◎ 2012年11月13日 (火) 哲学と国家
実存哲学は、人生哲学であり、人間はいかにして生きるかというのが主題である。
それに対し、一般哲学は、人生哲学ではないから、それを学ぶ者の人生観に何の影響も与える事がない。
老子や孔子などの東洋哲学は、人生哲学であり、西洋哲学は、実存哲学の人生哲学とそれ以外の一般哲学に別れる。
これは、哲学における根本的な分類だが、哲学者の間でも、この分類について言及される事はないようである。
仏教は、阿含経に見られるように、釈迦の人生哲学である。
仏教は、大雑把に、浄土宗、禅宗、密教、天台宗に分類されるが、浄土宗は阿弥陀如来、密教は大日如来、禅宗にはそういう神が存在しない純粋な哲学宗教であり、天台宗は、浄土宗と禅宗と密教を無理矢理1つにまとめ上げたものである。
浄土宗は、阿弥陀経を聖典とし、信者が念仏を唱える事で死後に天国に行かせるのが宗旨であり、密教は、多神教で儀式重視のヒンズー教に釈迦の人生哲学が取り込まれたようなものである。禅宗は、釈迦の人生哲学を代々伝えるのが宗旨だが、長い年月の間に既にその哲学は失われてしまっているようである。座禅は、ヨーガに近いから、禅宗は、ヒンズー教の影響も受けているのだろう。
密教には、真言宗の東密と天台宗の台密がある。チベット密教も密教の1つである。
俺は、老子と釈迦とキリストの哲学は、実存主義だが、孔子は、権力主義だと考えている。
読売新聞サイト(11/11)
『相次ぐ焼身自殺…異例のチベット大規模デモ
米政府系放送局ラジオ自由アジア(RFA=電子版)によると、中国青海省黄南チベット族自治州同仁県で8、9日、中国政府のチベット政策に抗議するデモが2日間連続で行われた。
9日のデモ参加者は数千人に達した。中国では8日に中国共産党大会が開幕しており、各地で警備が強化される大会開会中の大規模デモは極めて異例だ。
RFAによると、8日に同仁県のチベット族学生数百人がデモを行ったのに続き、9日は午前5時ごろから正午ごろまで、学生や僧侶ら数千人が「民族言語の自由を」「ダライ・ラマをチベットに返せ」などと叫びながら市街を行進した。参加者が1万人に達したとの情報もある。多数の警察や政府関係者が監視にあたったが、デモ隊との衝突などはなかった模様だ。』
読売新聞サイト(11/13)
『チベット族また2人焼身自殺…中国当局が軍派遣
中国青海省黄南チベット族自治州同仁県で12日午後、20代前半のチベット族の男性2人が相次いで焼身自殺した。
インド北部ダラムサラに拠点を置くチベット亡命政府によると、うち1人はチベットの自由を求めるスローガンを叫んで自身に火をつけた。北京で開催中の中国共産党大会に合わせ、中国政府のチベット統治に改めて抗議の意を示したとみられる。中国当局は現地に大規模な軍部隊を派遣したという。
亡命政府によると、抗議の焼身自殺を図ったチベット族は今月だけで10人に達した。同仁県では9日、チベット族による大規模な抗議デモも起きている。』
もし、自殺が、何の意志も示されずに結果だけを期待して行われたら、多分誰も気にも留めないと思うのだが、近年、中国政府がチベット人に還俗を強制しているのは事実であり、その弾圧への反抗の意志がチベット人の自殺には示されている。これは、個人の信教の自由の問題であり、宗教も思想の一種と考え、人権として認められるべきである。中国政府は、自治区内からチベット密教を一掃する弾圧を行うべきではない。もし、一連の自殺が、チベットの独立や完全自治を求めるためのものであるなら、自殺は全く認められない。団結の結果として自殺する事になるからである。その場合は、自殺をせずにデモのみを行うべきである。デモは意思表示であり、即効性は無いが、何年でも何十年でも続けられる。自殺で即効性を狙うのは邪道である。
自爆テロも自殺ではあるが、これには抗議の意味は微塵も無い。敵に捕まって拷問されるのが嫌で死ぬのであるから、これを否定すると拷問を受けろと言っている事になる。自爆テロは戦法の1つであり、認める認めないの問題ではない。
自爆テロも団結の結果だから認められないはずだと考える人もいるに違いない。しかし、同じ条件でもその他の条件が微妙に違うだけで、道理に沿っているかいないかの問題には正反対の結論が導き出される事もある。現実において、何から何まで全く同じ条件の事態が発生する事は先ずない。道理には杓子定規な論法は通用しないから、その場その場で答えを出さなくてはならないのである。法律と道理がいかに相性が悪いかが分かるというものである。
日経新聞(11/10)に似たような記事で、アメリカのプエルトリコ自治領で、州昇格の住民投票があったらしい。
州昇格には、現在のスペイン語を廃して、英語を公用語にする必要があるらしい。
オバマ大統領は、中国のように無理矢理、プエルトリコを州に昇格させようとはしていないようだが、その気があるなら応援すると言っている。
住民投票の結果は、どっちつかずのようである。
アメリカにしても中国にしても、文化が異なると自治区になるらしい。
これらの記事から推察すると、毛沢東が、チベットを併合するために進軍したのは、中国の共産主義を世界の資本主義から守るために、中国自身の勢力を拡大するためだった事が分かる。つまり、毛はアメリカに脅威を感じ、それに対抗するためにチベット併合に動いたのである。
その政策が、現在も中国を動かしているのである。
その考えで行くと、オバマ大統領もプエルトリコをアメリカ国威増進のために取り込みたい所に違いないが、進軍してまでする必要は感じていないのだろう。
日本においても、蝦夷など異民族は、ことごとく征伐されたし、アイヌ人も同化された。
権力主義は、勢力拡大の性質を持っている。中国は、アメリカに対抗するためにそれを実践しているのである。
イスラム教圏の国々でも自殺テロが相次いでいた。最初は、アメリカの同時テロで、更には、その後のアフガンやイラクへのNATO進軍に抵抗して、その後は、パレスチナからイスラエルへの攻撃にも使われるようになった。
現代用語の基礎知識によると、近年、アラブ諸国でイスラム教回帰の機運が高まったのは、アメリカ資本主義に代表される経済格差やドラッグ、売春などの悪影響が表面化して来たかららしい。
また、資本主義は、実質的に国家間の貿易収支を競う経済戦争でもあるから、経済競争力のない国々は、貧困度が大きくなる。
反米文化としてイスラム教による他国文化排斥による社会の健全化が目的なのである。
それが、アメリカ同時テロに繋がったのかとなると、日本の右翼団体のようなアルカイダが暴走したような印象を受ける。しかし、あれだけの規模の組織が出来上がるほど、アラブ諸国の経済状態は厳しいと捉えることもできる。
現在、プーチン大統領が反米政策をとりつつあるのも、ロシアに経済競争力がないにも拘らず、グローバル経済にもまれている現状に対する不満の表れだろう。
特に日本や台湾などは、国家主導で国家予算も使って技術開発を行い、経済競争力を高めている。
正に経済は国家間の戦争であるという位置づけであり、そうした仕組みのない国々は、食い殺されてしまうのである。
世界自由貿易協定機関のWTOは、そうした現状に全く対応できてなく、国際社会は、荒廃していく一方である。
貿易は、双方が、同じくらいの競争力の国家間で行われるべきである。
自国の文化を守る事は、既得権益を守る事でもある。
社会が現状を維持している限り、それは守られるからである。
権力者や資産家に保守主義者が多いのは、うなずけることである。
近年、世界中で自殺テロや戦争があった影響で、人間の命が軽くなった。
財政が底を突き始めている国々も多い。
現代は、全世界で国家や人生観の秩序が崩壊しつつある時代である。
世界中の国家・社会が崩壊、消滅するかもしれない可能性を視野に入れる時代になった。
世界各国の勢力拡大の努力も無駄に終わるだろう。それは、権力主義社会の失敗を意味する。
◎ 2012年11月15日 (木) キリスト教とユダヤ教と天皇とレーニンの権力主義社会における役割
「超大国の自殺」という本についての広告に、『<国を1つに束ねるもの>の喪失 アメリカがキリスト教国であることすら、オバマ大統領が就任演説で否定』とある。著者のブキャナン氏は、保守論客と書かれている。
これは、アメリカの保守主義者にとって、キリスト教は、国民を団結させる道具である事を示している。
キリスト教徒になるには、神が存在する事、イエスは神と同一である事、天国と地獄が存在する事の3つを無条件に信じなければならない。これらは、確かめる事は決してできないため、何の根拠もなしに確信しなければならないのである。その見返りに、信者は、キリスト教という集団において団結を得られるのである。
団結とは何か?団結とは、何の根拠もなく無条件に集団に目的の行動をさせる事である。例えば、構成員の一人に敵がいた場合、その敵に皆で襲い掛かる事を強制できるのである。そういう集団を得られるのが構成員になる事の利点なのである。ただし、集団は常に構成員を守ってくれるわけではない。最も重要なのが集団であって個人は二の次であり、場合によっては、あっさり属する集団から裏切られ、犠牲を強いられる。同じ集団でも、貧乏くじを引かされ、常に生き地獄を味わい続ける人々も出てくる。例えば、テロリスト集団でも、誰もが自爆テロをさせられるわけではない。
国が消滅したユダヤ人が世界中に散り散りになってもユダヤ教で団結していたのも、現在イスラエルが敵に対して団結し、世界中のユダヤ人がそれを支援しているのも同じ理由である。
また、日本の天皇が神格化され、外国と戦争するために国民を団結させる道具にされるのも、社会主義国において、レーニンやキム・イルソン、毛沢東が神聖化されているのも同様である。
現在、イスラエルとイスラム教圏が敵対しているが、世界の対応は、どちらの陣営の味方をするかである。
それだけでなく、あらゆる問題が、敵か味方かだけで解決を図られる。
それは、社会が団結を基本として成立しているからである。
本来、問題解決は原因を究明し、それにいかに対処するかを考えるものだが、そのようなプロセスが現実で採られることはない。
経験として周知のとおり、これは、国家間のみならず、家族や友人、地域社会、会社などあらゆる集団において成立している仕組みである。
◎ 2012年11月19日 (月) 民主主義と自治区
中国は、一党独裁と言っても、革命功労者の子孫で構成される太子党と叩き上げの青年団の二大派閥があるらしい。両者は、アメリカの二大政党制のように交互に総書記を出し、それに伴い、党の主要ポストや中央銀行総裁も刷新されるらしい。
政治腐敗防止の側面では、民主主義と同じというわけである。
民主主義においてもそれ以上の腐敗防止策はないわけであり、特別、中国政治が腐敗する要因はないはずである。
アメリカの自治領への寛大さが中国に存在しないのは、共産主義が世界において資本主義よりも少数勢力であるために危機感を持っているという一点でしかないだろう。
そう考えると、たとえ、民主主義と言えども、世界における少数勢力であれば、自治区は安全ではないと言える。
資本主義(自由主義)に敵対する国々には、経済競争力がないという共通点がある。
国家間の経済格差を失くさない限り、この対立が解消される事はない。
中国は、世界第二位の国内総生産国となったが、まだ一時的なものであり、この先どうなるか分からない。
太平洋やヨーロッパなどには小国が多い。
小国が経済的に大国に勝るのは、物質的に難しい。
オランダやスイス、台湾、香港、シンガポールなどは健闘しているが、その他の小国や自治区は真似ができるだろうか?
ギリシャ国債危機に見られるように、現在、小国は資本主義に向いていないという事実が顕在化している。
小国や自治区は、この事実についてどう対処して行くのか考えるべきだろう。
◎ 2012年11月21日 (水) 強いて何かをするならば
社会がどうなったところで、俺の人生が今更どうなるものでもないから、基本的にどうなろうとかまわないのだが、自分が生きた証として何か社会に働きかけるならば、人々に道理を持たせてみたいものである。
もちろん、俺の道理とは実存主義の事である。
道理が社会から失われると社会に災厄が降りかかる。それが、道理の定義だからである。だから、現実を見る事で、道理が失われたかどうか、道理が何かを人々は判断できるはずである。
バベルの塔は、人々の意思の疎通がとれなくなって建設が頓挫した。ノアの洪水は、社会秩序(権力)の崩壊を意味している。どちらも社会から道理が失われた結果である。
チベット自治区のチベット人は、ダライラマを心の拠り所にしている。
そのため、ダライラマも自分の生きている間に、チベット自治区の行く末の方向性が見えないものかと考えているに違いない。
しかし、無理矢理、チベット問題を解決する事はできない。道理に沿って解決されるべきだろう。
シリアは、恐らく、リビアのように反政府軍による準独裁政権になるだろう。
内戦で建国されると、そうなる運命だからである。
世界各国で狭いゲットーの中での生活を強いられたユダヤ人には、彼らの国が必要である。
しかし、イスラム教圏は、ユダヤ人を一人残らずアラブから追い出し、イスラエルを消滅させる事しか考えていない。
ドイツや日本などは、反原発で原発が動かず、電力不足になる可能性があるらしい。
それを見兼ねて、ロシアは、日本に海底ケーブル経由で電力供給する提案をしてくれているらしい。
世界中で電力量のばらつきが発生すると、電力量が多い国に電力使用量の多い企業は移転すると、素材系の企業経営者が日経新聞に寄稿していた。それを踏まえて、今後の日本は、電力を使わない業種で頑張るしかないと主張する大学教授もいる。しかし、人間は、自分の適性に合った職種に就くべきだろう。そのため、電力不足の国の人々は、電力を多く必要とする企業に就職するために、海外で就職先を探せるような環境が必要である。国家は、企業の海外移転に備えて、そういう環境づくりをすべきである。逆に、人口が減った分、日本国内で外国人の雇用もできるようにすべきだろう。日本は、単民族国家を廃止すべき時が来た。もし、電力不足が、他の国々でも問題となっているなら、同様の対策をとるべきだろう。
何事も何が正しくて何が間違っているか人間に判断できれば、問題解決を断行できるのだが、そのような能力は人間に与えられていない。そのため、多くの問題は、時間を掛けて解決せざるを得ない。
◎ 2012年11月25日 (日) 地震調査
イタリアでは、地震は発生しないという調査機関のお墨付きが出た6日後に地震が発生して犠牲者も出たらしい。
大飯原発直下の活断層調査を指揮している島崎氏は、東日本大震災以前に三陸沖地震級の地震が発生すると予測したが、当時の中央防災会議から公表しないように圧力を受けたらしい。(日経新聞 11/13)活断層が動くかどうかを調べているらしいのだが、活断層が動く以外でも地震が発生する可能性があるなら、そんな調査は最初から無駄という事になる。
◎ 2012年11月30日 (金) 安楽公
「封神演義 英雄・仙人・妖怪たちのプロフィール」 遙遠志 新紀元社
p.238 『(武王は)紂王の子に自分の弟二人を監視役としてつけたうえで、諸侯に任じます。これは祖先を祀らせるための処置でした。中国では、祖先の霊を祀るということは非常に大切なこととされています。たとえ敵であっても、子孫まで根絶やしにするとその一族の霊が悪霊となって祟ると信じられていたのです。』
「三国志 群雄データファイル」「歴史読本」編集部 知的生きかた文庫
p.327 『魏軍が蜀の険阻を猿群のように踏破して成都に近づくと、劉禅はいの一番に降伏した。この去就を、まことに殊勝であるとほめられて、劉禅は洛陽へ移され、一生安逸の暮らしを保証された。贈られた称号を安楽公という。』
p.314 『280年、晋の呉討伐軍が大挙来襲すると、呉軍の戦意は低調で、なすすべもなく大敗した。(呉王)孫皓(そんこう)は晋王・司馬炎(しばえん)によって助命され、「帰命候」に封ぜられた。その子孫も中郎(宮廷の警護役)に任ぜられて存続した。』
中国王朝の歴史には、残酷なイメージがあるが、敗戦国の王族の命までは取らないこともあったらしい。
戦争で多くの同胞の命が奪われた事を考えると、このような考え方は世界でも珍しいのではないだろうか。
シリアのアサド大統領は、政権を明け渡すよりも戦死を選んだが、裁判にかけられて死刑判決が出る事を恐れたのかもしれない。
だとすれば、アサド大統領が政権を明け渡した後にも永久に裁判を行わない約束をすれば、政権移譲も可能になるのではないだろうか。
政権移譲後、新政権が安定するまで、アサド大統領を国外退去にすれば、彼の返り咲きは阻止できる。
仮に、この先、多くの反政府ゲリラの命を失って、政権を奪っても、リビアのように新たな政争が始まるのは目に見えている。
私怨を捨てて、現政権支持者の命の保証をする方が、得策である。
不正蓄財があるならば、事前協議すれば良い。
◎ 2012年11月30日 (金) キリストの最期(2)
Wikipedia 「十字架上のキリストの最後の7つの言葉 (聖書)」
『「父よ、彼らを赦して下さい。なぜなら、彼らは何をしているのかわからないからです。」』
『「わが神、わが神、どうして私を見捨てられたのですか」』
「2011年5月4日 (水) キリストの最期」に書いた内容は、もったいぶっていたようである。
具体的に説明すると、「2011年2月15日 (火) 新約聖書」と全く同じ事である。
旧約聖書のロトが民衆から迫害される事で民衆は天罰を受ける事になったから、イエスを殺そうとしている民衆に天罰が下らない様にイエスが神にお願いしているのである。
『わが神、どうして私を見捨てられたのですか』とあるのは、イエスはこの時まで、自分には神の加護があり、誰からも危害を加えられる事はないと信じていたからである。
これらの考え方は、老子の「天網恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏らさず」と同じ意味であり、イエスが老子と同じ哲学を持っている事を意味する。
この哲学は、老子の中でもかなり高度な内容のものであり、老子哲学の真髄を体得できている事を意味する。
よって、イエスは老子と同じように高位の仙人である。
封神演義の世界観では、世界は、天界と仙界と人間界で構成されており、天界には神々が、仙界には仙人達が住んでいて、仙界は天界と人間界の中間に位置している。よって、仙人は神でも人間でもない。イエスや老子やゲーテや俺などは、大道を会得した仙人であり、人間ではないのである。この大道を会得する能力が理性であり、イエスは、聖霊と呼んでいる。大道とは、これまで説明したとおり、個人主体や実存哲学の事である。
ゲーテは、「天網」について何も記してはいないが、「ファウスト(2)」は、大道に沿った考え方をしている。
これは、「天網」に通ずる考え方であり、恐らく、理解しているだろう。
ただし、彼が「天網」について、老子やイエス並みに理解しているとは思わない。
言葉の意味として理解するのと経験として理解するのとでは、質が違うのである。
イエスが神を父と呼ぶ理由は、イエスにとって父とは、子供に生き方や人生観を教える存在だからである。
生みの親の人生観よりも、旧約聖書の神の教えの方がイエスには性に合ったのである。
仙人には神の加護があるか?殺されるまではあるが、殺された後にはない。
大道が廃れるまでは仙人には神の加護がある。大道が廃れたから加護が無くなってイエスは殺されたのである。
イエスは神に見捨てられたのではなく、神である大道が無くなってしまったのである。
では、大道は消えたり現れたりするものか?大道そのものは現実から消える事はないが、社会からは消える事がある。現実と社会は別物か?社会は現実の一部分である。
大道さえあれば、仙人は安全か?安全な人生は存在しない。そもそも長生きなど無意味である。長生きを願う仙人はいない。あらゆる心配は仙人になった後ですべきだろう。仙人は何時死んでも惜しくないものである。もちろん、自殺や無駄死には別であるし、早死にを望んでいるわけでもない。揚げ足を取ったドストエフスキーは実存主義者を憎んでいるのである。敬虔なキリスト教徒と実存主義者は、水と油の関係である。「悪霊」でドストエフスキーが実存主義者を何としてでも更正させたがっているように、俺だってドストエフスキーやディックのように地獄の底で生きているようなキリスト教徒を救ってやれたらいいと思っているのである。ドストエフスキーやディックの願いは、全人類がキリスト教の戒律を厳守すれば、皆幸せになるという短絡的なものである。これは、儒教の考え方と同じである。しかし、人間はロボットではないから、理不尽な不公平に耐えられるものではない。戒律を守れば、必ず、理不尽な不公平が発生する。理不尽な不公平は道理に反し、愛と正義のイエスの教えに反するという矛盾が生じる。キリスト教国アメリカの映画やマスコミは、自己犠牲を熱狂的に賛美するが、これなどは理不尽な不公平の極みである。自己犠牲者や決死隊に敬意を払わずにお前らが死ね。
◎ 2012年12月8日 (土) 中村勘三郎
近年、往年の名優や有名タレントが次々に亡くなっていくのだが、中村勘三郎も跡を追った。
テレビドラマの「森の石松」は名演技だった。特に最後の後姿が良かった。
自分では何もしていないつもりでも、普段くだらない人生を送っているような気がしても、意外と偉業として他人の記憶に残っていたりするものかもしれない。
他人の態度が自分への評価だとするならば、俺の業績は最悪という事になるのだが、元より万人に好かれたいとは思っていない。
社会全体からの評価は重要ではない。
俺も意外と誰かから高い評価を得ているかもしれないから、一角の人物のつもりでいたりして。
◎ 2012年12月13日 (木) 仙人
杜子春伝・・・唐代の神仙小説。鄭還古の作と伝える。六朝末の人杜子春がおちぶれて道士に救われ、雲台峰に登り、情欲に打ち克つようになったが、愛着の一点で仙人となるのに失敗したという話。芥川竜之介の小説「杜子春」はこの翻案。
芥川龍之介の「杜子春」は、仙人になりたがった杜子春に仙人が試練を与え、それを杜子春が乗り越えられなかったが、もし乗り越えたら仙人は杜子春を殺していたという話だが、これは、原本の「杜子春伝」のテーマを作り変えた物らしい。
芥川は、他にも今昔物語から「羅生門」「鼻」「芋粥」「藪の中」など多くの題材を借りて似たような事をやっているのだが、それらからは違和感を感じなかった。しかし、この「杜子春」は、仙人にしてやると言っておきながら、どう転んでも仙人にさせてやるつもりは毛頭無かったということになるから、杜子春をからかっただけの性悪仙人の話という事になり、芥川の改作「杜子春」は大失敗である。この作品は、芥川の中でも最悪の物だろう。仙人の行動に一貫性がないのが話の筋として破綻している。この作品は原本の方がはるかに優れている。日本の仙人作家と言えども本場の作家には遠く及ばない。
「蜘蛛の糸」も釈迦の頭と性格が悪すぎるのが気に入らない。ここまで釈迦をこき下ろした作家は芥川が初めてだろう。
「藪の中」はアイデアとして面白かったが、ナンセンス小説だった。その意味では、カフカの「変身」と似たような作品である。
「杜子春」の仙人の名は、鉄冠子といい、三国志で曹操に手品を見せた左慈の別名である。
三国志には、もう一人、于吉という仙人が出てくるが、孫策に殺された後、孫策を呪い殺したそうである。
◎ 2012年12月26日 (水) 危険な共和党
日経新聞によると、国連のライス氏が、リビアでアメリカ大使が殺害されたのは、反米デモが頻発した後だったと発言した事に共和党が非難しているとあったのだが、この発言は殺害を肯定するものではないにも拘らず、非難されているという点で異常である。事実は事実として受け止め、公正な判断をすべきである。
共和党は、国防費の増大をマニフェストに入れていたから、かなり好戦的な政党らしい。
オバマ大統領も一期目はアフガンやイランへの戦争に積極的だったが、最近は控えめだし、民主党は国防費の削減をマニフェストに入れていたから少しはましかもしれない。
ただ、リビアへの空爆はあれだけ積極的だったのが、シリアへは控え目だったのが不気味である。
最近、日経新聞に載るアメリカ人知識人達の論評があまりまともではない。
アメリカ社会は、かなり疲弊してきているのかもしれない。
日本では、自民党が大勝したが、自民党のマニフェストは、公共事業推進、増税推進、原発推進、TPP推進、集団的自衛権を行使するための憲法改正と自衛隊から国防軍への移行である。
表向きは、それぞれ否定的に書いているが、他の政党と比較すると、そのように解釈せざるを得ない。
つまり、自民党は、日本における共和党である。
民主党も、国防費の増大やエコポイントという変則的な公共事業を行っていたが、TPP推進と言いながら全く行動に移せなかったり、ここまで過激ではなかった。
昔の民主党は奴隷制度を支持し、共和党は反対して南北戦争になったから、共和党の方が温和なイメージがあったのだが、現在は逆転している。
未来の党の党首が、自民と公明が大勝したのは、国民が目先の安定を支持したからだと発言したのは、原発推進策の事を指しているのかもしれないが、選挙前に株価が急上昇し、円が急落した事を指しているのであれば、これは、アメリカが自民党が勝利するように民意を誘導した結果かもしれない。この市場変化をもたらしたのは、アメリカのヘッジファンドだからである。ヘッジファンドは自民党に政策が近い共和党を支持しているのかもしれない。
自民・公明で再可決可能な2/3議席を獲得したが、これでは何でも可決されてしまう。
もし、アメリカに踊らされた結果なら間抜けとしか言いようが無いが、マニフェストが支持されたのであれば、今後、その選択の結果を有権者は受け入れざるを得ないだろう。
アメリカの社会状況も不穏だが、市場経済を導入しながら共産主義体制の中国も経済発展を見込めない。
展望は全く無いが、自分の人生哲学があれば、それに沿って行動できる。
俺は理性を持たない従来の社会を全面的に否定している。現状を受け入れられないわけではない。
現状は、社会のありのままの姿を現している。よく現状を分析して社会の実相を目に焼き付けろ。
とにかく元通りの社会に戻って欲しいなどと怯えている奴は死ねばいい。