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◎ 2012年8月15日 (水) ユーロ共通債は急場しのぎの特効薬

ユーロ圏では、財政統合が進みつつあるらしいが、ユーロ共通債の発行には慎重らしい。
財政統合というのは、具体的には、各国銀行の相互依存を強化するというのが挙がっている。
財政統合で急場をしのぐというのに反対はしないが、財政政策の権限が各国から取り上げられ、ユーロという新たな組織が、それらを掌握する巨大権力を持つ事は、各国の政策の自由を全体的に奪い、ユーロによる財の配分や政策の不平等から国家間紛争に発展する可能性につながる。
ユーロに権力が集中しないように調整する事は可能かもしれないが、避けられるものなら避けた方が良いだろう。
逆に各国が敬遠しているユーロ共通債の発行だが、どの道、各国のユーロ離脱を認めるつもりがないなら、各国の発行済み国債をユーロ共通債に変換し、一元化した方が良いのではないだろうか。
ユーロ共通債は、おそらく、ドイツ国債よりも信頼されるだろうから、発行済み国債は、総てユーロ共通債に立て替える事ができるだろう。
一部の国で財政不安が発生しても、国債よりはユーロ共通債の方が信用の失われる度合いは、小さいだろう。
とすれば、ユーロ共通債を発行したら、財政統合はしなくても良いわけである。
国債とユーロ共通債を両方発行できるようにすると、各国は、震災の二重ローンのように二重債務を抱える事になり、不健全である。
ユーロ共通債は、各国共通国債の事だから、どこかの国だけが、ユーロ共通債を大量に発行すると、あまり発行していない国からは苦情が来るだろう。
そうなると、あまりにも大量にユーロ共通債を発行する国は、新たな発行を認める代わりに、最悪の場合、財政情報の開示を求められるかもしれない。
財政の相互チェック機能が働くのは、ユーロの財務環境としては悪くないだろう。
ユーロ共通債が債務危機になった場合は、デフォルトするしかない。
あるいは、世界中がユーロ共通債や国債を国連債に立て替えるか。
国連債が債務危機になった場合は、デフォルトするしかない。




◎ 2012年8月17日 (金) ひまつぶし

働いていないから、毎日、ゲームしたり、プログラムを組んだりして暇を潰している。
国家ぐるみで俺の家に盗撮カメラや盗聴器が仕掛けられていて、24時間プライバシーがなく、その環境を利用して近所の連中が毎日俺の睡眠妨害をして来る。それで、一日中寝ていられるなら、それでも暇が潰せるから問題ない。
現在は中途半端な不況が長く続いているから、俺と同じように長期失業の人々も多いだろう。
皆、自分に合った暇つぶしを見つけることだ。
自分の過去を思い出して、最も楽しかった事が、その人に合った暇つぶし方である。
出来たら一人で出来るのが良い。過去の人々は今では別人になっているだろう。
新聞を見ても、無職の男が集まると金銭トラブルになるのが関の山である。
ネットゲームをやってみたら、つまらなかったから俺も止めた。
やはり、暇つぶしは一人が良い。




◎ 2012年8月19日 (日) 社会の掟(2)

東京オリンピック銅メダリストのマラソン選手、円谷幸吉氏の自殺の遺書には「もう走れません」とあったという。
オリンピックで金メダルを獲る事で、国家に大きく貢献しても、国家も国民も冷たいもので、その後の彼らの生活を全く保障してくれないのである。
このような事例は、プロスポーツ選手やアイドルタレントなどに多い。
彼らは、一時期、社会の多くの人々の気分を盛り上げたり、鬱憤を晴らしたりと誰よりも社会に貢献していたのだが、誰もその事を評価しないのである。
その根底にあるのは、万人終身労働の社会圧力である。
どんなにカネを持っていても働かない奴は、社会攻撃の餌食となるのである。
そのため、有り金はたいて新規事業を起こすのだが失敗する。
権力主義社会では、例外なく誰もが定年の65歳まで働かなくてはならないのである。
プロスポーツ選手や芸能人は、その道で何十年もやって来て、他の仕事のノウハウを持たないから、おいそれと転職できない。
そのため、一線を退くと、万人終身労働の掟によって、大変な余生を送る羽目になるのである。
万人終身労働の掟のことは、誰も口にはしないが、確実に社会に存在する。
「もう走れません」この言葉の裏には、定年までマラソンさせるつもりかという社会への抗議の意味が込められているのである。




◎ 2012年8月21日 (火) 政官民の癒着の原因

消費者金融会社は、法律の改正によって、武富士を始め、大手、中堅を問わず、次から次へと倒産している。
自民党や民主党は、倒産の原因を貸し付け金利が低いせいだとし、改正前の金利に戻そうとしているが、真の原因は払い戻しのせいである。過去にさかのぼって払い戻しを認めたために倒産しているのであり、金利の上限変更は倒産の主因ではない。
このように、法の制定によって、民間産業は大手企業でも簡単に倒産するはめになる。
逆に利用すれば、永続的に旨い汁が吸えるわけである。
そのため、民間産業の多くは、政治は自分達の利権を作るために利用するものだと考えているわけである。
民間産業の多くとなると、国民の大半であり、政官民の癒着は、国家全体の意思とみなす事ができるのである。
そうなると、ロッキード事件やリクルート事件などの汚職事件は、一概に責めるわけにも行かないだろう。
これが、自民党や民主党が国民に支持されたり、長期間、経世会が自民党内で大きな勢力を持っていた理由である。
法治国家である以上は、汚職と国民のモラルの低下、犯罪の横行は認めなくてはならない。

公明党は、消費税増税法案を成立させるよう連立を組む自民党に迫った。
公明党の支持母体は創価学会なんで、消費税増税を無理に実現する必要はないはずに思われる。
創価学会は裏で公共事業に関わるような営利活動を行っているのかもしれない。
創価学会は、1991年に日蓮正宗からは独立したが、日蓮系の宗教団体で、日蓮は元、天台宗の僧侶だった。
日蓮は、天台宗とは思想の違いから袖を分かつのだが、経典は同じ法華経である。
天台宗は江戸幕府に取り入って勢力を拡大したわけで、国家権力護持、保守主義の宗教である。
創価学会にもその傾向があるのかもしれないが、それだけでは増税推進の説明がつかないだろう。
ただし、日蓮自体は、鎌倉幕府から二度も島流しにされた反骨的な人間である。
公明党を通して国家に媚びる創価学会は日蓮とは程遠い宗教である。

俺が、色々と社会のために書くのは、政府や国民の好きなようにさせておくと、戦争になりそうな気がするからである。
戦争になっても構いはしないのだが、率先して戦争したいわけではないから、回避のために二言三言書いているわけである。
それで回避できる根拠は何もないのだが、何もしないよりはまし程度のつもりで書いている。
政府と国民に好き放題させないというのが根拠である。




◎ 2012年8月21日 (火) 理性とは

理性・・・〔哲〕@ 概念的思考の能力。実践的には感性的欲求に左右されず思慮的に行動する能力。古来、人間と動物とを区別するものとされた。「―を保つ」「―を失う」
A真偽・善悪を識別する能力。
B超自然的啓示に対し、人間の自然的な認識能力。自然の光。
Cパルメニデスやアリストテレスにおいては、絶対者を認識する能力。
D特にカントの用法として、ア‐プリオリな原理の能力の総称。カントは理性が認識に関わる場合を理論理性、行為の原理となる場合を実践理性と呼んだ。
Eヘーゲルの用法で、悟性と区別された弁証法的思考の能力。
F宇宙的原理。世界理性・絶対的理性などのようにいわれる。
Gロゴスとしての言語能力。

理念・・・〔哲〕@プラトンのイデアに由来し、感覚世界の個物の原型である非感覚的な永遠の真実在。中世哲学でも神の精神の中にある個物の原型という意味を持ったが、近世、デカルトやイギリス経験論では人間の心的内容たる観念(アイディア)の意味に転化した。他方、カントは世界・神・霊魂など経験を超えた対象を先験的理念または純粋理性概念と呼び、理論的認識の対象とはならないが認識の限界や目標を定める規制的原理としての意義を認めた。その後ヘーゲルは再び理念を絶対的な実在を意味するものとし、その弁証法的自己発展によって自然・精神の世界が成立するとした。最近では決断や解釈の目的として脱存在論的に考えられる。
A俗に、事業・計画などの根底にある根本的な考え方。「創業の―」

どちらかと言えば、理性よりは理念に近いのだが、理念には能力という意味が無いから、俺は理性と呼ぶのだが、実存主義において理性とは、道理を認識する能力の事である。理性Fは、理念@の事であり、それを理解する能力の事である。つまり、道理とは理念の事である。
ヘーゲルは、人間は道理を認識できる能力を持つとしたが、キェルケゴールやカミュは、そんな能力は人間にはないとした。
しかし、キェルケゴールやカミュは、道理に忠実に生きているのであり、道理そのものを否定しているわけではない。
道理は彼ら実存主義者にとって個人的なものであり、他人に強制するための道具ではないという事である。つまり、他人に道理を示して、それに従わせる事はできないという事である。
既に説明したように、総ての実存主義者は、集団の意思に流されず、自分で考え、判断するのは道理の1つだとしている。
カミュは、「異邦人」において、悲しくもないのに悲しむ必要はないし、身内が死んだからといって慣習に従って自分まで喪に服する必要はないと考えるのは、道理として間違っていないとした。むしろ、このように自分の思考に忠実な姿勢が、人間に道理を認識する能力をもたらすのだとしている。
ただし、「シーシュポスの神話」では、その道理の正当性も間違いも誰にも証明する事は、できないとしている。
老子や新約聖書のイエスも道理を説いているのである。
条件があれば解があり、解があれば最適解がある。道理とは、社会生活における最適解の事である。社会生活における条件とは、人間には肉体と思考能力があり、地球には多くの人々が住んでいる、あらゆる物質は有限であるなどの事である。
最適解は1つか複数かという論議の答えは、自らの経験から出すしかない。それは、条件によって決まる事だからである。条件はコロコロ変わらない。ここで問題としているのは、最も基本となる人間の生き方だからである。




◎ 2012年8月22日 (水) 大都市の生活保護急増

日経新聞(8/21)
『大都市の生活保護急増
全国の20の政令指定都市と東京23区の2012年度の生活保護費は合計で約1兆7000億円となり、10年間で7割増えた。高齢者だけでなく若い世代でも伸びが目立つ。大都市では予算の1割を超え、財政を圧迫している。
都市部で受給者が大幅に増えたのは、仕事を求めて都市部に来たものの職が見つからない若者や、リストラされる人が多いためだ。』

大都市の中心部には、生活保護受給者は向かない。地価と家賃が高いからである。
彼らは、どこに住んでも同じなんで、大都市の郊外に移転した方が良い。
仕事が見つかってから家を探しても遅くはない。
大都市は、カネを持っているから、受給者を多く引き受けるべきである。そのため、大都市の郊外が適切である。
政府や地方自治体は、生活保護を全面廃止したがっているし、その可能性がないとも言い切れない。
そのため、受給者も財政にある程度、協力しなくてはならない。
以前にも書いたが、実存主義社会が最も多くの無職の人々を受け入れる事ができるシステムである。
生活保護にあぶれた人々の受け皿として全国に造るべきである。

医療費の増加については、政府は何も手を打たないだろう。
患者数が多いことは、医師会への公共事業となるからである。
年金については、既に受給年齢が5歳上がったように、今後も削減される可能性は否定できない。
エコポイントなどと言っているが要は公共事業の事である。
車にしてもエアコンにしても使わなければ、最も二酸化炭素排出削減に寄与するからである。
本来ならば、何も使わない人にエコポイントは最もあげなくてはならない。
そうではないから、実質的に公共事業である。ハコモノだけが公共事業ではない。
民主党政権は、これまで、大々的に公共事業をやってきたのである。皆、だまされている。
民主党は、木製の風呂を購入する人にもエコポイントを出す計画をしているらしい。
木を伐採したら、森の二酸化炭素吸収能力が低下するにもかかわらずである。
民主党政権は公共事業だらけである。彼らが公共事業を大幅に削減してきたと公言するのも、新聞がその通りだとはやし立てるのも大嘘である。
国民が政府に騙されても何も文句を言わないから、国民は四六時中政府に騙され続けることになった。
その結果が、大幅な財政赤字と増税である。
この事実は、誰も指摘しない。

意外な事だが、今年の7月は家庭の電力使用量が少なかったらしい。
前年比の全国平均で、家庭が12.4%(19,410kw)、全体で6.3%(68,482kw)の削減だったらしい。
家庭における大幅な削減は、家庭が原発稼動に反対している結果である。
政府は、民主主義を掲げるのであれば、原発は0にしなくてはならない。
計算すると、7月の家庭の消費電力量が、156,532kwで、企業が、934,484kwであり、企業は前年比、5.27%の削減幅となる。
総消費電力量に占める家庭と企業の割合は、およそ、1:6になる。
企業が1%削減したら、家庭が6%削減したのと同じ効果がある。
家庭における電力消費量の削減は、日本全体としては、あまり意味がない。
因みに関西は、家庭が、19,740kw、企業が、88,723kwで、それぞれ前年比、16.9%と9.2%の削減となる。
関西の総消費電力量に占める家庭と企業の割合は、およそ、2:9になる。




◎ 2012年8月27日 (月) 商社の寡占

電力、ガス、一般加入電話網、携帯電話、一種電気通信事業者など寡占状態にある業界は山ほどあるが、商社もその1つではないだろうか。
最近、商社が外国の鉱山やガス田を買収したり、アフリカや南米の農家に大豆やトウモロコシの現地委託したりしているのは、それらの商社に輸出入が独占されているからとしか思えない。
鉱山を持つ国やアフリカや南米に商社があって、直接日本の小売業者と契約を結べるならば、こんな事ができるはずがないのである。
商慣習によるものか法律によるものか、日本は自由市場経済に、ほど遠い。
この人形の着せ替え遊びのような、あるいはマグロ女を犯すような経済を世界はいつまで続けるつもりだろうか。

韓国の最近の経済伸張は、韓国企業が日本企業から技術者を引き抜き、技術力が高まったからだと言う。
日本人の優秀さが、これで実証されたわけである。
日本国内は多くの業界で寡占状態となり、多くの人材が失業し、能力を使えずにいる。
これからは、世界各国の財政再建のために、日本人は外国で起業すべきである。
競争力のない国々は、自国内に本社を増やすことで、税収を増やすことを必要としている。
商社すらない国々では、優秀な日本人の活躍の場はいくらでもあるだろう。
日本商社に対抗できる商社は、日本人によって経営される商社だけである。
発展途上国の経営者は、日本人で埋め尽くされれば良いのである。
アフリカ人や南米人や東南アジア人には、企業経営能力はない。
競争力のない国々の競争力を高めてやれるのは、寡占で守られた日本企業から捨てられた優秀な日本人だけである。




◎ 2012年8月29日 (水) 神の裁き

天は自ら助くるものを助く・・・(Heaven helps those who help themselves.) 独立独行、依頼心なく、奮闘努力するものを、天は助けて幸福を与える。

芥川龍之介「西方の人」
『彼自身の力を恃めという悪魔の理想主義的忠告を斥(しりぞ)けた。しかしまた「主たる汝の神を試みてはならぬ」という弁証法を用意していた』

『彼自身の力を恃め』は、敵をやっつけるのに自分の才能で相手を策略にかける事である。
敵を自己の才能で一時圧倒しても、相手はその手法を自分の物にするだけで、何の意味もない。
キリストは、旧約聖書のノアの洪水のように、あらゆる人間への裁きを神に託したのである。
「天は自ら助くるものを助く」は、周囲の意見に流されず主体的に考え行動しろという意味であり、これとは別の意味である。
これらの考え方は、実存主義者として完成すれば、自然と身に付く。




◎ 2012年8月31日 (金) 昔の就職活動の失敗

学生の頃に就職活動で、面接で「皆と仲良くしたい」と言って、面接官の二人に笑われた事がある。
もちろん、不採用で、会社は皆で仲良くする場所ではなく、むしろ、生き残りをかけて、足の引っ張り合いをする場である。
職場の人間関係は、全く気にする必要なし。
ただし、中には異常に険悪な職場があるが、それは、現場の責任ではなく、経営陣の責任、あるいは、先々の見通しが立たない、つまり倒産寸前の会社なんで、すぐに転職すべきである。
経験的に面接官が数人で、面接を受ける側が一人の場合は、変な事を言うと嘲笑される事が多いようだ。
次からの就職活動の役に立つから、企業は面接官は2,3人用意すべきである。

新聞を読むと、学校を卒業して就職できない場合に、仕事のスキルが身に付かないと書いてあるが、果たして、身に付けるべきスキルなどあるのだろうか?
倒産・リストラ時代の会社のスキルを身に付けても仕方ないのではないか。
また、そのような時代の特に規模が小さい企業は、すぐに結果を出せる経験者を現場は必要としているのであり、新卒者は採用されてもすぐに放り出されるのが落ちである。現場に新人を育てる余裕はない。というのも、新人を育てる前に、会社で生き残るために自分のスキルを磨く必要があるからである。




◎ 2012年8月31日 (金) 迫害の理由

芥川龍之介「続西方の人」
『もっとも彼(キリスト)は我々人間を操縦することはできなかった、あるいは我々人間に操縦されることはできなかった。それは彼のヨセフではない、聖霊の子供だった所以である』

俺が国家や世間に、ろくでもない目に遭わされている理由が分からん人がいるかもしれないから、教えてやろうと思うのだが、理由は2つある。
1つは才能であり、もう1つは、俺が集団の操り人形にならないからである。
才能を狙うのは、自分達の利益のためであり、個人の自由意思を認めないのは、これまで述べたように、権力主義社会は、個人は属する集団にいかなる場合も盲従しなくてはならないという暗黙の鉄則があるからである。
才能のある人間は、すべからく、実存主義者である。
なぜならば、才能を持つ人間は、周囲からその才能を狙われるために、孤立せざるを得ず、自力で自分の身を守らなくてはならないからである。
環境が実存主義者となる事を要求するのである。
そのため、才能ある人間は、必ず、個人の自由意思を尊重する実存主義者であると言え、集団の意思に盲従する事はないのである。
もし、盲従すればどうなるか、才能を好き勝手に集団に使われることになり、やはり、酷い目に遭うのである。
才能を奪い取り、集団に盲従しない人間を世間への見せしめに酷い目に遭わせる。
この2つの理由のために、俺はこのような状態になっているのである。
キリストは、奇跡を使えたから、俺と同じ理由で迫害されていたのかもしれない。

俺は、何を書こうとも国家や世間ごときにやられたりはしない。全世界が敵に回っても同じである。
こういう事を書いたのは、世間には、本当に社会や人間について何も知らないで、日々、戦々恐々と生活している人々が大勢いる事を知っているからであり、そういう間抜けな連中にそれらを教えてやるためである。
そんな連中は、俺がこういう高い次元で、日々生活している事に気付きもしないのである。
俺は、他人が考えるような普通の人間ではない。全人類が滅亡しようとも生き残るかもしれないような人間である。才能も経験もそれだけ並外れている。どんなに俺を研究しても誰も何も得る事はできないだろう。
せめて、一般の人々が何を考えて生きているかを教えてやっているわけである。