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◎ 2014年2月24日 (月) 反政府デモ発生のメカニズム

リビアとシリアとタイの反政府デモで共通しているのが、政府支持者と反政府組織が明確に分かれている点である。
どちらも強固に団結しており、全く迷いがない。
理由は、政府支持者が既得権を持っているせいだと思われる。
翻って日本では、今の第二次安倍政権が、支持者の既得権を強化する動きを見せているように思われる。
前回の第一次安倍政権では、そういう印象はなかった。
つまり、社会状況が悪化すると、政党は求心力を得るために支持者を厚遇し出すのではないか。
その結果、政府支持者と反政府組織の対立が生まれるのではないか。
そのため、反政府デモを発生させないためには、既得権を作らないようにして、万人に公平な政治を行う必要がある。
しかし、内戦に突入しても政府支持者も団結しているから、そう易々は政権を打倒できないのはシリアを見れば明白である。




◎ 2014年2月24日 (月) 孔子

朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり・・・[論語]人として大切な道徳を聞いて悟ることができれば、たとえその日の夕方に死んでも心残りはない。道徳の尊さを説いた孔子の言葉。

実際に完璧な人生哲学を手に入れたら、誰でもそういう心境になる。
つまり、それこそが人間の生きる意義である。
逆にそれが分からない間は、どれほど長生きしても人間は死ねないものである。




◎ 2014年2月26日 (水) 中庸

中庸・・・@かたよらず常にかわらないこと。不偏不倚で過不及のないこと。中正の道 A尋常の人。凡庸。
 Bアリストテレスの徳論の中心概念。過大と過小との両極の正しい中間を知見によって定めることで、その結果、徳として卓越する。例えば勇気は怯懦と粗暴との中間であり、かつ質的に異なった徳の次元に達する。

過ぎたるはなお及ばざるが如し・・・[論語]度を過ぎてしまったものは、程度に達しないものと同じで、どちらも正しい中庸の道ではない。

孔子とアリストテレスにおける中庸の意味は、物事をなすには適切な度合いがあり、それを過ぎても足りなくてもいけないというものであるが、実存主義におけるそれは、人間には真理が認識できないのだから、やり過ぎて取り返しのつかなくならないようにすべきであるというものであり、世間一般と実存主義とでは意味が全く異なる。
実存主義では、自分が間違えている可能性を考慮して、度合いを決めるのである。
勇気は怯懦と粗暴の中間ではなく、勇気がないのが怯懦であり、間違った行為への勇気が粗暴や蛮勇である。
丁重にし過ぎて相手を恐縮させる場合などが孔子の中庸だろう。
しかし、世界には礼儀が存在しない国もあるから、孔子の中庸はどこでも必要とは言えない。




◎ 2014年2月27日 (木) 野心的な文学

日経新聞(2/21夕刊)に東京都内の図書館で「アンネの日記」などのナチス強制収容所アウシュビッツに関連する書籍が10ページほど破られる被害が200冊ほどあったのが発覚したとある。
こういう内容は、著作者に危害が及ぶ可能性があるというわけである。
どんな脚本でも国家や世間を風刺したり批判したりしない限りは、国家や世間の財産になる。
例えば、環境保護を訴える内容の作品が世界的な賞を取ったりしたら国民全体に喜ばれる。
国家の威信が世界に輝くからである。
しかし、権力主義を批判する作品が世界で名声を博したらどうなるか?
その場合は、国民全体からの痛烈な批判と虐待の対象となるだろう。
国家の威信よりも権力主義の方が重要だからである。
芸術作品は、国家の財産となるべきか、あるいは我が身の破滅となるべきか。
伊丹十三監督も殺されてしまったが、無駄に殺されるのが良いとは思えない。
国家や世間に最も尊ばれる芸術は、自らの悲惨を嘆いて見せるだけで具体性がないために社会的影響が皆無の作品である。
例えば、ゴッホやムンクの絵などである。
泉鏡花なら、文芸は国威発揚のためにあり、社会性など一切必要ないと断言するだろう。
命あっての物種、あるいは焚書にされたら元も子もないという考え方だからである。
どちらの立場をとるかは、人それぞれであり、どちらが悪いとは言えないだろう。
「芸術のための芸術」か「人生のための芸術」かという論争はナンセンスである。
あらゆる芸術家が実存主義も権力主義もあまり理解していないとするならば、それらの諸条件が芸術家を芸術家たらしめていることになり、もし、何も知らないことで社会性がないなら芸術至上主義になるだろうし、自らの立場についての知識がある程度あるなら社会にも影響が出てくる事になるからである。
後者の場合、世間が怖くて社会に影響が出なくなったとしたら、自らの芸術を裏切った事になり、それこそ、「芸術のための芸術」ではなくなるのである。
それでは、作家は皆、プロレタリア文学作家にならざるをえないではないかとなるのだが、共産主義に共感できなかった芥川とカミュは徹底的にプロレタリア文学作家達に抗戦し、自分達の作品は一切、社会には影響を与えないと主張した。
既存イデオロギーのどれにも共感できないから、それに反発する事で「芸術のための芸術」になってしまう場合も、社会に影響を与えないという立場をとる「人生のための芸術」である。
つまり、社会への関わり方には、社会参加と社会不参加という二種類の立場があるというわけである。
どちらの場合でも「芸術のための芸術」と「人生のための芸術」は同時に成立していることになる。
国家や世間が怖くて宗旨替えしたカミュにも両方が成立している。
彼の場合も、その恐怖は本物だったため、宗旨替えも彼にとっては必然だったからである。
そうすると、本心に誠実な芸術は総て両方を満たしていることになる。




◎ 2014年3月2日 (日) いじめの光景

保坂展人「いじめの光景」集英社文庫

10年以上前に買ったこの本を久しぶりに読もうと思ったのは、イジメは自分がいじめられないように集団の外部に仮想敵を作るためだという説が、載っていたように思ったからだが、載ってなかった。
これは俺の説ではないから、他の読み物で入手した知識だろう。
しかし、せっかく全部読んだから、感想を書く。

p.19「中学生は『非行に走るヒマを与えるな』のかけ声のもと、早朝から夜にまたがる長時間のスポーツ部活練習を半ば強要され、夜はしっかり塾が待っている」

確かに高校では誰も塾に行ってなかったし、部活と塾にそんな意図があったとは思わなかった。

p.40「人の体の特徴はすべて『いじめ』の理由となる。平均、標準の枠をはみ出す物を『皆と違う』『どこか変だ』と排斥するのが、いじめだ」

ここにイジメの原因を探すなら、イジメの目的はイジメをするためだとなる。
イジメをするために無理矢理、普通と違うところを探すからである。
自分がいじめられないために仮想敵を作るという説に通ずる。
また、他人を強制する事が権力主義だから、普通と違うという事は、その強制を受けていないとみなされ、皆と同じになるまで強制するためという意味も持つかもしれない。
この場合、ステレオタイプでない者は、総て悪となる。

p.46「私の学校では、いじめというよりも「支配されてる」っていう感じの子が多いです。リーダー的な子がクラスにふたりとかひとりとかいて、そのまわりに子分が3、4人くっついて歩いてます」

俺の経験では、クラスのリーダー的存在は見たことがないのだが、小学校の時に親分子分の関係らしい女子グループを一つ見たことがある。
男子も女子もグループは作るし、その中のリーダーっぽいのはどこでもいる。

p.62「『1年奴隷』『2年家来』『3年王様』などと言われるウムを言わせない上下構造」

中学校が正にこれで、女子だけなのだが、上級生に脅されてやっていたとは知らなかった。
登校から下校までひっきりなしに何度も挨拶しているのである。
男子で良かったとか宗教的で気味が悪いとか理由が分からんとか思っていた。
こんな学校でイジメを見たことがなかったのが不思議なくらいだが、二ヶ月前、その母校でイジメ自殺があったと新聞に載っていた。
そういえば、3年の時の担任が卒業前にクラス全員に反省しろと怒ってた。
先生がいじめられていたのか?
しかし、ある意味、俺は小学校の頃から現在に至るまで、いじめられっぱなしと見る事もできるかもしれない。
ただし、内容はイジメとはほど遠い。
現在だけは完全なイジメではないか。
実のところ、俺がいじめられっ子になる現状が可笑しくて仕方がなく、大いに楽しんでいる。
自分で言うのもなんだがあまりにも不似合いなのである。

p.47「『ここが気に入らないんだ』って、はっきり言ってくれたらいいのに」
p.50「グループ同士の力学で、いじめのターゲットは決められていくから、狙われた子は、『何がなんだか、さっぱり分からない』のも当然だ」

p.111「驚いたことに、その判決内容は『いじめ』が存在したことすらも否定し、また裕史君の『自殺』と『いじめ』の因果関係すら認められないという前代未聞のものであった」

主婦の井戸端会議は、その場にいない誰かの悪口を言い合うものらしい。
つまり、主婦からして、仮想敵を作る事に日頃から腐心しているのである。
そういうのを子供が見習って学校で実践しているのだろう。
権力主義者というものは、人格から行動まであらゆる面で大人の真似をして成長するものだからである。
他にも権力主義には、暗黙の取り決めが沢山あり、それらを奴隷のごとく強制されているものである。
これらの取り決めは、代々、社会に受け継がれているものであり、文化とも呼ぶ。
日本外交においても、日本政府は尖閣諸島をめぐり、米政府に対し、米軍が日本のために戦ってくれないと文句を言うが、これも親分が子分を守るのは当然だという権力主義に基づいたものであり、他に理由はないのである。
欧米はNATOという軍事同盟を結んでいるが、独仏は米に対し、ある程度、主体性をもって対応するが、日本の場合は、完全に主体性がなく、子分は親分に絶対服従であり、親分は子分を守るものだとする権力主義にそって対応しているだけである。
兵庫県明石市や滋賀県の花火大会で何人も死傷者が出た事件の裁判では、被告は両方とも業務上過失致死容疑だったはずだが、それ以上の嫌疑をかけられているような感じである。
これらイジメと花火大会の判決で共通しているのが、原告と被告の人数の関係である。
日本の裁判は、係争の内容よりも、人数で判決が決まってしまうという権力主義に基づいているらしい。
日本においては、世間も外交も裁判も権力と権力のぶつかり合いだけで総て決着するというわけである。
そんな社会においては、学校だけが例外にされるはずもない。
大人になれば、皆、権力主義を実践しなくてはならないからである。
特に学校だけが問題視されるのは、逃げ場がないからである。
企業であれば転職できるし、社会においては転居も出来るが、学校だけはどこにも行けない。
転校は親が認めないからである。
こんな事を書くと権力主義者達は、「じゃ、井戸端会議をやめさせたらええんやな」と言うのだが、たとえ、井戸端会議がなくなっても、社会が権力主義でなくならない限りはイジメは消えない。
イジメとは権力主義のことであり、井戸端会議は山ほどある権力主義の一例に過ぎないからである。
イジメをなくすには、実存主義社会の実現が必要である。

p.228「いじめられる方に理由があるかどうか?〜ずいぶんと変わったなとぼくは思うのだ。ちょうど10年ほど前、〜「復讐してやる!」といった『いじめ』に対しての怒りの爆発〜という内容が多かったと思う」

これは、徐々に世間において、イジメが日本の正当な文化であることが周知されて来たということだろう。
イジメが正当である以上、いじめられるほうが悪いということになる。
この本の初版が発行されたのは、1994年である。

p.239「『いじめ』という不愉快な文化」

正にイジメは日本の文化である。




◎ 2014年3月7日 (金) 革命か反抗か -カミュ・サルトル論争-(10)

「ペスト」を読んでみると、以前に書いた「革命か反抗か」(1)〜(9)は全部解釈が間違っていたようだ。
未だに批判の元となった「反抗的人間」は読んでいないのだが、「ペスト」を元に再批評してみる。

歴史群像1996年12月号 学研

p.94『海賊共和国リベルタリア
フランス出身のミッソンは海賊らしからぬ海賊で、理神論を奉じる共和主義者だった。彼の一味はマストに「自由」と記した白旗を掲げ、海賊稼業に勤しむ。猟場はアンティル諸島と西アフリカ沿岸。ミッソンは襲った船の上で国家権力に対する反逆を訴え、自由・平等・博愛を説いた。金銭は専らユートピア建設のためにのみ収奪し、船も略奪が済むと返却する。彼らはやがて、マダガスカル東岸に海賊共和国リベルタリア(自由の国)を建国し、堅固な堡塁を築いた。国事は会議によって決し、それぞれの長は互選により選出される。捕獲品は共有財産で、規約に従って全住民に分配する。リベルタリアは発展も急なら破滅も急だった。先住民に襲われ、住民が皆殺しになったのである。ミッソンのリベルタリア共和国は、反国家的・無政府的な海賊の究極の理想郷であろう。その国制も法制も「海賊の掟」が基礎にあった』

カミュ「革命か反抗か -カミュ・サルトル論争-」 新潮文庫

p.28『コミューヌを押しつぶした権力(そこでコミューヌの恐るべき成功を不首尾なものにしたが)マダガスカルの反乱を失敗させた権力(このためにそこの奴隷たちが将来主人になるという恐ろしい運命が断ち切られたのではないか?)』

『マダガスカルの反乱』とはリベルタリアの事だろう。
『このため』というのは、皆殺しにされた事だろう。
カミュは、パリコミューンとリベルタリアに好感を持っていたようである。(あとアナルコサンディカリスムにも)
両方ともフランス人によって反国家的に自由を標榜するユートピアを実現する事を目指していた。
破滅が急だったのも共通しており、その原因も考えるべきだろう。
世界常識である権力主義を放置したままで、それに反する社会の実現を急進的に目指したところに失敗の原因があると思われる。
先ずは、理論とその有効性の社会への浸透が必要である。
有効性というのは、既存の方法ではこの先、やって行けない事の認識である。

p.30『奴隷の反抗は、自己の転落にたいして立ち上がるときでさえ、「共存」を根拠としている』

「ペスト」からすると、『共存』は、実存主義者と権力主義者の共存だろう。
となると、『奴隷』は、実存主義者の事となる。
しかし、「ペスト」の共存は、権力主義者に対し、実存主義の市民権を認めさせようとしないから、偽りの共存である。
あれでは、権力主義者は実存主義者の存在すら気付かない。
カミュが、あの本で目指したのは、実存主義の存在を権力主義者に教えずに、「あれ?俺の横にちょこんと座っているのは何者だ?」と権力主義者に思わせる形態の共存である。
正体がばれたら酷い目に遭う。
この方法は、日本の右翼団体と同じである。
カミュが、殺人をしない事を共通の目的とすることで共存を実現しようとしたのに対し、右翼団体は天皇崇拝と外国人排斥による共存を目指したのである。
そのため、カミュが日本に来たら、右翼団員になったかもしれない。
昨今の世界的な右傾化も同じだろう。
国または自分の外部に仮想敵を作り、皆と一緒に自分もそれを攻撃する事で、保身を狙ったのである。
もちろん、攻撃対象には何の落ち度もないわけであり、卑怯な上に残忍な行為である。
暴力団や右翼団体はカミュ同様、一般人、すなわち権力主義者(保守主義者)の思考パターンがあまり理解できていない人々である。
保守主義が最も権力主義に忠実であり、右翼は権力主義と儒教の混合物である。
権力主義者は、その国の文化にあらゆる国民を集団の力で従わせようとし、自分が属する集団よりも敵の集団の方が圧倒的に強い事が判明するか敗北したら即座に寝返るものである。
また、権力至上主義であるため、大きな集団を作りたがるものである。
政官財が集ってできた統制派や自民党は保守主義であり、天皇崇拝の皇道派や右翼団体は右翼である。
権力主義は、互いの利益を向上させる事で集団を作るのが分かるだろう。
全人類の利益を向上させるような真っ当な目的では集団は構成できないのである。
それでは、博愛主義(実存主義)になるからである。
資本主義にも共産主義にも既得権の岩盤規制がある事からもこれは明白である。
皇道派の首領とされる荒木・真崎両大将が、文相や教育総監の天皇崇拝教育担当として統制派の支配下に入ったように右翼では保守主義には絶対に勝てない。
純粋な権力主義は、中半よりも常に強いからである。
これらの傾向そのものもその国の文化である。
しかし、暴力団は、文化に従わずに儒教に従うから、どんなに敵が強くても寝返る事はない。
その辺りが一般人と暴力団は違うのである。
一般人は国家や世間などの大きな権力には絶対服従だから個人としての意見や判断は皆無だが、自分が忠誠を誓う集団以外の集団や個人に対しては、殺人でも何でも平気でやるものである。
暴力団は、儒教的に堅気には手を出さないと言うが、実は国家や世間が怖いだけだろう。
一般人の忠誠度は、国家>地域社会>家族になるが、暴力団の場合は、最上位に組が、右翼団体の場合は、天皇が来る。
日経新聞に載っていたのだが、戦前の日本からブラジルなどへの移民は、日本が敗戦した事を認めなかったそうである。
右翼団体が天皇で団結するように、彼らは祖国が同じである事において団結していたからである。
彼らにとって祖国が弱い事は、団結の障害になったために認め得なかったのである。
権力主義者は個人的な思想や判断を持っていないから、実存主義者のようにたまたま意見が他人と合うという事すらない。
だから、皆と違う所や共通のものを探したり、文化や儒教を利用したりして、無理矢理団結し、集団の力で我が身を守ろうとするのである。
しかし、現状を見れば分かるように世界秩序は崩壊しつつあり、そんなやり方では人間は生きていけないのである。
しかし、権力主義者は実存主義者になるくらいなら全滅した方がましだと考えるものである。
俺は、誰も説得する気はなく、真の知識を紹介しているだけである。

p.30『神』

神を信じていないと言うカミュにとっての神は権力主義社会の事である。
その神に対する彼の立場は、奴隷かつ反抗者である。
彼が反抗者でありながら奴隷なのは、社会を実存主義に変革する意志がないからである。
そのため、彼は反抗しながらも共存を目指す。

p.31『「子供の死は、完全な社会でも、必ず不当である」』

ペストにも同様の事が書いてあったが、幼児といえども、自分が巨大集団に属している事を知り、弱者を攻撃しても危害を受ける事がない事を知った上で攻撃するのであれば、大人と子供の区別などない。
最近でも、シリアにおいて子供が化学兵器で殺されたり、中央アフリカで子供の兵士が殺されたりした事件がニュースになったりするが、たとえ子供といえども他人の命を奪うような事をすれば、大人と変わらない。
実際、幼児でも自分の立場を理解した上で誰に対してでも殺人的残虐行為をするものであり、子供を特別扱いする社会の風潮には賛同できない。
世間は子供は何も知らないから無実だと主張するが、子供といえども何でも知っているのである。
カミュは、そういう社会風潮を逆手に取ったのである。
カミュ以外にも権力主義者が子供を特別扱いすることに疑問を持つ実存主義者は多くいる。
芥川龍之介は、子供は嘘をつかないからだと言い、太宰治は「桜桃」で子供だけ優遇するなと言っている。

p.31『そうとすれば「反抗的人間」は、ただシーシュポスの反抗が最初の純粋さを失ったことを教えるだけだ。シーシュポスの反抗が危うくなり、利害にとらわれるようになったわけである。なぜなら人間的な没理性の別の一形式に襲いかかるために不条理との誇らかな対話を、一時中断することを承諾したことになるからである』

「ペスト」は、『人間的な没理性の一形式』である人間の死と戦うために権力主義への反抗を『一時中断』し、権力主義社会への恐怖によって『シーシュポスの反抗が危うくな』ったカミュが権力主義者との共存を画策するという『利害にとらわれ』た作品である。
ひたすら反抗するだけだったシーシュポスは、反抗を抑えて、共存の道を模索し始めたのである。

p.32『悪を歴史のなかに、善を歴史のそとにおき』

これは仕方がない。
社会が権力主義である以上は、実存主義は社会の外にしかない。
仏教もキリスト教も社会の外にある。
しかし、共存を模索するカミュの善は、大声から小声に変化している。

p.32『反抗が、かなり根源的に、歴史の拒否になることを、どうして否定できるだろうか?』

そうとも。本来、反抗は社会の否定である。

p.32『ヘーゲルが「心情の法則」と呼んでおり、「普遍」の現実化において、個々の意識として、直接的に目的とすることを要求する意識の形態を、ここにまざまざと見る思いがする。「心情にたいして、一つの実際的現実が対立する」が、その現実とは一方では「個人を圧迫する法則であり、世界の秩序であり、束縛と暴力の秩序」であり、他方では「心情の法則に従わず、外的必然に従う人類である」』

『心情の法則』は実存主義の事だろう。
『個人を圧迫する法則であり、世界の秩序であり、束縛と暴力の秩序』は権力主義の事で『心情の法則に従わず、外的必然に従う人類』は権力主義者の事だろう。
この場合、『外的必然』は権力主義社会になる。
実存主義者に権力主義とそれに従う世間が対立するという意味である。
天罰を知る実存主義者にとっては、外的必然は外的偶然であり、従うに及ばない。
もし、外的必然であるならば、戊辰戦争から太平洋戦争までに出た膨大な数の死傷者も必然だったと認めなくてはならないからである。
それは未来永劫、この悲劇が何度も繰り返される事を意味する。




◎ 2014年3月7日 (金) 革命か反抗か -カミュ・サルトル論争-(11)

カミュ「革命か反抗か -カミュ・サルトル論争-」 新潮文庫

p.33『意識は、自己と強制的秩序のあいだに矛盾があるとしたが、今後は、自己の内部で、この矛盾を「自己の内的堕落」として、自己とは本質的に異質のものとして、狂気として、生きなければならない。そこで意識は、この堕落を自己の外に投げ出し、「他者」としてながめ、表示しようとつとめる。そのとき意識は、「普遍の秩序を、心情の法則とその至福の堕落として非難する。狂信的な僧侶と大臣の助けを受けた腐敗した暴君たちは、辱めたり、圧迫したりして、彼ら自身の屈辱を償おうとして、このような堕落をでっちあげ、欺かれた人類の、名状しがたい不幸に馴れさせてしまった」』

意識は、自己の実存主義と社会の権力主義が相容れないと気付くのだが、社会の変革が不可能であると考えれば、今後は社会の異邦人として生きなければならない。
しかし、意識は、開き直って、実存主義が正しく、社会(普遍の秩序)が間違っているのだと非難し、辱めたり、圧迫したりして、人類にその不幸が正しいことだと思わせたという意味である。
『辱めたり、圧迫したり』や『不幸』が、何のことだか分からないと思われるかもしれないが、ジャンソンによれば、『狂信的な僧侶』が革命家で『腐敗した暴君』が共産党指導者であり、彼らがそうすることで世間に共産主義の正しさを認めさせたという意味らしい。
ここで、カミュの不正に気付くだろう。
途中まで実存主義者の事を書きながら、その後は共産主義者に意味を取り替えているのである。
p.86においてサルトルは、この手法を合金法(アマルガム)と呼んでいる。
カミュは「ペスト」から、こういうペテンを平気で繰り返すようになってしまった。
実存主義と共産主義は根本的に別物である。

p.34『「現代はわれわれのものだ。どうしてこれが否定できようか?われわれの歴史が地獄だとしても、顔をそむけることはできない。この恐怖を避けることはできない。むしろ受けいれて超克すべきである。ただし、恐怖をひき起こしたがゆえに、判断をくだす権利ができたと思いこんでいる人々によってではなく、明晰な精神をもって恐怖を体験した人々によって超克すべきである」だが、このような宣言は、人を安心させず、かえって不安にさせるのは、いったいいかなる魔術によるのだろうか?それは、じじつ、カミュが前に絶対悪にたいしてしめした態度にかなり似た態度を、歴史にたいしても指示していることがしだいにはっきりするからである。「歴史」は「不条理」の一変種であろうか?よろしい、そうとすれば「歴史」を維持したほうがいい。−つまり歴史が存在するというやりきれない考えをいだく・・・だが、それに働きかけることはいっさい断る。「むろん、反抗者は周囲の歴史を否定しない。歴史のなかで自己を確立させようとする。だが、芸術家が現実にたいするように、反抗者は歴史を前にして、逃げようとはせず、それを押しのけるのだ」』

カミュは、天罰を否定するから、社会変革は人間が行うと考えている。
ただし、恐怖を与える側の権力主義者ではなく、理性的な実存主義者によってであると言っている。
これは、「ペスト」において、実存主義者と権力主義者の連帯を訴えていたのとは異なる意見である。
カミュは、権力主義社会への恐怖を克服し、袂を分かつことにしたようだ。
しかし、この宣言は、実存主義をほとんど理解できていないジャンソンに不安を与える事になった。
歴史の超克が、実存主義社会実現の事だったからである。
権力主義者を置き去りにして、どんな社会を実現するつもりなのか想像がつかなかったのだろう。
「歴史」は「不条理」の一変種ではなく、「歴史」は権力主義社会の事であり、「不条理」は権力主義の事である。
p.52『歴史を自足している完全なものと考えようとすれば、現実から遠ざかる』とあるから、厳密には、「歴史」は、過去から現在に至る社会構造の事であり、「現実」は、現在から未来に至る社会構造の事である。
その「歴史」が権力主義社会なのである。
ジャンソンには、「歴史」と「現実」の区別がついていないから、両者を問題ある社会の現状くらいの意味に考えているのだろう。
カミュの実存主義社会実現の仕方は、変革ではなく、権力による暴力や強制をただ止めさせるだけである。
つまり、「ペスト」に逆戻りして、権力主義社会は、そのままに、暴力だけ実存主義者が拒絶する状況を想定しているようだ。
確かにジャンソンの言うとおり、状況次第では、そんな事ができるはずがない。
カミュの主張を実現するには、そういう事態にならないような仕組みが実現している必要があるが、彼には具体案がない。
あるのはせいぜい、アナルコサンディカリスムくらいのものだが、これではあまりにも心許ない。
実存主義者には、天罰は下らないから、権力主義者は実存主義者になれば良い。
社会の全体像も必要になるから、イデオロギーを考えなくてはならない。
個人としての生き方である実存主義を最大限に活かすイデオロギーを考えれば良い。
具体的には既に説明済みである。
カミュの希望は、権力主義社会を徐々に変革してアナルコサンディカリスムのような実存主義社会に移行する事だが、権力主義社会はそのままに殺人だけを拒絶するという反動主義も、いざという時(国家全体と敵対した時)の逃げ道として捨て切れずにいるといったところだろう。
p.52『僕の本は歴史を否定しているのではなくて、ただ、歴史を絶対視しようとする態度を批判するということである』とあるから、脱権力主義、あるいは権力主義と実存主義の共存の可能性を確保する事が「反抗的人間」の目的だったらしい。
ただし、権力主義がまるで分かっていないカミュは、それらの実現の可能性がどのくらいあるのかも分かっていない。

p.35『カミュは本当に、世界におけるすべての企てを拒否して、「世界の動き」をなくすことを希望しているのだろうか。彼はスターリン主義が(それに実存主義も)完全に歴史のとりこになっていたと非難する。だが彼らは彼以上に歴史にとらわれているのではなく、ただ別の仕方でとらわれているのにすぎない。だから彼らの歴史的行為には歴史を超越する原理がまったくないと考えるのは矛盾している』

『世界の動き』とは、権力主義による社会現象、具体的には暴力などの事であり、『歴史を超越する原理』とは、権力主義を消滅させる仕組みの事である。
しかし、ジャンソンは、『世界の動き』を資本主義の引き起こす悲劇、『歴史を超越する原理』をそれらの悲劇を解決するための仕組みの事だと勘違いしている。
この文章では、スターリン主義と実存主義がまるで同じ物であるかのように勘違いしそうだが、カミュは、この論文への反論で、スターリン主義は歴史のとりこだが、実存主義はそうではないとしている。
ジャンソンは、実存主義と権力主義では『歴史を超越する原理』が異なっている事には気付いているようである。
『矛盾している』は「間違っている」の言い間違いだろう。

p.36『「世界の動き」は、われわれの牢獄であり、作品でもある』

これまでは『世界の動き』は社会現象を意味したが、ここでは、社会構造をさす。
間違った社会構造は牢獄みたいなものだが、それは人間の手によって変革可能だという意味である。

p.36『われわれは歴史をたえずつくるが、歴史もまたわれわれをつくる』

人間は社会をつくるが、社会の不正に気付かない場合は、人間もその不正を正しい事だと思い込んでしまうという意味である。

p.37『警察で拷問されるマダガスカル島人』

『マダガスカルの反乱』は、リベルタリアの事ではなく、当時フランス領だったマダガスカルの原住民によるフランス政府への反乱の事かもしれない。
しかし、その場合、フランス人は祖国に戻れば良いわけだから、反乱が成功しても立場が逆転する事はないはずである。

p.171『サルトルのいつも変わらぬ伴侶であるボーヴォワールは、その回想録「事物の力」のなかでつぎのように述べている。「カミュは観念論者、モラリスト、反共産主義者だった。彼は一時、歴史に譲歩せざるをえなかったが、一刻も早くそこから抜け出そうとしていた。彼は人間の不幸に敏感でありながら、その不幸を自然の罪だとしていた。サルトルは1940年以来、観念論を拒否し、未に染み付いた個人主義から抜け出して歴史を生きようと努力してきた」』

ここで、『歴史』と『自然』は、権力主義社会の事であり、『観念論』は、主観的観念論の事であり、『不幸』は、権力主義が人間にもたらす悲劇、すなわち、不条理の事である。
カミュが、『歴史に譲歩せざるをえなかった』のは「ペスト」においてであり、権力主義と実存主義の連帯を目指していたが、「反抗的人間」においては、そこから抜け出し、権力主義を否定し、徐々に実存主義へと社会を変革していくことを主張した。
サルトルは、実存主義者から権力主義者になるために、権力主義の一形態である共産主義者になろうとしたのだが、最終的には失敗する。
原因は、権力主義が個人的な意見を全面的に否定する事を彼が知らなかったからである。
実存主義の基本は、「酷い目に遭わされて嬉しい人はいない」であり、次が、「自分の意見を持つ」である。
この2つの意見に賛同する人間が実存主義者であり、集団暴力を最優先にすると、これらの意見は全面的に否定せざるを得ず権力主義者になる。
権力主義者にとって人生とは不断の権力闘争であり、権力闘争が他者への攻撃である以上は、平和主義など返上しなくてはならないし、弱者と見れば酷い目に遭わせてやらなくてはならないからである。
より強い集団が現れると、その集団の主義などお構いなしに味方を裏切って追従しなくてはならないし、自分が属する集団に睨まれると酷い目に遭わされるから何でも言う事には従わなくてはならない。
権力主義者には、何処にも自分の意見を持てる余地などないのである。
しかし、それでは山賊と同じで社会秩序の維持などできやしないと考える人がいるなら、それは正解である。
現に、世界各国は戦争ばかりしている。
権力主義は、世界共通の文化であるため、何処の国でも保守主義者は必ず権力主義者である。




◎ 2014年3月17日 (月) 戦国史

「戦国史」というシミュレーションゲームは、権力主義に忠実である。
コンピュータが担当する国々は、隣接する国々の中で最も勢力のある国としか同盟を結ばない。
また、より勢力の大きい国が隣接したら、すぐに寝返る。
残念なのは、最後に三つ国が残った時に、最も勢力の小さな国が二番目の国ではなく、一番大きい国と同盟を結んでしまう事である。
三番目は二番目と組むのが最も全国制覇の可能性が高い。
スーダン内戦においても二番目と三番目が手を結んで一番と戦い、独立後、二番目と三番目が争っている。
学校においても、教師はクラスの勢力図に注視し、最も勢力のあるグループに肩入れすることが多い。
そのため、教師がイジメに加担するのも珍しくないのである。
教師にも権力主義者と実存主義者がいるのである。
権力主義では、寝返るタイミングが重要である。
例えば、太平洋戦争後、GHQが日本を占領してから、日本国民はマッカーサー元帥に寝返った。
敗戦前日までは、天皇(実質的には国軍)に忠誠を誓っていたのである。
そのマッカーサーが米国で降格されてしまうと日本国民は彼に日本人は12歳の子供じゃないと文句を言い出した。
彼が最高権力者でない事が分かったからである。(日経新聞記事より)
もし、寝返りのタイミングを間違えたら、裏切り者として制裁を受ける事になる。
戦国史は、そのタイミングを学ぶ教材として打って付けである。
ただし、上手く寝返っても主君を裏切る奴は信用できんと寝返り先に殺される事もあるから運次第である。
毛利家は危うく寝返り先の東軍にお家断絶にされかけたし、赤報隊も官軍に殺されてしまった。




◎ 2014年3月18日 (火) 訪問介護

法律で介護料金を払っているのに、自分一人のために掃除や洗濯をしてもらうのは不経済だという理由で訪問介護を断る人々がいると新聞にあった。
米国では、国民皆健康保険の議論があったが、日本にも同じ問題があるというわけである。
対策としてコンパクトシティ構想があるのだが、障害者や老人の多くは一箇所に集められるのを嫌がっているそうである。
逆向きの対策としては、訪問介護を断る人々には介護料金の強制徴収を取りやめることもできるのではないか。
まとめて扱えば安くなるようなイメージがあるが、老人ホームは逆に高くつく。




◎ 2014年3月18日 (火) 革命か反抗か -カミュ・サルトル論争-(12)

カミュ「革命か反抗か -カミュ・サルトル論争-」 新潮文庫

p.53『僕の真の主題、すなわち歴史のための歴史への奉仕はニヒリズムになるという主題と対決したことだろう。そしてその場合、彼は歴史はそれだけで、単なる力の価値ではない諸価値をもたらしうるとか、あるいは、人はいかなる価値にもたよらずに歴史のなかで行動しうるとかを証明しようと試みるかもしれない。〜すくなくともこの証明を試みることは、僕たちすべてを啓発したであろうし、じつを言うと、僕は君にそれを期待していたのだ。』

ここで、カミュは「反抗的人間」が共産主義者サルトルに向けて書かれたものであることを明かす。
彼は、サルトルを仲間に引き入れるために書いたのである。
権力主義社会が必然と認める場合、その人は無力感に囚われ反動主義者のようになるというテーマに対して、カミュは、サルトルが、権力主義には力ずくで強制させるだけでなく、他にも有意義な価値があるとか、あるいは、権力主義者でなくても権力主義社会で生きていけることを証明するという反論を期待したのである。

p.54『「実存主義もまたいまのところ、歴史主義とその矛盾にしたがって」いると書いたのだ。君の論文のいたるところでやっているように、ここでも「歴史主義」を「歴史」で置き換えている。これはこの本を反対のものにし、著者を頑迷な観念論者とするのに十分である』

歴史主義・・・一切を歴史的見地に立って理解しようとする立場
保守主義・・・現状維持を目的とし、伝統・歴史・慣習・社会組織を固守する主義
革新主義・・・20世紀初めのアメリカにおいて、政治の革新と経済への政府干渉の必要とを説くなど、経済発展に伴う混乱の中で秩序を回復しようとした多様な主張およびその運動の総称
自由主義・・・近代資本主義の成立とともに、17〜18世紀に現れた思想および運動。封建制・専制政治に反対し、経済上では企業の自由を始め、すべての経済活動に対する国家の干渉を排し、政治上は政府の交替を含む自由な議会制度を主張。個人の思想・言論の自由、信教の自由を擁護するものであり、イギリス・フランス・アメリカにおける革命の原動力となった

『歴史主義』とは、ここでは権力主義のことである。
つまり、カミュは権力主義社会を必然とは認めていないのである。
また、『観念論者』は、ここでは反動主義者という意味で使われているため、実存主義社会への変革の色調が強い。
ただし、我が身の安全のために、殺人に反対するだけという態度も保留しているだろう。
カミュは、本来の歴史主義を保守主義と解釈しているようだ。
事実として人類の歴史は権力主義社会だったため、保守主義は権力主義と同義になる。
そのため、実存主義者の視点からは、保守主義に対立する革新主義は共産主義ではなく、実存主義である。
厄介なのは米国の思想であり、彼の国の保守主義は自由主義を標榜するが、現実には権力主義なのである。
そのため、彼の国の自由主義は共産主義に比べれば幾分増し程度でほとんど機能していない。
しかも、対立する革新主義政党は、実質的に共産主義に近いにも拘らず、リベラル(自由主義者)を自称する。
これは、政権交代程度の意味でしかない。
『個人の思想・言論の自由、信教の自由を擁護する』意味での自由主義は、実質的に実存主義のみが実現可能である。

p.58『三つの兆候』

1.反マルキシズムは右翼である
2.マルキシズムにおいては、観念論は反動主義である
3.カミュの方向性であるバクーニン主義や革命的組合主義が無視された
カミュはジャンソンの論文には、以上三つの兆候があり、サルトルやジャンソンはマルキシストではないにしても、マルキシズムを信奉しているとする。
カミュは、そのマルキシズムは、実存主義同様、観念論であるとし、また、彼らがマルキシズムを支持する以上は、そのマルキシズムを「反抗的人間」で批判されているのだから、彼らはマルキシズムについて議論すべきだが、全くしていないと主張する。

p.59『上部構造』『下部構造』

『上部構造』は、イデオロギーや思想の事であり、『下部構造』は、現実の事である。

p.59『二つの混乱の兆候』

1.マルキシズムについて何も触れていない
2.社会主義における現実上の問題点にも全く触れていない
以上より、カミュは、ジャンソン達がマルキシズムを公然の政策としていないとする。
つまり、彼らは暴力革命の肯定しかしておらず、社会主義が社会問題を解決できる根拠を持っていないから、革命後には悲惨な結果が待っているかもしれないとカミュは言っているのである。

p.62『君の論文はある主義に同意しながら、それにともなう政策については、口をつぐんでいるようだ』

ある主義とは、共産主義であり、それにともなう政策とは、強制収容所の事である。

p.64『もし歴史の予見しうる目的という観念を認めたならば、彼の表明している実存主義が、根底からあやうくなってしまうからであろう』

ジャンソンが実存主義を表明する事はありえない。
彼は、実存主義が理解できていないからである。
しかし、彼は自己の思想を少しだけ持っているから、権力主義に近い中半者である。
彼の思想は、戦時などの緊急時には完全に沈黙するだろう。
権力主義の意義を認めると『根底から危うく』なるというのは、社会から一切の個人的思想を破棄することを強制されることをさす。
権力主義の意義を認めると危険というよりはむしろ、権力主義に意義があるなら、実存主義者も中半者も存在しないだろう。

p.65『じじつ、彼は反抗の味方である。彼の哲学が彼に教える条件のもとでは、どうしてそうならないことがあろうか?だが、彼は、もっとも専制的な歴史的形態の反抗にひかれている。いまのところ、哲学がその野蛮な独立に、形式も名前もあたえていない以上、そうするより仕方がないのではないか?反抗しようにも、君達が否定している人間性の名によってすることはできない。だから理論上彼は、全体として意味を持った歴史という条件で、歴史の名によって反抗する。なぜなら人はなにものの名にもよらずに反逆することはできないからである。だがそのとき、唯一の理由、唯一の規則である歴史は、神格化されてしまい、この神の司祭であり、教会であると主張する人達を前にして、反抗を放棄することになる。それはまた、自由と実存的冒険の否定になる』

カミュは、ジャンソンは『反抗の味方』だとする。
ただし、彼の反抗は『もっとも専制的な歴史的形態』である革命主義を掲げた反抗であるとする。
いまのところ、哲学が形式も名前もあたえていないその野蛮な独立とは、革命主義の事である。
革命主義とは、権力主義社会のルールである権力闘争にのっとれば、暴力革命以外に社会変革の可能性はないとする考え方である。
民主主義においては、多数派に有利な社会構造になるから、少数派は暴力革命以外に打開の道はないという意味である。
ただし、現在では、準暴力革命的な反政府デモがある。
『人間性』とは、歴史主義と同じで権力主義の事である。
サルトルやジャンソンは、実存主義を表明しているから、権力主義を掲げる事はできず、権力主義社会を掲げて反抗する。
人は、何らかの思想に依らなければ、反抗できないからである。
しかし、そのとき、権力主義社会が神格化され、この神の司祭であり、教会であると主張する保守主義者や権力主義者たちに対し、反抗を放棄するはめになる。
しかし、この放棄は、自由と実存主義の否定になるとする。
しかし、サルトルやジャンソンの反抗は、実存主義による反抗ではなく、革命主義による反抗だとカミュ自身が指摘しているから、実存主義は関係ない。
また、革命主義は、権力主義だから、権力主義社会のルールに沿っており、保守主義者とは互角だから、反抗を放棄するはめにはならない。