書かれている。
設備投資は、増やすだけでなく、状況によっては、削減する事も必要だという事である。

この本によれば、社員をやる気にさせるには、公平無私の待遇と社員の意見を取り入れ、裁量権を与えてやる事の二つが必要である。




◎ 2014年5月24日 (土) ジャパン アズ ナンバーワン(1)

エズラ・F・ヴォーゲル「ジャパン アズ ナンバーワン アメリカへの教訓」TBSブリタニカ

この本の初版は1979年だから、35年前の話である。
当時は既に日本のGNPは、世界第2位にあり、著者は凋落しつつあるアメリカへの教訓としてこの本を書いた。
この本は、間違った解釈も含まれるが、日本政治の入門書に最適である。
日本人なら、日本の政治と経済の実態を知るために必読の書である。

p.8『ギリシア悲劇のなかにはいかに誇り高き有能な英雄たちが傲慢の罪に落ち、ネメシス(応報天罰の女神)によってその報いを受けるかが見事に描かれている』

芥川龍之介の「歯車」に『いちばん偉いゼウスの神でも復讐の神にはかないません』、また「侏儒の言葉」に『復讐の神をジュピターの上に置いたギリシア人よ』とあるが、この復讐の神とは、天罰の女神ネメシスの事である。
芥川は、自分は天罰を受けていると考えていた。
『革命に革命を重ねたとしても、我々人間の生活は「選ばれたる少数」を除きさえすれば、いつも暗澹としているはずである。しかも「選ばれたる少数」とは「阿呆と悪党と」の異名にすぎない』の阿呆は実存主義者、悪党は権力主義者だが、芥川は、悪党が権力や集団に基づく思想であるということすら知らなかった。
実存主義も権力主義も分からなかったから、邯鄲の歩みになったのである。
しかし、文学者は、誰一人、権力主義については何も知らないものである。

この本での傲慢に与えられる天罰は、アメリカの場合は、自国の優秀さにかまけて外国を見習わない事に対してであり、日本の場合は、外国を蔑視し、自国の利益追求に邁進する事に対してである。
自国の利益追求となるとフランスの国是論のようだが、日本の場合は、自国民の優秀さを証明するために団結して外国と戦っているような感じである。

p.21『アメリカでは200年前の農業社会に応じてつくられた制度が、抜本的改革や再検討を加えられることなく今日にいたっている。ところが日本では過去110年の間に二度も制度の大点検が行われている』

著者は、日本の組織力が経済発展をもたらしたと考えているようだが、護送船団方式に代表されるような中央集権主義や日本株式会社がそれをもたらしたと俺は考えている。
外国をマネするだけなら、中央集権国家で間に合うからである。
アメリカも中央集権国家だと言うなら、日本とアメリカの違いは、日本は近世において二度戦争に負けているからである。
一度目は、明治維新の倒幕であり、二度目は、第二次世界大戦である。
この本にも書かれているとおり、明治政府は、新体制を構築するに当たり、欧米を訪問し、最新の政治手法を取り入れ、大日本帝国憲法を施行し、武家政治を払拭した。
また、大戦後は、その明治体制も払拭し、財閥は解体され、再び欧米から最新の政治手法を取り入れ、日本国憲法を施行した。
つまり、日本は、二度の敗戦によって、二度、ゼロベースで法律を作り直しているのである。
それに対し、戦争で負けた事のないアメリカは、未だに200年前の既得権を後生大事に維持している。
この辺りが、アメリカの低迷と日本の発展の明暗を分けたのである。
法律は、本来50年毎にゼロベースで作り直さなければならないのである。
その利点は、既得権が消滅するところにある。
日本の優れた組織力とは官僚制度の事だが、これは、古来の中国王朝において、難易度の高い一度の任官試験で官僚を採用していた制度を日本が導入したものである。
この仕組みは、日本において大学入試や公務員試験で採用されているが、欠点もあるとされつつも、実力主義で質の高い官僚を獲得できるとされている。
中央集権国家は、この官僚主義に向いているのだが、行政が大きな裁量権を握る事が、腐敗政治にも繋がる。

p.37『教育の分野では、日本人の高校卒業率は約九〇%で世界の先端をいっている。大学進学率はアメリカのほうが高いが、大学卒業率は日本のほうが高い。日米両国の義務教育年限はほぼ似たようなものだが、日本の生徒たちのほうが毎日やや長い時間授業を受け、年に60日ほど多く登校する。日本の生徒たちは、さらに補習授業を受け、ほとんどのものが高校入試や大学入試のために特別の学習をしている。日本の学生のほうが西欧の学生よりも世界史や時事問題に明るく、数学や科学などは、日本人学生の優秀性がはっきりあらわれている。音楽、芸術、体育などの比較でも、日本人の能力は高い位置にある』

一時、ゆとり教育で、教育時間が減ったが、学力が低下したという理由で元に戻った。
欧米では、学力はあまり高く評価されないみたいだ。
しかし、学力を重視するかどうかは、個人の好みの問題だろう。
勉強したい人はすれば良いし、したくない人はしなくて良い。
国内の行政と企業は学力重視でも、世界に出れば、別の人生が待っている。

p.41『日本を訪れるアメリカ人を驚かす事象には事欠かない。都市の施設が整備されていること、交通機関が整っていること』

これも関東大震災や第二次世界大戦の絨毯爆撃で、都市が完膚なきまでに破壊されたからである。
古い建物が壊れたことで、高層ビル建設や鉄道敷設、道路整備が容易になったのである。
古い木造建築物といえども住人の反対を押し切って撤去する事はどこの国の政府にも出来ない。
日本は、焼け野原になる度に、最新鋭の都市計画を導入して来たのである。

p.49『大学を卒業して就職するさい、日本人はこれで自分はエキスパートなのだといった自信をもつことはない』

大学の授業は、実務に不向きだからである。
国家資格ですら、役に立たない。
大学は、一般教養や研究の仕方を身につける場所である。
学部学科をなくしてしまって、自分の好きな講義だけ出て、期間も2年で十分である。

p.54『アメリカの若い水泳選手たちは日本に招かれて、エキジビジョンを行い、日本の選手をコーチしたりした。日本人がこうした水泳選手から学んだことの主たるものは、アメリカがこのような優秀な水泳選手を育てた背景にある中学生ぐらいの、将来性のありそうな水泳選手に目をつけておき、そのなかから、よりすぐった選手にさらに徹底的なトレーニングをほどこすというやり方であった。日本の水泳連盟の役員たちは、もし日本全国で、小学校や中学校の段階で生徒に水泳を教え込むことができれば、より多くの優秀な水泳選手を早期に育成でき、アメリカ人やロシア人との体力の差や、人口の差といったハンディを克服できるだろうという結論に達した。日本の小学校では、必ずしも学校がプールをもつことが義務づけられていなかったのだが、こうなるとPTAが黙っていず、学校側にプール建設と水泳の特別指導を要求しだした。数年を経ずして、都会にも郊外にも、日本全国の小・中学校に水泳プールがつくられるようになった』

日経新聞(5/16)にも、日本の学校教育は、色々なスポーツに触れられるのが欧米と違って素晴らしいと外国人が言っていると書いてある。
俺は、小・中学校の水泳の授業が苦手だったのだが、水泳の授業があったのはオリンピック選手を育てるためだったらしい。
着替えるのが面倒で塩素が臭うのと寒いのが嫌だった。
小学生の多くがスイミングスクールに通うのも誰もがオリンピックの金メダルを狙っていたからである。
中学校の剣道と高校の柔道も嫌だったのだが、これもオリンピックか?
この本によれば、ハーモニカやリコーダーが演奏できるのもアメリカでは珍しいらしい。
そういえば、リコーダーの練習を家でやるのも面倒だった。
まさか、芸術家も子供のうちからってことか?
俺は、アメリカの小・中学校に通うべきだった。
スポーツ選手も芸術家も楽な人生ではない。
現在のような不景気になると遊興費から削られ、仕事が減るからである。
皆がやるからという理由だけで横並び式について行くと将来、馬鹿を見る可能性がある。
日本人の大半は、世間知らずで、いつも横並び式に世間の後をついて行くのである。
南極のペンギンみたいなものである。




◎ 2014年5月27日 (火) ジャパン アズ ナンバーワン(2)

エズラ・F・ヴォーゲル「ジャパン アズ ナンバーワン アメリカへの教訓」TBSブリタニカ

p.77『日本人によれば、意見の相違は敵対関係とか鋭い論争によって解決されるべきではなく、より多くの情報を集めることによって自然に落ち着くべきところに落ち着くのだ。〜情報が集まり、分析されるまで、日本人は意見を述べたり、一方を弁護したりすることを避ける』

これが、実際の日本政治とは思えないのだが、国民全体の利益について理屈を貫き通して相手を説得するのが日本官僚のやり方という話である。
実際は、族議員や業界などからの圧力や政・官・財の癒着で、建前どおりではないようだ。
首相や大都市の首長は、ブレーンを作り意見を聞いている。
大臣は、官僚を情報収集やブレーンとして利用しているようだ。
情報収集と議論によって政策を決めるのは、多数決よりは望ましい。
官僚は、日々、膨大な量の本や資料を調べさせられて、日本を支えているのは自分達だという自負があるから、それに見合う報酬をもらうのは当然だと考えている。
尤もな意見だが、中央集権で権限の大きい役所仕事の能力や効率が悪いのも事実だろう。
結局、官僚に仕事をやらせ過ぎなのである。
その点においても、国家の代わりに企業に社会を統治させるのは有効である。

p.78『たとえば新しい交通網ができるとか、公共建物が建つとかいった場合、そうした決定が下された理由について、大抵の人は一応知っており、それゆえに市政に対して基本的信頼が強まりもするのである。また国の政治に関しても、政府がある重大決定を行ったということを聞いた市民は、その決定の基本的理由を知らされているので、進んでその決定に賛成し、従う。日本人の忠誠心とか愛国心は先祖代々受け継がれたものではなく、組織全体の努力のなかから生み出され、呼び覚まされたものである』

市政に関しては、ある程度は、広報紙によって市民に知らされているが、全てではない。
市議も時々独自に広報紙を出し、議会の問題提起をしている。
議会も市民に公開されているが、閲覧する人はあまりいない。
情報公開により、多少は信頼は得られるが、優れた政治手腕の方が信頼されるようだ。
しかし、秘密裏に政策が実施されるのでは残念だ。
日本人としては、日本よりもアメリカの方が情報公開に優れている印象があるが、そうでもないようだ。
国の政策の場合は、議論を開始した時点で新聞に載るからである。
その上でマスコミが世論調査を行い、国は、その結果に合わせて法制化する傾向がある。
マスコミが、世論を操作する役目を担っており、その点はアメリカと同じである。
しかし、今のところ、集団的自衛権もTPPも原発再稼動もマスコミの狙い通りに世論を動かせていないようだ。
『日本人の忠誠心と愛国心』は、権力主義が全てであり、『先祖代々受け継がれたもの』である。
『組織全体の努力』によるものは微塵もない。

p.80『なぜ日本の官僚制度は腐敗もせず国民から遊離もせず、問題に対処するだけの権限を保ち続けられたのだろうか。そして中央政府はいかにして地方自治を破壊することなく、国家の発展をコントロールできたのか』

政治家は支持者への便宜を図るのが仕事であり、官僚もそれにはある程度合わせざるを得ないから、全く不公平がないわけでもない。
国家は、公共事業や地方交付税で地方自治を支援している。
政治家は、選挙があるから、地方を蔑ろにはできない。

p.80『日本で政治的決断を下すグループは二つある。一つは総理大臣をはじめ各大臣を含む政治家グループ、もう一つは高級官僚のグループである。実際に各省庁を動かしているのは官僚出身の事務次官であり、各省庁の重要な実務は政治家ではなく、官僚たちの手によって行われると言ってよい。日本では行政試案の多くは国会議員によってではなく、官僚たちによって起草されるのである』

国会で審議される法案の多くは、官僚が考え、それを内閣が提出しているわけだ。
集団的自衛権などは、政治家中心だが、それも官僚の支援を取り付けているだろう。
そのため、国会答弁は、政治家自身ではなく、官僚が考えることになる。
野党が国会で行う質問は、国会前日までに与党に報告する決まりになっている。
それを元に官僚が答弁を考え、当日、閣僚がそれを読み上げる。
まともな答弁になっていない事が多いような気がするのだが、野党議員が、更に突っ込んで質問する事はない。
もし、予め、与党に質問内容を提出していないから、追加質問ができないとしたら間抜けな話である。
どんな間抜けな答弁でも受けいれなくてはならないからである。

p.83『50歳前後で同期生のうち優秀な数人が主要な局の局長になると、残りの同期生は全員勇退していく。勇退は決して規則で決められているのではないが、それが慣例になっているのである。もっとも勇退しても、彼らの将来は十分に保証されている。民間企業や各種政府機関の高い地位が用意されているし、あるいは政界に打って出ることもできるのである』

昔は、恵まれていたかもしれないが、今はキャリア官僚も退職後は厳しそうだ。
50歳では早すぎるから、残りたい官僚も増えているのではないか。

p.85『また共通問題を協議するために、各省庁のトップ官僚たちは、しばしば会合を開く。政界、実業界、ジャーナリズムとの頻繁な接触からトップ官僚たちの間に、彼らと共通の見解を共有する空気が生まれてくる』

基本的に政治家は、専門知識を持っていないから、官僚に頭が上がらない。
しかし、官僚達に混じって勉強会などに参加して官僚並みの知識を身につける政治家もいる。
彼らが、族議員である。
族議員は、その専門知識により、官僚並みの影響力を政界に持つ。
族議員は、特定の企業や団体に便宜を図る事があり、業界と族議員と官僚が組むと、既存企業の利益が法的に守られることで、その業界への新規参入が阻まれるなどの弊害が出る事もある。
キャリア官僚が、退職後、団体や企業の重役に入る事を天下りと言うが、それらの法人と官僚の間に何の関係もないという事もないだろう。
既得権が経済低迷をもたらしていると考えるなら、日本の場合は、政・官・財の妥協と癒着の結果である。
汚職は、贈賄だけではなく、既得権も含まれる。
政治が、集団の利益代弁者による権力闘争と妥協の場であるなら、汚職も経済低迷も必然になる。
例えば、政治家は、公共事業をしたがり、経済産業省は、法人減税をしたがり、財務省は、それらを認めたら財政赤字になるから反対したいのだが、できないから消費増税でお茶を濁す。
その結果、公共事業や法人減税をなくし、既得権を撤廃して、消費増税を回避するという政策は採れなくなる。
これが、政治の妥協である。
これで経済は活性化できるだろうか。
現行の日本政治では、最も適切な政策は採用できない。
ただし、公共事業や法人減税や消費増税が間違っていると断定しているのではなく、政治構造として消費増税をしないで済ませる選択肢が最初から除外されている点を非難しているのである。
ただし、今回の消費増税は、前回の消費増税同様、日本経済を低迷させる結果になると俺は予測する。
理由は、財政懸念からそれが決まったという点と既得権削減への切り込みがなかったという点が前回と同じだからである。
前回は、アジア金融危機があったから、今回とは状況が違うと新聞には書いてあるが、今も世界景気は良くないし、世界景気が消費増税以上に国内景気に影響を与えるのであれば、消費増税は国内景気にほとんど影響を与えない事になる。
今回も前回同様国内景気が悪化するようなら、新聞のその論理は間違っている事が証明される事になる。
既得権削減とは、既存企業を守るための参入規制撤廃の事である。
また、税金は、全ての生活困窮者が同程度の生活水準を享受できるように投入されるべきである。
税金の投入に国民の選り好みがされるのでは、社会福祉とは呼べない。

p.85『政治家も官僚の優秀さを認めているから、彼らの機嫌をそこねないように気をつかう。国会議員は独自の調査期間をもっていないので、専門的な仕事に関しては官僚に依存せざるをえないのである。官庁に対して批判的な態度を示した政治家は、全官庁からなんらかの報復措置をとられる可能性がある。国会議員にとっては、自分の選挙区内の建設計画や米価引き上げ問題などにも、官僚の協力が是非とも必要となる』

菅議員が首相在任中、マスコミに内閣と官僚の間で連携が取れていないと言われ、内閣支持率が下がった事がある。
しかし、あの場合、政治家が官僚に合わせていたら、官僚は原発事故の悪影響を国民に隠し、何も問題がなかったかのように振舞った可能性がある。
その結果、現在のような反原発運動なども押さえ込まれ、以前のように原発が普通に動いていたかもしれないのである。
官僚に国政の全てを委ねる事は、民主主義を否定し、官僚による専制政治を容認する事になる。
やたらと政治家と官僚の連携を促すべきではない。

p.89『1950年代半ばから今日にいたるまで官僚出身でない総理大臣は三木、田中のわずか二名だけである』

自民党には官僚出身者派閥もあり、政治家と官僚と財界のパイプがある。

p.91『すべてを自由競争の原理にゆだねることは必ずしも公共の利益に沿わないという事実が明らかになってきた19世紀の後半ごろから、アメリカの官僚制度は発達し、企業の独占を制限し、企業のもたらす弊害を減じるために多くの複雑な法律を設置した。官庁の仕事は企業を監督し、その不正を暴くことであった。これとは対照的に、日本の官庁は19世紀以来近代化を促進し、企業の長期的発展を助けるため最良の政策を遂行しようと努力してきた』

近代になって、カルテル、トラスト、コンツェルンを取り締まる名目で、自由競争を阻む法律が増えた。
しかし、その名目が拡大解釈され、既得権を増やす温床になった。
アメリカは、企業の自主性を尊重するが、日本は、国内企業の競争力を高めるため、企業を束ねて研究開発にも取り組む。
日本の製造業は、研究開発も国が音頭を取るし、雇用問題で外国に工場を移転することもできないし、株の持合が却って経営の足を引っ張る結果になり、解消する羽目になるしで、経営の身動きがとりづらくなっている。
行政は、日本企業が外国企業に勝てば、既得権は、どんなにたくさんあっても問題ないという考え方だから、国際競争力を高めるために製造業をいじり倒すのである。
その結果、失われた20年と言われ、自律できなくなった製造業は競争力を喪失してしまった。
製造業の一部は、倒産しかけで、残りはODAによるインフラ整備頼みである。
現在もマスコミや行政で「イノベーション」の合唱が鳴り止まないが、彼らの仕事は、国と企業から既得権を無くす事だけである。

p.93『予算編成時に、大蔵省の役人はある程度までは政治家の意見を聞き入れる。これに比べてアメリカの官庁は、政治的圧力が予算に反映されがちである』

予算編成は、日本では、省庁の力関係で決まるが、アメリカでは、政治家の力関係で決まるという事だろう。




◎ 2014年5月31日 (土) ジャパン アズ ナンバーワン(3)

エズラ・F・ヴォーゲル「ジャパン アズ ナンバーワン アメリカへの教訓」TBSブリタニカ

p.94『日本では防衛費はGNPの1%以下であり、防衛に対する関心も薄い。国土の狭い日本は、核兵器に見舞われたらひとたまりもない。したがって、かえって兵器を持ったほうが危険を招きやすいと、日本の軍事専門家たちは考えたのである。彼らは、諸外国と友好関係を保って資源を確保するほうが確実に日本の安全を保障すると考えている』

学校教育や新聞では、こういう理論は全く聞かない。
日本は、アメリカ軍駐留と核の傘によって国防が成り立っており、その恩恵で経済発展に注力できていると国民の大半は信じている。
そのため、アメリカが世界の警察を辞めるから、日本がその肩代わりをする名目で、集団的自衛権の問題が浮上している。
しかし、駐日米軍の規模は、あまり重要ではない。
日米安保条約だけあれば、駐日米軍が縮小しても日本の国防を強化する必要はない。
日本国民は、駐日米軍だけで国防が万全だとは考えていないからである。
しかし、国土の狭い日本が核兵器に弱いのは紛れもない事実である。
核兵器なしでも攻め込まれると逃げる場所がないから弱い。
また、諸外国と友好関係を保つというよりは、諸外国を経済的に支配する事を目指しているようだ。
例えば、国際会議などにおいて、日本の意見を支持してもらうなどである。

p.95『アメリカの政府が研究開発に投資するのは、主に軍事産業、宇宙産業、基礎研究である。ところが、日本政府の投資は、経済的な採算がとれる可能性が強いとわかっているもののうち、多額の投資が必要なため民間企業では手を出しにくい分野に向けられてきた』

行政は、大企業を集めて積極的に研究開発を引っ張り、支援する。
現在は、イノベーション創出に乗り出している。
しかし、本来これらは行政の仕事ではない。
行政は、先ず、本来の仕事である国や企業内の既得権撤廃をすべきである。
企業を活性化させるのは、イノベーションでも研究開発でもなく、それだからである。
行政がやっている事は、散々、散財した後で、宝くじを買って帳尻合わせしようとしているようなものである。
成功率は極めて低い。
もちろん、散在とは既得権を作る事で、宝くじとはイノベーションや研究開発の事である。

p.97『(通産省は)具体的には、工場や設備の近代化の水準を高いところに設定し、この水準を達成するために資金力のない会社同士を合併させたりして常に近代化のペースを速めようと努力している。ある産業全体をつぶすほど状況が深刻でない場合には、不況カルテルを結ばせ、業種内のすべての企業が均等に減産するよう図る』

不況カルテルは、均等減産のためだろうか。
カルテルによって、損をするのは消費者であり、その会社の社員は生活が保障されるが、社会全体としては経済低迷の要因になる。
しかし、確かに現在も不況カルテルは行政に容認されている。
不況カルテルも消費増税も円安もスタグフレーションの一つである。

p.99『政府が土地を民間企業に払い下げる場合には、最も高額の入札をした企業より、むしろその土地を利用して最も高い利益をあげられそうな企業に優先的に払い下げる。外国の技術を買い入れるさいも、それを最もうまく使いこなせそうな企業が、他の競合企業を圧迫することなく、できるだけ安い値で購入できるように見守る』

つまり、払い下げも買収も官僚の胸算用、口先三寸というわけである。
その接待のため、東京に大企業本社が集中する事になる。
合併まで官僚が決めていたとは思わなかった。
大企業経営者に経営の裁量権はあるのだろうか。
あきれ果てた行政の実態。
既得権は、法律だけでなく、簡単に作れた。

p.100『民間企業が自主的に通産省に協力するのはなぜだろうか。まず第一には、通産省が真剣に各分野の企業の発展を考慮していることを企業がよく知っていることである。第二には、通産省の提供する資料と分析が優れていることである。第三には、通産省の役人と企業幹部の交流がさまざまなレベルで、公式にも、非公式にも、日頃から盛んに行われていることである。第四に、通産省が企業の要請を応諾するさいに、日頃協力的な企業を優先することを企業側もよく心得ているということである。最後に通産省が常に業界全体の意思を反映しつつ行動することが挙げられる』

補助金が欲しいのと大きな政治的権限を持つ官僚を敵に回した時の報復が恐いからである。

p.81『日本以外にこうしたエリート機構を持つ国は、おそらくフランスぐらいのものであろう』
p.110『このように政治的圧力から保護されている官僚機構はフランスをはじめ他の国にも見られる。ところがミッシェル・クロワジェによれば、フランスの官僚こそがフランスを荒廃に導いたのであり、社会の各層間に断絶を生みエリート官僚と大衆がかけ離れた存在になってしまったという。日本はどうやってこのような事態になるのを避けえたのであろうか』
p.100『通産省の役人の多くは退官後、民間企業に再就職して官庁と民間企業とのパイプラインの役目を果たす』

おそらく、中国も官僚政治である。
それどころか、最近は、米英独など先進国の大半が、そういう傾向にあるようである。
官僚は、商売に弱いから、経済に深く係わるのは望ましくない。
家電メーカー数社の共同出資会社ルネサス・エレクトロニクスも失敗した。
フランスも戦前から不景気の国として知られている。
中国も最近は危うい。
官僚政治は、既得権が大きくなり易いため、経済が硬直し易く、一度不景気になると建て直しが難しい。
特定の業界や企業への既得権を廃止し、企業の裁量に任せるべきである。
株式会社の問題点は、ベンチャー企業が簡単に買収できてしまうことである。
創業者が、一定規模まで会社を大きくしたら買収されて、最初の内は社長でいられたが、いつの間にか退職していたという事も多々ある。
これでは、資本のある大会社が、ベンチャー企業を踏み台にして、生き残る仕組みになる。
そのため、技術と経営力のあるベンチャー企業は、生き残れない。
しかし、実際は、ベンチャー企業を買収して生き残った大企業は、ほとんど存在しない。
使い物にならなくて業績に貢献できないのである。
ベンチャーが株式会社になりたがるのは、資金が集めやすいだけでなく、税的にも優遇されているからである。
しかし、株式会社だけが、減税されるのは、筋が通らない。
株式会社の税金優遇政策は取りやめるべきである。
官僚主導経済においては、社内の権力闘争に勝った人間だけが生き残るのである。
その人が官僚から仕事や既得権をもらう接待要員である可能性も多いに考えられる。
官僚が仕事を与えるほど財政は悪化し、いずれそれらの企業を支えきれなくなる日がやってくる。
企業倒産後に残るのは巨額の財政赤字だけである。
大企業に公共事業やODAなどの仕事を与えたり、経済に大きな打撃を与えるからと国費で救済したりするのでは、実質的に国営企業である。
更に、官僚が、買収、合併、合資会社、払い下げまで自由裁量権を持ち、大企業がそれに逆らえないのでは、ますます、そのものである。
更に、官僚は、天下りポストまで用意してもらい、官庁退職後もその企業のために行政に口利きをしてやるのである。
国が株を保有していないからと言って国営企業ではないと思い込むのは早計である。
その官僚独裁政治の実権を現在、阿倍政権が握っている。
阿倍政権では、全てのキャリア官僚の人事権を内閣が持つようになったからである。
それを考慮すると、日本中の企業が、首相の鶴の一声でベアに応じたのも納得できる。
官僚政治は、一度つまづくと現在のように泥沼から抜け出せなくなる。
日本の大企業は、接待要員と官僚OBが実権を握っており、公共事業なしでは倒産を免れない。
大企業が倒産しやすくし、政治家や官僚による経済支配を廃止し、法律を減らして、参入規制を撤廃し、意図的な安定職業を作らないようにする必要がある。
終身雇用をなくし、大型連鎖倒産も容認し、公務員も廃止して企業による社会統治を目指すべきである。
大型連鎖倒産による経済低迷は一時的なものだが、国家破産の影響はいつまでも残る。
また、取引先が固定化しない事で経済活性化を見込める。
企業が社会福祉を担う事は可能である。
企業は、人間関係に依らない公平無私の給与と人事を目指すべきである。




◎ 2014年5月31日 (土) 中国政治(1)

中国において、腐敗撲滅の対象になっているのは、現政権の敵対勢力だけである。
その先に待ち受けるのは、安定政権であり、安定政権は最も腐敗が生じ易い政治形態である。
自勢力が弱まるのを恐れて味方の不正を見逃すからである。
現政権は腐敗撲滅と称して、更に腐敗を進めているのである。

ウィグルに対して、経済活性化を理由に中国語を強制するのは間違った政策である。
日本や韓国が中国に併合されて中国語を強制されたとしても、独立運動に発展するのは確実だからである。
日本、韓国、ウィグル、チベットの連合軍は、中国に内戦を挑み、それぞれ独立を勝ち取るだろう。
楽天やソフトバンクのように社内で英語を使えるようにする方が望ましい。

中国が南シナ海全域を自国の領土と主張するのは、南シナ海の海底資源と中東からの資源輸入のためらしい。
しかし、地図を見る限りでは、南シナ海に中国航路はあるように見える。
南シナ海問題は、対立の原因が分かりづらい。

北朝鮮が日本に協力的になったそうである。
北朝鮮と韓国が統一されると市場が大きくなる事で両国の経済は現在よりもましになる。
現状において、日・中・朝・韓の間では、貿易を外す事はどの国にもできない。
どの国も財政に余裕がないからである。




◎ 2014年6月4日 (水) アメリカ経済崩壊

今、アメリカでは、インターネットを利用してアイデアを募集する企業が注目されているらしい。
例えば、世界中の自動車エンジニアに欲しい車のアイデアを出してもらい、それを製品化したり、顧客企業のデータを世界中の人々に解析してもらったりしている。
車の方は、GEが、データ解析の方は、マイクロソフトなどが興味を持っているらしい。
オープンソースのプログラムに関しては、そういう形態が採られているが、一企業に対して、そうした試みがあるのが新しい。
しかし、知識の無償性は、万人に対して扱われてこそであり、個々の利益のためにそれが利用されるのは、知識の有償性を認めない事になる。
それでは、知識を教える大学や専門技術で仕事をする医者などの職種を否定している事になる。
ただし、それらのアイデア募集企業は、アイデア提供者に報酬は支払っている。
アイデア提供者は、自分の仕事に対して正当な額の報酬をもらうべきである。
それには、一定の報酬ルールが必要である。
こうしたデタラメな企業形態に頼らざるを得ないアメリカ大企業の実情は、彼らには、もはやアメリカ経済を支える能力がなくなっている事を示している。
これらの企業には、公的資金投入以外に存続する途がないのである。
これは、官僚に蝕まれた日本大企業の実態と同じである。
アメリカは、「ジャパン アズ ナンバーワン」を信じて失敗したのである。