目次へ

◎ 2011年7月29日 (金) 実存主義者の心意気

三島由紀夫 「金閣寺」 新潮文庫 「三島由紀夫 人と文学」

p.358 『何としてでも、生きなければならぬ、という思い』

カミュ 「シーシュポスの神話」 新潮文庫 「不条理な論証」

p.94 『いまや、問題は論証ではなく、生きることだ』

三島の方の「生きる」は、明白で、自伝的な「仮面の告白」を書いて、それに対する社会からの攻撃を耐えて生き抜かなければならないという意味である。
カミュの方は、本来、別の意味に使われているのだが、もう1つの隠れた意味として、過激な内容を書いた結果として、三島と同じ理由から生き抜かなければならないという決意を感じる。
サリンジャーにしても、グラースサーガや「ライ麦畑でつかまえて」の反響が大きすぎて、人生を台無しにしてしまったが、彼も、最初からその覚悟で、小説を書いたのである。
芥川龍之介の「羅生門」や晩年の遺作群にもそういった覚悟が感じられる。
実存作家は、自殺行為と知りつつ、作品を書くのである。
これが、実存主義者の心意気であり、実人生における美である。
実存主義者の人生は、理性よりも軽いのである。
彼らが、自らの作品にそれだけの自負を持っているかとなると、全くそういう事ではない。
彼らに、そのような虚栄心は存在しない。
俺も、書いた内容について人生における責任感は持っているのだが、おそらく、あまり危険な事は書けていないのではないかと思っている。
実際、書いても俺の人生には何の変化もないのである。




◎ 2011年7月29日 (金) 太陽光とビタミンD

ビタミンD・・・魚類の肝臓・卵黄などに多く含まれる脂溶性ビタミン。血液中のカルシウムの量の調節に関係し、この欠乏は佝僂(くる)病となる。有用なものはD2(エルゴカルシフェロール)およびD3(コレカルシフェロール)。エルゴステロールから生成する。

エルゴステロール・・・酵母・麦角・シイタケなどに含まれるステロール。化学式C28H44O  プロビタミンDの一つで、紫外線を当てるとビタミンD2となる。エルゴステリン。

くる病・・・ビタミンD不足による小児の骨の形成異常。ビタミンDは皮膚で前駆体から光線により生成されるため、日照の乏しい地方に発症しやすい。カルシウムの吸収が妨げられ、骨端軟骨の化骨が進まず、骨が軟らかく、脊柱・四肢などの発育不全、異常な湾曲を生ずる。

つまり、カルシウムの吸収には、ビタミンDが必要で、ビタミンDは太陽光に当たらないと体内では生成されない。
カルシウムやビタミンDが不足すると、くる病や、骨軟化症などにかかる。




◎ 2011年7月31日 (日) 実存小説の謎を解くには「ファウスト」は必読

サリンジャー著「バナナフィッシュにうってつけの日」のシーモアの足や三島由紀夫著「金閣寺」の主人公のどもりや柏木のびっこが、ゲーテ著「ファウスト」の悪魔の足である事は、疑いようがないだろう。
それは、実存小説の謎を解き明かすには、最低限「ファウスト」は、読んでおかなくてはならないという事である。
実に多くの実存作家が、読んで当然と言わんばかりに、この本を隠し味に使っている。




◎ 2011年7月31日 (日) 不要な法律

近所のいくつかのスーパーは、ビニール袋を有料にするように市から要請されている。
家電リサイクル法が施行された。
雑草の焼却が、全国的に禁止された。
火災報知機を一家に三台設置する事が全国的に義務付けられた。
どれもこれも、不要な法律ばかりである。
家電リサイクル法で、ゴミを蓄えている家も多いのではないだろうか?
多分、法律が改正されるまで蓄えておくつもりだろう。
火災報知機を設置したかどうか、消防署が確認のため家庭訪問している。
生体移植法が施行された。
学校での起立国歌斉唱が義務付けられ、違反者に罰則が課せられた。
政府は反原発路線を減原発路線に転換し、どれだけ減らすかは一年後に決めると来た。
一年後には、世間の反原発心理が消滅している事を期待しているのは明らかである。
つまり、減原発すらも実行する気がない。
国家が、近年、このような圧制を敷くようになったのは、国民の生活不満を高め、それを侵略戦争に利用するためである。
近年の周辺諸国非難や領土問題活性化も、その伏線である。
国家の目論(もくろ)み通り、現在、国民は、これらの全く納得のいかない法律に対し、徐々に不満をつのらせている。
後は、この不満がテロやデモやクーデターに取って代わる前に戦争を始めるだけだ。
それには、メディアの懐柔が欠かせないが、震災報道を見る限りでは、完全に成功しているようである。
国家が、テレビの地デジ化に取り残される人が出ないように腐心しているのもそのためである。
テレビなど見ようが見まいが個人の自由である。国家が干渉する筋合いはない。
俺としては、赤紙が届くのを待つだけである。




◎ 2011年8月1日 (月) シリア

読売新聞サイト(7/31)に「シリア反体制デモ、治安部隊発砲で121人死亡」という見出しがあるのだが、記事内容は、デモはなくて、シリア国軍の戦車隊が、市民がバリケードを敷き、水も電気もなく立てこもっているハマという都市に奇襲攻撃を仕掛けたものらしい。市民は、火炎瓶と石で抵抗したとか。
現実とは思えず、映画か漫画みたいな話である。
俺も旅費と現地での生活費さえあれば、日本国籍など捨てて、シリア国軍と戦うのだが。
このような話を聞くと、いかに日本での生活は退屈なものか。
実写版「北斗の拳」のようなシリアで、ケンシロウのように戦いたいものである。
日本政府の都合による侵略戦争などより、はるかに魅力的である。

中東デモの火付け役ジャスミン革命のチュニジアやエジプトなどは、たまにデモが発生しているようだが、その間にあるリビアが急に静かになった。状況は何も変わっていないはずだが、どうしたことか?
ジャスミン革命は、『昨年12月、道端で野菜を売ることを警官に禁じられた失業中の若者が抗議の焼身自殺をし、大規模なデモに発展した』(神戸新聞 2011/2/3)ものらしい。これまた、夢のある話だ。

ただし、現在のシリアは、あまりに多くの人々が殺戮されたため、両者に人間性が失われ、憎悪と復讐の応酬らしい。
中東における利権の恩恵を受ける側と受ける事ができない側の戦いは、世界各国に潜む社会問題が表面化したものである。




◎ 2011年8月1日 (月) 命の重さ

「エホバの証人」の信者が輸血拒否で死亡したという話を聞くと、以前は、そこまでしなくてもと思ったものだが、今は、命より重要なものがあるという事だと納得できる。
権力主義者を反面教師とした結果だ。
科学に頼らない自然な人生という事だろう。
子供の頃は、「エホバの証人」は、狂人の集団みたいに考えていた。
年をとると、考え方が随分変わるという事だろう。
昔は、近所にプレハブの集会所があったのだが、いつの間にかなくなっていた。
近所の住民に追い出されたのかもしれない。
日曜日ごとに多くの車が集まって何かしていたが、撤去する頃には随分さびれていた。
その頃、陰気そうな人を見かけたのだが、不動産関係者かもしれない。
出入りが多かった頃は、普通っぽい人が多かったからである。
他にキリスト教の教会が2つあるのだが、両方とも健在だ。入った事はない。
長くここに住んでいるが、クリスマスや講演などの広告が年に数回郵便受けに入る以外は、勧誘された事はない。
関係ないが、聖教新聞の勧誘が先日来た。




◎ 2011年8月2日 (火) 政治の仕組み

神戸新聞(8/1)に「電力労組 民主に1.1億円 労使一体で原発推進」という記事がある。
内容は、2007〜9の3年間で、電力労組が約1.1億円、民主党に献金し、電力会社役員も35年前から個人献金を続けていたというものである。
これは、必ずしも、原発推進のためだけに行ったものではない。
民主党は、鳩山氏、小沢氏などの自民党から抜けた議員や、菅氏などの社民党から抜けた議員、解散した民社党などその他議員の寄せ集めの政党である。
特に、元最大野党だった社民党からは大多数が民主党に流れ、今では社民党は見る影もなくなってしまった。
その原因は、村山党首時代に、自民党と連立政権を組んだせいだと言われている。
ソ連の崩壊も関係しているだろう。
そのため、社民党の実質的後継と言える民主党には、電力に限らず全国の製造業などの労組が献金しているのである。
労組には、毎月ほぼ全社員が給料天引きで一定額の組合費を納めている。それが民主党に流れる。
自民党に献金している経営陣に対抗するためである。
しかし、今回の原発事故をめぐっては、電力会社は労使一体で政治活動を行っているから、状況に応じて、対立したり手を組んだりするわけである。
よほどの事がない限り、民主党と自民党の原発推進路線は変わらないだろう。

革命については、市民革命は経営者主導、プロレタリア革命は労組主導で行われる。
現在は、民主党が政権を持っているから、労組優勢の時代と言えるだろう。
中東の内戦は、利権による利益を享受できる側とできない側が対立しているから、経営者と労働者の対立に近いものがある。
ただし、必ずしも経営者が利権側であったり、労働者が非利権側であるとは限らない。
どこの国でも、革命が発生した場合は、利権側と非利権側の対決となるだろう。

生体移植法についてだが、自民党は資本家側だから、当然推進する。
民主党は、労働者側だが、労働者は定収入が見込めるため、基本的に差し出す側にはならない。
運が良ければ、むしろ、もらえる側になれるから、基本的に推進する。
収入が不安定で内臓を差し出す側の人々は、どの政党も守ってくれないから、生態移植法が撤回される事は絶対にないのである。
国連で貧困国での生体移植が禁止されて初めて、この法律ができたのである。
これが、権力主義社会である。
しかし、生態移植法は、今後、日本社会を震撼させる可能性があり、彼らの思惑通りには社会は回らない事に気付かされることになるかもしれない。




◎ 2011年8月2日 (火) 原発・原爆をめぐる首長発言

佐賀県知事が「再稼働を容認する経済界の声を出していくことも必要」と発言した事が、メール問題を調査している九電の第三者委員会委員長に「今回の(やらせメール)問題の引き金になった可能性は十分にある」と指摘されている(読売新聞 8/1)件だが、これは、企業経営者が個人的な意見として原発推進を訴えろと言っているようにしか思えない。
これが、経営者権力を利用して従業員にやらせメールを促す引き金になったと考えるのは、邪推である。
実際、経団連会長は、クビ覚悟で個人的意見をガンガン出している。

読売新聞(8/2)『エネルギーと原爆、比較すべきでない…広島知事』では、広島知事は、あからさまに原発推進を発言し、広島市長も「エネルギー政策については様々な考えがあるが、国の責任で対処すべき問題だ。」と気違いのような発言をしている。独裁国家ならいざ知らず、民主国家で国民が自分の意見を発信し、それを聞き、考慮するのは政府の義務である。広島市長は、日本を独裁国家であるとみなしている。
原発事故でも原爆被害者と同じように放射性物質が発する放射線の脅威にさらされている。
両者は、同次元に考える問題である。もし、原爆がエネルギー政策に関わるのであれば、広島県知事は原爆を推進するのか?
また、日本国内の原子力専門家が少ない事は、日本から原爆製作技術がより遠ざかる事にもつながるのではないだろうか?
もし、現広島県知事と、広島市長が次の選挙で当選するような事があれば、広島県民は、反原爆を訴えている事自体が詭弁であると思われても仕方がないだろう。

佐賀知事の声は、九電幹部には届かなかったようだが、広島県知事と広島市長には、しっかり届いたようである。

広島市長が広島原爆忌で読み上げる平和宣言にエネルギー政策見直しが盛り込まれるそうである。
多分、広島県民の反発に市長が柔軟に対応できた結果だろう。
理性的に機能するのであれば、民主主義も悪くない。

佐賀県知事の発言には、「メールやネットも使える」というのもあったらしいが、九電幹部が個人的に開いたブログやメルマガを使えという意味だろう。九電幹部の個人的意見をマスメディアが取り上げてくれるとは限らないからである。
しかし、九電側がテレビ番組で決着すると思い込み、そんな悠長なことでは間に合わないと勘違いする可能性は否定できないが、道義的に知事に反発することも可能であり、何にしても九電側の責任である。




◎ 2011年8月2日 (火) ノルウェー連続テロ事件審理非公開

読売新聞(7/25)『テロ、イスラム化から救うため…審理は非公開』という記事があるのだが、これでは、テロの再発とイスラム化からノルウェーを守るために審理を非公開にしたかのような印象を受ける。
実際には、この『(欧州を)イスラム化から救うため』というのは、テロの容疑者の発言であって、審理非公開の理由ではない。
この誤解を招くような書き方が、読売新聞による意図的なものであるとしたら、実に嫌らしいマス メディアであると言える。
しかも、その可能性は高い。「テロはイスラム化から救うため…審理は非公開」と一字書き直すだけでも随分印象が違うからである。

それは置いとくとして、これだけ大きな事件で審理非公開というのは不自然だろう。
審理を公開することにより、模倣テロが発生する可能性はない。
完全に個人によるテロ事件だからである。
むしろ、公開するほうが社会に蔓延する疑惑を払拭できる。
考えられるとしたら、JFK暗殺事件で暗躍したCIAのように背後に巨大組織が関与していて、審理を公開すると政界あるいは国際社会を揺るがす大スキャンダルに発展する場合だろう。




◎ 2011年8月3日 (水) 今後の人生の分かれ道

中東のデモや戦争は、弱者に対する搾取の圧力が高まったせいである。
理性のない社会では、人間は生きていけないから、社会に歪みが生じ、その兆候が最初に現れるのが弱者だからである。
弱者も生きる権利を主張するから、デモになったりテロになったりする。
理性なき社会は、これまでどおりに今後も永久に続くから、社会が今よりましになる事は決してありえない。
となると、弱者が救済される社会の存在が、どうしても必要になる。
しかし、歴史上、そんな場所は、権力に踏み潰されたために、いまだかつて世界中のどこにもなかった。
それを描いたのが、実存主義社会だったのだが、俺が生きている間に実現する見込みはなさそうである。
全人類が運よく、未来も生き延びることができたなら、世界のどこかに実現する事があるかもしれない。
つまり、現代社会が維持される事を期待しつつ生きるのであれば、その人には死ぬまで地獄の人生が続く事になるだろう。
実存主義社会の実現を期待する人には生きる希望を持ちながら生きる事ができるだろう。
イエス・キリストが思い描いていたのは、そういう最弱者救済の社会であり、総ての実存主義者の主張もそれである。
世の中には働けない人々もいるのに、搾取するだけの社会では、成り立たないのである。
現代の福祉の考え方が、根本的に間違っている事は、既に説明したとおりである。
これまでどおりに実存主義を否定するならば、全人類はなぜ自分達が死ななければならないのかを理解する事もできずに全滅するしかない。
ただ、実存主義は、ただの弱者救済の思想ではない。
その本質は、臨機応変の理性である。これがない事には、実存主義社会の実現は不可能であり、仮に実現できても維持できないだろう。
理性は道理であり、道理は人間社会が決めることではなく、物理現象のように人間の意思とは無関係なところで決まっているものである。
実存主義者の行動は、状況ごとに理性によってほぼ一意に決まっている。
我々の行動は、理性にがんじがらめなのである。その意味では、実存主義者に自由は全くない。権力主義者には全く理解できない事だろう。
例えば、可能であれば、すぐにでもシリアに飛んで行くだろう。日本国籍を捨てれば誰にも迷惑はかからない。
法律ではいかなる場合でも窃盗や殺人は認められないが、道理は認める場合が多々ある。
その場合、人間は、法律と道理のどちらを選択するだろうか?
法律を選択したなら自殺するしかない。毎年3万人の自殺者がいるのは法律を選択した人々である。