推論 根日女ねひめ

弘計おけ皇子の歌を聴いて、人々は恐れ入って走り出た。
山部小楯やまべのおだては、皇子達に言った「あなた方の母君の手白髮命たしらかのみことは、食べ物は喉を通らず、夜も寝られず、生きているのか死んでいるのかという有様で、あなた方に会いたくて悲しんでいます」
皇子達は、小楯を伴って大和に行った。
母子は、会えた事を喜び、これまでの苦労を哀れみ、話をした。
志染に戻った億計をけ、弘計両皇子のために小楯は、高野宮や少野宮、川村宮、池野宮を建て、皇子達は、高野宮に住んだ。
二人は、小楯を遣わして、播磨鴨国造はりまのかものくにのみやつこ許麻こまの娘、根日女に求婚した。
根日女は、それに応じたが、兄弟は互いに譲り合って、結婚しないままに時が過ぎた。
根日女は、老衰で死に、それを悲しんだ二人は、小楯に、朝から夕方まで日光が隠れない場所に根日女の墳墓を造り、玉でその墓を飾るように命じた。
そのため、その墓は、玉丘と呼ばれ、その村は、玉野と呼ばれた。

これは、播磨風土記にある。

播磨風土記では、皇子達が、忍海部造細目の屋敷で身分を明かした後、天皇になったという記述はない。
皇子達の母は、記紀では、ハエヒメだが、播磨風土記では、仁賢天皇(=億計)の娘の手白髮命になっている。

針間(=播磨)鴨国は、現在の小野市、加東市、加西市に当たる。
先代旧事本紀には、針間鴨国造は、崇神天皇(10代目)の子、豊城入彦命とよきいりひこのみことの子孫、市入別命いちいりわけのみことに始まるとあるから、代々、市入別命の子孫が針間鴨国造を務めていたのだろう。
古代の豪族は、朝廷に娘を采女うねめとして差し出した。

加西市には、根日女の墳墓の玉丘古墳がある。

三木市志染町吉田に細目が住んでいて、高野宮跡もここにある。(*1)
吉田とは、都人が住むという意味である。(*2)
細目は、民衆に都人と思われていたという事だろう。
この東隣に志染町細目がある。
池野は、志染町窟屋いわや付近とする説がある。(*3)
顕宗仁賢神社は、小楯が建てた柴垣宮が起源とされる。(*4)
播磨風土記には、柴垣宮は載っていないのだが、柴垣ふしがきには、天子に逆らわないという意味があるそうだ。(*5)
反正はんぜい天皇と崇峻すしゅん天皇も別の場所だが、柴垣宮だそうだ。
日本書紀-仁賢天皇紀に、「億計皇子は、石上廣高宮で即位した。ある本によれば、皇子は川村宮と志染の高野宮を持っていた。その宮殿の柱は未だに朽ちてない」とある。この時代に、やたらと本を作れたとは思えない事からすると、ある本とは、播磨風土記、あるいは、その偽書だろう。
播磨風土記-美嚢郡条に、高野里たかののさと祝田社はふだのもりに玉帯志比古大稲男命と玉帯志比売豊稲女が鎮座したとあるのは、大宮八幡宮の事である。
志深里しじみのさとに、大物主葦原醜男が国堅めをした後、三坂峰に天から降りてきた三坂の神である八戸掛須御諸神が鎮座したとあるのは、御坂神社の事である。
吉川大刀自神が鎮座した吉川里えかわのさとは、三木市吉川よかわ付近の事で、讃容郡条で吉川とあるのは、佐用郡佐用町の江川の事とする説がある。(*3)
枚野里ひらののさとは、三木市平井で、飾磨郡条の枚野里は、姫路市の白国神社付近とする説がある。(*3)

細目の家では、弘計が歌って踊ったが、DAO!では、根日女ちゃんが歌って踊っている。

仮に、播磨風土記において、皇子達が天皇にならずに志染で生活していたとしても、その後の消息は記述されていない。
記紀も風土記も、信憑性よりも、物語性を重視すべきだろう。
ただし、配役がはまりすぎて、事実が含まれないとも思えない。
すべて、仕組まれていた劇だとする説は多く、その説を裏づけできるだけの舞台と配役になっているが、その可能性について、記紀や風土記が全く触れていないのは、奇跡的だ。
舞台とは、履中天皇(17代目)が、川が美しいと言ったから、美嚢郡という名が付き、食事の際、しじみが椀を這っていたのを見て、「これは、阿波で食べた貝だ」と言ったから志染という名が付いたと播磨風土記にあるから、縮見屯倉は、皇子達の祖父である履中天皇が造ったものであり、この地の役人も天皇に近い人々だという説がある(*3)という意味である。また、逃亡の際、丹波の与謝郡を通ったのも縁故を頼ったものであり、裏設定がしっかりしている。
配役とは、既に述べたとおり、皇子達の叔母の忍海郎女と忍海部との縁や日下部と来目部が、天皇家の古くからの家臣であると考えられるという意味である。


*(ソース)
  1. 志染中、一年の日常No.9 『志染町東吉田歴史散策に参加!!』 11/17 - 三木市立志染中学校
  2. 志染町吉田 - Wikipedia
  3. 「播磨風土記新考」井上通泰 - 漱石全集 その他
    平井 (三木市) - Wikipedia
  4. (西区、押部谷町)顕宗仁賢神社(けんそうじんけんじんじゃ)のご紹介です。 - 自然と文化のお話し - Yahoo!ブログ
  5. 出雲の国譲り② 新話な神話~神様と神社のお話~