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◎ 2012年7月7日 (土) 政治・経済記事

国会事故調査委員会は、原発事故は人災であり、東電と保安院、安全委員会、菅前首相が悪いとした。
結局、国会事故調が言いたい事は、関係者がろくでもない事をしなかったら原発事故は発生しなかったのであり、ちゃんと彼らが対策・行動したら、地震や津波が来ようと原発は全く安全であり、今後もこれまでどおり原発政策は推進して行くという事である。
因みに神戸新聞(7/6)によると、国会事故調のメンバーは、『[委員長]黒川清(元日本学術会議会長)[委員]石橋克彦(神戸大名誉教授)、大島賢三(元国連大使)、崎山比早子(元放射線医学総合研究所主任研究官)、桜井正史(元名古屋高検検事長)、田中耕一(ノーベル化学賞受賞者、島津製作所フェロー)、田中光彦(科学ジャーナリスト)、野村修也(中央大法科大学院教授)、蜂須賀礼子(福島県大熊町商工会会長)、横山禎徳(社会システムデザイナー)』と、大学教授の専門は書いてなかったが、原発事故の調査には全くふさわしくない人々である。少なくとも専門家を呼ぶのであれば、事故原因を調べるのに適した人にすべきである。また、公正を期すために人数も、もっと増やすべきだろう。
現在の国会議員の多くは、民主・公明・自民からなり、これらの政党は、原発推進政策を支持している。
国会議員が召集した人々が、国会議員の意向を尊重しないわけがあるだろうか?
明らかに自作自演の茶番劇である。

神戸新聞(7/6)
『中央大経済学部松丸和夫教授(社会政策)は、「生活を支えられる仕事を増やして低所得者の賃金水準を底上げすべきだ。消費が喚起されて、税収増や社会保障の担い手の強化、経済成長にもつながるはずだ」と提言している』

安定収入を得られる仕事を増やすというのは、おそらく、公共事業を増やせという事だと思うが、リーマンショック以降、世界各国が公共事業を大幅に増やし、結果としてギリシャなど多くの国々が財政危機に陥ったのである。
日本も、今でも十分、国家財政がガタガタになるほどに公共事業は全面的に推進している。
今回の増税法案も、今後も公共事業を滞りなく推進するための予算確保が目的である。
大学教授には、もう、うんざりだ。




◎ 2012年7月9日 (月) 政治家の行動には常に複数の目的がある

俺がこれまで述べた、自民・公明・民主による増税法案の目的が、原発後始末予算や財政逼迫是正財源や公共事業推進予算などと変遷した事について、デタラメを言っていると考えている人々がいるに違いないが、政治家というものは、ある行動のために単独の目的しか持たないという事は、ほとんどない。
大抵、1つの行動の裏には、一石三鳥、四鳥、それ以上を狙っているものである。
1つの行動には1つの目的しかないと考えている人々は、政治家の日常的な行動方針が全く理解できていないのである。
だから、俺の並べた目的は、総て正しいのである。
企業経営者や政治家などは皆、そういう人種だと思って間違いない。
もちろん、偶然ではなく、意識的にそのように振舞っているのである。
彼らの思考や行動が一般人に理解されにくいのには、そのような理由もあるのだ。




◎ 2012年7月9日 (月) 複雑な世間心理

神戸新聞(7/6)に厚生労働省による2010年の国民生活基礎調査結果が載っているのだが、生活が苦しいと感じている世帯の割合は61.5%となっている。
神戸新聞(7/8)社説には、『共同通信の世論調査によれば増税法案に反対した小沢氏を「理解できる」とした人は3割強だった』とある。
つまり、生活が苦しい人々の半分は、自分や自分の家族が、増税によって生活が崩壊し、場合によってはホームレスになったり、餓死したりしてもかまわないと考えていることになる。
少なくとも子供の進学を諦めるなど、根本的な生活水準の見直しは必至だろう。
こういう思考回路は、何がどうなっているのだろうか?
国家財政のためならば、自分や家族は死のうがどうなろうがかまわないという自己犠牲の精神か?
戦時中の「欲しがりません。勝つまでは。」と同じような精神状態だな。
戦争同様、負けて全国民が損するだけにならなければ良いが。




◎ 2012年7月10日 (火) 小沢一郎議員

民主党の小沢議員には、近年、世間の風当たりが強いようだが、原因は、どんな人間か知られていないせいではないだろうか?
得体の知れない物には、人間は警戒し、理由も無く攻撃を加えるものである。
およそ、政治家は、世間に政策方針を知られていないものであり、せいぜい、族議員が特定の官公庁に取り入ってその業界に便宜を図り、見返りに献金を受けるくらいのものだろう。
例えば、郵政族や農協族みたいなものである。
その点、小沢議員は、以前、「田中角栄議員や竹下登議員を尊敬している」と発言し、自らも彼らの派閥に属していたから、政策方針が分かっている。
田中議員や竹下議員や金丸議員などは、同じ派閥で、田中議員はウィキペディアによると東北出身で、政策方針は、東北は貧しく、農業などより産業を活性化すべきであり、農業がしやすい他の地域が農業をやれば良いというものらしい。
そのため、田中議員は、新幹線や高速道路などの公共事業を盛大に行う事で、地元、東北地方に多くの仕事を提供するという政策をとった。
彼らの派閥の政策方針は、おそらく、公共事業で地方に税金を送るというものである。
その結果、政治家や官僚が企業と仲良くなって、ロッキード事件やリクルート事件につながった。
彼らの派閥に収賄容疑が多いのは事実だろう。
選挙には資金が必要で、企業献金なしではやっていけないと考えたのかもしれない。
小沢議員も田中議員同様東北出身だから、同じ政策をとっているのだろう。
小沢議員が、そういうタイプの政治家だと分かれば、少しは風当たりも弱まるのではないだろうか?
他の議員と違って、全く得体が知れないというわけではないのである。
公共事業推進派の小沢議員にとっては、おそらく、国家にカネが多ければ多いほど望ましいはずだが、そこを敢えて、反増税派になっているのだから、状況に応じて、政策を変更できる柔軟性の高い政治家と評価することもできるだろう。
ただし、俺は小沢議員について何も調べてないから、実際は別の政策方針の可能性もある。
政治の世界は、団結力が総てで、権力主義そのものであり、うんざりするのだが、小沢議員の政策方針に少しは同情できる点もあるだろう。




◎ 2012年7月10日 (火) 明石歩道橋事故

神戸新聞(7/5)
『明石歩道橋事故で、業務上過失致傷罪で強制起訴された明石署元副署長榊和晄被告の第15回公判は4日午後も引き続き開かれ、弁護側の被告人質問が行われた。〜「(事故の40分前に)歩道橋を渡るのに30分かかった」という現場からの無線報告について、「絶対に聞いていない。聞いていれば必ず対処した」と反論した。〜弁護側は事故捜査で不当な取調べがあったと主張。榊被告は検察官調べで「まだ何も話していないのに、過失を認める供述調書が既にあった」としたほか、警察でも自分の話を何度も退けられたことなどを明らかにした。
その上で「私の判断ミスはなかったが、言っても無駄だと思い『判断が甘かった』などとする意に反した調書にサインした」と述べた。』

この事故は、十数年前に起こったのだが、神戸新聞には現在まで断続的に数十回は(あるいは百数十回か)掲載されている。おそらく、神戸新聞史上、尼崎JR脱線事故と並び、最も掲載回数の多い記事ではないだろうか。
警察は、むりやり、副署長の犯罪に仕立て上げたいようである。
この事故は、むしろ、冤罪で犯罪者を仕立て上げようとする警察の方が犯罪者である。
副署長を犯罪者に仕立て上げようとした警察官達を立件してもらいたい。
いつまでたっても事故の責任追及ができないのは、この事故が極めて特殊だからだろう。
世界的に見ても、こんな事故は例がなくてみっともないから、国民の皆さんは、今後、花火大会で大勢集まって見物するのは止めてくださいと国家が国民に通知しろ。
こんなみっともない事故は、責任追及すらできないほど、どうにもならないものだと新聞に政府広報を出せ。
花火なんか珍しくもなんともないんだから、大勢集まるなと国民全体に周知しろ。
他所の国では、こんな事故は起きん。
神戸新聞(7/13)によると警察は、事故防止が目的で雑踏整理をしていたらしい。
副署長は、現場の様子からは事故の発生を予見できなかったと言っている。
もし、副署長が無罪ならば、雑踏整理では事故を防げない事になる。
今後も同様の事故を防ぐ手段は無いから、残念ながら花火大会そのものを禁止せざるを得ないだろう。
日本人の性格に花火大会は、向いていない。
例えば、道路でボール遊びをする大人達がいて、大人達が車に轢かれないように警察が業務として監視していたとする。
結局、ある大人は轢かれて死亡した。大人達は、誰からもそこで遊ぶようには言われていなかったとする。この場合、誰が悪いのだろうか?危険があることは事前に警察は察知していたから、対策として監視していた。同じ事だろう。違いがあるとしたら、運転手は個人を特定できるが、雑踏はできない点である。遊んでいたのは大人達だから、危険である事は承知の上で遊んでいたし、気をつけてもいた。車は、大人が飛び出したから避けられなかった。もちろん、花火大会で死亡した人々に全く過失はないし、実際に飛び出してもないから、飛び出した事は問題にはならない。運転手(雑踏)にも全く過失がない事を示すためである。被害者も加害者も悪くないから、監視していた警察に追及の手が伸びた。しかし、警察は、彼らにそこで遊ぶようには命令はしていない。警官は、飛び出し(事故)を予見できなかったと主張する。こうなると、道路でのボール遊びそのものを止めさせるのが妥当だろう。
諸外国には、花火大会を禁じる法律はないが、日本には必要である。
それを今回の裁判は示している。
日本人の雑踏は、人を殺す力を持っている。これが、今回の事故の教訓である。

JR山手線は、3分置きに電車が到着するのに、駅員が毎度、半開きのドアに乗客をむりやり押し込む。
客を客とも思わぬ扱いに東京は原始的な町だと思ったものだ。
一箇所に人間が集中する事を好む日本は、土地の有効活用を考えない愚かな国である。
三木市を通る神戸電鉄は乗客数減少の結果、赤字が続き、公的資金の投入で運用していたのだが、政府の仕分けで打ち切りになり、三木市と小野市は兵庫県に数億円の借金をしてもらい、それで数年間の延命措置を図った。
その借金の利子が毎年数百万円で、それは三木・小野市の負担になり、数年後には、兵庫県の借金も両市が全額肩代わりしなくてはならない。
数年後に神戸電鉄が黒字になる見込みはなく、おそらく、廃線になり、返し切れない借金だけが残るだろう。
三木市は、数年前に財政危機宣言をし、今も継続中である。
政府は、そんな仕分け財源を公共事業に無駄遣いしている。
三木市長と神戸電鉄粟生線の駅員が、JR山手線を見たら涙を流すに違いない。
もはや、老人の町と化した三木市に電車は必要ない。




◎ 2012年7月12日 (木) 第二次日中戦争の可能性

現在、イオンなど日本のスーパーが、中国に出店しているらしいのだが、スーパーは、卸売り店と小売店が合体した巨大流通網の事であり、これは、外国に国内の食料品や日用品などの生産・売買を支配されたに等しい。
生産者は、スーパーの支配下に入っているようなものだからである。
つまり、スーパーは、東インド会社みたいなものである。
イオンは、日本では、他に追随を許さない最大のスーパーであり、これに対抗しようと思えば、中国が国家レベルで潰しにかからないと太刀打ちできない。
日本企業が中国経済の支配権を持つと、インドが欧米を追い出したように、日中の経済摩擦が戦争に発展する可能性も否定できない。
中国は、国内経済と財政を守るために、外国スーパーなどの進出を法的に防ぐ必要がある。
これは、東南アジアも同様である。
国内経済の支配権を外国に奪われる事は、実質的に植民地化、属国化されたに等しい。
現代社会において、そのような状況に耐えられる国民は存在しない。
スーパーに限らず、他の分野でも十分、気をつけるべきである。
下手をすると現在のEUをはるかに凌ぐ経済・財政危機を迎える事になる。




◎ 2012年7月12日 (木) 維新八策修正案と輪番停電

神戸新聞(7/6)によれば、維新八策が修正されて、「憲法9条改正の国民投票実施」と「日本の主権と領土を自力で守る防衛力整備」になったらしい。
日米安保条約の破棄という事だろう。
三島由紀夫も同じ事を主張して切腹した。
維新の会は、盾の会になったという事になるが、これは、将来的には、日本の核武装に繋がる危険な思想である。
核武装となると、現在の北朝鮮と全く同じ状態になり、欧米をはじめ、世界各国の非難は必至である。
経済・金融封鎖になったら、食料も資源も輸入できない上にカネもなくなる。

神戸新聞(7/7)によれば、政府の指示で関電の輪番停電対象から外れる施設があるらしい。
東電の輪番停電は、戸別に外す事は技術的にできないという事だったが、関電には、その技術があるという事だろう。
だとすると、大飯原発を動かさなくても、医療施設や人工呼吸器を使っている家を輪番停電から除外したなら、何も停電の心配をする必要が無かった事になる。
政府や関電から情報を知らされない事で、騙されたとしか思えない。




◎ 2012年7月12日 (木) 発言

子供の頃は、自分の意見は持っていても、発言は抑え気味にした方が良い。
40歳くらいになるまでは、自分の意見に自信が持てないものだからである。
意見は、長年の人生経験の裏打ちがあって、初めて発言できるものである。




◎ 2012年7月14日 (土) 自殺

中学生がまた二人自殺したらしいが、前にも書いたように、義務教育を消滅させない限り、いじめ自殺はなくならない。
俺が、こんな事を書くと、また近所のクソガキ共がぎゃぁぎゃぁわめくのだが、小中学校のどこが良いのやら。
いじめグループは、他人を自殺に追い込んでも前科がつくことなく、普通に一般人の大人になれる。
学校も教育委員会もいつものように世間のほとぼりが冷めるのを待つだけで、誰も責任を取らない。
どうせ、近所のクソガキ共もいじめグループの仲間だろう。
いじめ自殺といい、原発推進といい、悪が常に、はびこる社会である。
どちらも国家が親玉だから仕方が無い。
こんな国は、いずれ滅びる。




◎ 2012年7月16日 (月) 宗教階級

キリストは、弟子達の足を洗い、白隠は、弟子達が止めるのを押し切って畑仕事をしたそうである。
これらの行為は、師は特権階級ではない事を弟子達に示したものである。
求道者は、真理と道理を追究するのであり、階級を追求するのではないという事である。