人物

別所長治べっしょながはる
戦国時代の三木城主で、当初、織田方についていたが、毛利方に寝返った。羽柴秀吉の兵糧攻めに遭い、二年間に及ぶ籠城の末、弟の友之と共に城兵の命と引き換えに切腹した。
この戦いは、三木合戦、または三木の干殺しと呼ばれる。
雲龍寺に首塚がある。
辞世の句-今はただ 恨みもあらじ 諸人の 命に代はる 我が身と思へば
淡河定範おうごさだのり
別所長治の義理の伯父で淡河城主だったが、木下秀長に攻められ、馬を解き放つ奇策で秀長を破り、城に火を放ち、三木城に合流した。
八幡森史跡公園に墓がある。
法道仙人ほうどうせんにん
インドから播磨に雲に乗って飛来した仙人で、多くの寺を開基したとされる。
三木市には、伽耶院教海寺法光寺蓮花寺金剛寺がある。
布施の鉄鉢を飛行させる術を持ち、ある日、年貢米を納める船頭の下にその鉢が飛んで来て、鉢が飛んで行くと全ての米俵がそれに付いて飛んで行った。
船頭が、仙人に返してくれと頼むと米俵がまた元の場所に飛んで戻ったのだが、一つだけ途中で落ちたという言い伝えがある。
金持ちの財産を貧乏人に分け与えるための所作で、一つだけ落ちてしまったのも一つくらいは貧乏人に分け与えるべきだという意味とされる。
加西市の一乗寺を中心に仏教の布教活動をしていた。
上田桑鳩うえだそうきゅう
明治時代に活躍した前衛書道の著名な書道家。
吉川町奥谷に上田 桑鳩の碑がある。
藤原惺窩ふじわらせいか
三木市の下冷泉れいぜい家に生まれ、京都で儒学を学び、近世儒学の祖と呼ばれる。
細川町に生誕地の碑がある。
井出国子いでくにこ
三木市の鍛冶屋に生まれ、元天理教徒だったが、ある日、神懸りし、朝日神社を創始する。
病気を治したり、人助けをしたため、「播州のおやさま」と呼ばれた。


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