◎ 2013年1月14日 (月) 汝の敵を愛せよ
汝の敵を愛せよ・・・(新約聖書マタイ伝5章、ルカ伝6章) 自分に敵対し迫害する者をも愛するよう説いたイエスの言葉。
天網恢恢疎にして漏らさず・・・[老子第七十三章「天網恢恢、疎而不失」]天の網は広大で目があらいようだが、悪人は漏らさずこれを捕える。悪い事をすれば必ず天罰が下る意。
キリストが、どんな意図で「汝の敵を愛せよ」と言ったかは知らないが、実存主義者は、敵・味方の区別を付けない。
老子が、「天網恢恢疎にして漏らさず」とするのは、敵・味方の区別をつけるな、悪は天が裁くという意味である。
では、「敵も愛せよ」と「敵・味方の区別をつけるな」の違いは何かと言えば、後者は、万人を愛する事と万人と敵対する事は同じ事だとしている点である。
優れた実存主義者なら、老子の側だろう。未だかつて敵を愛そうと思った事も味方を愛した記憶もない。
実存主義者は、あらゆる裁きを神に委ねるものである。それは、敵・味方の区別を付けない事と同じである。
◎ 2013年1月19日 (土) 三木市産業倍増計画
三木市は山奥にあり、交通の便が悪い。
しかし、地図で見ると、それほど海から離れていない。
工場は、大きな敷地を必要とするが、港からあまり離れた所には造れない。
しかし、日本に港は少なく、都市部に工場を造らざるを得ない。
しかし、都市部の地価は高く、固定資産税が馬鹿にならない。
三木市は、交通は不便だが、地価は安い。交通の便が良くなれば、製造業にとって魅力的な土地になるのではないか。
三木市が最も近い海に面した土地は明石市である。
明石市に行くには、国道175号線を使うしかないが、この比較的大きい道路は常に渋滞している。
そのため、渋滞していなければ20分ほどで行ける所が、それ以上に時間がかかる。
175号線は十分大きいから、これを更に大きくするのは得策ではない。
その横に平行して、同規模の道路を敷設(ふせつ)する必要がある。
しかし、それには大規模な立ち退き要請と巨額の資金が必要である。
次の問題は、明石市には港があるが、主に漁港として使われている事である。
明石市は有名な漁業の町であり、その風情も町の魅力となっている。
しかし、それでは、三木市の工場から輸送できない。
そのため、明石港を貨物船の港に改造しなくてはならないが、そうすると魚市場や商店街も縮小を余儀なくされ、漁業従事者の大きな反発が予想される。
更なる問題として、道路と港が整備されても、工場の誘致に失敗したら元も子もない。
そこで三木市長は、先ず、道路と港が整備され、製品の輸送が短時間でできるようになったら、三木市に工場を造ってくれるか、企業経営者に打診する必要がある。
一定数の企業の賛同を得られたら、次に、共用病院建設で仲の良い小野市長を味方に付け、二人で、道路建設については加古郡長を、港建設については明石市長を説得する。
特に明石市については、港も町並みも改造されるから重点的に説得する。
両者の説得に成功したら、4人で国会議員の説得に当たる。
これは、田中角栄の日本列島改造論に沿ったものであり、国家予算を使わなくては実現不可能である。
三木市のように港は近いが交通の便が悪い地域も同じ手が使えるだろう。
◎ 2013年1月21日 (月) 特待生制度廃止
特待生・・・学校において、成績・人物優秀で、他の学生の模範であるため、授業料免除・学資給与などの特典を与えられた学生。
大阪の高校生がバスケ部のコーチに体罰を受け自殺した事件の原因は、特待生制度ではないか。
高校も、もちろんあるし、大学にもある。
高校・大学の特待生制度は、廃止すべきだろう。
スポーツ推薦や一芸入試も同じだから廃止すべきだろう。
学力が足りなくても一流大学に入学できるし、学費も免除されるから、かなり魅力的に違いない。
これらの制度のせいで、逆境にあっても特待生には逃げ場がない。
学力優秀の特待生は、入学後に成績が下がると特待生の資格を失う事もあるらしい。
そうなって学費が払えなくなると退学せざるを得ない事もある。
その結果、将来を悲観して自殺する事もあるだろう。
スポーツにおいては、プロスポーツを職業として認めるか認めないかという問題もある。
一流プロスポーツ選手が、引退後に事業に失敗して、多額の借金を抱えるという話はよくある。
プロスポーツ選手は40代になると引退で、次の職業について考えなければならない。
実業家のように、これまで稼いだ金で、その後、働かないで海外の別荘で隠居生活というわけにはいかないらしい。
生活レベル維持のためか世間体のためかは分からないが、とにかく、働かない事には、その後の生活が成り立たないわけである。
しかし、そのほとんどが、失敗する。
これでは、とても、プロスポーツを職業として認める事はできないのではないか。
プロスポーツ界がなくなれば、当然、学校のスポーツも遊戯の枠を出ない事になる。
オリンピックやノーベル賞も民族の優劣を競うものではなく、娯楽的な位置づけにすべきである。
日本が日本人は優れた民族だから他民族を支配するのだと侵略戦争を繰り返した歴史を忘れるべきではない。
韓国やシンガポールでは、学力向上に非常に力を注いでいるという話である。
特に韓国は、受験戦争が厳しく、自殺者が続出するほどだったらしい。
そうなってしまう原因は、グローバリズムにある。
韓国やシンガポールなどの人口も国土も小さい国は、アメリカなどの大国とおなじようにやっていたのでは、とてもそれらの国々と同じくらいの経済競争力を持つ事ができない。
そのため、このような過酷な受験戦争を国策として行っているのである。
オランダやスイスや台湾の受験戦争が厳しいという話は聞いた事がないが、これらの国々は経済構造において非常にリスキーだったり、特異なものだったりする。
中近東やアフリカでテロ組織が暴れているのも、ギリシャやスペインなどの財政危機も、グローバリズムのせいである。
小国がグローバリズムにまったく不向きである事が現在、露呈されているのである。
過酷な受験戦争や財政破綻やテロをなくす為には、各国の経済競争力が同じでなくてはならない。
現在、中国が経済大国と言われているが、まだまだである。
やはり、アメリカが世界一の経済大国である。
アメリカの規模に合わせて、各国は統合し、アメリカ規模の経済競争力を持った連邦国家を幾つか構築するのが、妥当な対策ではないか。
国家の役目は富(税金)の国民への配分である。
大きな国ほど国家の持ちうる権益は大きく、汚職も発生しやすいから、その点は注意すべきである。
仕事がなくても最低限の生活が保障される社会も必要である。
実存主義社会が最も実現性が高い。
◎ 2013年1月21日 (月) 独占権
座・・・中世、商工業者などの同業組合。貴族・社寺の保護を受け、商品の製造・販売上の独占権を有した。
ギルド・・・中世ヨーロッパの同業者組合。同業の発達を目的として成立。11世紀にまず商人ギルドができ、12世紀に手工業者ギルドが派生。都市の政治的経済的実権を把握、中世都市はギルドにより運営されたが、近代産業の勃興で16世紀以後衰退。
株仲間・・・江戸時代、江戸・京都・大坂などで、商工業者が幕府の認可を得て結成した同業組合。
楽市楽座・・・戦国・安土桃山時代、大名が商人をその治下に集めるため、城下町や重要都市で旧来の独占的な市・座の特権を廃し、新規の商人にも自由な営業を認めたこと。
日本の歴史10 明治維新 読売新聞社
p.17 『株仲間の再興令
仲間商人どもが商業を独占して、さらにもうけようとするために、値をつりあげ、商品の出回ることをさまたげているのだから、株仲間を解散して自由に取り引きさせれば、物価も下がるであろうと考えたからだったのだが、商品は思うように流れないし、物価はいっこうに下がらない。けっきょく幕府は、嘉永四年(1851)三月に、問屋組合をもういちど公認するという令を出さなければならなくなった。株仲間の再興とふつういわれているのがこれである。』
◎ 2013年1月23日 (水) 江戸幕府三大改革
享保(きょうほう)の改革・・・徳川8代将軍吉宗がその治世(1716〜1745)を通じて行なった幕政の改革。倹約の励行、武芸の振興、年貢増徴、定免制の実施、株仲間の公認、町人による新田開発の奨励、上米制・足高制・公事方御定書の制定、目安箱の設置、養生所の設立、医学・洋学の奨励などの政策で幕藩体制の建直しをはかった。江戸幕府三大改革の一。
享保の飢饉・・・享保17年(1732)、イナゴによる害で近畿以西をおそった大飢饉。餓死は1万人以上と推定される。幕府は被害のない地方から救援米を送らせたので江戸でも米価が高騰、翌正月に打ちこわしが起きた。
寛政(かんせい)の改革・・・松平定信が1787年(天明7)から93年(寛政5)までに行なった幕政の改革。倹約令・棄捐(きえん)令・七分金積立・人返し・人足寄場・異学の禁等の諸政策で、田沼時代に深まった幕藩体制の危機を乗り切ろうとしたもの。江戸幕府三大改革の一。
田沼時代・・・田沼意次が側用人・老中として幕政の実権を握った1767〜86年(明和4〜天明6)の20年間をいう。貿易振興・蝦夷地開発・新田開発など幕政の積極的打開を意図したが、賄賂政治と批判され、天明飢饉などにより失敗に終った。
天明(てんめい)の飢饉・・・天明2〜7年(1782〜1787)に起った大飢饉。特に同3年浅間山噴火の影響でおきた冷害による奥羽地方の飢饉は多数の餓死者を出し、このため各地に一揆・打ちこわしが起き、幕府や諸藩の支配は危機に陥った。
天保(てんぽう)の改革・・・天保12〜14年(1841〜1843)、老中水野忠邦が行なった幕府の改革政治。勤倹を旨とし、風俗を匡正し、諸問屋を解散、物価値下げを命じ、また江戸・大坂十里四方上知令(あげちれい)を発するなど、幕政再建に努めたが、その方法過激に過ぎ、失敗に帰した。江戸幕府三大改革の一。
天保の飢饉・・・天保4〜7年(1833〜1836)に起った全国的な飢饉。米価狂騰し、餓死する者多く、幕府の救済した者は前後七十余万人に及び、また、一揆・打ちこわしが諸方に発生して幕藩体制の危機が激化した。
◎ 2013年1月27日 (日) 天才
日経新聞に「私の履歴書」というコラムがあるのだが、作家の渡辺淳一氏やノーベル賞の根岸英一氏の自伝を読むと天才はいるものだなと思う。
ここでの天才というのは、いとも簡単に志望校に合格できるという意味である。
根岸氏は、何でも自分の決めたとおりに物事を進め、実際に進む。渡辺氏は、進路に際し、食っていけるかどうか考えた事も無かったと書いてある。
自分の人生に当てはめると、学力の範囲内で進路を決めたり、幼稚園児の頃に近所にひねくれたガキが大勢いて国全体がこんなに殺伐としているのかと考えたり、小学生の頃に世界恐慌は大変だと思ったり、どうやって生きようかと考えていたのとは大違いである。ただし、中学生の頃は、生きる事にあまり執着しないようにしようと思った。理由は忘れたが少なくとも武士道のような高尚なものではない。生に執着したら死ぬとき辛そうだとかそんな感じだろう。
橋下徹大阪市長の wikipedia の内容も天才でバイタリティ溢れるものである。
他人の伝記は、実際以上に立派に見えるものなのか?
◎ 2013年1月29日 (火) 決定論の実存主義的解釈
Wikipedia - ジョルジョ・アガンベン
『アガンベンは「運命」という概念によって生を必然的に規定しようとする決定論(ニヒリズムも決定論のひとつとされる)を斥け、人間の経験や自由を可能にする条件として「潜在性」をとらえている』
決定論・・・〔哲〕(determinism) 自然的諸現象、歴史的出来事、特に人間の意志は、自然法則・神・運命等によって必然的に規定されており、従って意志の自由や歴史の形成を主張するのは右の決定的原因を十分に知らないためとする立場。
絶対的観念論・・・精神と自然が根源的には同一であるとする立場。ヘーゲルなど。
ヘーゲル・・・ドイツ観念論哲学の代表者。自己が異質な他者(対象)のなかでいったん自己を見失い、その他者と和解しあうことによってより大きな自己へと生成し、究極的に絶対知へ至る論理を示した精神現象学とともに、論理・自然・精神の3部門から成る哲学体系(エンチクロペディー)を、理念の弁証法的発展という方法で提示した。その包括的な体系は、キリスト教の三位一体説をグノーシス的に思弁化しようとすると同時に、諸学問を哲学に統合する試みでもあった。主著「精神現象学」「論理学」「エンチクロペディー」「法律哲学綱要」のほか、死後出版された哲学史・歴史哲学・美学・宗教哲学などの講義がある。(1770〜1831)
つまり、決定論とは、環境や生物的条件によって人間の意志は完全に規定されるから、もし、人間にそれらの条件が正しく認識できるなら、個人的な考えを持つ事は許されないというものだろう。
この考え方が危険なのは、精神(理性)と自然(真理)は同一とする絶対的観念論と合わせると、例えば、キリスト教会の命令には無条件に服従しなくてはならなくなる事である。
また、決定論が間違っているのは、『必然的に規定されている』という根拠が何もない所である。
それに対し、アガンベン氏は、これまでの人類の歴史が可能性の総てではない。人間の力で未来を切り開ける可能性はあると主張しているのだろう。
老子とイエスの実存主義は、つまり最高レベルの実存主義は、修正決定論を支持している。それは、物質的生物的に規定されている環境が、先ず存在し、その条件に制限され、できる事とできない事はあるだろうという事である。決定論のように人間の意志が完全に規定される事はないが、できない事もある。しかし、実存主義は、絶対的観念論を否定するから、他人や権威に何が出来ないかを規定される筋合いはないという訳である。できない事が多ければ、できる事も限定されるが、それでも、やはり同じ理由で他人の指図は受けない。実存主義者は、いかなる場合でも人間の力で未来が切り開けるとまでは思っていない。絶対的観念論者に悪用されるのを承知で敢えて書くならば、環境に規定される条件下で最も優れた方法は1つしかないと俺は考えている。もし、どんな方法も失敗したならば最高の方法を試すべきだとは考えているのだが、もちろん、それも他人の指図を受ける筋合いはない。最高レベルの実存主義者は、その最高の行動を実存主義であるとしている。もちろん、他人に押し付けるつもりはない。
ヘーゲルの説明に『自己が異質な他者(対象)のなかでいったん自己を見失い』とあるのは、「2012年1月16日 (月) スピリチュアル体験」の事だろう。ヘーゲルも死に至る病を経験したのだ。ただし『その他者と和解しあうことによってより大きな自己へと生成し、究極的に絶対知へ至る』とあるのは血迷ったとしか思えない。そんな事ができる訳がない。『異質な他者』とは、社会の事である。ヘーゲルは、「2010年11月26日 (金) ジョゼフ・ド・メーストル」のメーストルに近いとまでは言わないが、その方向に進んだのだろう。多分、彼は半分発狂している。
最近の世論は、菅首相にしても小沢議員にしても自民党圧勝にしても、マスメディアの言いなりである。
この状況は、戦時中に酷似している。
日本国民は戦争が近いことを悟り、自分で考える事を止めて、マスメディアに意思を全面的に委ね、国家から迫害されないようにしているのかもしれない。
自己の意思を放棄する人間は実存主義者ではない。
国家から見て、いつでも無条件に言いなりになってくれる権力主義者は良い子だが、自己の意見を持っている実存主義者は悪い子である。これが俺が迫害を受ける理由の1つである。社会は戦争に反対する力が極めて弱い物である。
◎ 2013年2月5日 (火) 般若心経
般若経(はんにゃきょう)・・・般若波羅蜜を説いた経典の総称。大品(だいぼん)般若経・小品(しょうぼん)般若経・金剛般若経などがあり、玄奘(げんじょう)訳「大般若経」はその集大成。
般若波羅蜜・・・〔仏〕六波羅蜜・十波羅蜜の一。智慧の完成されたもの。さとりの智慧。般若波羅蜜多。
般若心経(はんにゃしんぎょう)・・・仏典の一。漢訳に諸訳あるが、最も流布しているのは唐の玄奘訳に2文字を付加した262字から成るもの。般若経の心髄を簡潔に説く。心経。般若波羅蜜多心経。摩訶般若波羅蜜多心経。
五蘊(ごうん)・・・〔仏〕(「蘊」は集合体の意) 現象界の存在の五種の原理。色(しき)・受・想・行(ぎょう)・識の総称で、物質と精神との諸要素を収める。色は物質および肉体、受は感受作用、想は表象作用、行は意志・記憶など、識は認識作用・意識。一切存在は五蘊から成り立っており、それ故、無常・無我であると説かれる。
無常・・・〔仏〕一切の物は生滅・変化して常住でないこと
無我・・・〔仏〕我(が)の存在を否定すること。我は人間存在や事物の根底にある永遠不変の実体的存在(アートマン)。無我は無常・苦と共に仏教の根本思想の一。
空(くう)・・・〔仏〕もろもろの事物は縁起によって成り立っており、永遠不変の固定的実体がないということ。特に般若経典や中観派によって主張され、大乗仏教の根本真理とされる。[反意語]有(う)。
縁起(えんぎ)・・・(因縁生起の意) 〔仏〕一切の事物は固定的な実体をもたず、さまざまな原因(因)や条件(縁)が寄り集まって成立しているということ。仏教の根本思想。因縁。因果。
苦厄(くやく)・・・〔仏〕苦労と災厄。
度(ど)・・・〔仏〕@生死(しょうじ)の迷いの海を越えて、悟りの彼岸に渡ること。また、そうさせること。「済度」 A仏門に入って戒を受けること。「得度」
舎利弗(しゃりほつ)・・・釈尊十大弟子の一。十六羅漢の一。インド、マガダ国の首都王舎城外那蘭陀村の婆羅門(ばらもん)の家の生れ。懐疑論者に師事していたが、のち釈尊の弟子となり、智慧第一と称せられた。シャーリプトラ。舎利子。鷺子。
空相(くうそう)・・・〔仏〕あらゆるものが空であるという性質。
六境(ろっきょう)・・・〔仏〕六識の対象となる六つの境界。すなわち、色・声(しょう)・香・味・触・法の総称。
六識(ろくしき)・・・〔仏〕@色・声・香・味・触・法の六境を知覚する眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の総称。 A第六意識の略。
無明(むみょう)・・・〔仏〕真理に暗いこと。一切の迷妄・煩悩の根源。三惑の一。十二因縁の第一支。
十二因縁(じゅうにいんねん)・・・〔仏〕衆生の苦の原因を順に12段階を立てて説明したもの。無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死の12項。初期仏教の中心となる重要な教説。後に、前世から現世、現世から来世の三世にわたる輪廻リンネの因果関係を説くものと解されるようになった。十二縁起。十二縁門。十二牽連。
四諦(したい)・・・〔仏〕(「諦」は真理の意) 人生に関する四つの真理。人生は苦であるという真理(苦諦)、苦の原因に関する真理(集諦)、苦を滅した悟りに関する真理(滅諦)、悟りに到る修行方法に関する真理(道諦)。原始仏教の中心の教説とされる。四聖諦(ししょうたい)。苦集滅道(くじゅうめつどう)。
智(ち)・・・物事を理解し、是非・善悪を弁別する心の作用。
菩薩(ぼさつ)・・・〔仏〕さとりを求めて修行する人。もと、成道以前の釈迦牟尼および前世のそれを指して言った。後に、大乗仏教で、自利・利他を求める修行者を指し、自利のみの小乗の声聞(しょうもん)・縁覚に対するようになった。また、観世音・地蔵のように、仏に次ぐ崇拝対象ともされる。ぼだいさった。
顛倒(てんどう)・・・〔仏〕煩悩などのため、誤った見方・在り方をすること。真理に違うこと。
涅槃(ねはん)・・・〔仏〕煩悩を断じて絶対的な静寂に達した状態。仏教における理想の境地。般涅槃。滅度。寂滅。
究竟(くきょう、くっきょう)・・・〔仏〕真理の究極。終極。畢竟(ひっきょう)。
三世諸仏(さんぜしょぶつ)・・・〔仏〕過去・現在・未来の三世にわたる一切の諸仏。
阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)・・・〔仏〕最高の正しい悟りの意で、仏陀の悟りを指す。無上正等正覚。無上正遍知。
呪(じゅ)・・・〔仏〕陀羅尼(だらに)。真言。神呪。
真言・・・〔仏〕密教で、真理を表す秘密の言葉。呪。陀羅尼。
陀羅尼・・・梵文の呪文を翻訳しないで、そのまま読誦するもの。一字一句に無辺の意味を蔵し、これを誦すればもろもろの障害を除いて種々の功徳を受けるといわれる。一般に、短いものを真言、長いものを陀羅尼という。秘密語。密呪。呪。明呪。
無上(むじょう)・・・この上もないこと。最もすぐれたこと。最上。
解脱・・・〔仏〕束縛から離脱して自由になること。現世の苦悩から解放されて絶対自由の境地に達すること。また、到達されるべき究極の境地。涅槃。
中山正和 「洞察力」 PHP文庫
p.144 『観自在菩薩、深く般若波羅密多を行じし時、五蘊皆空なりと照見し、一切の苦厄を度し給えり。舎利子よ、色は空に異ならず、空は色に異ならず、色は即ち是れ空にして、空は即ち是れ色なり。受想行識もまたかくの如し。舎利子よ、是の諸法は、空相にして、生ぜず滅せず、汚れず浄からず、増さず減らず、是の故に空の中に色なく、受想行識も無く、眼も耳も鼻も舌も、身も意も無く、色も声も香も味も触も法もなし。眼界から意識界まで(の六識)も無し。無明から老死まで(の十二因縁)も無く、またそれらの尽きることも無い。苦、集、滅、道も無く、智も得も無い、得るところ無きを以っての故に。菩薩は、般若波羅蜜多に依るが故に、心にケイゲ無しケイゲ無きが故に恐怖すること無く、一切の顛倒夢想を遠離して涅槃を究竟す。三世諸仏も般若波羅密多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得給えり。故に知るべし、般若波羅密多は、是れ大神呪なり、是れ大明呪なり、是れ無上呪なり、是れ無等等呪なり。よく一切の苦を除き、真実にして虚ならざる故に、ここに般若波羅密多の呪を説く、即ち呪を説いて曰く、ぎゃていぎゃていはらぎゃていはらそぎゃていぼじそわか。』
般若心経の現代語訳なのだが、色だけでなく、五蘊は総て空であると書いてあるらしい。
無常・無我・空は、絶対的観念論の否定を意味しているのだろう。
色即是空・空即是色は、色即是空であれば空即是色であるのも当然だと普通考えるかもしれないが、論法としては別物である。例えば、赤鉛筆は鉛筆だが、鉛筆は赤鉛筆とは限らない。色と空が完全に同じ物であるのを厳密に示すために、両方を書いているのである。
「2009年8月15日 (土) 警察」は、色即是空というよりは、むしろ五蘊皆空の説明である。
この本によれば、舎利子とは、釈迦の直弟子の1人で、般若心経は釈迦が舎利子に五蘊皆空の説明をしたものらしい。
観音菩薩も真理探究の末、五蘊皆空を悟り、あらゆる苦しみから抜け出し解脱したそうだ。
般若波羅蜜は最高真理であり、般若経は般若波羅蜜を説いたものであり、般若心経は般若経の真髄を簡潔に説いたものであり、般若心経には五蘊皆空の説明しかないから、五蘊皆空こそが仏教の最高真理であると言えるだろう。
五蘊皆空は、もちろん理解できるのだが、これと自己の世界観を完成させる事は全く無関係である。
実存主義の最高レベルは、自己の世界観を完成させる事であり、この延長線上にある訳ではない。
ただし、完成したら終わりではなく、その後には実存主義者特有の経験がいくつか待っている。
多くの実存主義者は、絶対的観念論を否定しているから、五蘊皆空は実存主義に適っている。
ソクラテスの無知の知も絶対的観念論を否定する論理だから、この二つの論理は同じ使われ方をするのだろう。
竜樹(りゅうじゅ)・・・150〜250年頃の南インドのバラモン出身の僧。小乗仏教から後に大乗仏教に転じ、空の思想を説いた。中観派の祖。また、中国・日本の諸宗はすべて竜樹の思想を承けているので、八宗の祖という。著「中論」「十二門論」「大智度論」など。ナーガールジュナ。
ナーカルジュナ(竜樹)について(http://koshun.cool.ne.jp/travel/india/nagaru.html)
『(竜樹は)一切の実在論を否定し、すべてのものは真実には存在せず、単に言葉によって設定されただけのものである(=空)という説を展開した』
竜樹による空の説明は、分かりやすいようだ。俺の説明もこれと同じである。
p.101 『法華経に書いてある物語は、お釈迦さまが「人生をいかに生きるか」という大命題を洞察して、「色即是空、空即是色」(実在は空っぽである)という大発見をしたお釈迦さまのアタマの中に去来したイメージであろうと思います。お釈迦さまは「真理はこうだからそうしろ」とはいわれなかったそうで、「私はこうして真理を発見したのだから君たちも私がやったようにやってみてはどうか?」といわれているだけだとききました。』
十界(じっかい)・・・〔仏〕迷いと悟りの全世界を10種に分けたもの。すなわち地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界(以上迷界)と声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界(以上悟界)。天上界までの六界は迷いの世界でこれを六凡と称し、声聞界以下は悟りの世界でこれを四聖という。十法界。
法華経には、釈迦が座禅してたら花が降って来て地震が起きて釈迦の眉間から光が出て天界から地獄界までの六道を照らし出したというような事が書いてあるそうである。
法華経は、阿含経同様、釈迦の話を弟子がまとめた形式になっているそうである。
新約聖書や論語も同様である。
『人生をいかに生きるか』とあるから、仏教は釈迦の人生哲学である。
また、釈迦は布教活動をせずに紹介に留めたから、キリストよりも優れた実存主義者である。
仏教や老子は、何も考えない事を勧めていると勘違いされているが、これらはキリスト教同様に理詰めで考え抜く思想である。
キリスト教も仏教も老子も実存主義である事は間違いないのだが、どれも最も肝心な権力主義社会については一切触れていない。社会との対立を敬遠した結果だろう。しかし、そのためにこれらの思想を学ぶ者には分かりづらくなった。般若心経には、『無明の尽きることも無い』とあるから、釈迦は社会の改革や革命は望んでいない。仏教は個人的なものであり、布教して信者を増やし社会を変革するという意志は彼には無い。望むなら教えてあげようというのが彼のスタンスである。
カエサルの物はカエサルに・・・(新約聖書マタイ伝22章) この世の務めと神への務めを共に果せと教えたキリストの言葉。転じて、本来あるべきところに返せ、の意で用いられる。
釈迦は、阿含経で社会から逃げ出せと言ったが、キリストは、新約聖書(http://web1.kcn.jp/tombo/v2/MATTHEW22.html)で民衆は税金も布施も両方払えと言った。
釈迦には僧侶と信者という区別が無いのに対し、キリストは両者を明確に区別しているのが分かる。
釈迦の考えで行くと本来、仏教には僧侶だけで信者は存在しないはずである。
キリストが実存主義を理解していたのは間違いないが、彼はそれを信者に教えるつもりは全く無かったと言えるだろう。呆れた人間である。
総ての民衆が信者ではないが、キリストはあらゆる人々は信者でなくてはならないと考えていたから、彼にとっては民衆と信者は同じ物である。
◎ 2013年2月6日 (水) 新約聖書(3)
ルカ17(http://bbbible.com/bbb/bbblk17b.html#lk17.5-6)
『12:9 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
12:10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。』
自分が弱いという事は、敵の勢力が大きいという事である。
実存主義者が経験的に巨悪と感じるのが、大きな権力による横暴である。
そのため、老子の天網は、権力が大きいほど捕らえやすいと実存主義者は考えるのである。
キリストが『わたしの力』と言っているのは、天網の事である。
キリストは、自分自身が神だと考えているから、天の働きも彼の能力なのである。
その場合、キリストが死ねば天の働きも消えるはずだが、実際は消えないから、キリストの言は嘘である。
◎ 2013年2月14日 (木) 右翼・左翼
保守主義・・・現状維持を目的とし、伝統・歴史・慣習・社会組織を固守する主義。
革新主義・・・20世紀初めのアメリカにおいて、政治の革新と経済への政府干渉の必要とを説くなど、経済発展に伴う混乱の中で秩序を回復しようとした多様な主張およびその運動の総称。
右翼・・・(フランス革命後、議会で議長席から見て右方の席を占めたことから) 保守派。また、国粋主義・ファシズムなどの立場。
左翼・・・(フランス革命後、議会で議長席から見て左方の席を急進派ジャコバン党が占めたことから) 急進派・社会主義・共産主義などの立場。左党。左派。
国家社会主義・・・社会改良主義の一つの立場。資本主義の弊害を国家権力の干渉によって調整しようとするもの。ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)はその典型。
社会改良主義・・・資本主義制度を維持しつつ、その欠陥を改良しようとする立場。改良主義。
日経新聞(2/10)
元幹事長・加藤鉱一(かとうこういち)氏の弁
『野党を3年あまりしている間に伊吹文明さんを中心に政権構想会議をつくった。そこで「保守とは何か」を論議したが、結論は出なかった。何が保守で何がリベラルかの定義が分からないまま、わーわー議論している』
『自民党だけでなく、民主党も右へ動いている。民主党議員も7割ぐらいの人は自分は保守だと思っている』
元幹事長・石破茂(いしばしげる)氏の弁
『−自民党は軽武装の吉田茂路線と再軍備の岸信介路線が並存してきました。「どちらも自民党だ。吉田路線で日本経済は離陸した。本当は岸路線を確立すべきだったが、当時は国力がなかった。いまは状況が変わって岸路線が求められている。時代に合わせた政策選択だ」』
吉田茂(よしだしげる)・・・外交官・政治家。東京生れ。東大卒。外務次官・駐英大使などを歴任。第二次大戦後、外相。1946年日本自由党総裁、次いで首相。48〜54年連続して首相となり、戦後政治の基本路線を定め、親米政策を推進。51年サン‐フランシスコ講和条約に調印。(1878〜1967)
岸信介(きしのぶすけ)・・・政治家。山口県生れ。東大卒。満州国高官をへて、1941年東条内閣の商工相。A級戦犯容疑で逮捕。56年石橋内閣の外相、石橋の病気辞任後首相に就任。60年新日米安保条約批准を強行して総辞職。タカ派として影響力をもった。(1896〜1987)
現代用語の基礎知識2000
『加藤派の由来(旧宮沢派)
かつては吉田茂、池田勇人、大平正芳ら、戦後の保守政治を形成してきた保守本流を自認する多くの官僚出身者を擁した。多数派工作や交渉能力が弱く、党内を掌握する力も弱い。池田内閣以降、大平、鈴木善幸、宮沢と三人の首相を輩出したが、田中派またはその継承派閥・竹下派の支持によって誕生した。一九九三(平成五)年総選挙による政権脱落から、河野洋平議員が党総裁に就任。九四年には派閥を解散したが、九五年三月から勉強会として「木曜研究会」を発足させた。九五年の総裁選挙では直前に同派有力者の加藤紘一議員が対立候補の橋本議員支持を表明、河野総裁不出馬表明となり、結束力の弱さを再確認するものとなった。九八年の自民党総裁選では、早々と小渕候補の支持にまわり、新主流派の流れをつくった。一方で河野洋平らは、この流れから一定の距離を置きはじめた。九八年暮れ、宮沢にかわり加藤が会長に、今日に至る。』
『森派の由来(旧三塚派)
安倍派を継承した有力派閥。一九五五(昭和三〇)年に岸信介議員を会長として正式に誕生した派閥で、六〇年に首相となった岸議員が総辞職後に、福田赳夫議員が大半を掌握。八六年には岸議員の娘婿の安倍晋太郎議員が引き継いだ。安倍議員が九一年に死去してから、三塚議員と加藤六月議員とによる権力闘争があったが、大方が三塚議員を支持して終息した。派閥は九四年に解散したが、政策集団「二一世紀を考える会」として活動を継続。九五(平成七)年八月の内閣改造では、河野総裁が九月の自民党総裁選をにらんで三塚議員を党幹事長に指名し、派閥政治の復活と批判されることになった。九八年の自民党総裁選では、旧三塚派を代表して小泉純一郎が総裁候補となったが、三人中三位の八四票で敗れた。これを契機に、亀井静香は新しい政策集団「日本再生会議」を結成し、旧三塚派から約三〇人の同調者を集めた。これに対し、森喜朗も派中派のグループ「清和勉強会」を結成、派内は再編の嵐の中に揺れた。』
wikipedia 「保守」
『「維持せんがために改革する」というディズレーリの言葉や「保守するための改革」というエドマンド・バークの言葉からも明らかなように、保守主義は漸進的な改革を否定しない。』
『保守主義者達は理性を懐疑する。彼らがフランス革命で理性主義を掲げたジャコバン派が議会を暴走させ、道徳を退廃させ、そして自由を軽視させる過ちを犯したと看做している事が、そのように懐疑される理由の一つである。同様の事態はロシア革命など多くの革命にも見られる。』
『資本主義化した社会では大企業経営者・資本家、中小企業経営者も既得権益を持つものとして保守主義を支持する傾向がある。』
『保守政党としては、自民党のほかに国民新党、たちあがれ日本がある。郵政民営化に反対した自民党議員たちが自民党を離党して国民新党を結成した。民主党は自民党旧経世会の議員が多数参加しているため保守傾向も強いと言われているが、旧社会党系の流れを汲む議員も多数参加しており、党としては保守でも革新でもない。2010年4月に自民党出身の平沼赳夫、与謝野馨を代表として結党した「たちあがれ日本」は、外国人地方参政権や夫婦別姓をはじめ“国民生活の根幹をおかしくする政策”に反対し、“日本の良き伝統文化を守る安心社会の構築”を党是として、また復古的改憲論を掲げている。』
wikipedia 「革新」
『思想としての革新は政治分野で使われることが多く、主に国内政策に対して使われる。進歩主義と称される場合も多い。対する概念は保守、保守主義。』
『戦前の革新は、1930年代後半に革新官僚と言われた国家統制を指向する勢力に代表されるように、国家主導の社会主義的な改革をめざす方向性をもったことばであった。また、右翼の中にも社会主義から強い影響を受け、一部の国学の系統を引く日本の保守思想家や左翼からの転向組の中から国家社会主義思想を持つグループが現れた。この系統は革新右翼と言う』
wikipedia 「極右」
『視点には通常、権威主義、人種差別(選民)主義、排外主義(より具体的にはあらゆる面においての自民族最優先と外国人嫌悪、移民排斥)、性差別主義(男尊女卑、ミソジニー、性役割論など)、反同性愛主義などが含まれる。また思想には通常、ファシズム、ナチズム、人種至上主義(特にネオ・ファシズムとネオナチ)、原理主義(宗教右派)、更にはその他の超国家主義(ウルトラ・ナショナリズム)や反動の思想や運動がある。』
『通常は「極右」と呼ばれる、ファシズムを提唱したベニート・ムッソリーニは愛国主義的な社会主義の出身で、ナチスは社会主義政策を含む国家社会主義を掲げ、北一輝は当初は純正社会主義を掲げた。これら以前にも黄色社会主義は、マルクス主義を批判して階級協調、コーポラティズム、排外主義、反ユダヤ主義などを掲げ、ファシズムやナチズムの先駆と呼ばれている。』
ウィキペディアによると、右翼と保守が同じ意味で、左翼と革新が同じ意味で双方は対立関係にある。
辞書によると、右翼は保守主義かつ国粋主義であり、左翼は社会主義である。また、右翼と左翼はフランス生まれの用語である。革新主義は、アメリカ生まれの用語で、アメリカには社会主義がなく、代わりにリベラル派がある。民主党がこのリベラル派であり、大きな政府による高福祉政策を推進する。対立する共和党は、保守派であり、減税策による小さな政府を推進する。
フランスとアメリカでは、政治構造が違っており、右翼・左翼はフランス政治用語であり、保守・革新はアメリカ政治用語なのである。
日本においては、社会党が最大野党だった米ソ冷戦時代は、右翼・左翼という表現の方がふさわしかったが、社民党と共産党が没落し、リベラルが台頭する現代においては、保守・革新の方が日本政治向きの用語だろう。しかし、現実として、増税と公共事業を推進した自民党は保守とはいえない。民主党はもちろんリベラル派である。つまり、日本には、社会主義がなく、リベラルだけが存在するが、対立する減税推進の保守派の政党が存在しないため、保守・革新という用語も使えないのである。
日本の社会構造は、フランスともアメリカとも異なるから、右翼・左翼・保守・革新は、本来の意味で使う事ができない。では、別の意味で使えば良いとなるが、そうすると外国人とこれらの会話をする時に、話がかみ合わなくなるだろうし、日本人にこれらの用語を使って外国政治を説明するときも、教えてもらった方は誤解する可能性があるだろう。
日本では現在、これらの用語は、本来とは別の意味に使われている。
右翼と保守が同じ意味で、左翼と革新が同じ意味で使われている。
政治構造を根本的に変革しようとする人々を急進派と呼ぶらしい。例えば、社会主義や無政府主義がこれに当たる。根本的に変革しようとすると、既得権益保有者が反対するため、現実的には内戦という手段を取るしかない。これを革命と呼ぶ。急進派の中でも革命を主張する人々を過激派と呼ぶらしい。ただし、社会主義者の中には、議会政治を通して社会主義を実現しようとするグループもある。自民・さきがけ・社民連立政権では、社民党の村山代表が首相になったが、特に何も変わらなかった。俺の考えでは、議会政治を通した社会主義実現は不可能である。実存的無政府主義社会は、既に説明したように議会政治などによる漸進的実現のみが可能である。革命による実現は不可能である。
革命に対し、政治の基本構造は、そのままに、部分的に変革するのを改革と呼ぶ。主に改革は、規制撤廃または緩和によって、既得権益を減らす事によって行われる。
保守の意味として、既得権益を保護する立場もあるが、それを削減する改革も保守であるとされているらしい。
これでは矛盾する事になるが、そういうものらしい。つまり、保守には同士討ちの性質があるのだろう。
保守主義者には伝統と実績を尊重し、理性的な考え方や主張を退ける傾向があるらしい。しかし、彼らは、人類の歴史が戦争の歴史であるという事実を完全に無視している。保守主義者は反動主義者でもある。運用において社会主義は資本主義に敗北したが、社会主義者の理性が間違っていたのが証明されただけであり、理性そのものの否定にはつながらない。社会主義が理性そのものではない。
ナチスや226事件の皇道派は、国家社会主義らしい。国家社会主義は、名前からするとまるで社会主義のようだが、実は資本主義による貧富の差を社会福祉政策などの国家介入で是正しようとするものであり、アメリカのリベラルに近いようである。「現代用語の基礎知識」によれば、アメリカ国民は社会主義を嫌悪しているため、民主党は自分たちを左翼ではなく、リベラル(自由主義者)と呼んでもらいたいらしい。社会主義は巨大政府による完全福祉国家だから、大きな政府による半福祉国家を目指すリベラルも方向性は同じである。革新は本来、リベラルと同義語のはずだが、左翼と革新が同一視されている現状から別の呼び名を求めたのだろう。前述のように、資本主義ベースの部分的変革は、保守の性質の1つであるため、社会主義ではなく資本主義である。そのため、リベラルも国家社会主義も左翼ではなく右翼である。しかし、一般的には国家社会主義は左翼と誤解されているかもしれない。だとすると、国家社会主義が極右と呼ばれるのは何故だろうか?その理由は、国家社会主義の選民主義的・文化反動主義的・全体主義的な右翼的性質によるものではないか。
右翼・保守には、外国を排斥したり敵対する傾向がある。
理由は、自国文化を守るため、軍事的自立のため、国益を追求するためなどである。
しかし、常に外国に強硬姿勢をとる事が、それらの目的にかなうとは思えない。
日本政治は、古来、朝廷の直接統治か、勅許を得た征夷大将軍や内閣による委任統治によって行われて来た。
現代日本政治も勅許によって任されているという意識が保守の政治家にはあるだろう。
では、右翼は尊皇攘夷なのかとなると、新日米安保条約を結んだ事は保守らしいのである。この条約によって、日本の軍事的独立が妨げられ、アメリカの影響を受けるようになったのは、保守(右翼)とは相容れないはずである。しかし、世界各国の力関係において、アメリカの支配下に入る事を自国文化保護や軍事的独立よりも優先したというのは、保守とされる井伊直弼が諸外国との通商条約を結んだ事と同じと考える事ができるだろう。保守にとって重要なのは、現状維持であって天皇そのものではない。天皇を中心とした日本文化(つまり尊皇攘夷)と考えるならば、アメリカの軍事干渉は一切排除される事になる。
社会主義が著しく衰退した現代日本において、左翼や革新は、ほとんど死語に近い。
しかし、そんな中で諸外国から右傾化していると言われるのは、左翼に対する右翼ではなく、国民が団結して外国と敵対する傾向になっているという意味だろう。
新日米安保条約締結を強行した岸元首相は、軍拡主義者だったらしい。米軍が駐在すれば軍拡は不要だから、彼にとっても新安保どころか安保そのものが不本意だったのではないか。
自民党政権は、橋本・小渕元首相が田中角栄元首相の後継グループだったが、その後、森〜安部首相までが岸元首相の後継グループになっている。
吉田茂グループは、池田勇人グループと佐藤栄作・田中角栄グループに分裂する。
岸グループは靖国神社参拝系で、田中グループは公共事業系で、池田グループは族議員系という感じだろうか。
岸グループだった亀井静香議員は国民新党で、族議員の与謝野馨議員はたちあがれ日本らしいから、この分け方は一概に正しくはないだろう。
日経新聞(2/10)
『インド政府によると2011年の性的暴行事件の発生件数は2万3582件に上る。しかし、有罪率は17%と極端に低い。〜隣国スリランカでも〜女性団体「ラク・バニタ」は「年間約1800件の性的暴行事件が発生している。失業男性が酒や薬物に走り、被害を拡大させている」』
今、インドが危険らしい。
自動車数が大幅に増えて、道路は渋滞し、交通安全が危ないという話もあるし、ヒンズーナショナリズムも台頭しつつあると言う話である。
どれも、経済の急激な発展に伴って発生した問題である。
異常な治安悪化を招くから、イスラム教国やヒンズー教国は、あまり経済を発展させない方が良い。
日本は、高校運動部と全日本女子柔道の体罰問題で国家による国民への国粋主義・軍隊教育が開始されたようである。いずれ排外主義・天皇崇拝教育に発展するだろう。
政府が率先して戦争する事はないだろうと高をくくっていたのだが、やるつもりらしい。
最近はユーロ危機が一先ず落ち着いて、円安・株高で社会的に多少安定しているのかと思いきや、全くそんな事はないようだ。
相手は欧米か中露か。攻め込み先は、北の中露か東のハワイか南のオーストラリアか西のフィリピン・東南アジアか。
第二次世界大戦では、日本は全方向に攻め込んだ実績がある。