吉備(岡山県~広島県東部)の昔話「桃太郎」の元とされる「
温羅伝説」に出てくる
新羅王子の温羅が、吉備に製鉄・鍛冶の技術を伝えたとする説がある。
孝霊天皇の子で四道将軍の一人でもある吉備津彦が大和から派遣され、温羅は討ち取られる。
吉備津彦と弟の
稚武彦の子孫の
吉備臣が、吉備を治め、
山部の長官をしていた。
山部は、山や食料の管理を中心に軍事にも携わっていたとされるが、製鉄・鍛冶部門でもあったとする説がある。
その山部の長官に
播磨国司の
山部連小楯が就いたから、小楯が三木市に鍛冶技術をもたらした可能性があるだろう。
山部なら原料の鉄も入手しやすい。
志染屯倉首の
忍海部は、新羅の製鉄・鍛冶職人の一族で、小楯の配下だ。
播磨風土記には、製鉄・鍛冶の神の
天目一箇神が、播磨に来たとあるから、その影響も少しはあるかもしれない。
来日した新羅の聖明王の子の
童男行者が、
丹生山に明要寺を建立した時に、鍛冶技術をもたらしたとする説もある。
欽明天皇の頃とされ、小楯よりも後の時代だから、鉄も入手できただろう。
この寺は、日原大工と関係が深いそうだ。
崇神天皇の治世に
任那王子の
都怒我阿羅斯等が来日する。
彼には、角が生えていたそうだ。
「ツヌガアラシト→ツノガアルヒト→角がある人」になったのだろう。
温羅は、鬼でも角は生えてなかったそうだが、「桃太郎」の鬼に角が生えているのは、ツヌガアラシトの影響ではないか。
福井県
敦賀市は、元、
角鹿だそうだ。
*(ソース)