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◎ 2013年3月19日 (火) 今後の国家形態

日経新聞(3/9)
『中国・ウイグルで漢民族殺害
中国新疆ウイグル自治区政府は8日、コルラ市の繁華街で7日午後3時にウイグル族が漢民族を襲って4人が死亡し、負傷者も出る事件が起きたと明らかにした。〜中国石油天然気集団(CNPC)で働く漢民族の富裕層が高級住宅街に住み高級車を乗り回す一方、ウイグル族の大半は石油業に就けずに所得は低迷。「ウイグル族が持っていた石油資源を漢民族が奪っている」との不満がたまっていた。新疆でウイグル族の独立運動が顕在化するのは1990年ごろから。ソ連崩壊で民族意識が高まったほか、中国政府による油田開発や漢民族の大量移民による農地開発で、土地を追われるウイグル族が続出していた』

近年、アフリカでは民族紛争により、独立国家や連邦制共和国の誕生が相次いだ。
また、1990年代のユーゴ内戦も民族紛争に起因する独立問題だったし、91年のソ連邦解体時には多くの共和国が独立した。
「2013年3月10日 (日) 民主主義の問題点」に書いたが、民主主義は集団と集団の権力闘争によって運営される。
そのため、異なる民族が同一国家で生活する場合、法律・行政的に優遇される民族と冷遇される民族が発生する事になる。
冷遇された民族は、その不公平を無くすために、自分達だけの独立国家建設を考えるようになるのである。
しかし、独立されると国内経済規模が縮小され、利権が小さくなるため、支配民族は独立を阻むのである。
国名にも使われている中華という語の意味は、国内のどの民族よりも漢民族は優れており、支配者としての立場にあるというものである。
日本人や韓国の漢民族、ベトナム人なども自国の民族は周辺国より優れていると考えている。

独立したければ独立させてやれば良いと考えると、国家規模が小さくなるため、その国の経済規模も小さくなる。
経済規模が小さくなれば、経済競争力も弱まるから、貿易収支や財政の悪化を招く事になる。
グローバル経済においては、大国と小国が直接経済戦争をする事になるから、極めて不利である。
ボクシングに例えるなら、スーパーヘビー級とモスキート級の選手が対戦するようなものである。
この事は、近年の南欧諸国の国債・財政危機からも明白である。

この国家間経済競争力格差の是正には、方法が3つ考えられる。
1つ目は、世界最大経済国であるアメリカと同じくらいの人口と国土を持つ連邦国家を構築する事である。
この場合、少数民族が冷遇される事になるから、各民族が同数の国会議員を出す国連形式の政治形態になるだろう。
また、独立問題でいつか揉める事が予測されるため、連邦国家設立時に、独立するためのガイドライン作りが必要となる。
2つ目は、連邦国家を形成せずに自由貿易を止めて、ボクシングと同じように自国と同じくらいの国とだけ貿易を行う仕組みにする事である。
現在のWTOの仕組みでは、これは認められていないから、WTOを根本的に変革する必要がある。
WTO加盟国は多いが必ずしもその仕組みに賛同が得られている訳ではない。
加盟する理由は、加盟しないと貿易相手国を探すのに事欠くからである。加盟すれば、総ての加盟国と交易できる。
日本においては、中央集権制度による弊害として経済発展が望めないという議論がある。
その打開策として道州制導入が提唱されている。
国内を10個ほどの州に分割し、徹底した地方分権を行うというものである。
この場合、各州に貿易相手国を選ぶ権限と関税自主権があれば、同じくらいの経済国とだけ貿易をする仕組みとの併用は相性が良い。
これは、国内経済硬直化を改善するための中央集権と地方分権の相互変換に都合が良い。
3つ目は、世界的な仕組みはそのままで、国内だけで貿易収支の均衡を図る方法である。
具体的には、輸入品を国内生産に切り替えたり、現在最も世界で売れている物を輸出したりする事である。
しかし、国内生産に切り替えると生産効率が下がるため、他国よりも質の劣る品物を高い値段で購入しなくてはならなくなる。
また、輸出品の競争力を上げるための技術革新も容易ではない。
3つの中では、最も非現実的に思われる。

最初の2つの方法は、貿易障壁が小さくて済むから、企業の自由競争の妨げにはならない。
企業は自由競争を妨げられると社内モラルの低下を招く恐れが強まる。
社員に利潤追求という目的を与える事でモラル維持が可能となるという意見があるからである。
恐らく、会社の安定が法的に約束されるなら、後は社内での生き残り競争(足の引っ張り合い)だけしていれば良い事になるからだろう。
連邦国家を形成しない場合は、自国で十分な国防体制を構築できないから、多少不安が残るのは否めない。
外交で対応するから問題ないとすることもできるが、シリアでは7万人も死者が出ているにも拘らず、世界各国は動かずにいる。逆にイラクは大量破壊兵器を持っていなかったにも拘らず酷い目にあった。過度に外国の良心に期待するのは甘いかもしれない。
しかし、ユーゴにしてもロシアにしても連邦国家の民族紛争が、えげつないのも事実である。
3つの方法は、どれも机上の空論でしかないから、実現の段階では予期しない様々な問題が発生する恐れがある。
もちろん、実現に当たっては、よく議論するに越した事はない。
方法よりも、民族紛争や財政問題の原因や民主主義の弊害などの知識の方が重要である。
あと、実存社会は民主主義の弊害を補完するものであり、どんな社会とも併用可能である。

こんな事が考えられるのは、共産主義の失敗があればこそである。
共産主義の失敗を見なかったら、俺は共産主義の実現のみを主張していただろう。
最も良い方法を真っ先に実現するのが当然だからである。
カミュが共産主義を否定したのは、当時既に共産主義の弊害が表面化していたからである。




◎ 2013年3月21日 (木) 無報酬

最近、稲盛氏の会社更生法を適用された日航会長就任や柳本氏の体罰のあった高校の監査役就任など無報酬の仕事が増えているようだが、どちらも原因は、立場ある人(民主党の前原議員や維新の会の橋下市長)から無理矢理お願いされて断ると世間から何を言われるか分かったものじゃないから仕方無しに無報酬なら引き受けるといったものだろう。
しかし、本来仕事は報酬があるものであり、無報酬の仕事は、社会のモラル破壊につながる恐れがある。
タダ働きを容認する風潮ができたら人権問題につながる。
どちらの仕事もまじめに引き受けると重労働であり、無報酬など本来ありえない。
原因は、無理強いされた事にあり、無報酬なら引き受けると相手から言われたら、断りの返事と捉えて潔く諦めるべきである。
その結果、仕事が上手くいかなくても仕方がない。
結果よりも過程を重視すべき事もある。
ただし、経営者や個人事業者のタダ働きを全面的に否定するつもりはない。
最初は損をして、後で取り返すというのが商売の基本だからである。
起業時から儲けのある仕事などほとんどないのである。




◎ 2013年3月21日 (木) 通信インフラ権益

「バトルテック」というSF小説に世界全体の通信インフラを管理運営する国際機関があって、大きな権力を持ち暗躍するという話がある。この小説で示されたのは知識は独占するものではなく開放されるべきものだという事である。しかし、小説全体に示されているのは、知識や財力の有用性ではなく、無効性である。そういう矛盾はあるが、矛盾があるのが小説である。
これを現代日本に置き換えるなら、プロバイダの新規参入を促すためにNTTの光ファイバー網を法人企業に移したが、その法人が大きな権益となって新たな問題になるという事になるだろう。
もし、NTTの光ファイバー網を公正を期するために中立組織に運営させる事になるとしても、こうした問題を回避するための仕組みを議論する必要があるだろう。
これは、電力業界の発送電分離方式にも当てはまるに違いない。
考え方としては、インフラ運営組織が、プロバイダや電力会社に対し、優位ではなく対等な立場であれば良いのである。
そうすると法人ではなく株式会社であるには違いないだろう。
更に踏み込んだ議論も可能に違いない。
無理して急ぐ必要はないが、早いに越した事はない。




◎ 2013年3月22日 (金) 尖閣諸島領有権問題(2)

日経新聞(3/20)
『尖閣日米で防衛計画
〜中国に挑発行為をエスカレートさせないための抑止力を狙う。〜
今年一月中国海軍艦船が海上自衛隊護衛艦へ火器管制レーダーを照射したことが発覚したのを機に、日米双方で日中の偶発的衝突への懸念が増幅』

防衛計画を練り直す事は大した事ではないから、何も言うつもりはないが、中国が尖閣諸島に警備のための巡視船を運航させるのは、中国が尖閣諸島は自国の領土だとしているからで挑発行為には該当しない。
また、レーダー照射については、中国政府はそんな事実は存在しないと既に声明を出しており、中国の国家戦略としての危機には発展しない。
偶発的衝突への懸念であれば、偶発事故であり、戦争突入へは国際法と外交で回避可能である。
それよりも、細かい事を大げさに騒ぎ立て、戦争の取っ掛かりを作ろうとする日本政府の姿勢が明治政府に酷似しているのが懸念される。
日米による中国への挑発行為は明白であり、中国は決してそれに乗せられないようにすべきである。
中国は巡視船警備への日本の妨害を懸念しており、日本も中国も相手国の巡視船警備の妨害をしないように気をつけるべきである。




◎ 2013年3月25日 (月) 資源国の産業が育たない理由

先ず、予備知識として、変動相場制は、自由競争の下では競争力の高い国の通貨は高くなり、低い国の通貨は低くなるから、国家間の貿易において、特に為替を操作しなくても競争力の低い国が損をすることはないという考え方が基本になっている。以下では、この考え方が持つ欠陥の1つを示すことになる。固定相場制でも同じである。

日経新聞「3/13」
『巨額の富をもたらす資源には「呪縛」がある。資源マネーが物価と通貨の上昇を招き、製造業や農業の競争力が低下。高成長でも雇用が増えず、貧富の差が拡大する一方で汚職がまん延し、社会が不安定になるという悪循環だ。ナイジェリアやアンゴラなど産油国ではこうした傾向が鮮明になった。』

『資源収入をうまく管理した例はアフリカにもある。ダイヤ産出国のボツワナだ。ダイヤ産業からの収入を貯蓄する基金を創設。資金の使い道の透明性を確保したうえで、インフレや通貨高を抑えた。』

資源を入手したり、採掘プラントを建設したりするために、その国の通貨を世界中が入手しようとするため通貨高になる。
資源輸出によって一部に富豪が現れ、富を不動産や株や高級品の取得に回すため、これらの分野はインフレになる。
しかし、資源採掘には、あまり人手がかからないから、資源事業によって収入が増える人々は少数でしかない。
そのため、食料品や廉価な日用品などは、高級品ほどは値上がりしないと思われる。
また、通貨高によって輸入品が安くなるため、輸入が増大する一方、国内生産物は割高になり輸出が減り、国内に対しても国外に対しても産業競争力が失われる。
そのため、製造業や農業は倒産・廃業が増大する事になる。
富豪や外資は、富を法的に保護してもらうために政治家や役人に贈賄する。
国内産業は衰退し、貧富差が拡大するという構図のようである。

資源収入を貯蓄する基金というのは、実質的に共産主義の事だろう。
資源収入だけに共産主義を適用しているのである。
基金は、高校無償化などの公共財の充実に運用されるのだろう。
そう考えてみるとロシアのプーチン大統領と腹心による石油資源国有化策も同様のことを期待しているのかもしれない。

ユーロの統一通貨も同様の問題が発生している。
東西統一で競争力が増したドイツと元々競争力に乏しい南欧諸国との競争力格差が拡大し、ユーロの価値は、南欧諸国にとって割高になった。ユーロの価値は、各国競争力の平均値になっているからである。平均値になる理由は、統合によるメリットとデメリットが相殺され、各国の競争力だけが残るからだろう。
そのため、南欧諸国の産業競争力も同じ原理で失われたのかもしれない。
通貨を複数の国で統一する場合は、それらの国の間の経済競争力差ができるだけ小さい事が望ましい。
ユーロ諸国がお互いの経済競争力を均一化する政策をとらないと南欧諸国に見られる財政や国債の危機を招く事になる。

これらの事は、同じ通貨圏内の国家間または産業間で競争力差が大きいと競争力のない国家または産業が通貨高による損害を受けるという事を示している。
産業においても競争力のある企業はない企業に対して配慮する必要があるのではないか。
あるいは、国民全員が同じ産業に就職するかのどちらかだろう。
他には、研究開発は国内でやって、生産拠点は国外に置くなら、通貨高のハンデを回避できる。
しかし、そうなると農産物や工業製品の生産は資源国や技術国ではできなくなる。これでは、世界で農場や工場用地が確保できる地域が限定されている中では、もったいない。また、飢饉やサプライ・チェーンを考えるとリスクは分散されている事が望ましい。
自民党は農業交付金の拡大策を検討しているが、他の競争力に乏しい産業に対しても同様の措置をとらなくては不公平である。
自民党政権においては、弱小自治体と産業には交付金保護政策と公共事業で対応している。
ユーロ圏も連邦国家を形成するなら同様の措置がとれる。ただし、そうなると通貨統一のデメリットが消滅するため、ユーロ高になるだろう。

まとめると、競争力格差による同一通貨圏内通貨価値不公平の問題は、高競争力産業を共産主義化するか、弱小産業を交付金や公共事業で保護するか、生産拠点を国外に移すかのいずれかの方法で対処しているようである。

日本は太陽光発電よりは地熱発電の方が地域特性としては向いているだろうし、南国は太陽光発電が向いているだろう。日本は電力不足が問題となっているが、電力が安く供給できる地域で大量に電力を必要とする事業を行うようにするのが賢明だろう。日本は、北海道が将来的に電力供給が豊富な地域となりつつある。積雪や港の凍結が問題だが、それを除けば大量の電力を必要とする企業にとっては進出を検討する価値があるだろう。

日経新聞(3/24)
『韓国で自殺が急増し、深刻な社会問題になっている。人口10万人あたりの自殺者数は30人超と10年間で2倍以上になり、OECD加盟国中で最悪の水準だ。〜1997年のアジア通貨危機ではIMFに支援を要請する事態に追い込まれ、多くの企業が生き残りをかけて事業再編に取り組んだ。結果として経済は急回復し、一部の産業は日本を上回る競争力を身に付けた。この過程で「競争の論理が社会全体に広がった」〜』

韓国は、企業の合併により、ただでさえ大きい財閥が更に大きくなって、中小企業と財閥の競争力差が拡大した。
その結果、産油国と同じ現象が発生し、自殺者が急増したのだろう。
日本の自殺者数は、人口10万人あたり23人ほどである。他人事ではない。
企業再編はグローバリズムの潮流であり、韓国のみならず全世界共通の現象である。




◎ 2013年3月27日 (水) 「クラインの壷」は作れるか?

メービウスの帯・・・帯を1回ひねって、両端を張り合せて得られる図形。表裏がない曲面の例。ドイツの天文学者・数学者メービウス(A. F. M bius1790〜1868)の名に因む。

クラインの壺・・・(F.クラインの名に因む) 円筒の両端を逆の向きにつなげたもの。二つの「メービウスの帯」を境界に沿って張り合せても得られる。表裏がない曲面の例。クラインの管。

メービウスの帯は簡単に作れるのだが、クラインの壷はどうにも作れそうにない。
理由を考えてみたのだが、クラインの壷を作るには、筒の両端を片方だけ表裏逆にして張り合わせれば良いのだが、管の両端は当然、輪の形になっていて、表裏を逆にした輪を作るには例えばゴム管を考えた場合、輪を引き伸ばして管の側に引き上げれば良い。そうすると、輪は表裏逆となって管の周囲を囲む形になる。もう一方の端の輪の表裏はそのままにしなくてはならないから、管を取り囲む形の輪とそのままの輪を張り合わせなくてはならないのだが、管を取り囲んだ輪は内部の管を取り外す事はできないし、そのままの輪は管を取り囲む形にできないから、張り合わせるのが不可能なのである。もう1つの考え方として、輪を管の外側ではなく内側に通す方法が考えられるが、その場合は、管の一部に輪と同じ大きさの穴を開けなくてはならないが、それでは1つの閉じた立体とは呼べなくなる。
「現代用語の基礎知識」によれば、クラインの壷は、トポロジーの一種で、トポロジーとは物体の厚みや質量を考慮しないで数学的な点と線だけで考察する学問の事である。
ゴム管は物質で厚みを持っているから、できないのである。もちろん、紙や粘土など他の材質でも同様である。




◎ 2013年3月29日 (金) 経済用語の基礎知識

現代用語の基礎知識2000
現代用語の基礎知識2002 「この経済用語で基礎を固める」 吉本佳生
広辞苑
新聞

インフレは、消費者が通貨より物を欲しがるため、通貨価値が下がり、物価が上がる現象。
デフレは、消費者が物より通貨を欲しがるため、通貨価値が上がり、物価が下がる現象。
ただし、この通貨価値は物価に対するものであり、外国通貨に対するものではないため、為替相場には全く影響しない。
バブル経済は、銀行や保険業やヘッジファンドなどの投資家が株価や地価の将来の高騰を当て込み、投機を繰り返す事でインフレが過度に進行する現象で、いつかははじけて、株価や地価が大幅に下落し、不動産業などの倒産が不良債権を作って銀行や保険業などの保有資産が激減し、デフレ不況に至る。
過度のインフレはバブル経済につながるし、デフレは景気や就職率を低迷させるから、物価を調整して少しインフレな状態に保つ必要がある。
市場に出回る通貨量をマネーサプライと呼び、中央銀行は、マネーサプライの調節を行う事で物価を調整する。
インフレの場合はマネーサプライを減らし通貨価値を上げ物価を下げる。デフレの場合は、その逆にする。ただし、必ずしもマネーサプライと物価には明確な相関関係はなく、傾向が高まるだけである。例えば、デフレ下では、銀行や企業が豊富な資金を持て余すよりは、多くの庶民が持続的に定収入を得られるほうがインフレ圧力は高まるはずである。
中央銀行は、紙幣の発行も行うため、必要とあればいくらでも刷って供給できるが、為替相場で、その国の通貨安を引き起こす要因になり、輸出に有利になるから、外国政府から苦情を受ける場合もある。
中央銀行によるマネーサプライ調節方法には、資産買取と公定歩合操作と支払準備制度の3つがある。
中央銀行は、銀行から株式や債券や土地などの資産を買い取ることで、銀行に通貨を供給し、マネーサプライを調節する。
中央銀行が資産買取により、マネーサプライを増やすことを量的緩和と呼ぶ。
中央銀行は、銀行や政府とだけ取引を行い、企業とは取引しない。企業は銀行から資金を調達する。
資金を貸し出すときは通常、利子を取る。利子の元本に占める比率を利回りと呼ぶ。中央銀行が銀行に貸し出す場合の金利を公定歩合と呼ぶ。金利とは利子または利率の事である。
インフレになると中央銀行はマネーサプライを減少させるために貸し出しを抑えようとして、公定歩合を引き上げる。すると、銀行が企業などに貸し出す時の金利もそれに上乗せするから高くなる。また、インフレは通貨への需要が大きい状態だから、金利が高く設定される。よって、インフレは金利の上昇を招く。
デフレになると中央銀行はマネーサプライを増やすために貸し出しを増やそうとから公定歩合が引き下げられ、デフレ下では企業の設備投資も少ないため銀行への資金需要がなくなり、金利が低く設定される。
支払準備制度は、銀行資金の一部を中央銀行に抵当の名目で強制的に移させる事でマネーサプライの調節を行う。
量的緩和や公定歩合・支払い準備率引き下げを金融緩和と呼ぶ。
逆にする場合は、金融引き締めと呼ぶ。

マネーサプライは、金融機関以外の民間部門に流通している通貨の事であり、中央銀行は政府や銀行としか取引できないから、直接的にマネーサプライを左右するのは、中央銀行ではなく民間銀行である。
民間銀行間の通貨の貸し借りをコールと呼び、その時、発生する金利をコールレートと呼ぶ。
中央銀行は、コール市場に金融緩和・引き締めを行う事で、コールレートを調節する。
金融緩和を行うとコールレートが下がる。
手数料を差し引いたコールレートがゼロになるまで金融緩和を行う事をゼロ金利政策と呼ぶ。
以前なら、ここまでで中央銀行の役目は終わっていたのだが、現在は、マネーサプライを増やすために更に金融緩和を続ける試みがなされている。
それでもコールレートはマイナスにはならない。
民間市場の通貨量をマネーサプライと呼ぶのに対し、銀行(コール市場)の通貨量をマネタリーベースと呼んでいるようである。
中央銀行は、マネタリーベースを増減させる事でマネーサプライの調整を試みている。

国債は、政府発行の債券の事であり、例えば、1万円の国債が2%の利回りで発行されると利子は200円になるが、国債そのものは株式同様に市場での需要が大きいと値段が上がり、小さいと下がるが、200円という利子は変更されない。そのため、国債の値段が下がれば、相対的に利回りが上昇し、逆に上がれば下降する。

不況とは、需要の減少により供給過剰となり、在庫過多から生産調整が行われる状態の事で、デフレや失業率上昇を伴う事が多い。
生産調整とは、生産抑制のことである。
ただし、マネーサプライ増加が必ずインフレを引き起こすわけではないように、供給過剰が必ずデフレを引き起こすわけでもない。
例えば、法律によって利益が保障されている業界がいくつかある。
不況下で、インフレが発生している状態をスタグフレーションと呼ぶ。
通貨にしても物にしても流通量は、それらの価値を変動させる圧力は持つが、状況により効果はまちまちである。
デフレ・スパイラル対策として、インフレ率目標を設け、意図的にインフレを発生させるリフレ論がある。
日欧米などは、現在、年率2%のインフレ・ターゲットを設け、量的緩和を続けている。
インフレを高める要因には、他にも消費税や関税の増税や通貨安などがあるが、これらは、不況下では、スタグフレーション圧力になり、更なる不況を招く。

為替相場における通貨は、その国の貿易収支黒字が大きい場合や外国からの投資で資本が国内に流入する場合などにも上昇する。
道路や鉄道などのインフラが建設されるとその沿線の利便性が高まるため土地の需要が増え、地価が上昇する。
そのため、外国資本によってインフラが建設されるとその国の通貨と物価が上昇することになる。
ただし、需要のないインフラを建設しても維持費がかかるだけで、いずれ廃止や放置されることになる。
債務危機に陥った国は、通貨と株価と国債が暴落する。
戦争が危惧されたり、治安が悪化した国も経済が低迷するため通貨が下落する。
経済競争力があり、財政も安定し、平和な国ほど通貨と株価と国債が上がる。

空売り・・・証券取引・商品取引などで、所有していない株や商品を、買戻しによる差益を目的として売ること

株式投資は、株価が上がり始める時に買い、下落し始める直前に売るか、下落し始める直前に売り、底値の時に買うと儲けが大きい。そのため、投資家は、株価が上がる局面でも下がる局面でも金儲けができる。しかも、その時、他人から株を借りて空売りもするため、株価の乱高下が激しくなる。このように上昇局面や下降局面を使うと投機的に株で金儲けできるため、わざと株の上昇・下降局面を作る人々もいて、彼らを仕手と呼ぶ。もちろん、投資家は仕手ばかりではなく、上昇・下降局面を考えずに配当だけを目当てに株を買う人々もいる。バブル経済においては、株の投機的側面が大きい。

経常収支は、モノ輸出入である貿易収支、サービス輸出入であるサービス収支、対外金融資産の利子・配当や国外居住者所得である所得収支、国外援助などの経常移転収支の4つで構成される。
近年、日本企業は、海外に工場移転や投資などを行っているが、それらの工場の株式などは国内の本社や持株会社(ホールディング・カンパニー)や投資会社が保有しているため、配当などで所得収支が大幅な黒字となっている。そのため、貿易収支が赤字でも経常収支は黒字である。今や日本は投資立国である。




◎ 2013年3月29日 (金) 量的緩和後の経済動向

日欧米では、これまで、大規模な量的緩和が行われ、あるいはこれから行うとしており、それが、将来、通貨と国債の暴落を招く危険性についての議論がある。
考えられる理由として、1つは、中央銀行が大量の国債を買って、それが公共事業に使われ、国が債務危機に陥るのではないかということである。俺は公共事業を全面的に否定しているわけではないのだが、公共事業は鎮痛剤の役割で、要所要所で打つものであり、継続的に行うものではないと考えている。公共事業は共産主義の計画経済と同じで、それだけで景気が良くなるとは全く思えない。もう1つは、通貨はその国の経済が活性化する事で将来、その国の通貨の価値が上がる前提で買われているのだが、経済が活性化せず、マネーサプライ増加による通貨価値減少だけが見込まれる場合、売られる事になるだろう。財政問題による量的緩和は世界規模で行われており、市場には資金も溢れているから、今のところ、日本だけが危ないという状況ではない。ただし、潤沢になったマネーサプライの使い道が悪い。以下に正しい使い方を示す。

これまでも10年ほど量的緩和を続けてきたが、倒産件数を抑えるくらいしか効果がなかった。
安倍自民党は、量的緩和をこれまで以上に強力に推進していくという政策方針を昨年末の衆院選挙前に打ち出し、次は安倍政権になるという予測の元にアメリカのヘッジファンドが強力な円安と日本の輸出企業の株高を作り出した。
3月に入り、株価が持続的に上がった事で不労所得が増えた金持ちが、不動産・株式・債券・高級品などを買い求めるようになり、これらのインフレが始まっている。
このように資産だけがインフレになるのを資産インフレと呼ぶ。
日経新聞(3/26)のブレンダン・ブラウン氏によれば、今後は高いインフレになるそうだが、そうなるメカニズムは分からない。
一般の商品やサービスがインフレになるには、大衆の多くが所得を持続的に増やす必要がありそうな気がするのだが、資産インフレがそれをもたらすのだろうか?地価が上がれば、固定資産税や家賃も上がるため、その地域の物価はその分、上げざるを得ない。

量的緩和によって、市場に供給された貨幣は、銀行や企業に蓄積され、その資金の一部は中東やアジア各国に投資されたが、国内では循環が滞っていた。
それが今になって国内でも循環するようになったのだが、もし、量的緩和の貨幣がエコポイントなどの公共事業や銀行ではなく、実存社会や最低限の生活保障に使われていたら、資産インフレを引き起こす事無く、デフレ脱却できていたのではないか。
つまり、デフレの原因は生活不安にあったのではないかという事である。
例えば、シナリオを書いてみると、生活保障以下の給与しか出せないような企業は倒産させる。
それによって、働く方が所得が少ないという不公平をなくす。
しかし、生活保護は審査があるおかげで高水準の給付を受けられるのであり、審査に漏れた上に仕事もないでは問題だから、生活保護の審査は無くすべきである。
生活保護が実存社会であるならば、財政的な無理も生じない。
また、誰もが持続的に一定の所得を得られるという状況から、過度のデフレが発生しない。
もし、求人数が増えるようなら、すぐに働ける人が大勢いるという態勢になる。
極度の失業者を出す事になるが、企業としては適性人数・適性給与で労働環境を構築できるメリットがある。
失業者にスキルが身に付かないという問題が発生するが、最低限のビジネス・マナーは、どこかで身につけておく必要があるだろう。
不況になって人材派遣業が急成長したように、失業者に企業ニーズに応えられるスキルを身に付けさせるビジネスがあっても良い。

日経新聞(3/23)によると現在スペインの若者の失業率は55%で、『誰か、欧州の若者に希望を』と独メルケル首相は訴え、記事は最後に『南欧の苦しみは日本の「あした」でもある』で締めくくっている。
若者に希望を与えるなら中高年層には絶望を与えなくてはならないが、社会の未来を考えるなら、その方が望ましい。
なぜなら、働き盛りの中高年には既にスキルはあるが、若年層には何もないから将来的に戦力になる労働者の減少が予測されるからである。
退職年齢は以前60歳だったのが現在65歳になったが、逆に50歳にして、退職したら皆、実存社会に入れれば良い。そうすれば、若者が就職できる。実存社会に入るなら年金も必要ないから年金制度は全面廃止すれば国家財政の健全化にも貢献する。
50歳以上の人口は、膨大な数になり、実存社会以外では対応できない。
しかし、それでは子供の大学授業料を出せなくなる。例えば、大企業が大学経営して授業料半額にするとか。その場合、例えば製薬会社が薬科大学を運営する場合、ただの研究開発員でも講師になれるように法改正すれば、人件費と研究施設費が抑制できる。これでは大学というよりは専門学校だと言うかもしれないが、案外、大学よりも、そういう学校の方がニーズがあるかもしれない。一般教養で外国語の勉強なんかしても何もならない。その上、近代史や政治や経済や原子力など万人が知っておくべき基本知識すら大学を卒業しても身に付かない。学生にしてみれば大学の授業と企業の必要とするスキルのギャップを抑えられ、企業にしてみれば安い費用で即戦力に近い人材が得られる。ただし、学校だから学生の就職先は原則自由でなくてはならない。従来型の私立大学は、減少するだろう。




◎ 2013年4月1日 (月) ニーチェ

ニーチェ・・・ドイツの哲学者。キリスト教倫理思想を弱者の奴隷道徳とし、強者の主人道徳を説き、この道徳の人を「超人」と称し、これを生の根源にある権力意志の権化と見た。また伝統的形而上学を幻の背後世界を語るものとして否定し、神の死を告げた。その影響は実存主義やポスト構造主義にも及ぶ。著「悲劇の誕生」「ツァラトゥストラはかく語りき」「善悪の彼岸」など。(1844〜1900)

超人・・・@普通の人とはかけ離れた、すぐれた能力を持つ人。スーパーマン。
     A〔哲〕人間的可能性を極限まで実現した理想的人間典型。特にこれを「ツァラトゥストラ」で力説したニーチェは人類の意志的進化の目標として超人の育成と産出とを未来に期待した。超人は人類の目標であり、人間は克服されるべきもの、没落すべき過渡的なものとされる。

権力意志・・・ニーチェ哲学の根本概念。他を征服し同化し、一層強大になろうとする意欲。ニーチェはこの意欲が単なる生存闘争ではなくて、存在の最奥の本質であり、生の根本衝動であると説く。

君主道徳・・・ニーチェの貴族主義的道徳説。同情・博愛・謙虚・宥和(ゆうわ)などのキリスト教道徳を強者に対する弱者の自己防衛による奴隷道徳として排斥し、生の充実感にみちた自己肯定にもとづく強者の道徳を説いた。

ニーチェの著作は、未だに一冊も読んでいないのだが、上に抜粋した広辞苑の説明だけでニーチェの思想を分析してみる。
ニーチェは、「ツァラトゥストラはかく語りき」が芥川龍之介の愛読書であったり、カミュも支持しているし、世間一般にも実存主義者と言われているから、俺も彼は実存主義者だと思っていたのだが、権力意志というのは、俺が以前説明した権力の性質であり、奴隷道徳(実存主義)というのは、確かに彼の言うとおりで権力を自分の力でねじふせるものではなく、それに対する自己防衛である。となると、君主道徳とは権力主義の事になる。
つまり、彼は、明らかに権力主義を主張しているのである。
ただ、彼は、超人の定義を『人間的可能性を極限まで実現した理想的人間典型』としており、言い換えると、個人としての意志の自由があってこそ成しうる人間的成長のことである。これは、個人的自由意志を全面的に認めている点において実存主義である。権力主義というのは、そういう個人の突出を認めず、個人が属する集団の個人に対する絶対的主導権だけを認めるものである。
また、俺は、『他を征服し同化し、一層強大になろうとする』意志は権力の性質としたが、彼は万人が持つ本能であるとしている。彼のこの考え方では、個人主義者もこのような考え方ができる事になる。しかし、俺は、権力主義者と権力意志を持った個人主義者が戦えば、間違いなく権力主義者のほうが勝つと考えている。権力の性質は権力主義に最も相性が良いからである。そのため、個人主義者は、彼の言うところの奴隷道徳しか持ち得ないのである。奴隷道徳は既に説明したようにあらゆる裁きを神に委ねる思想であり、権力主義に十分対抗できるものである。
個人主義者として権力主義者と同じ考え方を持とうとする彼は、俺に言わせれば絶対に負ける戦いを挑む自殺志願者である。
更に辛らつに評すると、奴隷道徳では対抗できないと思って権力主義に恐れをなしているのはむしろ彼のほうである。
彼は、実存主義を究められなかったから自信がなかったのだろう。その点において、彼はメーストルと方向性は同じである。メーストルは権力に尻尾を振ったが、ニーチェはあらぬ方向に行ってしまった点において、頭も悪い。
実存主義を究めるとは道理を究めることであり、どうすれば実存主義を究められるのか、いつ究めたことが分かるのかは既に説明したとおりである。少なくとも、すぐに簡単にできることではない。

千坂恭二 「夢と現実もしくは喪失と悲哀」2011年12月06日
『例えばゲバルトと呼ばれた現実の暴力行為の行使については、思想的な動機や理由の説明や意味づけだけでは解決しないものがあった。エルンスト・ユンガーの『鋼鉄の嵐の中で』を、初級ドイツ語程度の文法で無謀にも読み始めたのも、そうしたことからだった。若きドイツの軍神的な英雄にまでなった特攻隊長としてのユンガーは、なぜ、言語表現が可能になったのか、暴力から言葉の可能性は、あり得るのかということだった。』

『ユンガーを読むようになったのは、バクーニン晩年のショーペンハウアーに続いてニーチェを読み、ハイデガーの弟子でもあったカール・レーヴィットの「ニーチェの最も過激な弟子であるユンガー」という言葉に接したからだった。』

ニーチェの考え方は、超人(実存主義者)をたくさん増やして集団を構成し、この集団が『他を征服し同化し、一層強大に』なる事で世界を実存主義に統一すべきであるというものである。これは、実存主義への権力主義の部分的導入である。
こういうニーチェ主義者であるならば、『暴力から言葉』というよりは言葉(思想)から暴力が可能になるが、これでは、前述のように最終的には必ず権力主義者に負ける。だから誰も彼らを支持しない。実存主義が権力主義を導入できる余地は微塵もない。
ユンガーがニーチェ主義者なら、ニーチェはナポレオン主義者である。そのナポレオンはやっぱり負けた。
革命における暴力は、既述のように既得権益を奪うための唯一の手段であり、ニーチェ主義とは異なる。
内ゲバも既述のように、弱小集団は巨大集団に追い詰められると離脱者が現れるものである。
また、既述のように、社会におけるあらゆる暴力行為の背後にあるのは、社会は論理ではなく、権力と権力のぶつかり合いであり、その過程において暴力も容認されているという考え方である。これが、社会の実相であり、社会が権力主義で埋め尽くされているという理論の根拠である。この前提を理解しない事には、ニーチェ主義もメーストルも革命も内ゲバもイエスやソクラテスが処刑された理由も実存主義も宗教もあらゆる社会現象も理解できない。簡単に説明すると、どうすれば良いのかではなく、誰が味方で誰が敵かである。これもまた既述だが、そうなってしまう理由は権力の性質とそこから導き出される権力主義にある。暴力は平時においては法律によって禁止されているが、権力の性質はいかなる状況でも暴力を容認している。権力の性質の前では法律の力など無に等しい。そのため、権力主義者は法律には逆らえるが権力の性質には逆らえない。権力主義に対抗しうるのは実存主義のみである。




◎ 2013年4月3日 (水) 唯識派と中観派

中観派(ちゅうがんは)・・・唯識派と共にインド大乗仏教の二大系統の一。空をその教義の中心とし、中国・日本の三論宗はこれを受けつぐ。竜樹の「中論」(中観論)を根本とする。

唯識派(ゆいしきは)・・・中観派と共にインド大乗仏教の二大系統の一。唯識説によって現象世界を説明し、ヨーガの実践によって自己の心を変革し、悟りに到達しようとする教え。無着・世親らに始まり、中国・日本の法相宗はこの一継承。瑜伽行派。

唯識・・・仏教学説の一。一切の存在はただ自己の識(心)の作り出した仮のもので、識のほかには事物的存在はないと説く。

三論宗(さんろんしゅう)・・・中国・日本の仏教学派の一。南都六宗の一。三論(中論・十二門論・百論)を所依とし、大乗の空思想の徹底を説く。インドの中観派をうけ、中国で隋の吉蔵が大成。日本へは高句麗の慧灌が渡来して伝えたとされる。

法相宗(ほっそうしゅう)・・・中国・日本の仏教の一学派。南都六宗の一。「解深密経」「成唯識論」などを典拠とし、一切存在は識(心)の作り出した仮の存在で、阿頼耶識以外に何物も実在しないと説く。インドの唯識派を承け、唐の基を祖とする。日本では653年(白雉4)に道昭が入唐して玄奘から受けたのが第1伝。奈良の興福寺・薬師寺を大本山とする。唯識宗。

阿頼耶識(あらやしき)・・・〔仏〕人間存在の根底をなす意識の流れ。経験を蓄積して個性を形成し、またすべての心的活動のよりどころとなる。唯識派で説く。八識の中の第8識。旧訳では阿梨耶識。略して阿頼耶・頼耶・阿梨耶・梨耶とも。

基(き)・・・唐代の法相宗の僧。長安の人。玄奘の門に入り、その「成唯識論」の翻訳に参加。「成唯識論述記」など著作が多く、玄奘とともに法相宗を大成した。慈恩大師。基法師。後に窺基(きき)と称するのは誤り。(632〜682)

玄奘(げんじょう)・・・唐代の僧。法相宗・倶舎宗の開祖。河南の人。629年長安を出発し、天山南路からインドに入り、ナーランダー寺の戒賢らに学び、645年帰国後、「大般若経」「倶舎論」「成唯識論」など多数の仏典を翻訳。「大唐西域記」はその旅行記。「西遊記」はこの旅行記に取材したもの。玄奘三蔵。三蔵法師。(600〜664一説に602〜664)

道昭(どうしょう)・・・飛鳥時代の元興寺僧。日本法相宗の祖。河内の人。653年入唐、玄奘に法相を学び、帰朝後元興寺に禅院を建て弘法。晩年には諸国を巡って架橋等の社会事業を行なった。遺命により、日本で初めて火葬に付されたという。(629〜700)

中観派の空は、「2013年2月5日 (火) 般若心経」の説明と同じである。
法相宗の『一切存在は識(心)の作り出した仮の存在』とするのは、「2009年8月15日 (土) 警察」と同じで主観的観念論のことだろう。
一切皆空により、真実や真理はない。あるいは、あっても認識できない。あらゆる存在は識別によって形成されたものであり、そのため、人生哲学(世界観)は他人に与える事も与えられる事もできず、自分自身で無から作り上げなければならないとするのが法相宗のようである。
中観派と唯識派は宗旨が異なっているわけではなく、唯識派は中観派の理論を実践する方法を示したものだろう。あるいは、逆に阿頼耶識実践の根拠として空が考案されたのだろう。
法相宗の実践は、正に実存主義の実践でもあるが、ヨーガは必要ないのではないか。なぜなら、ヨーガでは『経験を蓄積』できないからである。経験は社会の中でこそ蓄積される。社会の外に出るのは、その後でも遅くはない。阿頼耶識は、キリスト教における聖霊の事であり、理性の事でもある。それは、思索と経験により世界観を構築する心的作用であり、出来上がった世界観は、その人の行動規範となる。ただ、親や世間の真似をするだけの権力主義とは異なる。
西遊記の三蔵法師が、法相宗の開祖ということは、西遊記は実存主義者の物語である。道理で、西遊記に仙人が出て来るわけである。
三蔵法師が、天竺で観音様から直々に渡された経典には、実存主義の理論とその実践が書かれてあったのだ。その神通力たるやサルやブタや河童や竜の妖怪が神様になるほどである。

末那(まな)・・・〔仏〕唯識論に説く八識の第7識。生きている限り常に持続する、自己愛の根源としての迷いの心。末那識。

識・・・〔仏〕対象を識別する心のはたらき。感覚器官を媒介として対象を認識する。六識・八識などに分ける。また、十二因縁の一としては、前生の煩悩によって、現世に母胎に託された刹那の意識を指す。

利他(りた)・・・自分を犠牲にして他人に利益を与えること。他人の幸福を願うこと。[対義語]利己。
利他主義・・・〔哲〕他人の福祉の増益を行為の目的とする考え方。例えばキリスト教の隣人愛。[対義語]利己主義

全体主義・・・ 個人に対する全体(国家・民族)の絶対的優位の主張のもとに諸集団を一元的に組み替え、諸個人を全体の目標に総動員する思想および体制。

公方俊良 「般若心経90の智恵」 三笠書房
『深層心理には、第七識の末那識と第八識の阿頼耶識があります。末那識とは、いつも自分のことばかりを考える心で、自我執着心のことです。この自我意識は”我癡(がち)”つまり自己へのとらわれと、”我慢”つまり自己へのおごりと、”我愛(があい)”つまり自己に対する愛着という四つの煩悩として働き、”オレがオレが”という心が出てくるのです。阿頼耶識とは、記憶装置のようなもので、良いこと悪いこと、あらゆる体験や学んだことなど、何でも記憶し身についていて、それらのことが自然に、自己の上に生ずることをさします。』

これが、専門家の解釈なのだが、俺の解釈より、つじつまが合っているのである。
なぜなら、識と末那識と阿頼耶識(記憶)は無意識の範疇だが、世界観の構築は意識しないとできないからである。
ただし、その場合、唯識派に空の入り込む余地はなく、唯識派と中観派は、宗旨が全く異なることになる。
実存主義者が、末那識を解釈するなら、自己保存、あるいは自己防衛本能ということになり、決して否定の対象にはなりえない。
例えば、怪我をすれば治療し、自殺を思い留まるようなものである。これは裏返せば、他人への配慮にもなる。
我癡・我慢・我愛も決して人生哲学に組み込まなくてはならないような代物ではなく、慢心は我が身を滅ぼすこともあるから気をつけたほうが良いかもしれないが、自己へのとらわれや自己への愛着は、否定の対象にはならない。むしろ、全くないとしたら、そのほうが非難の対象となる。
しかし、キリスト教や末那識を主張する法相宗は、利他主義らしい。もし、法相宗がこの程度の物であるなら、俺にとって法相宗は軽蔑の対象でしかない。実存主義は基本的に利他主義を認めない。ただし、その人にとって利他主義が自分の望む行為である場合は、その限りではない。まれに状況によっては、そういうこともありうるが、滅多にない。前にも書いたが、キリスト教的な「タイタニック」や「ディープインパクト」は嫌いだ。利他主義は実質的に全体主義と同じである。実存主義も人により多種多様だが、多くの実存主義者は俺の考えを支持するはずである。