◎ 2011年2月18日 (金) 実存主義者は誇り高いか?
実存主義者は、それほど誇り高いわけではない。
例えば、地獄に落ちたとしよう。
地獄では、全身を切り刻まれたとしても死ぬことはできない。
永遠に殺され続けて死ぬに死ねないならば、いっそのこと死んでしまいたいと亡者は思うのではないだろうか。
現実においては、半死半生で生きることはできても、不死身ではないので、いつかは運が尽きて殺される日が来るだろう。
実存主義者の理性とは、こういうぎりぎりの状態を想定したものにむしろ近いのである。
そのため、実存主義者自身は、自分が誇り高いとは思っていないものである。
◎ 2011年2月19日 (土) アメリカとイスラム教
司馬遼太郎「人間の集団について」中公文庫
この本によると、アメリカ軍はベトナム戦争で、田畑を焼き払ったそうである。
その理由は、アメリカの開拓時代に、入植した人々がインディアンと戦ったときに、インディアンが行動を共にする水牛の群れを全滅させた方法を踏襲したからだと言う。
また、アメリカはベトナム戦争に参加するために、ベトナム軍にアメリカの軍艦を攻撃させたという話もあるらしい。
つまり、アメリカの戦争は、相手に先に攻撃させるように仕向けて戦争に参加し、相手国の住民にとって最も密接なものを全滅させるというやり口らしいのである。
現在、アフガンでアメリカがどんな攻撃をしているのかが気になるところである。
イラクでの空爆では、アメリカ軍は、劣化ウラン弾を使ったそうで、核兵器の拡散防止とは何の話だったのか。
アメリカだけが核兵器を使えるようにすることを、拡散防止と呼ぶらしい。
自分でも、どこで仕入れた知識なのか全く覚えが無いのだが、イスラム教は、キリスト教からアラブ民族を守るために作られた宗教で、イスラム教ではイエス・キリストは聖人扱いされているらしい。
つまり、イスラム教にとって、イエスとキリスト教は全くの別物というわけである。
権力主義色の強いキリスト教から、自分を守るというのは理解できそうな話であり、アメリカとイスラム教の戦争は、俺はどちらかといえばイスラム教の方に同情する。
ただし、どんなものかも分からないようなイスラム教を正しいとか支持するとかではない。
何にしても、テロというよりは、思想の問題であるので、戦争で片をつけようというのは言語道断である。
◎ 2011年2月20日 (日) 獅子とコウノトリ
獅子の子落し・・・(獅子は子を生むと、これを千仞(せんじん)の谷に投げ込み、生き残ったものばかりを養育するという言い伝えから) 自分の子を苦難の環境に置いて、その器量をためすこと。
獅子・・・(1)ライオン。からしし。 (2)左右の狛犬のうち、左方の、口を開いた方をいう。
子落しは、おそらく狛犬の獅子の事だろう。
神戸新聞のアマチュアスクープ写真賞には、コウノトリが自分の雛を巣から投げ捨てる写真が載っていた。
巣は、電柱の天辺にあったから、即死だろう。
自然界と空想界では、親の考え方は異なるらしい。
芥川龍之介は、クロポトキンが蟹が甲羅のつぶれた仲間を助けて運ぶと書いていたのを、実は、つぶれた仲間を自分のねぐらで食うためだと書いていた。
こちらも嘘と現実が錯綜している。
ここで俺が言いたいのは、言葉は全くあてにならないという事である。
他人や世間や権威の言葉や概念や社会常識で人間の行動が規定されるのは、実に愚かな事である。
空想の動物がすることを人間が真似てどうするつもりか?
しかし、実際、そんな事を口にする人がいるから、ことわざや格言も現存するのである。
そう考えてみると、人間社会は狂気の世界である。
◎ 2011年2月21日 (月) 新約聖書(2)
ルカ 17.1-37
『「あなたがたも気をつけなさい。もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。
一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」
』
『その時ペテロが進み寄ってたずねた、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したとき、何度赦してやらねばなりませんか。七度まででしょうか。」
イエスがこたえられた、「いや、あなたに言う、七度までどころか、七十七度まで!」
』
実存主義者は誰も赦しはしない。
イエスは何を言っているのだろうか?
そもそも赦さない場合は、どうするつもりでいるのか?
こうした発言は、イエスの理性の欠陥を露呈するものである。
では、実存主義者が赦さないのは何故かと言うと、全ての裁きを神に委ねるからである。
だから、実存主義者は、誰に対しても原則的には懲罰も赦しもしない。
聖書には他の箇所に「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」と書いてあるらしいが、実存主義者ならこのように解釈する。
この何度でも赦せというイエスの発言には、信者を増やそうとする野心が隠れている。
実存主義の布教を目指す者は地獄に落ちるだろう。
思想は強制ではなく紹介にとどめなくてはならない。
『「それで、もし兄弟が罪を犯し(て悔改めなかっ)たら、行って、あなたと二人だけの間で忠告をしてやりなさい。もし言うことを聞けば、あなたは(天の国のために)兄弟を一人もうけたのである。」』
神の国は、個人の心の中にあると言っておきながら、神の国の建国のために仲間を増やせと言うのは詭弁である。
このあからさまな矛盾は、弟子が勝手に付け加えた可能性があるだろう。
心の中の神の国は、完全な孤立においても成立するのである。
しかし、何度でも赦せというイエスの発言から、弟子がこのような解釈をしても仕方が無い。
もし、神の国が心の中にあるのであれば、誰にも布教する必要がないからである。
布教するからには、神の国は社会に違いないと考えるのは自然な事である。
人間が人間を裁くというのも権力主義である。
これらは、根本的にイエスが抱える矛盾である。
おそらく、イエスは自分の哲学が抱える矛盾の多さに泣きたかったに違いない。
◎ 2011年2月21日 (月) 魏志倭人伝
宮崎康平 「まぼろしの邪馬台国」 講談社
この本は、邪馬台国は九州にあったとする説を展開したものである。
巻末に付録で、魏志倭人伝の和訳がある。
これによると、当時、日本には100余りの国があり、その内の30国が魏と国交があったらしい。
邪馬台国は、その30国の中の1つである。
朝鮮から対馬、壱岐と渡って、邪馬台国へ至るまでの道順が書いてある。
その道程には、数千戸(邪馬台国近辺は数万戸)規模の国がいくつもある。
邪馬台国は7万戸である。
邪馬台国近辺から対馬までの国々は、邪馬台国の支配下にあったらしい。更に南にある狗奴国は違う。
当時の日本の男は皆、全身に刺青をし、裸足、髪型はみずらで、服装は縫い合わせの無い簡単なもので、生活は稲作や養蚕、漁業、狩猟をして、家畜はなかった。
赤い塗料で白粉(おしろい)のように化粧をしていた。
魏に航海するたびに、航海が上手くいけば財物と奴隷が与えられるが、疫病や荒天に遭えば殺される役目の人がいた。
この人は、航海中は髪も梳かず、体も洗わず、肉と女を近づけない。
恭順の意を示すときは、両手を床に着き、頭を下げてひざまずく。
返事をするときは「あい」と言うらしいが、これは現在も同じである。
曹操の孫の明帝から、卑弥呼の使者は魏から認められた倭王として金印を貰う。
卑弥呼が死んだときは、古墳(直径100歩余り)を作って奴隷が百人余り殉死させられた。
卑弥呼の後、男の王となったが内戦になって千人余り死んだ。
13歳の壱与が女王となった。
現在の日本人の価値観や慣習と照らし合わせてもほとんど違和感を感じないのは俺だけか?
奈良でたくさん桃の種が見つかった遺跡が発見されたそうだが、中国と国交があるだけでは邪馬台国と断定できない。
これだけ当時の情報が豊富に残っているのであれば、邪馬台国を発見する意義はあまりない。
奴隷が百人殉死させられたところなどを見ると、やはり、シャーマンは狂気の権力主義者ではないだろうか。
倭人というのは、人種のことらしい。
◎ 2011年2月21日 (月) 音楽
X JAPAN の hide の遺作がピンクスパイダーだそうで、当時の彼はカリスマ的な人気があった。
ロックバンドの派手なファッションは、当時は注目を集めるためかと思っていたが、あまり人気があったからちょっとプロフィールを多分 Wikipedia か何かで調べたら、子供の頃、横須賀の米軍基地の影響を受けたとか書いてあったから、あれはファッションじゃないかもしれないなと思い、それで人気があるのだろうと思った。
ピンクスパイダーには、「翼が欲しい」という歌詞がある。
翼は自由の象徴で、おそらく、個人主体のことである。
椎名林檎の「無罪モラトリアム」にシド・ヴィシャスという人名が出てきて、彼もロックバンドのメンバーらしい。
シド・ヴィシャスなら殺されてもいいと書いてあったから、これも調べてみると、本当は優しい人間だと書いてあった。
Wiki には、hide も優しい人間だと書いてあったから思い出した。
俺には、ロックやパンクは理解できないのだが、実存主義の別の形態かもしれないと思った。
俺は、優しい人間になりたいと願った事は一度も無いが、人間社会は優しさがロックバンドに変化するのかもしれない。
そう考えると、X JAPAN の異様な黒ずくめのファンの熱狂振りも、なんとなく納得ができそうに思える。
◎ 2011年2月22日 (火) ZARD
ZARDの坂井泉水が亡くなってから今年で4年目のはずだ。
ニュースを聞いた時は、何とも思ってなかったが次の日は風邪で寝込んだ。
深層心理にショックを受けたらしい。
人が死んで自分がショックを受けるとは思わなかった。
坂井泉水が雑誌で、Keep your faith と書いてて、違和感を感じた。
実存主義者は何の信念も持っていないのである。
今は、音楽業界が不況らしいから、生きていても引退していただろう。
◎ 2011年2月22日 (火) 周りをなくすか自己をなくすか
自分が所属する組織の鉄砲玉として生きるのが普通の人間の生き方である。
もし、自分が鉄砲玉になる事を否定するならば、周りをなくすことになる。
自分が鉄砲玉になるという事は、自分の行動規範が完全に消滅し、常に敵を潰すだけという行動方針になる事である。
結局、あらゆる人間は、周りか自己か、どちらか一方を選択せざるを得ない。
自己をなくすという事は、常に戦っていれば良いだけだから何も考えなくて良い。
しかし、自分の命は極限まで軽くなる。
一般人の命の軽さはヘリウム並みである。
周りとは人間関係の事で、自己とは個人主体の事である。
◎ 2011年2月24日 (木) 言葉はまやかし
難民・・・(1)生活することが困難な状態にある人民。(2)天災・戦禍などによって困難に陥った人民。戦争・政治の争いを避けて故郷を逃れた亡命者。
スーパーが撤退する買い物難民は(1)の難民であり、海外の難民キャンプは(2)の難民である。
両者では、全く「難民」の意味が違うので混同しないようにしなくてはならない。
このように、言葉は、根本的に人間の認識や判断を誤らせる性質を有している。
◎ 2011年2月25日 (金) 新聞
軟派・・・
(1)軟弱な意見の党派。強硬な主張をなし得ないもの。「―議員」
(2)文芸上エロチシズムを主とするもの。「江戸―」
(3)新聞・雑誌で、社会面や文学または艶物を担当するもの。「―記者」
(4)軟弱な風潮に関心を示す人々。
(5)転じて、女性などを誘惑すること。 硬派
艶物・・・義太夫節の用語。浄瑠璃などの、男女の恋愛・情事についての語り物。
新聞業界内では、社会面、文学、艶物は軟弱なイメージがあるらしい。
おそらく、軽蔑的な意味も含まれるのだろう。
経済面を読んでみると、日本企業が中国で人材確保に苦労しているという記事があり、2020年代には中国の労働人口減少が予測されるというおまけまである。
中国人は、労働力以外の何者でもないという新聞社の本音が軟弱ではない意見らしい。
むろん、これは日本国内にも遠まわしに適用されるはずで、新聞社は人間を人間とは全くみなしていないのが分かる。
以前にも書いたのだが、国連によって発展途上国での生体移植ができなくなったとき、日本国内でできるように法制化する動きがあった。
このとき、初めて、タイなどの発展途上国の人体が生体移植用と日本人がみなしていたことと、それができなくなったとき日本人の人体も生体移植用にみなされることが同時に発覚したのである。
これも、人間を人間とも思わない考え方である。
記者が悪いということは決してない。
記事を載せることができるのは記者ではなく、新聞社だからである。
こうした人間を奴隷か臓器としか見ていないという考え方は新聞社特有のものではなく、日本人全般に対しても言える事である。
世界の繁栄と平和を日本人が望むのであれば、日本人は滅亡した方が良いのかもしれない。