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◎ 2011年5月6日 (金) 不思議

ダライ・ラマ 「ダライ・ラマ自伝」 文春文庫

p.237 『だが、インドがわたしたちに救いの手を差しのべてくれるのはいわば理の当然ともいえる。なぜなら仏教は他の諸々の重要な文化とともにインドからチベットにもたらされたものだからだ。チベットにわずかな影響しかもたらさなかった中国に比し、インドはチベットに対しはるかにもっと主張していいはずだとわたしは思っている。インドとチベットの関係をわたしはよく教師と生徒の関係になぞらえて考えることがある。生徒が困っているとき、教師は生徒に救いの手を差し出す責任があるからだ。』

インドは、国策としてチベットに仏教をもたらしたわけではないから、国家としてのチベットへの責任は存在しないように思われる。
また、現在では、インドは仏教徒よりもヒンズー教徒の方が多いから、仏教に対する義理もあまりないように思われる。
また、現実では、困っている生徒を教師が助ける事はない。
小学校では、多少そのような傾向が見受けられない事もないが、高校以上ではちょっとありえない。
しかし、現実に、インドは常識で考えられる以上に、チベットを厚遇している。
つまり、インドの常識としては、俺の論理よりもダライ・ラマの論理の方が正解というわけである。
日本が亡命者のために土地を提供するという事は考えられない。
権力の性質が働くからである。
パキスタンとの領土争いが続くインドだが、日本よりもはるかに精神的自由の国である。

もう1つ、面白いのが、ダライ・ラマは観世音菩薩の、パンチェン・ラマは阿弥陀如来の生まれ変わりとされている点である。
観音菩薩は、阿弥陀仏の脇侍だから、阿弥陀仏の方が偉いはずだが、ダライはパンチェンよりも権威は上とされている。
日本では、密教の教主は大日如来で、浄土宗の本尊が阿弥陀如来となっている。
仏教は、宗派によって仏の扱いに違いがあるのだろう。




◎ 2011年5月6日 (金) 毛沢東

ダライ・ラマ 「ダライ・ラマ自伝」 文春文庫

p.163 『(毛沢東は)「あなたの態度はとてもいい。だが、宗教は毒だ。第一に、人口を減少させる。なぜなら僧侶と尼僧は独身でいなくてはならないし、第二に、宗教は物質的進歩を無視するからだ」といった。』

1949年に中華人民共和国が成立し、その翌年、中国軍は東チベットに侵入した。
つまり、最初から毛は、チベットを潰すつもりでいたのである。
第一の理由は、思想の異なる集団の存在が許せないとする権力の性質であり、第二の理由が労働力と資源であった事がこの発言から分かる。
毛の言葉は、額面どおりに受け取ってはならない。
しかし、本音の一部分ではあるだろう。

最近は、インターネットの規制を行う国が増えたが、これは情報の鎖国である。
鎖国は、思想の異なる集団を排斥しようとする権力の性質の働きである。
日本も今に、インターネットの規制を行うようになる。日本は権力主義色が強い。




◎ 2011年5月7日 (土) 仏教

松長有慶 「密教 インドから日本への伝承」 中公文庫

p.35 『大乗仏教の基本的な考えかたである般若(仏教の基本的原理)と方便(原理の実践)の一元化』

本来の仏教は、実践哲学であるという意味だろう。
しかし、現実は、戒律や儀式などの礼が中心であるようにしか見えない。




◎ 2011年5月8日 (日) 農家が大家族なわけ

ダライ・ラマ 「ダライ・ラマ自伝」 文春文庫
p.33 『われわれのような農家は必要からつねに大家族で〜』

農家に子供が多いのは、人を雇わないで農作業をさせる事ができるからである。
農作業は、人手を必要とするのである。




◎ 2011年5月8日 (日) ダライ・ラマの政治改革

ダライ・ラマ 「ダライ・ラマ自伝」 文春文庫

p.133 『〜独立した司法制度の設立〜適正な教育開発プログラムを提案〜交通機関改善〜』

以上は、目標だが、世襲的借財の廃止は実行された。
教育改革は亡命先のインドで行われ、道路整備はチベット自治区で中国主導で行われたらしい。
中国による集団農業化は、チベットに何十万人もの餓死者を出した。

p.263 『以前からわたしは直接金銭を扱わなかったが、〜わたしのお金は好きなように使えるのではないかと内心疑ってもいた』

ひょっとして、ダライ・ラマは、漫画すら読んだことがないのではないだろうか?
だとすると、実に気の毒な話である。
昔と現代では社会事情が異なるから、誘惑も並大抵のものではない。
子供は親のカネをくすねてでも欲望を満たすべきだというのが俺の持論である。
これは、実存主義的思考に基づくもので誰も賛同しないだろうから説明はしない。

p.239 『すべての儀礼を次第に減らし、古くさい礼儀作法などしてほしくないのだということを人びとに訴えてきた』

実存主義に儀礼は必要なし。

p.241 『行政面でも〜新部門の設立に気を遣った。情報、教育、厚生、保安、宗教問題、経済問題の部局などがそうだ。とくに婦人が行政に関与するよう積極的に後押しした。』

p.265 『1961年、わが政府はチベット憲法草案の大網を発表した。〜わたしは、国民代表会議の三分の二が同意すれば現職者(ダライ・ラマ)をその地位から除くことができるという規約を盛り込んだ。』

これらの政治改革は、脱宗教というよりは、近代化、民主主義化である。
民主主義化は、権力主義化の事であり、人間から理性を消滅させる。
祖国奪還のための世界各国の協力は得やすくなるかもしれないが、実存主義とは逆方向に進んでいる。




◎ 2011年5月9日 (月) 文化破壊の必要性

集団的自衛権・・・ 国連憲章第51条で国連加盟国に認められた、ある国が武力攻撃を受けた場合、これと密接な関係にある他国がその武力攻撃を協同して排除しうる権利。自衛権の一種。

今週の「直言」(2011年5月9日)に、米軍によるトモダチ作戦に「日米同盟の深化」と書くと日本が集団的自衛権を行使するきっかけになりかねないと著者の水島教授が新聞に書いた記事について、『遺体捜索をしてもらった人の思いを踏みにじっている。想像力を持ち合せない人が学問をするのはおかしい。大学教授の肩書を捨ててほしい』というメールが届いたらしいのだが、将来、日本が憲法を破るかもしれないという事態は確かに大問題である。『思いを踏みにじった』というのは、トモダチ作戦を非難すると遺体捜索を米軍に手伝ってもらえなくなるという危惧をさすのだと思うが、トモダチ作戦の欠点を指摘する事が許されないのであれば、いかなる場合でも遺体捜索が最優先されるという論理になってしまう。現在、被災地はおそらく精神的にも肉体的にも大変な状態にあり、他人に八つ当たりしたくなったのかもしれない。政府は、ゴールデンウィークまでに生活支援金の配布を必ず完了させると豪語していたのが、終わった現在でも配布されていないらしいが、こうしたいざこざが更にエスカレートしないようにすべきである。
災害における海底に沈んだ遺体捜索の是非だが、今回の津波は巨大なものであり、随分沖合いまで流された可能性が極めて高く、遺体捜索は極めて困難である。常識で考えるならば、諦めざるを得ないはずである。
しかし、日本には、遺体は供養・埋葬など、大切に扱わなければならないという文化がある。この文化が『思いを踏みにじる』につながるのである。
次に、昨年のハイチ大地震の遺体捜索について考える。
一年経過した現在でも被災地の瓦礫は撤去されず、随分残っており、地震発生10ヶ月後にはコレラが発生し3000人以上の犠牲者が出たそうである。
ハイチにも遺体を大切に扱わなくてはならないという文化があるらしいのだが、瓦礫から遺体を取り出さずにまとめて撤去できたら、あるいはコレラの発生は防げたとは考えられないだろうか?
思いを踏みにじるというのは文化から来たものであり、状況によっては、その文化は現実にそぐわず、却って災いをもたらす事があるという事を主張したい。
大切なのは、現在生きている人間であって、文化でも遺体でもない。
もし、遺体がなければ保険金が出ないという問題が発生するのであれば、それはカネが現実を支配するという文化が悪いのであって、やはり、人間は文化からの脱却が必要である。
文化に代わって人間に必要なのは理性である。

憲法無視の危険性は認められるが、トモダチ作戦は実際に復興に大いに貢献したのであり、作戦名にまでケチをつけるのはどうかと思うし、原発事故対策本部にアメリカの原子力専門家が入ったとしても、素人目には何も問題がないとしか思えない。
他国の親切を頭から否定したのでは失礼というものである。
親切に対する感謝と、どの行動が安全でどの行動が危険かを区別できるだけの余裕を持つ事も重要である。

欠点の指摘によって、即、トモダチ作戦が否定されると考えるのは間違いである。
トモダチ作戦の是非について考えるための1つの意見を提示しているに過ぎないからである。
その回答を出すのは個々人である。
個々人が物事を考えるための提案や助言すら許されないのであれば、学者や教授職そのものが社会に不要となる。
総ての学者や教授達が、故意に嘘の提案や助言しかしないのであれば、それらの職業は社会に不要であろう。
そうでない限りは、提案や助言を生業とする人びとに辞めろだの不要だのとは言い切れないのではないか?




◎ 2011年5月10日 (火) 東海地震

東海地震・・・駿河トラフの西側の海底を震央とする巨大地震。1707年(宝永地震)、1854年(安政東海地震)に起り、近い将来発生する可能性が高いとされ、静岡県およびその周辺地域は地震防災対策強化地域に指定されている。

東海地震は、関東地方にも影響があるのかと思ってたら、静岡県周辺だけらしい。
東海地震は駿河トラフで、関東大震災は相模トラフの地震らしい。




◎ 2011年5月11日 (水) 毛沢東(2)

ダライ・ラマ 「ダライ・ラマ自伝」 文春文庫

p.345 『毛は〜チベット人の気持など無視すればいい。彼らは関係がない。必要とあらば全国民を牢獄にほうりこむ準備をすべきだ。それには施設を作らねばならない、と。』

p.345 『毛はこう尋ねた「ダライ・ラマはどうした?」わたしが脱出したと聞くと「それなら戦いはこちらの負けだ」と答えたといわれる』

チベット人は関係がないという事は、毛の第一の目的は、チベットの資源という事になる。
しかし、ダライ・ラマが脱出した事を懸念するという事は、チベット民族の支配も重視している事になる。
つまり、この二つの発言は矛盾している。
毛は、味方にすら真の目的を明かさない。
労働力と資源を手に入れるために手段を選ばないのは、権力の拡大を意図しているのである。
毛は、巨大権力を手にした後、どうするつもりだったのか?

p.272 『1962年の中印戦争〜ネールは、彼の対中国政策を顧み、インドは己の画いた愚かな天国に住んでいたにすぎなかったといわざるをえなかった。』

中印戦争は、中印国境紛争とも呼ばれるものである。
ネール首相は、毛を信じ、平和五原則条約によって友好関係を中国と築いてきたつもりだったが騙され、そのショックが元で死去したとされる。
この事から予測できるのは、毛は、チベットとウイグルを支配下に置いた後、インド、ネパール、ブータン、バングラディシュあたりを狙っていたのではないかという事である。
その後に、韓国、日本を狙ったとしても不思議はない。
他の集団の存在を許さないという権力の性質をがむしゃらに突き進もうとしたのが毛沢東だろう。
その意味において、毛は、権力というものを良く知っていたと言える。
チベットは密教、ウイグルはイスラム教の地域であり、明らかに共産主義国とは別の集団であり、権力の性質からすると存在そのものが許せるはずがない。
毛沢東は遺物であり、現在の中国もそうであるとは言えない。




◎ 2011年5月12日 (木) 原子力の基礎知識(2)

原子核崩壊・・・一つの原子核が放射線を出して他の異なる原子核に変化すること。放射性原子において自然に行われ、アルファ崩壊・ベータ崩壊・ガンマ崩壊などがある。

「2011年3月17日 (木) 原子力の基礎知識」を更に詳しく書く。
ウランなどの不安定な元素は、自然に放射線を出して別の元素になるが、これを崩壊と呼ぶ。
中性子が原子核にぶつかって原子核が分裂し、別の元素になる事を核分裂と呼ぶ。
どちらも核が破壊されて、熱や中性子や放射線や放射性物質が放出される点では同じであり、過程が違うだけである。
1つのウラン原子が核分裂によって放出する熱量は、1.34×10^-10 カロリーと極めて微量である。
しかし、核分裂によって放出された中性子が、他のウラン原子にぶつかって核分裂を誘発し、連鎖反応を起こし始めると大きな熱量になる。
1つのウラン原子が核分裂によって放出する中性子の数は、平均2.5個である。
連鎖反応が始まるだけのウラン元素の量を臨界量と呼ぶ。
一気に大きな連鎖反応を起こさせると核爆発が発生し、これを利用したのが原爆である。
原発には、特に連鎖反応を促すような仕組みはないらしい。
原発事故においても崩壊は発生しているが、制御棒によって常に中性子が除去されているため、連鎖反応が起きないのである。

放射性物質が核分裂や核崩壊によって放射線を放出する現象や性質を放射能と呼ぶ。
放射性物質の分裂量の単位がベクレルで、放射線量の単位がシーベルトである。
ベクレルは、放射性物質によって危険度が異なる。
シーベルトは、放射性物質ごとに計測しない。




◎ 2011年5月15日 (日) 浜岡原発の運転停止

浜岡原発は、東海地震に備えて総て運転を停止したそうだが、地震が発生するまで停止するのか、防波壁が完成する2〜3年後までなのか、はっきり示した方が良いだろう。
防波壁程度で原発事故を防げるつもりでいるのが信じがたいから、地震が発生するまで停止させるべきだろう。
地震には確かに周期があるようだが、150年後の次は100年後だったりするのは、ざらであり、周期を地震対策に組み込むのは現実的ではないように思われる。
つまり、長い目で見るならば地震地帯の原発は廃炉にすべきだろう。
日本に地震が発生しない場所はないというのであれば、原発は総て廃止すべきだろう。
チェルノブイリやスリーマイルや東海村臨界事故は、天災ではなく操作ミスだという。
天災などなくても原発は頻繁に事故を起こすのである。

福島第一原発は、1〜3号機までメルトダウンの可能性があると報道されている。
圧力容器に数センチの穴が開いていて、格納容器も密閉されていないという話だが、そんな話を信じられる人間はいないだろう。
共産主義国も腰を抜かしそうなほどの秘密主義には驚かされる。
原発作業員は現状を何も知らずに働かされているのだろう。
原発事故によるガンは発症までに、4〜5年かかるそうである。
現在健康だからといって安心はできない。