推論 神社

三木市に百社以上ある神社では、大雑把には、以下の神々が祀られている。
天照大御神あまてらすおおみかみ
大日霊貴おおひるめのむち
イザナギ・イザナミの娘。高天原の主神で、皇室の祖神
素戔嗚尊すさのおのみこと天照大神の弟。高天原を追放され、出雲へ行く
天児屋根命あめのこやねのみこと天孫の五部神いつとものおのかみの一人で、中臣・藤原氏の祖神
葦原醜男神あしはらのしこおのかみ
大己貴神おおなむちのかみ
播磨風土記では、出雲から播磨へ来て、国占め(支配)した神
息長足姫尊おきながたらしひめのみこと
神功じんぐう皇后)
仲哀ちゅうあい天皇の皇后。天皇と共に熊襲くまそ征伐に行った。
伝説によれば、その際、播磨の多くの神社に必勝祈願で立ち寄っている
応神おうじん天皇神功皇后が熊襲征伐の際、九州で産んだ第15代天皇。
播磨風土記によれば、播磨に良く視察や狩猟に来ていた
住吉大神すみよしのおおかみ表筒男命うわづつのおのみこと中筒男命なかづつのおのみこと底筒男命そこづつのおのみことの三神のこと。
大阪の住吉神社の祭神で、航海・和歌の神
倉稲魂命うかのみたまのみこと食物、特に稲をつかさどる神
大歳神おおとしのかみ穀物の守護神
市杵島姫命いちきしまひめのみこと宗像三女神むなかたさんじょじんの一人で、市神いちがみ、または水神すいじんとされる

播磨風土記では、葦原醜男は、大物主葦原志挙乎おおものぬしあしはらのしこおとされる。
新宮しんぐう神社に祀られる大物主櫛甕玉神おおものぬしくしみかたまのかみは、大物主の正式名である。(*1)
市神とは、市の立つ場所に祀られた神のことである。
水神とは、灌漑用水の神である。

三木市で、最も多いのが、大歳神や倉稲魂命などの穀物の神である。
三木市は、酒米の山田錦の名産地であり、毎年、各地の神社で豊作を祝う祭りや儀式がある。
三木の由来も地元民が神功皇后に差し出した御酒(みき)から転じたという説があるが、
他説もあり、定かではない。(*2)
山田錦が普及したのも昭和11年以降である。(*3)
その他で多いのが、天照大神、天児屋根命、神功皇后、応神天皇などの天皇系や
海運の神の住吉神、市場や水の神の市杵島姫命である。
天皇系は、神功皇后や応神天皇が三木市に良く訪れたからだろう。
海運系は、昔は、美嚢川みのうがわで海運業が発達していたからだろう。
美嚢川には、上津舟着場跡かみつふなつきばあとなどがある。
市杵島姫命が多く祀られている地域は、別所町の下石野から西這田ほうだにかけてである。
三木市は、金物の町として有名だが、金物に関する神社は少ない。
金物神社があるが、これは、昭和10年の創建である。
火の神である迦具土神かぐつちのかみを祀る神社が数社あるのは、鍛冶と関係ありそうだ。
天一てんいち神社は、名前が鍛冶の神の天目一箇命あめのまひとつのみことに似ているが、
祭神は、国常立命くにのとこたちのみこと奇稲田姫くしなだひめや応神天皇などである。
この神社は、志染しじみ石室いわむろと同じ地区にある。
押部谷おしべだににも忍海部おしぬみべ創建の天一神社があり、こちらの祭神は、国常立命や須勢利姫などである。
どちらの天一神社も忍海部の支配地域にある。
どちらも素戔嗚尊に近い人々を祀っているため、国常立命もその関係者に思われる。
国常立命は、天常立神あめのとこたちのかみなどの別天神ことあまつかみに続いて現れた神世七代かみよななよの最初の神とされている。
天照大御神などの日向の神々は、天つ神、足名椎あしなずちや大国主命などの出雲の神々は、
国つ神と呼ばれた。
これらの神社において、神世七代が国つ神と混同されたと考えると、
この国常立命は、大国主命となる。
兵庫県高砂市の天一神社祭神の天目且之命てんもくかつのみことは、鍛冶の神に名前が似ている。
他には、松山市や兵庫県佐用郡、奈良県などにも天一神社がある。
伊予来目部小楯いよのくめべおだての出身地の松山市の天一神社の祭神は、天之御中主神あめのみなかぬしのかみである。
佐用郡の天一神社(祭神:天之御中主大神)は、日本最古の神社と言われているから、ここが元祖だろう。
三木市のHPでは、三木金物の歴史は、1500年前からとされている。(*4)
他の説では、奈良・平安時代に近畿圏で国宝級建築物を手掛けたとされる日原大工が
三木金物を使っていたとか、豊臣秀吉が、三木合戦の後の復興策で多くの大工や鍛冶屋を
移住させたとかある。
日原大工が手掛けた重文には、三田市の住吉神社高売布たかめふ神社がある。(*5)
しかし、現在の金物業興隆に直接関わる歴史は、あまり古くないようだ。(*6)
三木金物業の歴史は古いが、盛衰を経て、技術が受け継がれて来たようだ。
明治時代には、既に三木金物の品質は名匠の域にあった。(*7)
素戔嗚尊、大汝命(葦原醜男)などの出雲系神社が数社あるのは、
播磨風土記にあるように、播磨が出雲の支配を一時、受けいていた影響だろう。
漁業や商売の神の蛭子えびす系神社も数社あるのは、中世以降、発展した地域だろう。
蛭子ひるこが、恵比須として祀られるようになったのは、中世以後とされている。
蛭子と蝦夷えみしが習合されてエビスになった。
三歳になっても立てなかった蛭子にも、生活様式が異なった蝦夷にも変人の意味がある。
三木市で最も大きいエビス系神社は、大塚町の戎神社である。
この神社は、1878年に現在の位置に移築されており、(*8)
天保年間(1830~1844)に大塚町でのみ鍛冶が増えた時期と符合する。(*9)
中世までの三木市は、忍海部が居住し、支配した東部の農作地帯と
山部連やまべのむらじ小楯の居住した中部の金物業地帯で構成されていた。
山部連と金物業にも、何か関係があるかもしれない。
現在は、北東部の吉川町が合併し、農作地帯が、北東部、西部、東部にあり、
中部には金物卸売業が集まり、南部や南西部の郊外に金物製造業が散らばり、
新興住宅地が南東部にある。
北部・北東部は、ゴルフ場が多い。
新興住宅地の辺りは、1970年までは家が一軒も無く、マツタケが採れた山だった。
吉川・口吉川町が三木市で最も重文が多く、西部が市杵島姫命の多い地域である。
西部は、美嚢川の周辺に田畑が広がる地域であるため、市杵島姫命は、水神として
祀られたのかもしれないが、市神の可能性もある。
市神だった場合は、この辺りが、美嚢郡の中心街だったのだろう。
市杵島姫命を祀る下石野の厳島神社の創建は、790年である。(*10)
この頃は、日原大工が活躍していた時代であり、日原大工が三木金物を使っていた
という説の信憑性を補強するのではないか。
変り種では、別所家の家臣、衣笠家の先祖を祀る衣笠神社、仁賢・顕宗天皇を祀る王子神社などがある。


*(ソース)
  1. 大物主 - Wikipedia
  2. 「数」の地名 - ★★民俗学の広場
  3. 山田錦 - Wikipedia
  4. 金物の歴史 / 三木市
  5. ご近所紹介 - 栗と梅の産直販売 湖梅園
    補遺:三田の神社 - 水軍九鬼氏と三田・神戸の歴史『九鬼奔流』
  6. 三木金物歴史年表 - 鍛冶屋のつれづれ書き
  7. 大工道具に生きる その 建築のよもやま話 - HAND MADE HOME 自然素材 木造住宅 リフォーム 香川県の工務店
  8. 三木の鑿 - 鍛冶屋のつれづれ書き
  9. 戎神社 (三木市) - Wikipedia
  10. 別所町下石野 - Wikipedia