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◎ 2011年12月10日 (土) 愛読書はおもしろい

中学校で、愛読書の紹介で、太宰治「人間失格」というのを見て、本の題名が面白そうだと思った。
中学校の教科書で、芥川龍之介の「羅生門」に共感した。
三島由紀夫は、芥川や鴎外の解説に名前が良く出てくる。
某女流作家が愛読書に、カミュとニーチェを挙げていた。
グループSNEの誰かが某ゲーム雑誌で、ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を紹介していた。
某漫画のヒロインが、サリンジャー「ナインストーリーズ」を読んでいた。
学校の友達から、「ロードス島戦記」「アルスラーン戦記」「ドラゴンランス戦記」「バトルテック」などを借りた。
本屋で本を紹介する本で、その年一番のお奨めが村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」だった。
中学校の教科書の本の年表に、カフカ「変身」とあったのが興味を引いた。
カフカ「城」とドストエフスキー「悪霊」は、カミュ「シーシュポスの神話」に出てきたから。
キェルケゴールは、大学の一般教養の教科書。
など、おもしろい本は、ほとんどが他人の愛読書だった。
図書館や本屋で探しても本は、あまり見つからないものである。
ここに書いた本でその他は、親が持っていたものである。一部違うものも。また、親は実存主義者ではない。
まだ、ニーチェは一度も読んだ事がない。いつか読むかもしれない。
しかし、当分、本は読まないだろう。年をとって読書欲がなくなった。




◎ 2011年12月16日 (金) オウム真理教の国家制圧計画の信憑性

読売新聞サイト(2011/11/22)
『国家転覆ありえた…サリン70t・自動小銃千丁

オウム真理教の被告189人のうち、最後に残った元幹部・遠藤誠一被告(51)に対し、最高裁が21日、死刑判決を言い渡し、一連の事件の裁判が終わった。
 〜教団は、自分の手で製造した70トンものサリンを霞が関や皇居に空中散布して大量殺人を実行し、混乱に乗じて自動小銃を持った信者が首都を制圧するという国家転覆計画を企てていた。
 〜今、そんな計画を聞いても荒唐無稽な印象を受けるかもしれないが、教団は実際、サリン散布のためにヘリコプターを購入していたし、自動小銃の試作品もでき、信者らの訓練もしていた。計画が実行されていれば、三日天下くらいは取られていたかもしれない。』

この話が、どうにも信じられない。もし、サリンの空中散布が真の目的ならば、その前に地下鉄でサリン散布をやってしまうと、計画が事前に知られ、頓挫する可能性が高まる。実際、それで、オウムは摘発され、頓挫したのである。奇襲の予行演習をする馬鹿がいるだろうか?自分達が計画を実行する前に、わざと捕まったと考える方がまだ信じられる。しかし、それなら、最初から実行しなければ良い訳で、何もかも論理的に滅茶苦茶である。
1000丁の自動小銃とあるが、まだ試作品が1つできただけで、1000丁などほど遠い話である。
改造拳銃の事件は、たまにあるが、自動小銃が果たして、大きな設備も無い上に、銃器製造のノウハウもほとんど持たない人々に自作できるものだろうか?
銃器の部品は特殊で極めて入手しにくいものであり、税関や警察がある中での入手は、ほぼ不可能に近い。
国家や財閥でもない限り、部品工場を建造するのは不可能である。まして、信者の布施を主な収入としている新興宗教には絶対に不可能である。
銃器が一丁も無い中で、信者は何の訓練をしていたのだろうか?まさか水鉄砲で自動小銃が使えるようになる訳ではあるまい。
つまり、オウムにその計画があったとしても、国家転覆の可能性はゼロであり、三日天下すらありえない。
それに、この事件の報道には不可解な事が多すぎる。何もかもがありえない話にも拘らず、誰もがそれが可能だったと信じている事自体、信じがたい。




◎ 2011年12月17日 (土) 反理性への不干渉

読売新聞サイト(12/17)
『カザフで労働者、治安部隊と衝突…10人死亡』

神戸新聞(9/11)によれば、現在、カザフスタンは景気が良いらしい。
ソ連からの独立後、油田と天然ガス田が発見されたからである。
しかし、そのおかげで、大統領は強固な独裁政治を展開しているらしい。
新聞には、強権政治でも景気が良いから国民の支持を得ていると書かれていたが、国家が大きな権力を持つと景気が良くても、国民の不満は爆発するものらしい。

以前、もし、チベットが日本の中国侵略に自国に危害が及ぶ事を恐れず、遺憾の意を示していたらと書いたが、考えが甘いだろうか?
しかし、不干渉を決め込んだチベットが攻撃を受けたのは事実であり、危険を顧みず、理性的な発言を毅然と行う事は良い結果を生んだかもしれないという可能性は、それを実行しない限り、いつまでも残る事になるだろう。
現在、中国では、チベット人が強制的に還俗させられ、それに反発して焼身自殺する人々がいる。
また、シリアでは、悪政に反発し、デモを行う人々がいる。
これらを弾圧する国家も、理性に反する行動をしていると断定できるだろう。
もし、これらの理性に反する集団に対し、世界が現在のように不干渉を決め込むならば、侵略される前のチベットと同じ事をしている事になるだろう。

ただし、国家があからさまに自分達が悪であることを認め、襲い掛かって来る時に、圧倒的に形勢不利な状況で反抗しても犬死にするだけだろう。個人の主張も状況に依る。ただし、主張の内容によっては、それも致し方ない場合もあるだろう。




◎ 2011年12月18日 (日) 日本は第二次世界大戦の反省をしていない

日本は、戦後、負傷した軍属には、毎年数百万円の補償金を支払っていたそうだが、同程度の怪我をした軍属以外の人々には、ほとんどなかったそうである。
そのため、近年、東京や大阪で国家に補償を求めた裁判が行われているそうである。
これは、日本が戦後、戦争に全く反省していない証拠だろう。
軍属だけを特別扱いすることにより、戦争の正当性を主張しているからである。
以前にも書いたが、日本がアジア各地に攻め込んだ目的は、植民地や属国にするためである。
これは、大東亜共栄圏構想と呼ばれた。
これも以前書いたが、共産党によると TPP は、日本はアメリカに競争力で劣るから、日本は不利であり、アジア各国との FTA は、日本は競争力で勝るから有利であるらしい。
読売新聞サイト(12/17)には『日中韓FTA「3か国に利点」…産学官共同研究』とある。
これなども、大東亜共栄圏構想の再来に思えてならない。




◎ 2011年12月18日 (日) 家電・パソコンリサイクル法は撤廃すべき

神戸新聞(11/9)によると、尼崎市内の不動産会社が管理する伊丹市内の借家の住人が放置した家財800キロを処分するよう社長に命じられた社員(現在は元社員)が路上に投棄して、廃棄物処理法違反で逮捕されたらしい。
ゴミに人生を狂わされた事になる。
パソコンの処分の仕方を知っているだろうか?丁寧に梱包してパソコン会社に郵送するそうである。
つまり、ゴミが新品のパソコンと全く同じ扱いをされているのである。
ここまで来ると、お犬様ならぬ、おゴミ様社会である。
犬なら、まだ犬の命が助かるだけましだが、無機物のゴミのために人生を狂わされたのでは、悲劇を通り越して喜劇である。落語のネタにするしかない。
江戸時代なら、ゴミの山をお輿で運んで人足がぎっくり腰になるようなものか。
東大出の官僚達は、ろくな事を考えない。
更に言えば、法律そのものが不要なのである。




◎ 2011年12月18日 (日) マルチ商法

マルチ商法は、違法というわけではないらしい。ただ、規制は厳しい。
ねずみ講との区別が付きにくく、裁判でマルチ商法がねずみ講と判断される事も多く、その場合は違法となる。
マルチ商法の問題点は主に3つである。
1つ目は、商品を多く仕入れたが売れない場合。
2つ目は、親しい人からの紹介で購入を拒否しづらいこと。
3つ目は、ダウンを増やす事でアップに収入が入るというねずみ講のようなシステムがある場合。
である。
3つ目のは、不労収入が得られるという点で、ほぼねずみ講である。
1つ目も、販売員が無限大に増えれば、当然、その商品を売りさばくことができなくなるはずで、絶対に売れないはずの商品を売らされている時点で、もはや犯罪だろう。これも実質的にねずみ講である。ねずみ講の問題点とは、ピラミッドの最下層の人々は、もはや誰も紹介者を探せない点にあるからである。
つまり、マルチ商法とねずみ講を区別する点は、2つ目の購入を拒否しづらいだけが共通している場合だろう。
1つ目と3つ目のどちらかが当てはまるなら、もはやねずみ講と言っても過言ではないだろう。
商品の紹介者がいるだけで、2つ目は、あてはまる事になるから連鎖販売取引は総てマルチ商法になる。
Wikipedia 「マルチ商法」によると、2つ目の問題で消費者センターにマルチ商法の苦情が多く寄せられて問題化し、悪質商法とされたとあるから、これだけでも大問題というわけである。
しかし、この2つ目の問題さえなければ、必ずしも商品紹介販売が悪質商法とは言い切れないのではないだろうか?
と言うのも、例えば、インターネットで商品を販売するとする。しかし、広告不足で一般に認知されない。
紹介によって何人か客が得られたら、紹介者に利益の一部を提供しても、全く売れないよりはましである。
しかし、この場合でも、紹介なしで買った人は、紹介ありの人よりも実質的に紹介料の分だけ高く買っているわけだから不満が出るに違いない。また、それが紹介である以上、2つ目の問題は、どうしても避けられないのである。この商品紹介販売というのは、紹介者は全く商品を仕入れる事は無く、入会金なども無く、ただ商品の購買者を紹介したら、会社から直接、紹介料をもらえるシステムである。もちろん、これも少しアレンジしただけで、、ねずみ講に早変わりする。例えば、商品価格が500円、紹介料が1000円、入会金が2000円の場合、これは、ねずみ講になり、違法となる。
マルチ商法は、人間関係破壊商法と考えて良いだろう。




◎ 2011年12月28日 (水) 台湾の独立

台湾は、毛沢東率いる共産党との権力闘争に敗れた国民党が、1949年に台湾に逃れて独立国家みたいになったものだと俺は認識している。
中国共産党は、台湾の独立を現在でも認めず、中国の一部であるとし、本国の政治体制に従うよう圧力をかけている。
日本も、1972年の日中共同声明において、中国のこの主張を尊重すると発表し、以後、台湾政府とは外交を一切行っていないし、台湾を独立国家として認める行動も発言もしていない。
しかし、日本のこの態度は、何を根拠にしているのかが、全く謎であり、誰にも説明されていない。
日本政府は、日本国民に対し、なぜ、日本政府は台湾を独立国家として認めないのか、はっきりと説明する義務がある。
少なくとも俺は、日本が国家として、どう決めようと、台湾の独立は認める。
反対する理由が全く、見つからないからである。
理由も無しに何でも勝手に決められたのでは、独裁国家と同じである。




◎ 2012年1月11日 (水) 人間は遺産の中で生活する

俺が実存主義やそれから展開する社会について書いても何も変化がないと思う人がいるかもしれないが、ある人の提言が、社会に浸透するには早くても数十年はかかる。更にそこから社会の動きにつながるには、数百年かかる場合もあるだろう。あらゆる人間は、数十年、数百年前の誰かの提言に基づいた社会で生活しているのである。そのため、俺がここに書いた内容も数十年から数百年後に社会に何らかの影響を及ぼす可能性もあるわけである。提言は気長に待つものである。現代に生きる人々が現代社会を動かしていると考えるのは思慮の足りない人間の錯覚である。




◎ 2012年1月12日 (木) チベット・ウィグル問題と日本政府の姿勢

読売新聞サイト
中国、チベット仏教寺院で僧侶300人拘束か(2011年4月23日)
チベット族の僧侶ら2人、中国に抗議の焼身自殺(2012年1月7日)

昨年から今年にかけ、何十人もチベット人が焼身自殺をしている。
彼らの主張は、信教の自由である。
現在、中国政府は、チベット僧を連行し、強制的に還俗させている。
ウィグルも民族のほとんどがイスラム教徒であり、恐らくは、チベット人同様に宗教弾圧が行われているであろうことは、容易に想像がつく。
彼らは自らの命よりも宗教に価値を置いているのであり、これを認めないことは、人権侵害である。

昨年末に、どじょう首相が日中国交正常化40周年を迎えるに当たり、訪中したのだが、これらの件については、一切触れなかったようである。
まさか、耳に届かなかったということではあるまい。
オバマ首相も、中国との友好関係を保つためにチベットの独立は認めない方針である。
しかし、チベット人の信教の自由と社会制度の保持を主張している。
人権擁護団体へのリップサービスとしか思えないが、日本の首相には、それすらないのである。
中国やシリアなどの人権侵害がまるで存在しなかったかのような世界の対応振りである。
特に日本は、中国の隣国として世界で最も責任を持つべき国である。




◎ 2012年1月13日 (金) 実存主義者の選択

千坂恭二氏の自己紹介に、『1970年6月の反安保闘争とその後のブランキスト的バクーニン派としての活動を経て、存在論的な喪失体験を持つ』とあるが、これは、「シーシュポスの神話」において、カミュが、ニーチェもキェルケゴールもヤスパースもハイデッガーもフッサールも他にも色々な哲学者が経験したと言う例の実存主義者特有のスピリチュアル体験かもしれない。
と言うのも、当時は安保闘争などで、国家による弾圧や弱小組織による内ゲバなどの集団による理性への弾圧が日常的に行われていた可能性があるからである。カミュも若いときは、反政府組織に加入しており、彼と似たような環境にいた。

その彼の昨年のブログ「アナキストの悲劇的にして滑稽な事件の孕むもの(2011年12月24日)」に『思想』という語が出てくるのだが、これは、俺がこれまで、イデオロギーと呼んでいたものである。俺にとっての「思想」という語は、1つのまとまった思考体系、または思考的な世界観という意味である。つまり、全く意味が違うのである。
一般的には(つまり辞書的には)、

思想・・・考えられたこと。かんがえ。「誤った―」
@〔哲〕判断以前の単なる直観の立場に止らず、このような直観内容に論理的反省を加えてでき上がった思惟の結果。思考内容。特に、体系的にまとまったものをいう。「新しい―」
A社会・人生に対する全体的な思考の体系。社会的・政治的な性格をもつ場合が多い。

となっているため、@の意味でもAの意味でも彼の方が近いのである。
つまり、俺のこれまで使用してきた意味での、「思想」は、辞書に存在していないのである。
それは、俺の思想は、これまで人類の歴史に一度も登場しなかった新しい観念である事を意味するのである。
実存主義者の理性は、辞書で使われる一般的な道徳としての理性とは全く異なるものであるし、実存主義者は、老子以外は辞書から全く削除されているのである。
ナポレオンも「敗北」という2文字のない自分独自の辞書を持っていたらしい。

もし、千坂氏が実存主義者で、彼の「思想」が「イデオロギー」と同一であるならば、実存主義者でありながら、社会を受け入れたメーストル側の人間である可能性がある。あるいは将来、そうなる可能性がある。