三木市に百社以上ある神社では、大雑把には、以下の神々が祀られている。
播磨風土記では、葦原醜男は、 市神とは、市の立つ場所に祀られた神のことである。 水神とは、灌漑用水の神である。 三木市で、最も多いのが、大歳神や倉稲魂命などの穀物の神である。 三木市は、酒米の山田錦の名産地であり、毎年、各地の神社で豊作を祝う祭りや儀式がある。 三木の由来も地元民が神功皇后に差し出した御酒(みき)から転じたという説があるが、 他説もあり、定かではない。(*2) 山田錦が普及したのも昭和11年以降である。(*3) その他で多いのが、天照大神、天児屋根命、神功皇后、応神天皇などの天皇系や 海運の神の住吉神、市場や水の神の市杵島姫命である。 天皇系は、神功皇后や応神天皇が三木市に良く訪れたからだろう。 海運系は、昔は、 美嚢川には、 市杵島姫命が多く祀られている地域は、別所町の下石野から西 三木市は、金物の町として有名だが、金物に関する神社は少ない。 金物神社があるが、これは、昭和10年の創建である。 火の神である 祭神は、 この神社は、 どちらの天一神社も忍海部の支配地域にある。 どちらも素戔嗚尊に近い人々を祀っているため、国常立命もその関係者に思われる。 国常立命は、 天照大御神などの日向の神々は、天つ神、 国つ神と呼ばれた。 これらの神社において、神世七代が国つ神と混同されたと考えると、 この国常立命は、大国主命となる。 兵庫県高砂市の天一神社祭神の 他には、松山市や兵庫県佐用郡、奈良県などにも天一神社がある。 佐用郡の天一神社(祭神:天之御中主大神)は、日本最古の神社と言われているから、ここが元祖だろう。 三木市のHPでは、三木金物の歴史は、1500年前からとされている。(*4) 他の説では、奈良・平安時代に近畿圏で国宝級建築物を手掛けたとされる日原大工が 三木金物を使っていたとか、豊臣秀吉が、三木合戦の後の復興策で多くの大工や鍛冶屋を 移住させたとかある。 日原大工が手掛けた重文には、三田市の住吉神社や しかし、現在の金物業興隆に直接関わる歴史は、あまり古くないようだ。(*6) 三木金物業の歴史は古いが、盛衰を経て、技術が受け継がれて来たようだ。 明治時代には、既に三木金物の品質は名匠の域にあった。(*7) 素戔嗚尊、大汝命(葦原醜男)などの出雲系神社が数社あるのは、 播磨風土記にあるように、播磨が出雲の支配を一時、受けいていた影響だろう。 漁業や商売の神の 蛭子と 三歳になっても立てなかった蛭子にも、生活様式が異なった蝦夷にも変人の意味がある。 三木市で最も大きいエビス系神社は、大塚町の戎神社である。 この神社は、1878年に現在の位置に移築されており、(*8) 天保年間(1830~1844)に大塚町で 中世までの三木市は、忍海部が居住し、支配した東部の農作地帯と 山部連と金物業にも、何か関係があるかもしれない。 現在は、北東部の吉川町が合併し、農作地帯が、北東部、西部、東部にあり、 中部には金物卸売業が集まり、南部や南西部の郊外に金物製造業が散らばり、 新興住宅地が南東部にある。 北部・北東部は、ゴルフ場が多い。 新興住宅地の辺りは、1970年までは家が一軒も無く、マツタケが採れた山だった。 吉川・口吉川町が三木市で最も重文が多く、西部が市杵島姫命の多い地域である。 西部は、美嚢川の周辺に田畑が広がる地域であるため、市杵島姫命は、水神として 祀られたのかもしれないが、市神の可能性もある。 市神だった場合は、この辺りが、美嚢郡の中心街だったのだろう。 市杵島姫命を祀る下石野の厳島神社の創建は、790年である。(*10) この頃は、日原大工が活躍していた時代であり、日原大工が三木金物を使っていた という説の信憑性を補強するのではないか。 変り種では、別所家の家臣、衣笠家の先祖を祀る衣笠神社、仁賢・顕宗天皇を祀る王子神社などがある。 |