◎ 2011年6月21日 (火) ニュース
「メキシコ警察が「ブラピ」逮捕、有力麻薬組織のリーダー」という見出しの記事があるのだが、これではブラッド・ピットが逮捕されたみたいだ。実際はそういうあだ名の人が逮捕されたのだ。
これでは、本当にブラピが悪い事をしたと思い込む人間が出る可能性がある。
訴訟を起こされても不思議ではない。
6/20 の産経新聞サイトによると、イギリス領フォークランド諸島の男性がアルゼンチンの女性と結婚して、アルゼンチンに在住し、国民身分証取得を希望し、渡された事が同諸島がアルゼンチン領であると主張したに等しいらしいのだが、これはどういう意味だろうか?
結婚などしなくても、日本国籍を持っている外国出身者は何人もいるが、それらの国が日本の領土であると日本は主張している事になるのだろうか?
産経新聞の主張の意味が分からない。
中央日報日本語版(6/20)「北朝鮮、食べ残しの人肉を市場で“羊肉”として販売」この見出しも悪い。
これでは、北朝鮮の政策みたいである。実際は、そういう犯罪者が過去に一人いただけの事である。現在も北朝鮮が食糧難であるかは関係ない。
同じく中央日報の関連記事で(2010/10/6)「日本軍から与えられた‘鯨肉’、実際は朝鮮人の‘人肉’だった」とあるのは、組織犯罪でえげつない。個人によるものか組織によるものかは重要である。ましてその組織が国家となると。
香港紙「韓国の海兵隊が旅客機射撃…119人が死の門へ」という記事があるのだが、一人の韓国兵が発砲しただけのことらしい。韓国政府の命令ではないのである。組織の命令ではないなら騒ぐ必要もないだろう。日本のマスコミが中国や韓国やロシアを叩くのは領土問題のせいである。
総じて、日本と韓国と中国のマスコミは病んでいる。
◎ 2011年6月21日 (火) 二つのアジア
司馬遼太郎著「人間の集団について」とダライ・ラマ著「ダライ・ラマ自伝」を読んだ限りでは、アジアは大雑把に、インド周辺の宗教国家(インド・ネパール・チベット・タイ・ミャンマーなど)と中国周辺の非宗教国家(中国・ロシア・ベトナム・朝鮮・台湾・日本など)に分かれるようである。
非宗教国家は、時間にうるさく、せかせかして、自分達を知能の優れた民族だと思っている。
宗教国家は、時間にルーズである。
この文化の違いが、チベットが中国に侵略された理由かもしれない。
権力主義は、異質な考え方を攻撃する性質を持っているからである。
そのため、台湾が、台湾は中国よりも日本により近い文化を持っていると言うのを聞くと、中国と日本は本質的に同じ文化なのだがと突っ込みたくなる。
インドのネール首相が、中国の毛沢東主席と仲良くしようとしたのは、ネール首相が中国文化に近い考え方をしていたからだろう。
しかし、毛主席はそれを認めなかったようだ。
俺は、国家である以上は、その国民性に大きな違いはないだろうと思っている。
国家であれば必ず権力主義だからである。
◎ 2011年6月21日 (火) アメリカの行政
ロイター(6/19)
『「腰パン」の米大学生、搭乗拒否された揚げ句に逮捕
米ニューメキシコ大のフットボール選手が、ズボンをずり下げた「腰パン」姿で飛行機に搭乗しようとしたところ、航空会社係員とズボンの上げ下げをめぐって口論となり、警察に逮捕された。当局が17日明らかにした。
サンマテオ郡司法当局によると、デション・マーマン容疑者(20)は15日、サンフランシスコ国際空港でフェニックス行きのUSエアウェイズ488便に搭乗しようとした際、「性器が見え隠れするほど」ズボンが下がっていたため、目に留めた係員から飛行機を降りるよう求められた。しかし、降機を拒否したため、機長の要請で警察が不法侵入容疑で身柄を拘束した。
同容疑者はまた、係員との口論後、逮捕を拒否して公務執行妨害の容疑もかけられている。罪状認否は7月18日に設定され、逮捕翌日の16日に1万ドル(約80万円)を払って保釈された。
USエアウェイズの広報担当は「はっきりとしたドレスコード(服装規定)は定めていないが、安全やほかの乗客の快適な旅を保証するため、乗客には適切な服装を求める」としている。』
服装規定がないにも拘らず、服装で客とは認めないというのは、航空会社の一方的な選り好みで拒絶できるという事である。
もし、これが「一見さんお断り」なら規定通りだから納得できるのである。
これだけならば、この航空会社は今後利用しないで納まるのだが、警察が不法侵入妨害と公務執行妨害で逮捕したと言うのである。
この客は、服装以外では他の客と何も変わらないのであり、航空会社の選り好みで客として認めないからというのであれば、金を払えば物が買えるという原則の違反になる。
これでは、店の一方的な選り好みで客は物を買えなくなる。
また、不法侵入が法律として成立しないのであれば、公務執行妨害が無効になるだけではなく、警察による不法逮捕になるため、逆に訴えられる事になる。
この大学生を猥褻物陳列罪で逮捕できない以上、何の犯罪もしていないのである。
アメリカの法律もボロボロらしい。
◎ 2011年6月23日 (木) 弱者叩き
国家がホームレスの家を撤去したり、地方自治体が避難所生活をしている人々の生活保護を取りやめるのは、卑弥呼の時代から続く社会常識であり、全国民がその態度を支持している事は、常識である以上、俺も知っているのである。
しかし、俺は、実存主義者であり、世界中の人間が納得しようとも俺だけは納得しないのである。
国家が消滅しようが、社会秩序が崩壊しようが、関係ない。
常識も慣習も必要ない。
俺の行動規範は、一般人のように国家や世間や伝統に決めてもらうつもりはない。
俺は世間に言われて人殺しをするつもりもなければ、自殺するつもりもない。
◎ 2011年6月24日 (金) 次の政権
菅政権の次は、更に秘密主義の政権になる。
というのも、菅氏が降ろされるのは、官僚秘密主義に菅氏が丸め込まれなかったからである。
民主党の造反と自民党の菅降ろしは、官僚に丸め込まれているからで、当然、次の政権は官僚主導政権となるのである。
その結果どうなるか言えば、ミドリ十字による非加熱血液製剤問題の再来となるのである。
厚生労働省が演じたミドリ十字事件が、経済産業省による東京電力事件となるだけである。
このようにして、日本の政治はやってきたわけであり、今後もそれが踏襲されるだけなのである。
◎ 2011年6月26日 (日) 戦争
新聞を読むと着実に戦争に近づいていると感じるのだが、戦争で最も不利益を被るのは誰だろうか?
権力者は、基本的に戦争を嫌うそうである。
戦争は物事が急転する事が多く、対処がとれないかららしい。
そうなれば、財産も命も一度に失う事になる。
だから、命を失うだけの庶民に比較すると失うものが多いのである。
第二次世界大戦でも、陸相・内相・陸軍大将を兼務した権力の頂点のような東条首相でさえ、A級戦犯として処刑された。
戦争が始まったら、マスコミや権力や財産を持っている人々が、どんな状態になるのか見てみたいものである。
実存主義者は、権力嫌いだから暴力反対だと思われるかもしれないが、実はそうではない。
簡単に避けられる戦争なら、する必要はないだろうくらいのものである。
カミュは異常なほど戦争を嫌っていたが、あれは特別である。実存主義者にも色々ある。
ほとんどの実存主義者は、暴力に対して偏見はない。つまり、特別なものとは考えていない。
◎ 2011年6月26日 (日) 中東のデモ
最近は、リビアの内戦は膠着状態にあるようだが、シリアでは全土のデモで軍の発砲による死者が頻繁に出ている。
いくら死者が出ても終わらないデモは、デモに参加する民衆の真の要求だからだろう。
デモへの弾圧に対し、世界各国は経済制裁で圧力をかけている。
リビアとシリアを比較してみると、内戦よりはデモの方が世界の理解と協力は得られやすいようである。
内戦は、諸外国の暗躍の可能性が考えられるからである。
しかし、被害はデモの方が大きそうである。
イラン・イラク・シリア・リビアは、1979年以降、アメリカにテロ支援国家に指定されているらしい。
同じような状態のイエメンやレバノンなどにNATOが空爆や経済制裁を行わないのは、そのせいかもしれない。
シリアのデモについては、世界協力が必要だと思うのだが、何ができるのだろうか?
せいぜい、インターネットでの意思表示くらいのものだろう。
たとえ匿名の意思表示であっても、人生や命に関わる場合もある。
ハッカーですら、捕まるのである。
意思表示では、直接には何の助けにもならないが、やった本人には命懸けの行為となる場合もある。
しかし、何の意味もない事に命を懸ける人生も面白い。
いや、これは、おそらく理性の要求であって、それには結果を求めてはならないのである。
カネによる支援は、東日本大震災で懲りた。
義援金は、地方自治体や赤十字に集められ、これらの権力がどう使うかを決める。
それは、被災者のために使われなかった。
個人に対して手渡した集団もあったのだが、地方自治体の不平等になるという批判や、マスコミのバッシングで、手渡された人々が自治体に渡すケースもあった。
俺は、国家や地方自治体や赤十字などに渡さない事を明記しない団体の義援金には、今後一切、応じないだろう。
もし、カネそのものに悪用されるしかないような性質が存在しているならば、どんな義援金にも応じないだろう。
◎ 2011年6月28日 (火) 高い理性の持ち主
ダライ・ラマと兄のロブサン・サムテンには、高い理性があると書いたのだが、苦しみは幸福だと言ったトルストイも同じだけの理性を持っている。
トルストイの言う苦しみとは自分の苦しみの事である。
苦しみそのものが幸福だと言っているのではなく、自分の苦しみが幸福だと言っているわけである。
夢の中で会った人物は、自分は世界で最も高い理性を持っていると思っていた。
彼らは、同じ理性を共有しているのである。
ダライ・ラマやロブサン・サムテンにはトルストイの言う意味は分かるだろうし、夢の人物の心理を共有した俺にも何となく分かるのである。
これは、実際にそれだけの理性を持ってみなければ分からない事である。
◎ 2011年6月28日 (火) ファウスト
「とまれ、お前はいかにも美しい」と言ってファウストは死ぬのだが、美しいとは普通の生活の事である。
つまり、ファウストは、現実において普通の生活は絶対にありえないと考えていたのである。
その認識が実存哲学であるため、ファウストは実存主義者である。
実存主義者であるならば、ファウストの自由とは理性の事であるとはっきり認識できるだろう。
禁句を言ってしまったのは、理性のない世界では生きる意義がないと判断したためである。
『自然』が人間社会の事だとしたら、ファウストには社会の外に出るという発想が出なくなる。
社会の外に出る実存主義者は、社会を自然の事とは考えない。
自然は社会をも包括するのである。
ファウストは、社会を支配して実存主義社会を実現したいと考えるのだが、社会を支配するのは権力主義者であり、メフィストーフェレスが言うように無理である。
芥川龍之介は晩年の著作で、キリストよりもゲーテの方が優れていると言うのだが、実存主義者としては同じくらいである。
ゲーテは、国家や世間に処刑されなかったから、実存主義者の人生としてはキリストの方が全うしている。
しかし、芥川は、日本では最も優れた作家である。
理性の高さにおいては、キリストはトルストイやダライ・ラマと同じくらいだろう。
彼らあたりになると、理性は意識を超えて深層心理と一体になっているのである。
◎ 2011年6月29日 (水) 地方議会
兵庫県中南部の自治体の議会では、公明党が勢いづいているように思われる。
小さい自治体では、自民党や民主党が候補者を立てていない所も多いのだが、公明党は必ず数議席確保している。
三木市でも、首長新党が過半数の議決をとれるのは公明党の3議席のおかげである。
自民党と連立したのと、長い政治活動で議席を伸ばすノウハウを身につけたおかげだろう。
そのような理由であれば、これは全国の地方議会の現象になっているかもしれない。
支持母体が宗教団体だから、最大与党になることはないと思うが、少なくとも兵庫県中南部の市町村では政治に大きな影響力を持っている。
しかし、公明党は、自民党と敵対したり連立したりと名前とは裏腹に全く節操がない。
神戸新聞(6/27)には、神戸市議会では国政に先駆けて大連立が成立している民主・自民・公明に押されている「みんなの党」内の会話で『「同じ行動が取れないなら除名になるぞ」となだめられ』とあり、それは脅迫やろと突っ込みながらも、内ゲバ時期の日本赤軍を彷彿させる。
ここでも公明党は主要三会派の1つとされている。