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◎ 2011年4月27日 (水) 海と雨と地下水と樹木と山と砂漠化の関係

日本の日本海側で雨量が多いのは、日本海側には山脈が多く、それに海を渡ってきた温かい湿った風が登って上空に押し上げられ、上空の寒気に冷やされた空気が雲となり雨や雪を降らせるからであるというのは、中学校の社会科で習った事である。
つまり、雨を降らせるには、山が必要なのである。
山は、地殻変動によって、地面が押し上げられて造られる。
そして、その山が、山の形を維持していられるのは、木が山の表面に根を網目のように張り巡らしているため、台風や大雨で土砂が崩れるのを防いでいるためであり、また、地下水は、木が根から吸い上げた水分を徐々に排出したものが流れを作ったものであるというのも中学校の社会科である。
つまり、木がなくなったら、山は風化によって平らな地面になってしまい、雨が降らなくなり、地下水も枯れてしまうという事になる。
山がなく、雨が降らず、地下水が枯れた状態というのは、砂漠化の事である。
木が消滅すると砂漠化が始まるのではないだろうか?

他の雲の発生原因としては、海水温の上昇や前線によって海上で上昇気流が発生する場合らしいのだが、砂漠においても地表の温度上昇によって上昇気流は発生するはずである。
しかし、砂漠の上昇気流で雲があまり発生しないのは、砂漠の空気が乾燥しているからではないだろうか?
となると、砂漠でも海から湿った空気が流れ込むならば、雨雲が発生する事になる。




◎ 2011年4月28日 (木) ダライ・ラマ自伝

ダライ・ラマ 「ダライ・ラマ自伝」 文春文庫

以前は、チベットが中国から攻撃されているのは、インカ帝国がスペイン軍に滅ぼされたみたいなものかと思っていた。
チベット仏教徒の怪しげな儀式や慣習が、そう思わせていたのである。
また、反乱を鎮圧しているだけで、日本軍による満州制圧みたいなものとは思っていなかった。
しかも、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサイトを見た限りでは、目的の1つは、労働力と木材や鉱物などの資源のようである。
しかし、現在は考え方が変わった。
この本を読んで変わったというよりは、ここ数年、実存主義社会の具体像(つまり、被災地村みたいなもの)について考えていたのが、チベット教社会に外観が似ているように感じたからである。
既に述べたように、実存主義社会は、一般的な社会とは異なり、全住民に哲学(理性)が要求される。
その点が、チベット教社会と少し、あるいは全く違うところである。
世界中の実存主義者は、この事態を許すわけには行かないだろう。
もし、認めてしまったならば、未来永劫、実存主義社会の実現は不可能となるからである。
そうなると社会の腐敗と数十年単位の大戦争も容認せざるを得なくなる。
実存主義社会に外交権は必須であるため、自治区ではなく、独立国家でなくてはならない。
外交権を放棄すると、もはや実存主義社会ではない。

「はしがき」
『この書物は決して仏教に関するものではないが、一僧侶としてわたしのこれまで辿ってきた人生をみなさんに知っていただこうと思い上梓した次第である。それには二つの理由がある。まず第一には、ダライ・ラマとはいったいなんなのだろうという興味を示す人びとが次第に増えてきているということ。第二は、正しく記録されるべきだと思う歴史的出来事が数多くある、ということである。』

この本をあらわした動機は、著者がその必要性を感じたからだと言うが、それが結果的に、チベット社会の紹介となっている。
理性の要求は、本人が予期しない効用をもたらす場合もある。

p.28 『チベット仏教では、ある存在−ダライ・ラマもその一人である−が何かの”生れ変り”の姿をとりうるということを認めているにすぎない。このような人々をわれわれは”トゥルク(化身)”と呼んでいる。』

これは、ダライ・ラマは死後、すぐに転生するという事である。
実際的には思えないが、それは気付かないだけかもしれない。
例えば、インドのカースト制度だが、これも実際的には思えない。
しかし、世の中を眺めてみると、医者の子は医者になりたがるし、学者の子は学者に、弁護士の子は弁護士に、政治家の子は政治家に、芸能人の子は芸能人になるケースが多い。
人間は、実は、DNA的に親の職業を踏襲したがる性質があるのかもしれない。
だとすると、一見、間違っているとしか思えないカースト制度も、いくばくかの正当な理由を認められまいか。
つまり、前述の職業の人々にとっては、ライバルが増えないカースト制度は、DNA的に好ましい制度に思えるのではないだろうか。
しかし、時代と共に必要とされなくなる職業もあり、その場合、この制度は邪魔になる。
職業選択の自由が完全に正しいとも、カースト制度が完全に間違っているとも言い切れない。

p.35 『子供たちが喧嘩すると弱そうなほうにすぐくっついた記憶ぐらいである』

反権力主義的である。

p.37 『仏教の根本的原理は事物の相互依存性、因果の法則(縁起論)である』

老子の大道も、根本原理は仏教と同じである。
違いは、老子は反権力主義が仏教よりも徹底している点である。
すなわち、仏教よりも老子の方が、実存主義として優れている。

p.69 『十三世ダライ・ラマ〜彼はまた軍事力の強化が侵略防止の鍵であることを知り、チベット軍の改革を推し進めたが〜』

実存主義社会は、国家の存在を認めない言わば世界に開かれた社会である。
逆に権力主義社会は、国家の存在を認め、自国の事だけを考える閉じた社会である。
大きな軍事力を持つには、大きな国家権力が必要だろう。
しかし、大きな権力は、反権力主義に反するから、実存主義社会で可能な範囲の軍事力を持つ事になる。
そのため、実存主義国が単独で権力主義国に軍事力で勝るのは無理だろう。
実存主義者は、周囲の人々だけでなく、世界全体の調和を考えなければ、歪みが災難となって自らに襲いかかる事になる。
この場合、歪みとは、完全な実存主義者になれない中途半端な実存主義者が世界中にいるという事である。
チベットが中国に蹂躙されたのは、そのためである。
チベットは、実存主義的社会でありながら、自国の事を優先した秘密主義という点において、間違っていたのである。
実存主義社会は、常に積極的に自らの思想を世界に発信しなければ、このような結果を招くのである。
キリスト教のように他者に強制したら逆効果だが、積極的な紹介は、理性の要求であろう。

p.98 『仏陀は殺生を禁じているが、ある状況のもとでは正当化されるといっている』

これは、おそらく自衛のための戦いだろう。

p.291 『飼っていた三匹の猫〜仏教徒たるわたしがどうしても我慢できない”欠点”があった。鼠を見ると必ず追いかけたがるのである。』

DNA的な欲求を否定するわけにはいかない。
猫の数億年に渡る習性を一代で撥ね退けられるわけがない。
ただし、著者の子供の頃の話らしい。

p.316 『宗教と政治の間にどんな相容れぬ矛盾があるというのかわたしには解せない。〜良い動機によらず寺院や教会に集まる人びとは、いくら一緒に祈っても宗教的行為をしてはいないのである。』

釈迦が社会を捨てたのは、社会が権力主義で塗り固められているのを悟ったからである。
その意味において、宗教と社会が融合しているチベット社会は、世界常識としては存在そのものが矛盾である。
この矛盾を解消するためには、全世界が実存主義社会となる以外に術はない。
チベットは、自らの思想を積極的に世界に発信する義務があった。
ただし、チベット社会が完璧とは言えまい。
おそらく、宗教と社会の矛盾のために、怪しげな占星術やお告げや慣習などが必要になったのだろう。

p.416 『わたしたちすべては幸せを求め、苦痛を避けたいと思っている。われわれの基本的要求と関心は同じなのだ。さらに、わたしたちすべては自由を欲し、個人として己の運命を決定する権利を求めているのだ。これが人間性というものである。』

全く同感である。
俺にとって、自分の命よりも重要なものがあるとしたら、自らの個人主体のみである。

「文庫版発刊に寄せて 山際素男」
p.434 『チベット密教の偉大な教師パドマサンバヴァ(九世紀中期)の予言とされる伝説は、”鉄の鳥が空を飛び、馬が車輪で走り回るとき、チベット人民は蟻のように世界中に散らばるだろう。そして<ダルマ=理性>は、赤い顔をした人びと(チベットでは昔から西洋人をこう呼んでいる)の国にもたらされるであろう”、といっている。なんと的確な予言だろう。』

既に述べたが、実存主義社会は、いつでも、滅ぼされる危険性がある。
しかし、それによって実存主義哲学が、世界に広められると言っているのである。
もし、チベットが哲学の積極的な発信を行っていれば、あるいは避けられた可能性もあっただろう。

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所サイト−現在の状況

『チベットは世界でも高水準の森林貯蓄量を誇っている。チベットでは、多くの樹木が高さ27.5メートル、幹の太さ1.5メートルに成長するまでには数百年を要します。1959年には2千520万ヘクタールあった森林面積が、1985年には、中国の乱伐により1千357万ヘクタールにまで減少してしまった。46パーセント以上のチベットの森林が破壊され、いくつかの地域ではこの数値が80パーセントという高い数値のところもある。』

成長に時間のかかるチベットの森林を伐採する事は、中国にとっても損失である。
理由は「2011年4月27日 (水) 海と雨と地下水と樹木と山と砂漠化の関係」に書いた。




◎ 2011年4月30日 (土) 原発事故作業者

現代用語の基礎知識2002によると、チェルノブイリ原発事故の処理にあたった旧ソ連全体の作業員86万人のうち、5万5000人以上がこれまでに死亡したそうである。
緊急時の被曝線量は100ミリ・シーベルト/年だったのが、先月、福島事故については、250に引き上げられた。
28日付けの神戸新聞によると、原発作業員の通常時の被曝量の上限(50ミリ・シーベルト/年)が当面の間、撤廃されるそうである(ただし、5年間で100ミリ・シーベルトの基準は維持される)。
他の原発の保守に支障が出かねないという理由らしいのだが、それだけ事態は切迫しているとも言える。
まだ事故発生から1ヶ月半しか経っていないのを考慮すれば、更に上限が上がる可能性は否定できないだろう。
原発の事故処理を完全にあきらめて放置しない限り、チェルノブイリのような事態になりかねない。
今後の事故処理はあきらめて、事故現場の数十キロ範囲内は必要な年数だけ人間が近寄らないようにすべきだろう。




◎ 2011年5月1日 (日) 大災害に適した社会

ハイチでは、死者数31万6千人以上とされる大地震から一年以上経った現在でも復興はほとんど進まず、貧富の差が拡大しているらしい。
おそらく、財産を失った上に、就職できない人々と就職できた人々との間にできた格差だろう。
こうした大地震が世界各地で起こってみると、資本主義は、最も大災害にふさわしくない社会システムらしい。
地震の場合は、誰も個人財産を持っていない共産主義の方が、安心感があり、復興もスムーズだが、チェルノブイリ原発事故では情報隠蔽が災害規模を拡大したから、原発事故の場合はふさわしくない。
しかし、共産主義はとかく力技に頼りがちで能率が悪く、運が悪ければ、財政難から、国家存亡の危機を招く恐れがある。
大地震に最も適した社会システムは、科学技術に頼らない農村型社会だろう。
資本主義国では、電気が止まると水が供給されないし食料も腐る、貨幣がないと食料にも衣料にも困る。
交通が遮断されると燃料が供給されなくなる。
ガスが止まると風呂にも入れない。
また、資本主義国は中央集権型で、地方に生活のゆとりの場が存在しない。
江戸時代には、役場や公共施設の代わりに寺があり、生活のゆとりの場を提供していた。
このようなゆとりの場が、大災害の時に機能すると復興がスムーズになる。
例えば、平常時は、備蓄や教育の場であり、災害時は、瞬時に炊き出しの場になったり、孤児院になったり、避難所になったり、会議の場になったりする事が可能である。
そのように、寺院が唯一の公共の場であるような実存主義社会が、最も大災害に適した社会システムであると俺は考える。
一年経ってもほとんど復興が進まないハイチのような巨大災害に遭った国は、特に実存主義社会の形成に適しているだろう。
大災害においては、貨幣経済は邪魔にしかならない。
しかし、隣国のアメリカが資本主義の敵とみなして邪魔しそうだ。
アメリカは自由の国と謳(うた)っているが、実際は逆である。
もし、チベット社会が秘密主義を返上し、他の実存主義国と国交を持てば、大災害が発生しても、中国政府以上に上手くやりそうだと思わないだろうか?
しかし、チベットは、慣習やしきたりをなくし、仏典にも依拠しないように自助努力する必要がある。
本来の実存哲学は、実践哲学であり、本から学ぶ事ではない。

神戸新聞サイト(1月13日付)によると、被災した農村部の人々が都市部に流入しているらしいのだが、おそらく、支援物資が都市部にしか集まらないのだろう。
農村の復興支援を優先しないと、食糧問題は深刻になるだけである。
これは、日本にも言える事である。
先ずは農村や漁村の復興で、その後、それらの収穫物の物々交換による食糧問題の早期解決が重要である。
その体制には、「2011年4月25日 (月) 復興政策」に書いたような実存主義社会が適している。
実存主義社会の集落ごとの備蓄では、仮設住宅などの大規模な物は用意できないが、食料や医薬品、テントなどの小さな物なら可能である。
特に食料や医薬品は、それほど長期間保存できないから、どこかで災害が発生する度に総て放出すべきである。
外国に送る場合は、複数の集落の連携で物資をまとめる体制も必要である。
少しの荷物のためにわざわざ船を一隻用意するわけには行かないからである。
仮設住宅などは、実存主義社会では用意できないが、実存主義社会においては大掛かりな備蓄は必要ではないだろう。




◎ 2011年5月1日 (日) 栄養バランス

黄疸(おうだん)・・・胆汁色素(ビリルビン)が血液中や組織内に異常に増加し、皮膚・粘膜その他の組織が黄色になる症状。肝臓・胆道疾患の際、または高度の赤血球破壊のために起る。

勝海舟著「氷川清話」に、天保の大飢饉で赤土にまふの粉を混ぜた土団子を食べていたのだが、食べ過ぎると黄疸のような顔色になるらしいとある。
また、インスタントラーメンを食べ過ぎても黄疸になると聞く。
これは、栄養バランスが偏ると黄疸になるという事ではないだろうか?
ダライ・ラマ著「ダライ・ラマ自伝」には、チベット民族は主に肉食で野菜はあまり食べないのだが、ダライ・ラマは首を絞められる鶏がかわいそうで、また大乗仏教の仏典にも僧侶は本来肉を食べるべきでないと書いてあるから菜食主義者になったらしいのだが、B型肝炎(黄疸の症状も出た)を患って肉を食べるようになったらしい。
これなども、人間は野菜ばかりを食べているわけにはいかないという事だろう。
野菜ばかり食べて生活している動物もいるが、人間は何億年も肉と野菜の両方を食べ続けて生きてきたのだから、自分一代でそれを変えようとしても無理なのだろう。




◎ 2011年5月2日 (月) ダライ・ラマ自伝(2)

ダライ・ラマ 「ダライ・ラマ自伝」 文春文庫

p.121 『今でも、彼がラマとして留まり、政治に関与しなかったほうがよかったのではないかと思っている。要するに彼は政府というものについて何の知識もなく、行政の経験もなかったのである。』

ここでは、明らかに政治と宗教は、別のものであると認識しているように思われる。
政治は自国の事だけを考えるが、宗教は理性が優先される。
そのため、僧侶が政治に関わる場合は、権力か理性かのどちらかの選択を余儀なくされる。
もし、中国に攻め込まれたのがチベットではなく、韓国や日本だった場合、チベットは韓国や日本のために中国に止めるよう働きかけるだろうか?
もし、理性の側であるならば、働きかけてくれるだろうが、権力の側であるならば、他人事として無視するだろう。
おそらく、チベットは国家としては後者の方であろう。
しかし、この本において期待されているのは、国家としての支援ではなく、読者個人の心の応援である。
おそらく、著者は、国家と個人の立場の違いをはっきり区別しているのだろう。
著者は、他国が襲われた場合は、国家としては傍観するが、個人としては応援したいと考えているように思う。

この時期は、ダライ・ラマ十四世が即位して一年目で、まだ16歳でチベットの政治上の最高責任者だったのである。
15歳で大統領になったようなものである。
しかも、即位の理由が、中国共産党のチベットへの軍事行動が始まったからである。

しかし、俺は、実存主義者は基本的に国家や世間の存在を認めるべきではないと考える。
それは、存在そのものが理性を消滅させるからである。
もし、妥協できるなら、誰も世捨て人にはならない。

『彼』とは、摂政のタタ・リンポチェの事なのだが、p.126 で密葬になったとあるから、自殺したのかもしれない。




◎ 2011年5月4日 (水) キリストの最期

Wikipedia 「十字架上のキリストの最後の7つの言葉 (聖書)」

『「父よ、彼らを赦して下さい。なぜなら、彼らは何をしているのかわからないからです。」』

この言葉の意味は、実存主義者として大道を自分のものにする過程で、いつの間にか理解できるようになる。
イエス・キリストは、ほぼ大道を会得していたと考えられる。
そうでなくては、この発言はできないからである。
『彼ら』の何が悪いかと言えば、イエス・キリストを殺そうとしているのが悪いのである。
それが何故かについては、読者自身が理性を完全にものにし、偉大な実存主義者になるまで待つしかない。
自分自身の経験によらなければ、理解できないのである。
何かの拍子に理解できるのではなく、いつの間にか理解できるものである。
つまり、その人の理性の達成度が理解させるのである。
少なくとも30代になるまでは待たねばならない。
ただし、イエスのこの発言が現実として正しいかどうかは、俺にすら分からない。
この発言は、前提として大道が、つまり実存主義の神が現実に存在する必要があるからである。

『旧約聖書の預言をすべて成就して、贖罪の業を完成したという意味である』

キリスト教においては、イエスの受難とは、全人類の罪を我が身に背負って贖罪する事とされているが、大嘘である。
イエスが、全人類の罪を背負わなくてはならない理由は、何一つ無い。
何も悪い事をしていないイエスが、罪人になる必要は無い。
大勢の人間の罪を個人になすりつけるから、キリスト教は権力主義なのである。




◎ 2011年5月5日 (木) 男らしさ

昔、ある高校生が、共産主義にかぶれたのだが、すぐにあきらめたそうである。
これをある人が、男らしくないと言うのだが、高校生には、社会人経験がないのである。
社会人経験がないために社会の半分(つまり学校社会)しか知らないのである。
(厳密には、経済社会、学校社会、地域社会の三つだが、地域社会は、経済社会や学校社会でも経験できる。)
そんな人間を改革運動に参加させようとするのは、暴走以外の何物でもない。
この高校生は、その事に気付けるだけ頭が良かったのである。
もし、この高校生が共産主義を貫く事が男らしいのであれば、馬鹿が男らしい事になる。

資本主義社会が、残虐である事は、第二次世界大戦の日本やドイツを思い出せば、すぐ分かるし、イギリスもインドを植民地にしていた時は、捕虜のインド人を生きたまま大砲に入れて吹っ飛ばしたり、清にはアヘンを輸入しないからといって戦争を吹っかけたりしていたのである。アメリカによる長崎の原爆投下については、「まぼろしの邪馬台国」に、p.13『累々と道端にころがった黒こげの死体、鼻をつく異臭、カラスが群がって死体をついばんでいる光景。くずれ落ちた民家のかげには、大やけどを負ってゴムまりのようにふくれ上がった顔の負傷者が、ヨダレを垂れっ放しのまま、しゃがみこんでいる。しかも、まだ生きているその目には、うじ虫がはいまわっていた』とある。
共産主義も、「ダライ・ラマ自伝」によると、p.199『はりつけ、生体解剖、腹を裂き内臓を暴き出す、手足の切断などざらであり、打ち首、あぶり殺し、撲殺、生き埋め、馬で引きずりまわして殺したり、逆さ吊り、手足を縛って凍った水に投げ込み殺すといった残虐さは枚挙にいとまがなかった』とある。
残虐さにかけては、資本主義も共産主義も負けてはいない。
結果を見ても、この高校生のあきらめは、正しい選択である。
どちらでも同じなのだ。

俺も、実存主義社会の実現を無理に実行したりはしない。
俺が、そうしなければならない必要性を全く感じないからである。
何故、俺が社会のために、自分の人生を犠牲にしなければならないのか?
他人が、男らしくないと言うのであれば、馬鹿でなくて良かったと思うだけである。
実存主義者は、死ぬまで、ただ大道の上を歩くだけである。
社会に対する働きかけは、全く必要ない。




◎ 2011年5月5日 (木) 仮設住宅の有効期限

法律上、仮設住宅は、2年間しか住めないそうである。
しかし、被災地は瓦礫の山で、働くにも企業が存在しない。
もし、国家に2年間で、仮設住宅に入っている総ての人々が働けるだけの企業を復旧させる事ができなければ、住民は新しい住宅を購入するための資金を手に入れることができない。
それでは、仮設住宅を追い出された人々は、再び、避難所に戻る羽目になる。
法律を改正して、最長20年間、仮設住宅生活を認めるべきである。
現行の制度は、巨大地震に対応できていないのである。




◎ 2011年5月5日 (木) 抵抗運動

ウサマ・ビンラディンが殺害されたらしいのだが、アルカイダやタリバン、パレスチナ解放機構などによるイスラム教徒の自爆テロは、中国におけるチベット自治区や新疆ウイグル自治区によるテロやロシアにおけるチェチェン戦争と本質は同じだろう。
もし、自爆テロが狂人の行為だとするならば、イスラム教徒は大半が狂人ということになってしまう。
そんなことを本気で信じている人間がいるのだろうか?
自爆テロは、正常な精神の人間の行為であると考えるのが妥当である。
だとすると、そこまで人間を破れかぶれにしてしまうテロの被害国にも大きな欠陥があると考えるべきだろう。
武力によるテロ撲滅は、非人間的行為である。
俺にも、抵抗運動は、ある程度理解ができる。
もし、俺に実存主義者を辞めろと言われても不可能である。
テロリスト達の心理も、そういうものであろう。
逆に、キリスト教圏や中国、ロシアがイスラム教圏やチベット密教、チェチェンに襲いかかった真意も想像できる。
これは、単に他の集団の存在を許さないという権力の原理を遂行しているだけなのである。
この問題を解決するには、世界中の人々が実存主義者になるしかない。
権力をなくさない限り、社会問題は何も解決しない。

自爆テロは、狂人の行為ではないと書いたが、これについてはもう少し考える必要がある。
第二次世界大戦における神風特別攻撃隊が、自爆テロに酷似しているからである。
似ているのは、神の名の下に悪を滅ぼすために、自爆攻撃を仕掛けるところである。
一見、良く似ているが、全く異なっているのが、特攻隊は戦争をしかけた側(侵略)であり、自爆テロはしかけられた側(抵抗)であるという点である。
もし、特攻隊員が、天皇を神とする思想に染まっていなかったら、あるいは、大東亜共栄圏構想を正しいと思っていなかったら、特攻隊に志願しなかっただろうか?
俺は、権力主義者は必ず志願したと考える。
なぜならば、もし、志願しなかったら、その人は母国に帰った後、国家と世間の双方から迫害を受ける事は必至だからである。
たとえ間違った行為であると確信していても、権力を何よりも恐れる権力主義者には、他に選択の余地はないのである。
これと、自爆テロが同じものかどうかについては、良く考える必要があるだろう。

大東亜共栄圏・・・太平洋戦争期に日本が掲げたアジア支配正当化のためのスローガン。欧米勢力を排除して、日本を盟主とする満州・中国および東南アジア諸民族の共存共栄を説く。1940年、外相松岡洋右の談話に由来。