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◎ 2011年8月16日 (火) 平時における心がけ

8月12日の神戸新聞に、第二次世界大戦中は誰も国際法で捕虜の取り扱い方が定められているのを知らなかったから、捕虜を殴ったりする人もいたが、日本人も兵隊は毎日のように上官から殴られていたからねと書いてあった。
兵隊は、殴られるのが仕事というわけである。
また、捕虜は食料があまり与えられなく、やせ細っていたそうである。
福島の原発事故でも、ペットは見捨てられた。
外国人は、どうかは知らないが、権力主義者は、仲間と余所者の境遇には明確に区別をつけるから、捕虜がペットのように人間よりも格下扱いになるのは、予測が付く。
では、戦時と平時の違いは何だろうか?
戦争をしているかしていないかの違いである。
では、戦時と平時に生きている人間の違いは何だろうか?
たまたま、その時代に生きていたかいなかったかの違いである。
たまたま、平時に生まれても、たまたま、運が良かったのを喜んでいるに過ぎない。
万人が平等であるならば、戦時に生まれても平時に生まれても同じような人生でなくてはならないはずである。
それゆえに、平時でも戦時に生きていると思えば良い。




◎ 2011年8月17日 (水) 善悪の彼岸

たった一人の人間が、世界中の人々から嫉妬されている場合、どちらが悪だろうか?
たった一人の人間が、世界中の人々から略奪されている場合、どちらが悪だろうか?
例えば、伊良部は、周囲の嫉妬を浴びながら渡米したのだが、これは悪だろうか?
平時における殺人と戦争における殺人の違いは?
こうした問いに明確に答えられる人間が、善悪の彼岸(ひがん)にいるのである。




◎ 2011年8月20日 (土) 実存主義社会があれば・・・

読売新聞サイト(8/18)
『ソマリアの子供「40万人が餓死恐れ」…英閣僚
英国のアンドリュー・ミッチェル国際開発相は17日、過去60年で最悪とされる干ばつに見舞われたソマリアの首都モガディシオで、難民キャンプを視察後に記者会見し、「40万人の子供が餓死する恐れがある」と述べ、国際社会による早急な支援を呼びかけた。ロイター通信などが伝えた。
 ソマリアの食糧難については、国連人道問題調整事務所(OCHA)も人口の約半数にあたる約370万人が深刻な状況下にあると発表したが、餓死者について具体的な規模が指摘されたのは今回初とみられる。同国では1990年代初頭の人道危機でも数十万人が餓死したとされる。』

読売新聞サイト(8/17)
『タクシン氏訪日へ、被災農家にタイの農地提供
タイのタクシン元首相は今月下旬の訪日時、東日本大震災の被災地農家にタイの農地を提供するなど、復興協力策を提案する。
 被災地の自治体が復興資金を確保するため地方債を発行し、東南アジア各国が購入して資金調達を支援する案も検討している。タクシン氏は首相時代、アジア域内で国債などの取引を活発化させる「アジア債券市場」構想を主導しており、構想に弾みをつける狙いもあるようだ。』

ソマリアは、1960年にイギリスとイタリアから独立し、69年にクーデターが発生、更に90年反政府勢力「ソマリア統一会議」(USC)が首都を制圧、その後分裂し戦闘に突入。91年北部では「ソマリ国民運動」(SNA)が一方的に「ソマリランド共和国」の独立宣言を行う。数十万人が海外避難、国内では大規模な飢餓が発生。いまだに無政府状態のまま内戦が続行。(現代用語の基礎知識 2000 より)

つまり、現在のソマリアには、ソマリア民主共和国とソマリランド共和国の二つの国があり、どちらも内戦状態にあるという事だろう。
本来、このような大掛かりな問題は、世界各国の政府が問題の究明と解決に当たれるように、民間も経済的支援を行うべきだろうが、現状では、政府ですら、その場しのぎの経済支援で精一杯だろう。
国際連合が問題の究明と解決に当たるには、国際連合は組織として、あまりにも貧弱である。
せいぜい、少し大きめのNGOほどの能力しかない。
問題の究明と解決というのは、各部族の主張を聞き、その調整を行う事である。

タイのタクシン元首相が提案するような、農地の一時的な貸し出しなどは、ソマリアのような国にとって効果的ではないだろうか?
俺は、このような機能も世界各国の実存主義社会にも期待しているのである。
その存在意義からも実存主義社会には、それが可能である。
国家の立場を離れた国際支援が可能だろう。
しかし、そんなものは世界中のどこにも存在しない。
ただし、「2011年6月5日 (日) ボランティアと赤報隊」にも書いたように、国家が国家を離れた国際支援を認めるわけがない。
では、タクシン元首相は、実存主義者的なのかとなると、「アジア債券市場」構想というのが引っかかる。
世界各国が大量に国債を発行しているのと関係があるのだろうか?
国債といえば、日本では銀行などの金融機関が大量に日本国債を購入しているそうである。
預金者は、自分が知らぬ間に大量の国債を買わされているという事だろう。
ある意味、酔狂な事である。
どうせなら、お礼に日本国債だけでなく、タイ国債も日本の金融機関が大量購入するように日銀が働きかけたらどうだろうか?
もし、日本の金融機関が世界平和を希望しているならば、ソマリアなどの発展途上国の国債も大量購入してあげれば良い。
どの国の国債でも同じ事である。
痛むのは預金者の懐であって、日本国家でも金融機関でもない。




◎ 2011年8月24日 (水) 政治的なこと

ここ数ヶ月、リビア情勢についてのニュースがなくなったと思っていたら、最近になって、NATO軍と反体制派による首都制圧のニュースが飛び込んできた。
前の段階から、いきなり、首都制圧は、ありえないから、世界中のマスメディアに報道規制が敷かれていたとしか思えない。物騒な国際社会である。

菅首相の退陣が明白になった。
俺は、菅政権が戦争を始めるつもりでいると思っていたから安心した。
菅政権の良い点は、肝炎訴訟において、国家が多額の補償を約束したことである。 自民党政権の公害訴訟では、原告が80代や90代になるまで国家が賠償を認めることがなかったから快挙と言えるだろう。 地震の補償については、多額の資金を拠出しながら経済(公共事業)優先で、使い道が間違っているように感じた。
菅首相の脱原発だが、その実体は、省エネ発電会社の電力を電力会社が総て買い上げ、その分、電気料金を値上げするというものだった。
しかも、大量に電気を消費する企業だけは、8割免除されるらしい。
どこが、脱原発・減原発なのやら。しかも、この法案は地震発生前から菅政権が主張していたものらしい。
地震が上手く利用されたに過ぎない。
脱原発衆院解散は、自民党に資するだけだから止めると言っていたのだが、むしろ、それだけが民主党政権維持の可能性だろう。
これも、ただのパフォーマンスだったというわけである。
厚生大臣時代は、非加熱製剤事件で、マスコミにヒーロー扱いされていたが、メッキが剥がれた首相時代ということだろう。
しかし、何か事件が発生するたびに、首相が辞任する伝統が、日本政治にはあったから、それを持ちこたえたのは評価できるだろう。




◎ 2011年8月26日 (金) 現代日本政治

従来の日本政治は、経営者側の自民党と労働者側の民主党の対立だったが、今日の日本政治は、労使が手を組んで自分たちの産業を防衛する事である。
それは、一昨日書いた震災復興における公共事業重視の姿勢や、省エネ発電会社の優遇や、それによって電力会社に全く負担が掛からなかったり、一部企業のみが電力費値上げを免除されたりしている菅政権の政策から分かる。
菅政権の政策は総て、彼らの支持母体の企業を優遇するためだけにあったのである。
そのため、自民党と民主党による大連立の話が浮上したのである。
いくら仕分けをして財源を確保しても使い方が間違っているなら意味がない。
日本政治は完全崩壊したと言っても過言ではない。
社会が悪化すると民主主義は、こうなるらしい。
菅首相が悪いのではなく、このような社会が悪いのである。

Wikipedia 「保守」によると、現在の民主党は、元社民党議員だけでなく、元自民党経世会議員(恐らく、小沢系議員のこと)も多く、保守(右翼)でも革新(左翼)でもないらしい。




◎ 2011年8月26日 (金) 大阪府知事と大阪都構想

スポニチ(8/24)
『「政治的発言」がきっかけ 紳助10数年前のトラブルとは… 
 23日夜に会見し、芸能界引退を発表したタレントの島田紳助(55)。暴力団関係者らと携帯電話のメールでやり取りをしていたことが発覚し、自ら引退を申し出たという。
 紳助は10数年前、トラブルを抱えて芸能界引退を考えた際、知人に紹介された暴力団関係者がそれを解決してくれたと説明。「恩を感じていた」と言うが、「芸能人が暴力団関係者と交際してはいけないとは認識していた。直接会ったのは4、5回程度」と強調した。
 この「トラブル」とはテレビ番組での政治的発言がきっかけで、右翼との間に起きたもの。テレビ局も所属事務所も守ってくれなかったため、頼ったという。』

島田紳助が暴力団との交際発覚で芸能界を引退したそうである。
この社会は、暴力団がいなければ自分の命すら守れないのだ。
こういう理由なら、不可抗力だと俺は思うのだが、引退には色々と事情ががあるのだろう。
彼が政界進出を否定していたのは、こういう理由があったのかと思った。
この事件で初めて知ったのだが、あの橋下(はしもと)徹大阪府知事は、「行列のできる法律相談所」に出演していた橋下弁護士らしいのである。
どこかで見たような気がしたのは、これだったのだ。
テレビでは、茶髪でメガネをかけていたから、昨日まで全然気がつかなかった。
ところで、橋下知事は、現在、自分が置かれている状況に気付いているのだろうか?
今の彼は、俺の見るところでは、西郷隆盛である。
西郷隆盛は、明治政府の主要人物の一人だったのだが、徐々に政府内での居場所をなくし、巻き返しの征韓論の許可を天皇から得ようとしたのだが、天皇の代理人の岩倉具視の謀略にしてやられ、明治政府を追われ、国許に帰ったのだが、岩倉具視と大久保利通の明治政府軍に討伐されてしまったのである。
今回は、岩倉と大久保に相当するのが、自民党、公明党、民主党である。
彼らに派手にやられる前に、ずらかるのも1つの手だろう。彼らは極右と変わらない。

Wikipedia 「橋下徹」を見て、もう1つ勘違いに気付いたのが、大阪都構想である。
俺は、昨日まで、この構想は、東京都が地震に見舞われたときに、大阪に首都機能を移転する事だと思っていたのである。
しかし、実際は、大阪市や堺市の財源(固定資産税や法人税の一部)を大阪府に持って来る事らしいのである。
「橋下知事の大阪都構想を、きちんと考えてみる(http://miniosaka.seesaa.net/)」を参照。
大阪維新の会によると、大阪都構想は、大阪府の経済を活性化させるためらしいのだが、なぜ、それで活性化できるのか具体的な説明はない。
「大阪都構想について(http://oneosaka.jp/policy/04.html)」を参照。
共産党(しんぶん赤旗2011年2・3月 号外)によれば、日本の大企業は、この10年間で、100兆円も資金を増やしているのに経済は活性化していない。
財源が増えるとなぜ、経済が活性化するのだろうか?
俺は、東京が大きいのは、東京に法的権限が集中しているからだと思っている。
むしろ、東京から国会と中央官庁を大阪に招致したら良いのではないだろうか?
多分、東京都知事は怒るね。

「行列のできる法律相談所」の橋下弁護士は、おとなしそうな印象があったのだが、現在の様子や Wikipedia の内容では、全然違っているのにも驚いた。
これも、社会が腐っているからだろう。




◎ 2011年8月26日 (金) 船場吉兆事件と耐震強度偽装問題と光市母子殺害事件

船場吉兆は、売れ残り食品や前の客が食べなかった料理を売ったり出したりしていたそうである。
昔、友人がバイトしていた居酒屋では、パセリを使い回ししていたというから、どこでもやっている事かもしれない。
大人になってみると、前の客が食べなかった物くらいで汚いと言っていたら、生きていけないような社会らしい。
うかうか嫌いなものを言ってしまったら、そればっかり食わされたりするのである。

「耐震強度偽装問題(姉歯事件)の真実(http://www.geocities.jp/fghi6789/taishingisou.html)」を半分ほど読んだところによると、鉄筋量や建築料金では、耐震度は計れないそうである。
また、ビルやマンションは、建築後には耐震度を審査する事は不可能らしい。
つまり、これらの建物は、骨組みの段階と耐震壁を入れる段階と最低でも二回は調査する必要があるという事になるだろう。
戸建て住宅の場合は、建築後でも耐震度は計れるとある。
地震がなければ、少し耐震度が劣っていても関係ないとも言えるし、地盤の質も左右するかもしれない。
そのような事も考えると建築物だけ耐震設計にしても仕方ないとも言える。
日本国民は、耐震設計神話に振り回され過ぎているのかもしれない。
しかし、ビルやマンションならば、骨組み状態と耐震壁状態の数枚の写真を客に提供するくらいの事は、しても良いのではないか?
こんな事件があっても、この程度の機転も利かないようでは、商売人として企業として失格だろう。
そうすれば、耐震度に関する法律も監査機関も不要となる。法律は極力少ないに限る。
そうすれば、この一級建築士も無罪だ。亡くなった奥さんは帰って来ないが。

Wikipedia 「光市母子殺害事件」は、確かにとんでもない事件だが、『終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君』とも書いてある。
確かに酷い社会だから、この少年も社会のせいで犯罪をしたのであれば、何人死刑になっても、凶悪犯罪は減らないだろう。
俺は、そのための実存主義社会の実現を主張しているわけである。
社会悪を見逃して、犯罪者のみを責めるのは、保守主義者である。

俺は、こんな事を書いても極右に狙われる心配はないから、他の人は、あまり政治的発言はしない事だ。




◎ 2011年8月28日 (日) 審理差し戻し

Wikipedia 「光市母子殺害事件」によると最高裁は検察の死刑判決を求める上告を高裁に差し戻しにした。
理由は、死刑判決が望ましいという事である。
このように明確に判決が決まっているのであれば、最高裁で判決を下しても良かったはずである。
こうされると、高裁では死刑判決以外は出しようがない。
最高裁では死刑判決を出せない法律でもあるのかと最初は思ったのだが、よく考えてみると、最高裁で死刑判決を出せば、もう被告は上告できなくなる。
最高裁でも、一概に決めかねる裁判なのかもしれない。
だとすれば、国歌斉唱問題も差し戻しにすれば良かったのだ。




◎ 2011年8月28日 (日) 通話記録リーク

島田紳助の暴力団員との交友が発覚したのは、携帯電話の通話記録である。
吉本興業が所属タレントの通話記録を調べるはずがないから、警察が吉本興業に通達したのだろう。
吉本興業としては、警察がマスメディアにリークするのは確実だから、何らかの手は必ず打つ必要があった。
では、どういうつもりで警察が吉本興業に通達したかを考えると、やはり辞めさせるためだろう。
警察は、その関係のプロであり、どの程度のつきあいであるかは良く知っていたはずである。
神戸新聞は、この件で、テレビ業界では彼は芸風がテレビ向きでないとか、暴力団と交友があっても不思議はないと思っていたとかいう声だけを集めて載せていた。
蓄えもあるだろうし辞めても問題ないんじゃないのともあったが、経営する飲食店が儲かってるくらいで喜んでるくらいだから、案外貯めこんでたわけでもないのかもしれない。
彼は神戸新聞に恨まれていたのだろうか?
大相撲の八百長事件が発覚したのも、警察が力士の通話記録を調べたからである。
その結果、数人の力士がクビになり、大相撲も休場した。
スポーツに八百長をしてはならないという規定はなく、世間もあまり大騒ぎしていなかった。
これらの事件は、警察うんぬんよりも、世間が通話記録リークに対応できていないためだと考えられる。
警察リークは必ずしも正義ではない。
世間は冷静に真相を見極め、警察に踊らされないようにすべきだろう。
警察があらゆる通話記録をリークするとは限らないなら、警察による悪事の温床にもなりかねない。
こういうことになると、自分の価値基準を持たずに周囲の意見や風潮に流される世間は、殊の外、弱い。
自分の価値基準を持とうと思えば、人生や社会についての包括的な意見、すなわち、個人哲学を持たねばならない。必然的に、実存主義者にならざるを得ない。




◎ 2011年8月29日 (月) 警察は馬鹿

読売新聞サイト(8/29)
『芸能界黒い交際、恩とカネ根深く…紳助さん引退
 人気タレント島田紳助さん(55)が、指定暴力団山口組最高幹部との「黒い交際」を理由に芸能活動を引退した問題は、暴力団と芸能界とのつながりの根深さを改めて浮き彫りにした。
 近年、様々な分野で暴力団との関係遮断が進められているが、芸能界は遅れており、警察当局は、今回の問題を契機に芸能界からの暴力団の排除を加速させる。警視庁は近く島田さんが所属していた吉本興業の関係者を呼び、島田さんと暴力団との交際などについて詳しい説明を求める。
 「ヤクザ組織のBさんに悩みを解決していただき、人として恩を感じた」。島田さんは23日夜、都内で行われた記者会見で、引退に追い込まれた原因にもかかわらず、幹部のことを終始、丁寧な言葉で語った。捜査関係者によると、十数年前、テレビ番組での発言を右翼団体から攻撃されていた島田さんが、元プロボクシング世界王者・渡辺二郎被告(56)(恐喝未遂罪で実刑判決を受け上告中)を通じてこの幹部と知り合い、問題を解決してもらったことで親密になった。
 人気商売の芸能人にとって、トラブルなどによる評判の低下は、その後の活動にも影響する。そこで、水面下での処理を望む思惑が暴力団につけ込む隙を与える。暴力団捜査に詳しい警察幹部は「未払いのイベント出演料の回収や異性問題の解決などを頼んで付き合いが始まることが多いようだ」と指摘する。
 しかし、一度付き合うと、暴力団は“恩”を巧みに利用して関係を維持しようとするため、関係を断つことは難しくなる。暴力団の資金源になってしまうケースも多く、2001年に脱税事件で摘発された大手芸能プロダクションでは、所属タレントのトラブルの「対策費」として、暴力団関係者に定期的に数百万円単位の金を払っていたことが明るみに出た。』

これが、警察やマスメディアやその周辺の、つまり、政官財界の権力者達の言い分である。
しかし、例として挙げられている暴力団と芸能界の癒着は、契約不履行や異性問題など、暴力団に頼らないでいようと思えば頼る必要もなく、縁を切ろうと思えば切れる問題であり、島田紳助のように頼らないわけにはいかず、命の恩人であるがために縁を切るのが容易でない場合と同じと考えるわけにはいかない。
全く次元が違う問題を同じように考えてはならない。
また、2001年の大手芸能プロダクションの問題は、利害関係があったが、紳助の場合は、それがないと吉本興業の告知にもある。
また、10年前の事件であるなら、10年前に芸能界から暴力団を一掃するのが筋であり、今になってそれを持ち出すのは却って、陰謀をほのめかすものだろう。
何でも同じように考えるのではなく、状況に応じて適切な判断を全人類は行うべきである。
状況に応じた判断の出来ない人間は馬鹿である。
馬鹿の言うことに賛同する人間も馬鹿である。
俺は、島田紳助は無罪であると判断するのであり、もし、警察があらゆる携帯電話通話記録を世間に公表するという方針なのであれば、それには反対はしないが、その場合は、それを知らされた世間の方に全面的にその司法判断が任されるのであり、その事を世間は意識する必要がある。
携帯電話の普及により、そのような時代になったのである。