◎ 2013年2月21日 (木) 国家・宗教のカリスマ統治
カリスマ・・・(神の賜物の意) 超人間的・非日常的な資質。英雄・預言者などに見られる。カリスマ的資質をもつものと、それに帰依するものとの結合を、M.ウェーバーはカリスマ的支配と呼び、指導者による支配類型の一つとした。
小室直樹 「ソビエト帝国の最期」 光文社
p.147『共産主義政権が成立するやいなや、かならずカリスマの担い手が必要となってくる。スターリン、毛沢東、リビアのカダフィ、キューバのカストロ、かかる指導者がいないことには、共産主義政権は、立役者がいない田舎芝居のように、興行ができなくなってしまうのである』
p.148『「マルクシズムは宗教である」とよくいわれる』
p.149『ローマ・カトリックにおけるカリスマとは何か。〜パウロのカリスマである』
ファシズムにおいて、ヒトラーや天皇などがカリスマとして国民の団結と支配に使われた。
共産主義国家においても理論の創始者や革命家がカリスマ統治に使われている。
封建国家における統治も、皇帝や天皇にカリスマ的権威付けがなされ、易姓革命(下克上)が起きると、王の所在が大義名分として勝敗を大きく左右した。
宗教においても、神や創始者などが奇跡を行えるカリスマとして君臨している事が多い。
極右は、国家と宗教の両方に存在する。
宗教上の極右は原理主義の過激派であり、原理主義とは聖典を直接的に解釈しようとするものである。
国家と宗教に共通するのは、集団の統治である。極右は戦争に関係する事が多く、国家や宗教に関する戦争の団結にカリスマが利用される。
「ソビエト帝国の最期」 によると、カリスマは偉大な実績を持っていたり、奇跡を行える優れた人物だから、大衆は、その指示には従わなければならないという統治の仕組みになるらしい。
その結果は、宗教や国家による人間の自由意志の制限や束縛になっている。
カリスマになっても死後に悪人に利用されるのが落ちである。
カリスマ統治よりも科学的推察が必要だが、科学的推察が不可能だったから、カリスマ統治に帰結するのである。
天皇や大日如来や阿弥陀如来や呪術の類は冗談としか思えないのだが、キリストや釈迦や老子や俺は、実存哲学だから、実存哲学が現実に役に立つ思想として考えれば良い。その内容は既に説明したとおりである。
毛沢東とキムイルソンは、理論の創始者ではあるが、現実の統治に成功したとは思えない。そのため、彼らがカリスマでいられる理由は俺には分からない。
理論創始者のレーニンはすぐに亡くなったようだが、スターリンはナチスを追い払ったり、経済を立て直したり、偉大な業績を確かに残しているらしいのだが、これは、社会主義の草創期だからである。社会主義は、巨大権力による統治だから、時間の経過と共に汚職が急速に進行し、成り立たなくなるのである。仮にスターリンが1000歳まで長生きしたとしても社会主義を長続きさせる事はできなかっただろう。中央集権国家は腐敗が速い。俺の理論では、汚職は権力が集中するほど早く進行する。これは、事例に基づくものではなく、直感である。大きな権限を持つ職種があり、仕事内容も慣れで定型化し、法律の合間を縫って横領や賄賂、横流しの余地が生まれると考えている。つまり、大きな権限と定型業務が同時に成立するとき汚職が発生するという説である。定型業務とは、いくら頑張っても工夫の余地がないため、給与の上昇が見込めない業務の事である。中央集権国家に限らないが、時間の経過と共に法律が増えて、既得権による資産形成も増え、貧富の差が発生するのも合法的な汚職だろう。
広辞苑によると、昭和天皇は、天皇人間宣言で、天皇は記紀に書かれているような現人神ではなく、日本人も他の民族より優れていたり、他民族を支配する運命を有していたりはしないとしている。また、記紀に書かれているそれらの内容は、架空の観念だとしている。
◎ 2013年2月22日 (金) 太平洋戦争までの経緯
「広辞苑」 岩波書店
戸部良一他著 「失敗の本質」 中公文庫
小室直樹 「日米の悲劇」 光文社
「現代用語の基礎知識2000」 自由国民社
日本の歴史10 明治維新 読売新聞社
関東軍・・・満州に駐屯した日本陸軍部隊。ノモンハンやインパール攻略作戦の中核。
1840年 阿片戦争(阿片禁輸措置から起きた英国と清国の戦争)
1842年 南京条約(阿片戦争で結ばせた条約。香港の割譲など)
1856年 アロー戦争(アロー号事件から起きた清と英・仏との戦争)
1858年(安政5) 安政の仮条約(井伊直弼が米・蘭・露・英・仏と結ばせた仮の通商条約。輸入税率一律10%、領事裁判権)
1860年 北京条約(英仏がアロー戦争で結ばせた条約。英への九竜割譲など)
1867年(慶応3) 大政奉還
1868年(明治1) 戊辰戦争
1871年(明治4) 廃藩置県(中央集権化により富国強兵政策へ)
1871年(明治4) 岩倉使節団派遣(岩倉具視、大久保利通、伊藤博文などが条約改正などを目的に2年間欧米へ)
1872年(明治5) 徴兵告諭(山県有朋により徴兵制度施行。徴兵制や学校制に反対する一揆が広がった)
1872年(明治5) 山城屋事件(御用商人山城屋和助の陸軍省官金費消事件。和助は自殺、融資した山県有朋は辞職)
1873年(明治6) 征韓論政変(南州や板垣の征韓論が、帰国直後の具視や大久保に阻止された事件。しかし、反戦派は翌年台湾出兵)
1874年(明治7) 佐賀の乱(廃藩置県により居場所をなくした武士の反乱)
1874年(明治7) 台湾出兵(大久保・大隈の主張と駐日米公使の後押しで征台、後、駐日米公使交代、英米反対。駐清英公使に「台湾じゃなくて朝鮮に向かえ」と言われて撤兵)
1875年(明治8) 江華島(カンファド)事件(江華島付近で示威演習と沿岸測量を行なった日本軍艦が砲撃される)
1876年(明治9) 江華島条約(江華島事件で結ばせた条約。艦船6隻派遣し、朝鮮の開国と非関税特権・領事裁判権を得る)
1877年(明治10)西南戦争(廃藩置県により居場所をなくした武士の反乱)
1878年(明治11)大久保利通暗殺
1883年(明治16)岩倉具視死去
1884年(明治17)甲申(こうしん)政変(朝鮮で起きた開化派によるクーデター。開化派は日本の援助を受けていたが清国の軍事介入で失敗)
1885年(明治18)天津条約(朝鮮から日清両軍とも撤退する取り決め。全権大使・伊藤博文)
1885年(明治18)伊藤博文初代首相就任
1894年(明治27)日英通商航海条約(領事裁判権撤廃・関税自主権回復)
1894年(明治27)甲午(こうご)農民戦争(反侵略・反封建を掲げ、朝鮮農民蜂起。日清両国がその鎮圧を名目として朝鮮へ出兵し、日清戦争を誘発)
1894年(明治27)日清戦争
1895年(明治28)下関条約(日清戦争の講和条約。遼東半島・台湾・澎湖諸島を割譲)
1895年(明治28)三国干渉(露・仏・独の3国が、条約によって得た遼東半島を還付させる)
1899年(明治32)北清事変(義和団が日欧米8ヶ国の公使館を包囲、連合軍により鎮圧)
1904年(明治37)日露戦争(日本と帝政ロシアとが満州・朝鮮の制覇を争った戦争)
1905年(明治38)ポーツマス条約(日露戦争の講和条約。日本の韓国権益の確認、東清鉄道支線(後の南満州鉄道)譲渡、樺太南半の割譲)
1907年(明治40)第三次日韓協約(統監による内政全権の掌握を規定し、韓国軍隊も解散させる)
1909年(明治42)韓国統監・伊藤博文暗殺(朝鮮の独立運動家安重根(アン‐ジュングン)に暗殺される)
1910年(明治43)韓国併合条約(韓国の統治権を完全かつ永久に日本に譲渡)
1911年(明治44)英国以外の国とも関税自主権回復
1911年(明治44)辛亥革命(清朝から中華民国へ)
1914年(大正3) ジーメンス事件(独ジーメンス社から日本海軍高官への贈賄事件。山本内閣辞職)
1914年(大正3) 第一次世界大戦(18年ドイツ降伏により終了)
1915年(大正4) 二十一ヵ条要求(中国での権益拡大を要求する最後通牒)
1917年 ロシア革命
1918年(大正7) シベリア出兵(ロシア革命阻止のために日・米・英・仏・伊などが露へ出兵)
1923年(大正12)関東大震災
1927年(昭和2) 金融恐慌(震災手形処理問題をめぐって発生)
1928年(昭和3) 済南(さいなん)事件(北伐に乗じて関東軍が済南を占領、多数の市民を殺傷した事件)
1928年(昭和3) 張作霖(ちょうさくりん)爆殺事件(関東軍の陰謀による列車爆破)
1929年(昭和4) 昭和恐慌(世界恐慌の一環)
1931年(昭和6) 柳条湖(りゅうじょうこ)事件(関東軍の謀略により柳条湖で満鉄線路を爆破し、中国軍のしわざと偽り、攻撃。満州事変の発端となった)
1931年(昭和6) 満州事変(満州国樹立)
1932年(昭和7) 第一次上海事変(満州事変の一環。一月から五月まで)
1932年(昭和7) 五‐一五事件(海軍青年将校らによるクー‐デター事件。首相官邸などを襲い、犬養毅首相を射殺)
1935年(昭和10)華北分離工作(中国華北地方を国民政府から分離して日本の支配下におくために行われた工作。日中戦争の原因となった)
1936年(昭和11)二‐二六事件(陸軍皇道派青年将校らによる首相官邸などを襲撃したクー‐デター事件)
1937年(昭和12)盧溝橋(ろこうきょう)事件(日中戦争の発端となった事件。七月、盧溝橋付近で演習中の日本軍が銃撃を受け、これを不法として中国軍を攻撃し、両軍の交戦にいたった)
1937年(昭和12)第二次上海事変(盧溝橋事件の一環。八月)
1937年(昭和12)日中戦争(日本の全面的な中国侵略戦争。南京大虐殺があった。41年12月太平洋戦争に発展。シナ事変)
1938年(昭和13)張鼓峰(ちょうこほう)事件(国境問題をめぐって起った日ソ両軍の衝突事件。日本軍は甚大な損害をうけた)
1939年(昭和14)ノモンハン事件(日ソ両軍が国境紛争で交戦、日本軍が大敗を喫した。後、停戦協定。翌年国境線制定)
1940年(昭和15)三国同盟締結(日独伊)
1941年(昭和16)日ソ中立条約(4月、日本とソ連との間に締結された中立条約。有効期限5年)
1941年(昭和16)ハルノート(11月、日米交渉で米国務長官ハルが提示したアメリカ側最終提案。日本軍の中国・インドシナからの完全な撤退、中華民国国民政府以外の中国における政府・政権の否認などを主張。日本側はアメリカの最後通牒とみなし、真珠湾奇襲後、宣戦布告し、太平洋戦争に突入)
1941年(昭和16)太平洋戦争(12月、第二次世界大戦の一環。日本と米・英・蘭・中国等の連合国軍との戦争。日本のハワイ真珠湾攻撃によって開戦。45年に原爆投下とソ連の参戦による日本の降服となって終了)
1965年(昭和40)日韓基本条約(韓国併合条約の無効と韓国独立を承認)
日本の歴代首相
1 伊藤博文 1次 1885.12.22−1888. 4.30 大久保利通の腹心。中国で朝鮮人に暗殺。政友会を創設
2 黒田清隆 1888. 4.30−1889.10.25 1900年死去。薩摩の中心
3 山県有朋 1次 1889.12.24−1891. 4. 9 1922年死去
4 松方正義 1次 1891. 5. 6−1892. 7.30 1924年死去
5 伊藤博文 2次 1892. 8. 8−1896. 8.31
6 松方正義 2次 1896. 9.18−1897.12.25
7 伊藤博文 3次 1898. 1.12−1898. 6.24
8 大隈重信 1次 1898. 6.30−1898.10.31 1922年死去。改進党(後の革新倶楽部)創設
9 山県有朋 2次 1898.11. 8−1900. 9.26
10 伊藤博文 4次 1900.10.19−1901. 5. 2
11 桂 太郎 1次 1901. 6. 2−1905.12.21 1913年死去。山県有朋系。立憲同志会(後の憲政会)
12 西園寺公望 1次 1906. 1. 7−1908. 7. 4 1940年死去。第2次政友会総裁
13 桂 太郎 2次 1908. 7.14−1911. 8.25
14 西園寺公望 2次 1911. 8.30−1912.12. 5
15 桂 太郎 3次 1912.12.21−1913. 2.11
16 山本権兵衛 1次 1913. 2.20−1914. 3.24 1933年死去。薩閥の巨頭
17 大隈重信 2次 1914. 4.16−1916.10. 5 この時は、立憲同志会が与党
18 寺内正毅 1916.10. 9−1918. 9.21 1919年死去
19 原 敬 1918. 9.29−1921.11. 5 東京駅南口で刺殺。政友会
20 高橋是清 1921.11.13−1922. 6. 6 二‐二六事件で殺害。政友会総裁
21 加藤友三郎 1922. 6.12−1923. 8.26 1923年死去。日露戦争連合艦隊参謀長
22 山本権兵衛 2次 1923. 9. 2−1923.12.29
23 清浦奎吾 1924. 1. 7−1924. 6. 7 1942年死去。山県有朋系。政友会から分離して政友本党(後の民政党)
24 加藤高明 1次 1924. 6.11−1925. 7.31 1926年死去。三菱財閥創業者・岩崎弥太郎の女婿。憲政会(後の民政党)総裁
25 加藤高明 2次 1925. 8. 2−1926. 1.28
26 若槻礼次郎 1次 1926. 1.30−1927. 4.17 1949年死去。ロンドン軍縮会議首席全権。憲政会総裁
27 田中義一 1927. 4.20−1929. 7. 2 1929年死去。政友会総裁
28 浜口雄幸 1929. 7. 2−1931. 4.13 ロンドン軍縮条約締結が原因で右翼に東京駅で狙撃され死去。民政党総裁
29 若槻礼次郎 2次 1931. 4.14−1931.12.11
30 犬養 毅 1931.12.13−1932. 5.16 五‐一五事件で殺害。改進党参加後、政友会総裁。
31 斎藤 実 1932. 5.26−1934. 7. 3 二‐二六事件で殺害
32 岡田啓介 1934. 7. 8−1936. 2.28 二‐二六事件では襲撃されたが難を免れる
33 広田弘毅 1936. 3. 9−1937. 1.23 A級戦犯として絞首刑
34 林銑十郎 1937. 2. 2−1937. 5.31 1943年死去
35 近衛文麿 1次 1937. 6. 4−1939. 1. 4 A級戦犯として拘引の直前に自殺
36 平沼騏一郎 1939. 1. 5−1939. 8.28 A級戦犯として終身刑
37 阿部信行 1939. 8.30−1940. 1.14 1953年死去。翼賛政治会総裁
38 米内光政 1940. 1.16−1940. 7.16 1948年死去
39 近衛文麿 2次 1940. 7.22−1941. 7.16
40 近衛文麿 3次 1941. 7.18−1941.10.16
41 東条英機 1941.10.18−1944. 7.18 A級戦犯として絞首刑。翼賛政治会結成
42 小磯国昭 1944. 7.22−1945. 4. 5 A級戦犯で終身禁錮刑
歴代首相を並べると松下村塾出身の伊藤博文と山県有朋と山県の部下だった桂太郎と公家の西園寺公望が日清・日露戦争時の中心だった事が分かる。
満州事変前の幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)外相による対米英協調・対中国内政不干渉方針や、1940年の斎藤隆夫議員による対中国内政不干渉としての日中戦争処理質問、太平洋戦争前の政治評論家・石橋湛山(いしばしたんざん)による「小日本主義」、太平洋戦争末期の米内光政(よないみつまさ)海軍大臣による東条内閣倒閣・太平洋戦争終結の方針など、戦争に反対する意見もあった。
台湾出兵や江華島事件は、貿易や相次ぐ内戦によってインフレが発生し国民生活が悪化したのと佐賀の乱への制裁で政府への反感が高まったために政府への非難を逸らそうとした事と欧米の対外政策を真似しようとした事にあるらしい。
吉田松陰のWIKIには、幽囚録に近隣諸国を攻めて領有化しろと書いてあるのが影響したとある。
満州事変から太平洋戦争までを十五年戦争と呼ぶが、日露戦争で手に入れた満鉄が満州事変に繋がっている事やアメリカが日本に中国・インドシナからの撤退を要求していた事を考慮すれば、台湾出兵や江華島事件から始まって、太平洋戦争までが連鎖的に発生したと考えるべきだろう。
関東大震災と2つの恐慌が火に油を注いだ可能性もあるだろう。
明治から大正にかけては、藩閥による超然内閣が中心、護憲運動(1912,1924)により憲法に沿った政党内閣に移行するが、五‐一五事件で軍部中心の内閣に移行した。
伊藤博文系の政友会と山県有朋系の民政党による二大政党制。
板垣退助の憲政党などが政友会創設の母胎となり、大隈重信・犬養毅系の革新倶楽部は後に政友会に合流した。
政友会と憲政会と革新倶楽部は、護憲三派として手を組む事もあった。
政友会と民政党は、共に1940年解散。
1942年に独裁政権の翼賛政治会が結成されるが、45年解散。
1911年に辛亥革命が起き、旧清軍軍閥の袁世凱が皇帝になるが失脚、再び、革命軍は孫文と蒋介石が中心となるが、北方に張作霖の軍閥政府があったために統一に向け、北伐(1926-28)し、成功する。
蒋介石は1928年中華革命党を母胎とする中国国民党創立。
孫文は度々、日本へ亡命、中華革命党も1914年に日本で組織、蒋介石も日本に留学経験があり、張作霖の軍閥は日本の支持を受けていた。
1921年に中国共産党創立。国民党と対立するが、日中戦争では抗日で共闘。
辛亥革命で帝位を失った溥儀は、1934年、満州国皇帝に就任。
日本軍は国民党の国民革命軍に手を焼いている間に太平洋戦争に突入。
第二次世界大戦後は、共産党が国民党を打倒し、1949年、中華人民共和国樹立。
内戦に敗れた国民党は逃げ込み先の台湾を統治。
ビルマは、1886年にイギリス領となるが、1941年に日本軍が侵攻、日本で軍事訓練を受けたアウン・サン、ネ・ウィンらがビルマ独立軍を結成し、イギリス軍と戦闘。43年アウン・サンらは名目だけの独立に抗日運動へ。47年アウン・サンは暗殺されるが、48年イギリスから独立、ビルマ連邦誕生。62年ネ・ウィン将軍のクーデターで軍事独裁社会主義体制へ。89年国名をミャンマー連邦に変更。その後、民主政権へ。
ベトナムは、1884年にフランス領となるが、1940年日本軍が進駐。第二次大戦中、ホー‐チミンはベトミンを組織して抗日運動を指導。45年日本の敗戦を機にベトナム民主共和国を樹立。
インドネシアは、1602年からオランダによる植民地支配。1942年日本軍が占領。45年日本の敗戦を機にスカルノが独立宣言。49年オランダが独立を承認。
マレーシアは、16世紀ポルトガル・オランダ領、19世紀イギリス領。1941〜45年日本軍占領。日本敗戦後もイギリス領だったが57年独立。
フィリピンは、16世紀スペイン領、1901年からアメリカ領。日本軍占領後、46年独立。
ラオスは日本軍の後押しで45年フランスから独立しかけたが53年独立。
インド、バングラデシュ、パキスタンは、イギリスから1947年独立。スリランカは48年独立。
ソ連弱体化と共にソ連からの独立が相次いだ事から推測すると、第二次世界大戦で欧米諸国と日本が弱体化したのが、東南アジア独立と関係しているのかもしれない。共産圏が増えたのは、ソ連が強大化したということか。
日本のアジア攻略策は、独立運動などの反政府組織支援だったことが分かる。ただし、独立は認めてなかったようである。
桜会(さくらかい)・・・橋本欣五郎ら参謀本部幕僚など陸軍中堅将校を中心とする、国家改造をめざした急進派の組織。1930年結成、三月事件・十月事件に関与。
皇道派(こうどうは)・・・旧陸軍部内の一派閥。1932年頃から形成され、荒木貞夫・真崎甚三郎両大将などの将官とこれを支持する隊付の尉官級青年将校とからなる。天皇中心の国体至上主義を信奉、統制派と抗争、直接行動による国家改造を企てたが、36年の二‐二六事件の失敗により一掃された。
荒木貞夫・・・軍人・政治家。陸軍大将。東京生れ。皇道派の中心。犬養・斎藤内閣の陸相、のち第1次近衛・平沼内閣の文相として戦時教育統制を推進。敗戦後、A級戦犯として終身禁錮刑。(1877〜1966)
真崎甚三郎(まさき‐じんざぶろう)・・・軍人。陸軍大将。佐賀県生れ。教育総監。皇道派の中心と目され、二‐二六事件関係者として起訴されたが無罪。(1876〜1956)
井上日召(いのうえにっしょう)・・・国家主義者。名は昭。群馬県生れ。血盟団の首領。国家改造を企図し、右翼テロを計画・実行。(1886〜1967)
血盟団・・・井上日召らが結成した右翼団体。「一人一殺」をとなえ、1932年2〜3月、井上準之助・団琢磨を暗殺(血盟団事件)。
井上準之助・・・財政家。日田(大分県)生れ。東大卒。日本銀行総裁。民政党員。浜口内閣蔵相として緊縮財政と金解禁を断行。血盟団員により暗殺。(1869〜1932)
団琢磨(だんたくま)・・・実業家。三井財閥の指導者。福岡藩士の子。アメリカに留学。工部省鉱山局三池鉱山勤務後、三井に入社。三井合名会社理事長。血盟団員に暗殺された。男爵。(1858〜1932)
相沢事件・・・皇道派の相沢三郎中佐が1935年(昭和10)8月、陸軍省内で統制派の軍務局長永田鉄山少将を斬殺した事件。二‐二六事件の誘因となった。永田事件。
二‐二六事件で皇道派は全滅したのかと思いきや、政権中枢で大活躍。教育担当だったようだ。
この事件で教育総監・渡辺錠太郎が殺された理由は、天皇機関説容認発言である。
国民新聞・・・徳富蘇峰が発行した日刊新聞。1890年(明治23)2月創刊。日清戦争以前は平民主義の立場をとったが、戦後は膨張主義・帝国主義を鼓吹し、山県有朋・桂太郎ら藩閥の御用新聞視された。1910年代より衰運に向かう。1942年「都新聞」と合併、「東京新聞」と改題。
平民新聞・・・幸徳秋水・堺利彦の設立した平民社が、1903年(明治36)に創刊した社会主義週刊新聞。日露戦争に際し反戦論を説くが、05年廃刊。07年日刊として再刊したが、政府の弾圧により3ヵ月で廃刊。
桐生悠々(きりゅう‐ゆうゆう)・・・ジャーナリスト。本名、政次。金沢生れ。東大卒。信濃毎日新聞主筆。雑誌「他山の石」を発刊し、軍部・戦争批判を続ける。(1873〜1941)
陸羯南(くが‐かつなん)・・・ジャーナリスト・政論家。本名、中田実。津軽藩士の子。新聞「日本」を創刊して国民主義を鼓吹。著「近時政論考」など。(1857〜1907)
三宅雪嶺(みやけ‐せつれい)・・・ジャーナリスト・評論家。名は雄二郎。金沢生れ。政教社を創立、雑誌「日本人」によって国粋主義を提唱、また新聞・雑誌に藩閥政府批判の筆をふるった。著「真善美日本人」「宇宙」「我観小景」「同時代史」など。文化勲章。(1860〜1945)
古島一雄(こじま‐かずお)・・・政治家。豊岡藩士の子。新聞記者から犬養毅に従い政界に入り、立憲国民党・革新倶楽部に属す。第二次大戦後、保守政党の再建に尽し、吉田茂の政治指南役といわれた。(1865〜1952)
日比谷焼打事件・・・1905年(明治38)9月5日、日比谷公園で行われたポーツマス条約反対の国民大会がきっかけになって発生した大暴動。交番や政府系新聞社などを襲う。翌日も続き、鎮圧に戒厳令が公布される。
軍部大臣現役武官制・・・陸海軍大臣を現役の大将・中将に限るとする制度。軍部大臣は慣行的に現役とされてきたが、政党勢力の台頭に備えて1900年(明治33)に制度化され、軍部の政治介入の手段となった。
ヤルタ会談・・・第二次大戦末期の1945年2月、米・英・ソ3国の最高指導者ルーズヴェルト・チャーチル・スターリンがヤルタで行なった会談。ドイツの敗北が決定的となった情勢下に、降伏後のドイツ管理、国際連合の召集などについて協定。
ヤルタ秘密協定・・・ヤルタ会談で結ばれた対日秘密協定。翌1946年2月に発表。ドイツ降伏後3ヵ月以内にソ連が対日戦争に参加することを条件として、南サハリン(樺太)・千島列島のソ連への引渡し、中国の満州における完全な主権の確認などを決めた。
◎ 2013年3月4日 (月) 血税
血税・・・@(1872年(明治5)公布の太政官告諭中の語。身血を租税とする意) 徴兵。兵役義務。 A血の出るような思いで納める苛酷な税。
本来、血税という語は、徴兵の意味らしい。
戦場で自分が流す血を税とする意味とあるが、戦場では血を流すだけでなく、人間の命も奪ったり奪われたりする。
血税という語では、徴兵の意味としては軽すぎるだろう。
Aの意味は、@の意味から派生したと考えられるのだが、普通の税金を血税と呼ぶのも本来の徴兵という意味とはかけ離れすぎているし、過剰に思われる。過酷であるなら、税金の使い方を考えるよりも納税額を減らさせるべきだろう。
特に過酷でなくても血税と普段呼んでいるが、これは辞書にはない使い方である。
無駄遣いを非難するなら、「大切な税金」くらいが妥当だろう。
◎ 2013年3月8日 (金) 基軸通貨の嘘
日経新聞(3/6)
『(基軸通貨がドルであるため)米国が経常赤字の拡大、つまりモノやお金などの取引で相手国への支出が膨らんでも、ドルを印刷すれば支払いが滞ることはありません。いわゆる基軸通貨の特権です』
基軸通貨・・・国際通貨として広く使用され、各国通貨の価値基準となる通貨。第二次大戦後のドルや、戦前のポンドなど。キー‐カレンシー。
為替相場・・・自国通貨と外国通貨との交換比率。たとえば、1米ドルにつき100円というようにあらわす。為替レート。
基軸通貨は、為替相場の指標となるだけである。つまり、通貨の価値や流通に対して、ほとんど意味を成さない。その事は、戦前は基軸通貨がポンドだったのが戦後はドルになっている事も裏付けている。戦前は、ポンドの価値が安定していたから、ポンドが基軸通貨になり、戦後は、ドルが安定していたからドルが基軸通貨に使われるようになっただけであり、何らかの法的制約によるものではないのである。便宜上の商慣習によるものである。そのため、ドルを印刷すれば債務の支払いが滞る事がないという基軸通貨の特権というものは存在しない。これは、経済学における間違った常識である。
バブル期やそれからしばらくの間、円を基軸通貨にしようという日本政府の呼びかけや運動があったのは事実である。現在は、中国政府が同じ事をしようとしている。中国政府が、元を基軸通貨にしようとするのは、自国通貨が基軸通貨になれば、国際金融上、大きなメリットがあるとか、アメリカが経済大国でいられるのはドルが基軸通貨のためであるなどと思い込んでいるからである。実際、以前、中国政府は、そう発言していた。しかし、それは、中国政府の全くの見当違いである。
通貨の安定度は、その国の財政健全性と経済力で決まる。財政が健全であれば、通貨の量的緩和がないため、通貨価値が大幅に下がる事はないし、経済競争力があれば、その国の生産物を購入するために世界各国がその国の通貨を買い入れようとするから、通貨価値が上昇するからである。大規模な量的緩和と低い経済競争力が同時に成立すると、通貨が暴落し、輸出入が出来なくなり、ハイパーインフレになる恐れがある。財政が健全で経済競争力があるから基軸通貨になるのであり、その逆ではない。日本と中国と経済学は、その事を理解すべきである。
日本の歴史10 明治維新 読売新聞社
『当時、世界一般の金貨と銀貨の比価は、金1に対して銀15であったが、日本では、1対5から6ほどという安さであった。』
経済において、相場は非常に重要である。
明治維新において、世界の金と銀の交換比率を知らなかった日本は、米英公使の忠告を受けるまで、大量の金を海外に輸出する羽目になった。
東南アジアでも最近まで、農家が野菜の相場を知らないために仲買業者に、ぼられることが多かった。
日本でも最近、LPGの相場が欧米よりもはるかに高い事が発覚した。
現在、米国の4.5倍、英国の1.5倍ほどである。
一流の経済学者になろうと思えば、相場についての深い理解が必要である。
有価証券取引や先物取引などで、相場運用の現状を知っておくべきだろう。
◎ 2013年3月9日 (土) 尖閣諸島領有権問題
日本政府の尖閣諸島領有権についての主張は、尖閣諸島は日本の領土であり、解決すべき領有権問題は存在しないというものである。
しかし、中国や台湾が尖閣諸島は自分たちの領土だと主張している以上、問題そのものが存在しないと宣言しても紛争は続くだろう。
日本政府が問題は存在しないとして中国や台湾との問題解決のための対話の窓口を閉めるならば、紛争解決の手段は武力解決のみとなるだろう。
それを認めるかのごとく、先月の首相施政方針演説には、11年ぶりの防衛関係費増加が盛り込まれていた。
政府による尖閣諸島買収事件や米軍との離れ島奪還作戦演習が、中国への挑発になっている事を認識し、今後は、こうした行動を慎み、静観すべきだろう。
日本は、挑発行為が戦争の引き金になった明治から昭和初期までの経験を知っているはずである。
軍備拡大が経済の足を引っ張るのは、アメリカや旧ソ連の例から周知である。
◎ 2013年3月10日 (日) 民主主義の問題点
民主主義は、経営陣はある政党へ、労組は対立する別の政党へ、各業界団体や非営利団体も支持政党を持っている。
その理由は、自分達の集団に法的な、あるいは行政的な便宜を図ってもらうためである。
ここで問題になるのが、失業者などの社会的弱者である。
社会的弱者は、組織的に行動しないために、政治献金ができないため、どの政党からも便宜を図ってもらえない。
その結果、法的、行政的に常に悪い待遇を強いられているのである。
たとえば、ホームレスは家を強制撤去されるし、生体移植法も成立した。
もう1つの問題は、民主主義は、既得権益が守りやすい事である。
これも、同じ原理で、献金によって支持政党に既得権益が損なわれないように各集団が圧力をかけるのである。
既得権益は、法律によって作られる物だから、政治がその存在の是非を全面的に握っているのである。
既得権益保護は、経済的流動性の妨げになる。
専制政治なら、問題ないかと言えば、そうではない。
共産主義は、一党独裁政権だが、やはり、業界団体からの圧力によって運営されている。
専制君主制でも、やはり、君主の独裁というわけではなく、家臣や業界団体からの突き上げには応じざるを得ない。
ただし、民主主義に比べると専制君主制の方が、まだ集団による突き上げには対抗しやすいのではないか。
そうなると今度は、身分制度や弾圧などの問題が発生するから、多面的な検討が必要である。
◎ 2013年3月10日 (日) FA
FA・・・(factory automation) コンピューターによる工場の生産システムの自動化
中小企業などは、意外とFAが進んでいない。
FAを受注できるIT企業は、東京に集中しているし、大企業が多く寡占的であり、企業間競争もあまりないため、中小企業が導入するには、値段が高すぎたり、システムが大げさすぎたりするからではないかと思われる。
FAというのは、結局、センサーをパソコンで管理・制御する事で工場生産の自動化を図る事であり、実は技術的には大した事はない。
社内SEに、ちょっとパソコンでセンサーを制御する知識を勉強させたら、業者に頼まなくても自前でFA化できてしまえるようなくだらない技術なのである。
ロボットアーム制御やデジタル画像処理技術も必要だという場合は、大学工学部知能工学科に協力してもらうこともできるだろう。
知能工学科はFAの研究をしているわけではないが、パターン認識やロボット関連の基礎研究をしているとみなしていいだろう。
FAが進むと国外的には、国家間経済競争力格差を招き、国内的には、大量の失業者を創る事になる。
工場労働者は、低学歴者や専門スキルのない人々には必要な職種であり、そのような人々だけが大量に失業する事になる。
何も考えないでFAを推進するのは国内外での治安悪化を招くため危険であり、推進するのであれば、それが可能な社会構造を構築した後にすべきである。
つまり、長期失業が許される社会である。
日経新聞には、介護事業への労働力の移行が進んでいると書いてあるが、現実には、失業者に就ける仕事などはない。
また、介護事業も今後は受け皿になりえない。なぜなら、この分野にもFA化の動きがあるからである。
FAによって少人数で大量生産できるようになれば、就業者数が少なくても世界中に生産物を不足なく供給できる体制となる。
現状は、少ない就業者数で需給のバランスが取れてしまう事態に対応できる社会ではない。
◎ 2013年3月12日 (火) 誰も知らない国会の暗黙のルール
日経新聞(3/11)「私の履歴書 カーラ・ヒルズ」
『74年、米国の政治には今日のような分極化など存在していなかった。〜彼らはお互いを知りもせず、多くの案件について解決策を見いだすための信頼も築けていない』
日本の歴史10 明治維新 読売新聞社
『西郷らの征韓論をさえぎってからわずかに数ヶ月、大久保らは征韓派と同じ道を行こうとするのである。つまり、岩倉・大久保らは征韓そのものには反対ではなかったことを、いまその行動によって証明したのだ。彼らが征韓をこばんだのは、西郷や板垣によって戦争がはじめられることとなれば、それによって反対派の勢力がつよまり、とくに西郷の背後にいる保守的な士族が力をもってくることをおそれたからであった』
岩倉使節団は、視察や条約改正などを目的に派遣されたのだが、欧米政治の仕方の吸収も目的だったようである。
というのも、敵対陣営の案件に対する闇雲な拒絶は、現在も国会運営の基本となっているし、江華島条約においても、日本が欧米に押し付けられた不平等条約を朝鮮に押し付けているからである。
これらの出来事は、使節団が帰国直後に行われており、欧米政治をすっかりコピーしている事が分かるのである。
敵対陣営の案件に対する闇雲な拒絶は、例えば、自民党が野党の反対で出来なかったはずの消費税増税が、常に社民党や民主党政権によって可決されていることからも明白である。
最近では、維新の会が、議題に関係なく闇雲に反対しないと宣言していたが、これは、国会の流儀に反した考え方である。
とにかく、敵の議案はことごとく反対する。その上で、自分達がそれを実行するというのが、岩倉使節団が欧米から日本に持ち帰った国会運営方法の1つだったのである。
ヒルズ氏は、昔のアメリカは、こんなじゃなかったと言うのだが、共和党と民主党のマニフェストは時代によって似通ったり、正反対だったりするらしい。
例えば、ブッシュJr時代は似通っていて、オバマ時代は正反対らしい。
似通っている時と正反対の時に同じようなやり方ができるはずがないのではないだろうか。
◎ 2013年3月14日 (木) 実存社会におけるモラル低下誘導
現代用語の基礎知識
『モラル・ハザード(moral hazard)
例えば自動車保険に加入することにより被保険者の自動車事故に対する注意が希薄になり、あるいは火災保険に加入することによって被保険者の火災に対する注意が散漫になるように、被保険者の保険加入によって危険事故の発生する確率が増大することをいい、「道徳的危険」と訳されている。経営分野においては、倫理の欠如のこと。』
ここで、モラル低下誘導(略してモラ誘)とは、モラルハザードのように、ある原因からモラル低下が引き起こされ問題が発生する事を指す。原因はモラル低下誘因、発生する問題はモラルトラブルと呼ぶ。
仮設住宅から別の住居に移転しても、仮設住宅に荷物を置いたままにして物置として使用するというモラルトラブルが発生するらしい。
原因は、仮設住宅の使用料金が安いからだろう。そのため、仮設住宅には使用期限が設けられているのだろう。
失業中でも最低限の生活を保障する事を前提とする実存社会においても住宅や公共施設へのぞんざいな扱いなどの問題が発生するのは避けられないだろう。
しかし、存在意義として高額な使用料金の摂取や使用期限の設定はできない。
江戸時代、カネがなくても生活できるという事で多くの文無しが出家したが、質素な生活や厳しい戒律に辟易して三日ほどで寺から逃げ出す事が多かったから三日坊主という語が出来たらしい。(語源 面白すぎる雑学知識C 青春出版社)
ここまで厳しくしなくても、タダから生まれるモラルトラブルには寺のモデルが適用可能である。
具体的には、施設のそうじを自分達でするとか居住者にその住居の管理責任を持たせるとかである。
寺がカネがなくても生活できた理由は、布施もあったが、田畑を持ち、自給自足の生活をしていたからである。
実存社会においても、自分たちの身の回りのことは自分でやる事で、公共施設の使用によるものだけでなく、更なる生活コスト削減が可能となる。
日経新聞(2013/3/18)
『これまでの実証研究では、最低賃金の引き上げが雇用の減少を招くという結論が優勢のようです』
『日本の最低賃金の水準では、健康で文化的な生活を続けるのは恐らく困難です』
この記事から、景気によって最適生活水準は変動すると読み取る事ができる。
実存社会はデフレに最適な生活を提供するため、そこへ流入する人数の増減によって景気変動による雇用と生活水準の調整ができる。インフレにおいても実存社会を必要とする人々は一定の割合で存在する。実存社会は公共施設が多いため、人数調整が比較的容易にできる。
実存社会は、寺子屋など中世の寺の社会的役割を継承し、宗教とNPOの中間的存在として哲学を基礎とし、世界中に同様の組織ネットワークを有するこれまでにはあるようでなかった表社会とは別のもう1つの社会を目指す。ただし、表社会に対立する物ではなく補完する関係になる。
◎ 2013年3月17日 (日) 日本政府はチベット完全自治を支持しない
先ず、日本国民の間にチベット独立や完全自治を支持する声がほとんど全く聞かれない。
次に、実質的に独立している台湾ですら、日本政府は中国の一部であるとして外交関係を持っていない。
この2点において、チベット民族がデモを起こそうとも焼身自殺しようとも日本政府がチベット完全自治を支持する可能性は皆無である。
俺個人としては、独立も完全自治も全面的に支持するが、チベットとしては俺の支持よりも日本政府の支持の方が欲しいに違いない。
中国は外資を受け入れてGNPは世界二位となったが、農地が足りないとアフリカに農地を作っている。
あれだけの土地と国民がいても、まだ足りないわけで、チベット侵攻も土地と国民が目的だったのである。
中国が軍隊を増強するのは、対米のためである。
最近、米韓が北朝鮮に対し挑発的な軍事演習を行っているのも、北朝鮮の同盟国である中国を意識したものである。
米国にとって北朝鮮など、どうでも良いのである。
中国・東南アジアは、近年外資を受け入れて、工場生産が盛んだが、貧富格差が社会問題となっている。
おそらく、チベットが独立しても、近隣国同様、大きな経済問題が浮上することになる。
では、外交は中国に守ってもらって、国内では完全自治を要求する事を中国政府が認めるかとなると難しい。
なぜなら、中国共産党は建国以来、単独で米国と同じくらいの国力をつけようと奮闘しており、そのための労働人口と土地がまだまだ足りないと考えているからである。
中国政府が僧侶を強制還俗させる理由は、労働人口確保のためである。
もちろん、これでは、連邦国家ではなく、植民地だが、米国と対等の国力と関係を築くという中国政府の方針を貫くために敢えて非道を働いているわけである。
そのため、中国に危機感を持っている米国が北朝鮮を介して中国にちょっかいを出しているのである。
中国が欧米などに経済競争力で追いつくのは難しい。
なぜなら、欧米ではファクトリー・オートメーション(FA)が進んでおり、労働人口が少なくてもやっていける仕組みになっているからである。
いくら、労働人口を増やしても電力だけで生産できるFAには勝てない。
また、労働人口と国土の広さが十分あるにも拘らずロシアがいまひとつ競争力に乏しい事からも、この二つの要素は必ずしも競争力とは関係がある訳ではない。
元国営企業の大企業が法的に優遇されているから、新興企業が育たないのである。
しかし、グローバル経済においては中小企業では心もとないのであれば、グローバル経済への参加そのものが見直されるべきかもしれない。
世界的に特許の審査基準が甘いために、高額の特許申請をいくらでもできるため大企業が有利である事も1つの要因だろう。
容易にM&Aが出来てしまうのも問題だろう。業績好調で経営基盤もしっかりしている優良企業が資本力のある大企業に買収されても新興企業は育たない。
新興企業が過度に保護される必要はないが、現状では大企業に有利すぎるのではないか。
チベットも仮に独立しても現在の体制では、欧米や日中韓などとの自由貿易で輸入過多となり、とてもグローバル経済に生き残れないだろう。
ネパールやブータンは、国家形態がチベットに近いが、おそらく内情は上手くいってないに違いない。
ただし、最近、ネパール人は外国に外食産業で進出しているらしく、この方法なら比較的やっていけるかもしれない。
ただ、最近の世界事情として国外出稼ぎ労働者は、出稼ぎ先の国で仕事を奪うと考えられて迫害される傾向にあるから注意が必要である。