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◎ 2012年6月12日 (火) 実存主義社会の薦め

「2011年4月25日 (月) 復興政策」に書いたように、実存主義社会とは、共同施設を村の中心に置く事である。
共同浴場に共同トイレ、オフィス街や集会所、学校などを村の中心部に置き、その周囲に家、更にその周囲に田畑や牧場を配置するものである。
もちろん、外形だけでは実存主義社会の維持は不可能であり、何故、そのような生活をしなくてはならないかという理由も総ての住民が理解していなくてはならない。
そのため、学校は、普通の学校ではなく、寺院のような理性を育成する形態が望ましい。
共同浴場や共同トイレなどは、景気が悪くなくても、災害がなくても普段から利用していないと、いざ、使いたい時に急に用意する事はできない。
また、たとえ好景気であったとしても、自己破産する人は、後を絶たず、そうした格安の施設は、一部の人々には常に必要だったりするかもしれない。
どこか刑務所的な印象を受けるかもしれないが、実際、生活に困って刑務所に入りたがる人もいるのである。
政府や税金は無く、仕事が無くても取りあえずの生活は保障される。
それが可能なのは、共同施設を利用する事で、生活コストが最低限に抑えられるからである。
ここで生活しようと思うほどの理性があれば、ワークシェアリングも導入しやすいと思われる。
こうなると共産主義的だが、不景気において、ある程度、上手く行くように知恵を働かすのは必要な事だろう。
共産主義と異なる点は、中央集権ではなく、個人の自由意志が尊重される点である。そのため、理性が必要となる。
基本的に、社会的弱者に最低限の生活を保障する場である。
現在の社会制度では、限られた貧困者だけが多額の生活保護を受けられ、限られた被災者だけに電気製品や家具などが提供されたりする。
しかし、多くの貧困者や被災者は、生活に困って自殺する事になる。これは、国家や世間が、そういう社会が望ましいと考えているからだが、俺にはとても認められるものではない。もちろん、俺の実存主義社会は国家にも世間にも全く受け入れがたいものに違いないが、俺としては、現在の社会制度が受け入れられない以上、とにかく、意思表示はさせてもらう。
これは、万人にそうしろと言うものではなく、社会の一部として、そういう共同体が必要だという事である。

これまでの政府の政策は、税金をできるだけ多くとって、できるだけ多くの公共事業を行うというものだが、これでは、公共事業を受注できる一部の人々だけが金持ちになってしまい、他の人々は飢え死にすることになる。貧富の差が拡大するだけである。今や大企業ですら大リストラ時代であり、誰にとっても他人事ではないだろう。

俺の死後、俺は税金を払うのが嫌で無政府主義を主張したのだと評価されるなら誤解である。
国家や世間に俺の人生を滅茶苦茶にされたから、巨大権力を否定したのが主因である。





◎ 2012年6月15日 (金) 原発事故で分かる人間性

福島原発事故で、出動した消防隊員達を日米のメディアが勇士としてベタ誉めしたのには唖然とした。
俺なら、また今度、原発事故が発生しても出動したいですか?と書くだろう。
大阪市長が、再三、原発電力の生産地と消費地を分けて考えるなと言っているのには賛成である。
これは、人間が人間として生きていくために不可欠な考え方である。
日米のメディアには、全く欠けている。




◎ 2012年6月15日 (金) 国益について

読売新聞サイト(6/13)
『首相、声荒らげ「証拠を」…中国大使巡る質疑で
 〜新党きづなの内山晃氏が丹羽氏の更迭を要求した際、丹羽氏が伊藤忠商事出身であることから「まるで商社の権益を優先して、国益をないがしろにしている」と発言したためだ。〜』

国是(コクゼ)・・・@ 国家としての方針。
          A 一国の政治は何よりも先ず自国の利益によって規定され、他のすべての動機はこれに従属せしめらるべきだとする国家行動の基本準則。近代主権国家の形成に伴ってヨーロッパに普及。国家理性。

政治家が「国益、国益」と言うのは、国是Aに基づいているものと思われるが、多くの場合、金銭的な利益にしか目が行っていないように思われる。金銭の奪い合いで戦争になっては、国益に反する。全体を見て国益を考えてもらいたいものである。




◎ 2012年6月17日 (金) 警察と検察の崩壊

読売新聞サイト(6/13)
『ブラザー・コーン容疑者、暴力団名挙げて脅す
 警視庁町田署は12日、東京都世田谷区上北沢、人気デュオ「バブルガムブラザーズ」のブラザーコーンこと近藤信秋容疑者(56)を暴力行為等処罰法違反(団体の威力を示した脅迫)容疑で逮捕した。』

スポーツ報知サイト(6/16)
『ブラザー・コーン容疑者の自宅を家宅捜索
  暴力団の名前を挙げて元マネジャーの男性を脅したとして、12日に暴力行為法違反の疑いで逮捕されたミュージシャンのブラザー・コーンこと近藤信秋容疑者(56)について、警視庁は15日、東京・世田谷区にある近藤容疑者の自宅を家宅捜索した。』

逮捕の容疑は、『団体の威力を示した脅迫』であり、暴力団員と関係があるかどうかではないにも拘らず、それが、家宅捜索で調べ上げられている。
これは、別件逮捕ならぬ別件捜索である。
事件に関係ない事で、プライバシーが侵害されているのである。
刑事もののテレビドラマで知ってのとおり、家宅捜索は、警察の一存では出来ず、検察の許可が必要である。
この違法家宅捜索に、警察と検察が許可を与えたということは、刑事事件に関わる総ての行政機関が違法行為をしたということである。
もはや、警察と検察には、まともな判断能力は存在しない。
今後、犯罪見逃しや冤罪逮捕がますます増えることが予測されるため、日本国民は、警察と検察には十分に警戒すべきである。

以前働いてた会社の同僚はヤクザの知り合いがいると吹聴していたが、警察が来たりはしなかった。
神戸新聞によれば、一連のヤクザ排斥運動は、福岡での暴力団抗争が原因らしいが、昔あった山口組・一和会抗争の時はそれよりもはるかに派手なものだったが、このような運動に発展することはなかった。
最近のヤクザ排斥運動は、理屈に合わない。




◎ 2012年6月20日 (水) 受難

読売新聞サイト(6/20)
『ウィキリークス創設者、エクアドルに亡命申請
今月14日には、英最高裁が、容疑者から出ていたスウェーデンへの移送を巡る裁判の審理継続請求を却下、同国経由でウィキリークスの告発で打撃を受けた米国への移送が現実味を帯び始めたため、亡命に踏み切ったとみられる。』

スウェーデンに移送後、アメリカに移送されるらしい。
何も悪い事はやっていないのに、世界各国から追い回されて気の毒である。
裏で悪い事をやっているアメリカ政府が悪い。
悪い事をやっているから告発で打撃を受けるのである。
むしろ、告発によってアメリカ及び世界各国政府は反省すべきである。

中国では、民主活動家が何人も迫害されているが、これも同様に気の毒である。
国家は、必ず非暴力的な個人を迫害するものらしい。

ついでに、日本政府と国民と企業による俺への迫害も止めてくれ。
彼らと違って、充分対処できているから、嫌なら無理にとは言わん。
何も派手な事をしなくても、主体的に生きているだけで国家全体から迫害されるものだ。
それだけ、主体性を持つ人がいない証拠である。集団は、あらゆる反論を許さない。




◎ 2012年6月24日 (日) リビア・シリア問題

リビアでは、反政府軍のリビア国民評議会が、カダフィに代わって新しい政権になった。
これでは、独裁軍事政権が再び誕生したのと変わりがない。
リビアは、早急に国会を設立し、国会議員と大統領の選挙を実施すべきである。
これが、できないといつまで経ってもリビアは世界から独裁軍事政権のレッテルを貼られ続ける事になるだろう。
この事は、シリア情勢にも大きく影響している。
今やシリアは内戦状態であり、もし、リビア同様に反政府軍が政権を奪取したら、リビア同様に新しい独裁軍事政権が敷かれる事になる。
多くの国民が殺された以上、アサド大統領や閣僚などの死刑はまぬがれない。
そうなると、新しい独裁軍事政権樹立は確実である。
多くのシリア国民が殺される前に、アサドを退陣させておけば、シリア民主化の望みはあったのだが、もはや、その可能性は消滅した。
リビアに続き、シリアも国際社会の失態である。
次に、ロシアや中国などでこのような事が発生すれば、これらを教訓に、国民の命を守り、速やかに政権を譲らせるように国際社会は手を打たなくてはならない。
民主化には、他に手段は無い。国民が殺された後では手遅れだ。
カダフィには、まだ新しい国家に対するイデオロギーがあったが、リビア国民評議会には、そんな物は何一つ無い。実は、カダフィよりも性質が悪い。
何の理想もないのは、シリアの反政府軍も同じであり、新政権誕生と同時に腐敗政治が始まるのは必然だろう。
国家モデルがあれば腐敗しないわけではないが、全く無いよりは、腐敗の進行は幾分遅いだろう。

話は変わるが、自爆テロというのは、心理的作用を狙うだけでなく、拷問を受けないためでもあるのではないだろうか?
何に書いていたか忘れたが、日本赤軍メンバーがイスラエル旅客機を墜落させたとき、イスラエルは犯人に大きな後遺症が残るほどの拷問を加えたそうである。
アメリカやイスラエルの拷問はえげつないらしいからではないかと思われるわけである。




◎ 2012年6月25日 (月) 神の有無とは

実存主義において、神が存在するか?というのは、人間社会に道理が存在するか?という事である。
具体的には、他人の命令で自殺をしたいか?ということである。
俺に対する国家や国民や企業の言動から、集団とは悪事をするものであり、個人は属する集団のために悪事をするものだというのが、一般常識であるのは、誰しも理解できるだろう。
「見ざる、言わざる、聞かざる」というのも、権力の悪事には目をつぶれという事である。
しかし、その代償として、個人は、自分で考えて行動する自由を放棄する事になり、いずれ、集団に「死ね」と言われたら是非も無く、死なざるを得ない。
これは、極論でも何でもなく、その時が来たら、あらゆる権力主義者は逃れられない事に気付き、自殺する事になるだろう。
また、自分が属する集団が戦争や経済競争で他集団に勝てば、自分も金や軍事力の恩恵を受ける事ができると権力主義者は考えているが、無益な争いはかえって当事者総てに害をもたらすだけである。
そのことに彼らは気付く事が無い。
実存主義者は、集団の意志に縛られる事がないから、個人と集団の利害、集団と集団の利害など社会全体を眺める事が可能である。
もし、総ての人間が、完全な権力主義者なら、実存主義の神は存在しないことになる。
老子やキリストなどが言っているのは、本質的には、そういう事である。
こんな時代でも、実存主義者が、日々平穏に生活できるのは、神のおかげである。




◎ 2012年7月2日 (月) 日米欧の共産主義化

日本では、自民・公明が民主と政策において、ほぼ同一になり、次の総選挙ではこれら三党の連立が予測される。
アメリカでは、民主党政権が長年続き、健康保険義務化も合法とされる判決が出ている。
日米の共産主義化は、アメリカが先か日本が先かは分からないが、どちらかがどちらかに影響して、このような結果になったものと思われる。
ユーロ圏では、今後10年間で経済・財政統合、銀行同盟などを推進する事が決まった。
これは、実質的に、ユーロ諸国が独立国家ではなく、ロシアや中国みたいな共和国や自治区になる事を意味する。
ロシアや中国みたいに内部に民族紛争の爆薬を抱えた危険な連邦国家がまた1つ誕生した事になる。
日米欧露中と世界において共産主義勢力が拡大しつつあるのは、時代の流れか?、はたまた、戦争に向けた中央集権化か?

表題とは関係ないが、東京都、大阪府に続いて尼崎市でも起立国歌斉唱条例ができた。
それに加え、公共機関の常時国旗掲揚条例もできた。
最近になって全国の自治体で制定されつつあるこれらの条例には、どういう必要性があるのか?
日本において天皇が崇められるのは、戦争時である。
天皇は神の子孫だから、天皇は神であり、神の命令に国民を服従させるためである。
何にしても、神の権威を傘に市民の自由(権利)を奪うためだろう。
日本における十字軍の結成と言っても過言ではない。
三木市では、暴力団排除条例が昨日から施行され、暴力団というだけで、違法性が全く無くても公共機関に関係した仕事はできなくなったそうである。
つまり、無条件に働かせないというわけであり、これもどういう理屈だろうか?
暴力団は犯罪だけしておけと?




◎ 2012年7月4日 (水) 実存的なことわざ・格言

天は見通し・・・天道には誤りなく、善悪にはおのおのその報いがある。神は見通し。

誰も知らなくても、少なくとも本人は知っている。
加島祥造「老子」にも、これと同じ意味で、『第74章「天の刑の執行人」 殺す役を天の働きに任せるようになる』とある。

道理を破る法はあれども法を破る道理なし・・・道理よりも国法の力の強いことをいう

人衆(おお)ければ天に勝つ・・・本来、人の力は天の定めた自然の道理に従うものであるが、人が多く力が盛んな場合には、一時的ではあるが人の邪悪が天の正道に勝つことがある

「道理を破る〜」は日本の「人多ければ〜」は中国のことわざで、ほぼ同じ意味だが、中国の方は長い目で見れば道理の方が勝るとしている。実存主義者も後者の説をとる。

達人は大観す・・・広く道理に通じた人は物の全局・全体を観察して判断をあやまらない




◎ 2012年7月5日 (木) 天の刑の執行人

俺の考えでは、集団と集団の戦いでは、権力主義に勝る集団は存在しない。
そのため、権力主義集団に反対する集団が相手を潰そうとしても逆に潰される事になるだろう。
しかし、自己を完成させた実存主義者は、一人でも権力主義集団に敗れることは無い。
実存主義者の集団でも仲間を信じたり、集団の力に依存したりしないのであれば、集団と集団の戦争でも権力主義集団を潰す事も圧倒することも撃退する事も可能だろう。
逆に権力主義集団には、実存主義の個人にも集団にも勝つ見込みは皆無である。
じゃんけんならば、実存主義は権力主義でも実存主義でもない集団に負けるところだが、実存主義は個人でも集団でも無敵である。
では、実存主義の集団と実存主義の個人ではどうかと言えば、全くの互角である。永久に勝負は付かない。
俺を心の支えにしている人々は多くいるが、それらの人々は、社会をより良い形に変革したいと願っている。
しかし、その考え方は、権力主義社会の変革を意味し、権力主義者に別の生き方を強制するものである。
自分達は権力主義を強制されたくないのに権力主義者には別の生き方を強制するのでは、道理に反する。
確かに権力主義社会は、いずれ人類を滅亡させるだろう。
しかし、たとえ、全人類が滅亡しようとも、誰にも他人に別の生き方を強制させるわけにはいかないのである。
実存主義においては、結果よりも過程の方がはるかに重要である。
ゲーテ「ファウスト」でもホムンクルスが同じ事を言っている。
実存主義者は何もしない。あらゆる裁きは天に任せるのである。
権力主義に反対する人々は、この社会に生きる価値は無いと判断を下すだろう。
しかし、天の刑の執行人を信じるならば、全人類が天罰を受けている事に、いつか気付く日が来るかもしれない。
その時には、やっぱり悪い事はできんなと思うだろう。
旧約聖書には、天罰を受けた人々が全滅する話が多く存在する。
ルカ17(http://bbbible.com/bbb/bbblk17b.html#lk17.22-37)
物事の善悪は何を元に判断すれば良いのか?答えは自分である。自分を完成させてそれを物事の判断基準にする以外、他の何物にも基準をゆだねる事はできない。
実存主義とは自己を完成させる事である。