推論 伊和大神


播磨風土記に登場する伊和大神イワノオオカミ葦原志挙乎命アシハラノシコオノミコト大汝命オオナムチノミコトは、一般に同一人物とされている。
しかし、イワとアシハラは、国占めで天日槍命アメノヒボコノミコトと戦っているのだが、オオナムチは、戦っていない。
また、イワには子がたくさんいるのだが、オオナムチの子は、火明命ホアカリノミコトが出てくるのみである。
そのため、イワとオオナムチは別人の可能性が高い。
イワの正体を知る手掛かりとして、妻に許乃波奈佐久夜比売命コノハナサクヤビメノミコト宗像三女神ムナカタサンジョシンの一人、奥津島比売オキツシマヒメがいるのだが、コノハナサクヤビメは瓊瓊杵尊ニニギノミコトの妻で、宗像三女神は天照大神と素戔嗚尊スサノオノミコトの子である。
ホアカリは、天忍穂耳尊アメノオシホミミノミコトの子でニニギの兄である。(*1)
アシハラノシコオも子が一人も登場しないし、イワと違って戦争にしか出てこない。
ニニギの子として、火照命ホデリノミコト(=海幸彦ウミサチビコ火闌降命ホスソリノミコト)と彦火火出見尊ヒコホホデミノミコト(=山幸彦ヤマサチビコ火遠理命ホオリノミコト)の兄弟がいるが、弟のヒコホホデミは、天孫降臨の際、日向に残っている。
播磨風土記は、オオナムチをオシホミミに、イワをニニギに、アシハラノシコオをホデリにしているのではないか。
だとすると、アシハラノシコオはイワの子に、イワはオオナムチの子になり、出雲族は元日向族になる。
播磨風土記に、宍禾郡シサワノコオリ伊和村は、イワがこの地で酒を醸造したから、本来の名前は神酒ミワであるとしているため、播磨に酒の造り方を教えたのは、イワである。
また、播磨風土記には、製鉄・鍛冶の神である天目一命アメノマヒトツノミコトと生鉄(=製鉄)の記述があるため、出雲族が、酒の醸造と鍛冶技術を播磨にもたらしたと考えられる。
イワとヒボコの戦いは、但馬をヒボコが、播磨をイワが治める事で落ち着いた。
ヒボコは、但馬の出石神社で、イワは、伊和村のあった地にある伊和神社で祀られている。
記紀は、意図的に出雲族と日向族の血縁を隠したのか?
先代旧事本紀に天孫族の饒速日尊ニギハヤヒノミコトに仕えた長髄彦ナガスネビコが、神武天皇にニギハヤヒが天孫族である証の矢と矢筒を見せる説話がある。(*2)
これは、天孫族が高度な文明を持っていた事を示し、先住民に製鉄や酒造や医療などを教える事を神の証としたのだろう。
神功ジングウ皇后の治世に製鉄・酒造技術を持った新羅人が大和に連れて来られるから、当時、高度な文明を持っていたのは朝鮮人だったと考えられる。
当時の朝鮮は、新羅、高句麗、百済、任那の4国に分かれており、日本にも秦の始皇帝の末裔とされるハタ氏などが、これらの地域から渡来していた。
秦が滅亡する時、皇帝一族が朝鮮に逃れてきたのだろう。

播磨風土記に道主日女命ミチヌシヒメノミコトに子が生まれたのだが、父が分からないため、盟酒ウケイザケをしたら、その子はマヒトツに酒を注いだから、父が判明したとあるのだが、道主日女が、宗像三女神(=道主貴ミチヌシノムチ)だとしたら、オキツシマヒメは、マヒトツの子を産んだ事になる。
オキツシマヒメは、イワの妻だから、イワとマヒトツは、異名同神の可能性がある。


*(ソース)
  1. ニニギ - Wikipedia
  2. 皇孫本紀 現代語訳・先代旧事本紀